2010年2月25日木曜日

山中貞雄さんという映画監督


今年は山中貞雄さんという映画監督が亡くなって100周年ということです。
記念してNHKのBSで深夜、現存している3本の映画がオンエアされています。

私はこの方をまったく存じ上げませんでしたが、初日に放送した「丹下左膳・余話」は確かに面白かった。戦前、昭和10年代の作品だけに時折音声がBGMの音と釣り合いがとれず聞き取れなくなるところがありますが、どこか現代的なテイストがありました。丹下左膳が妙に軽い。大河内伝次郎さんが演じていますが、この方には妙な訛りがあるような気がするのですが。。。

山中監督は何と召集令状が送られ、中国戦地で20代の若さで亡くなっています。何ともいえない日本国による余りの安易な人材放棄がなされたわけです。いかに文化の価値を当時の日本の為政者が分かっていなかったかを証明するような話です。あるいは文化の価値に変な価値序列をつけていたのかもしれません。映画文化の逸材を守るという発想がなかった時代だったということなのでしょうね。一言、愚かだと思います。

戦前と云っても70数年前の話です。同時に極めて現代的センスがあるといっても山中監督は時代劇しか撮っていません。当時の京都、太秦は時代劇中心の映画ロケ地であったにしても、おそらく若き山中監督の中には時代劇に自分がしっくりとくる表現があった、ということでしょう。その片鱗を伺えるのが本日深夜放映予定の遺作「人情紙風船」かもしれません。

おじさんが最近感じていることは、おじさんが若い頃に生理や直感で「自分とは関係ないもの」としてきた価値をあえて見直してみる必要、ということです。

同様に、日々何かを書いては書いた自分の価値や評価の対象に対する意味を改めて検証しなおす必要のことです。

不思議なものです。いろいろなことを書けば書くほどその反対概念が想起してきます。
価値観の相反するものが浮かぶ。すると反証したものの価値を再検討してみたい。そんな欲がほんの少し浮かびます。

ちょっとわかりにくいかもしれません。
自分の中では何となくそういう分かりにくさが意味あることに思えるのですが。古いものの見直しも同様なおじさんなりの「新しい生理」なのかもしれません。。。

それゆえに人は若ものから「おじさん」になっていくのかもしれません。。。

PS.ビートたけしは山中監督の映画を観たことがあるでしょうか?おじさんは北野監督の「菊次郎の夏」という映画のイメージにこの「丹下左膳・余話 百萬両の壷」のイメージが重なるのですが。勿論同時に「寅さん」もなのですが。

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