2012年7月24日火曜日

高岡健氏の著書


いま、児童精神科医である高岡健という方による著書を一生懸命読んでいます。この写真掲載をした『引きこもりを恐れず』という本はインタビュー録であり、読み易いのですが、中に書かれていることは非常に重要な論点がいくつも含まれており、領域に関心のある者としてはどこもかしこも見落とせない考察だと思います。
児童精神科医として、発達障がいに関する本も書かれていたり、発達障がいに関して同じく児童精神科医の方との対談本もありますが、とにかく実利的観点からの必要性を強く求めている人にとっては、おそらくその思いには答えてはくれないかもしれません。

この本に関して少し触れましょう。
僕個人としては、英国の70年代後半までの労働党と保守党の福祉国家/混合経済(公共性の高い産業の国家運営)による協調路線から、サッチャー政権による新自由主義改革によるワーキングクラスの没落(特に北部の炭鉱労働者に顕著)、ニューアンダークラス登場によるブレアの教育改革の(結果としての)失敗、など第三次産業化に伴う英米、そして遅れてアングロサクソン二国を追った小泉政権下で政策遂行された日本の新自由主義的構造変化・移行に伴う社会病理化、社会問題の現出についてとりあげていて、非常な説得力です。

この本は2003年に出された本に関わらず、現在とみに議論の的となっている「社会的排除」の問題を先取りしており、その意味では湯浅誠氏や、稲葉剛氏、宮本みち子氏らの発言よりも相当早い段階から同様の議論を先取りもしています。

引きこもり、発達障がい、ホームレス化、いじめ、自殺など、社会的排除の全体像をコンパクトなインタビュー本において深い説得力飲み込めるものとして出されていることに、個人的には驚愕しました。

おおむね内容に関しては同様なことが書かれている「不登校・ひきこもりを生きる」も本日購入してしまいました。(こちらは2011年発刊)
にわかに、自分の中で大きな存在となりました。

PS.
急いで付け加えると、人生には基準がある、あるいは人生には基準が必要だ、と考える人にはこの方の本は合わないかもしれません。
そして、ひきこもり体験者のかなりの部分で、世の常識人というか、平凡人同様に「世の中には基準がある」と考える人は多いと思われます。かくいう自分もそうで、ひきこもりが肯定されて嬉しいと思っても、別の切り口においては驚くほど基準を求めている、ということがあります。そういう葛藤がありますが、おそらく高岡氏の語られていることは真実で、それをいま現在呑み込めるかどうかの違いしかないのでしょう。

真実は、理想と同じように未来を照らす松明のようなもので、本当に暗闇で前後左右が見えなくならないと響かないところがあるかもしれないです。

同時に、真実を割と簡単に飲める人も極く少数ながらいる。これは僕などには本当に不思議な感じで。

高岡氏とは逆ベクトルの議論があるのは当然、知っています。ただベクトルからいったら、圧倒的に自分は高岡氏の論に与しますね。呼吸がしやすい感じになります。

2012年7月20日金曜日

「いじめ」について。

大津市で自殺した中学2年生の自殺の原因が「いじめ」によるものだ、ということで事件発覚以来、日々この件についてマスコミも、僕が利用するSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)も、日々この話題で絶えない。  

何よりも、今回の事件はいじめ被害があったという被害者側の両親が警察に告発したこと、それを警察が受理しなかったことから始まり、教育委員会の見解、そして今では民事訴訟、刑事告発と、今までの日本社会にはなかった「学校の外」、すなわちダイレクトに社会の側に訴えを起こして事件の全容解明を求めた点が新しい。  
また、加害者といわれる3人の子どもたちとその親たちも「いじめはない」という形で徹底的に争う構えを見せている以上「いじめ」があったかなかったかの当否についても全面的に争われる。この様相が今までにない展開だと言えよう。  
結論をまず先に言ってしまうと、僕の立場はここまで来たら裁判や取り調べで徹底的に調査すべき。そして黒白をつける以上、関係者以外・当事者以外はその方向性だと理解した以上はもはや野次馬とならずに静観して裁判の行方を見守るべき、という立場だ。  

こういう風な立場に立つ自分の観点そのものを振り返ると、ずいぶん自分の中でも変わってしまったものだな、と。自分の中に深い感慨が、ある。  
この間、ほとんどテレビに触れる機会がそうないからあまり多言は言えないが、マスコミに関してはおおむねいじめ加害をセンセーショナルに伝える立場、それに対してSNSの議論の中の多くは学校という制度の仕組みを考えようという意見が多かったように思う。後者の立場の多くはいじめはなくならない。過去から現在において大人の説教説諭でいじめはなくなったりしない。そもそも人間も動物であり、まだ衝動性と罪悪感の葛藤で「自分」が苦しむには至らない、同時に(性的な部分を含め)衝動性が大きく突き上げてくる思春期時期にはなおさらいじめを道徳的な建前から頭ごなしに叱っても意味をなさない、という「建前」幻想を捨てて人間の「本性」の側に立つ。  
だから、多くはいじめのターゲットにされた子たちがいじめから逃げられるシステムを作るべきという考えを持っていると思う。そこから導かれる回答はクラス制度の見直し、体育の団体競技を選択制にする、授業の単位制など。つまり、1クラス35名なら35名、幕の内弁当のように一つの場所に6時間押し込められるから、その集団の抑圧が誰か特定の者に向かうことを回避するという方法だといえよう。抑圧が攻撃に向かう特定の対象は、当然加害者が反撃を加えられる可能性がない子、加害者と傍観者にとっての「いじめられっ子」という子になってしまう。

僕もおおむね後者の側に立つ者だ。僕自身の経験においても、家の中でいじめられた程ではないけど、学校内いじめにもかなり傷ついてはきた。思春期は特に一層、そのようなことに敏感になるものだし、そのような時期に限って集団生活を強いられるというのはどこかで人間に傷を背負わせてしまうものだ。当時はフリースクールなんてものもなかったし。  
だから学校の制度的なアプローチとしては、(今は知らないが)例えば「班分け」、修学旅行の「自由班」などもなんとかしてもらいたいものだ。 集団に馴れることを求めつつ、どこかで担任教師も孤立する子を把握しているはずだろう。 

実は僕はいじめに対しては、少し昔はもっと過剰反応をしてた筈だ。特にもう何十年前になるだろう?いじめ自殺をした子に対してなされたいじめとして、クラス全員でいじめられていた子の弔意文の色紙を廻して、それに先生も加わっていた、ということがあった。  
とにかく僕は家の中で独り激しくそのいじめが行われた学校、クラスを憎悪し、怒り、呪ったものだった。人というのはかくも残酷か?死んだ命はかくも程度の低い連中の犠牲になったのか?これが平和憲法を持つ平和な国、日本で起こることなのか?と。  
でも同時に分かってもいたのだ。中学時代にさんざん聞いた「平和」「民主的な議論」「先生になんでも話して」。そんな素敵な言葉は授業が終われば露と消える。休み時間、特に昼休みになれば教室は暴力そのものと、暴力的な匂い、いじめ対象に向かう動物的な衝動に満ち満ちていたのだから。  
ここまで思いつつも、僕はいまそのように思春期の、あるいは思春期前期の子どもらの加虐性を責めて責めつづけても仕様がないんじゃないかな?と思う。それでいじめが止まるのなら、僕等が子供の時から止まっている。やはり現実に即した制度の改変をしたほうがいいのではないかと思う。故に大人の説教よりもクラスの流動性を高める方が意味があるだろう。  
場合によればクラスから逃げる、学校を逃げる、別の学習のスタイルを見つけるという方法が現実の今の世の中では最も効果的だろう。  

しかし同時に、それを受け入れる世の中の体制はあるのだろうか?という疑いは捨てられない。学校の外の社会や大人社会がそれを「学校のドロップアウト」として見る勢力が大半ならば、フリースクールに移行しても子供自身の内面に傷が残るままだ。それは端的に「逃げた」という負い目になって残る。学校から逃げた、あのクラスから逃げた、あの連中から逃げた、あの連中に道で出会ったらどうしよう。怖い、とか。いじめ被害の子に「精神的な強さ」を求めるのはほとんど二次被害でもある。「もっと強くなれ」「奴らを見返してみろ」。こんな言葉、ちゃんと死語になっていれば、おそらく少年の自殺なんて起きない。(今回の大津事件を言っているわけではありません)。

僕は猜疑心が強い人間なので、制度をいじくることで人びとの本能、その本能の裏返しとしての精神論がそうそう消えるとは思えないのだ。  
ある種の人は、人間も動物なので、強いものが弱いものを叩くのは仕方ない、だからいじめられる側は強くなれ、と暴論を含みながらある面では人間の本性に気づいている者もいる。しかし彼らが見落としているのは、いじめられる側は「個」対「多」という決定的な不平等にあるということだ。いじめが固定化すると、いじめる加害者のみならず、一番層として多い「傍観者」が強いものの側に立つ、というリアルな現実を敢えて見ないのか、わからないほどに無知だ。  

いじめをモラリズム的になくすには、日常の中に「非日常」が頻繁に現出していくしかない。  
部下が上司のモラル違反を正す。それを同僚たちが賞賛する。生徒が教師の不備を正す。それを他の生徒や先生たちが賞賛する。マスコミが不正を暴き、それを不正者は認め、人々はそのマスコミを賞賛する。クラスでいじめがあれば、「1対1でやれ。俺たちがそれを見ている。言い分を言え」という。それをクラスが当たり前の前提とする。また、クラスにいじめがあると「そんな恥ずかしいことはやめろ」という者が出る。普通にその者が他の生徒に賞賛される。
ーこれらはどれもこれも、ありえない。少なくとも今の日本社会でほとんど見ることはかなわない。残念ながらこれが現実なのだ。  

しかし、「現実なのだ」で終わるのも本当にいいのだろうか?  
例えば、ある意味ではこういう「非現実」はどうだろう?いじめられる側の子に抵抗権、対抗権を与える。一対多、体力でも当然かなわないなら、バットでもなんでも与えていじめる連中をバットで殴り返す。ただし頭部は不可。
これを認めたら、てきめんその子に対するいじめはなくなるだろう。  しかし、残念ながらいじめられる子はそんなことを大概しない。そういう「目には目、歯には歯」ができない子達がいじめの犠牲になる。だって、やり返されない見通しがあるから、いじめが成り立つわけだから。やる連中も、当然、人を見ているわけだ。  
暴力に暴力で対抗しても意味はない。その意味で、いじめの被害に遭っている子は本質的に平和主義者だし、倫理をわきまえた人間の常識を備えたちゃんとした子だ。  
そんな子達に一層の倫理を求めてどうするのだ?この世の中は実に不思議なもので、いじめ被害に遭うような倫理的な人たちが、より一層倫理を深めて、倫理が必要な子たちにこそ読まれるべき、あるいは語られるべき倫理が彼らに忌避されている。こうして社会は何とか成立している。  
ーこれもまた現実だ。  

僕はここまできたら一層、失われた非現実を呼び戻したらどうか?と思う。僕が思うのは「報われない魂」が化けて出るという話の復活なのだ。いじめで殺された子、ハードワークに殺された人。それら、報われぬ魂たちが成仏できずにその地にとどまり、地縛霊のように祟りを求めて彷徨う。鎮魂を求めるのは人びとがその魂の悲しみを理解し、怯れ、人間の愚行を心から謝り、これからの繰り返しを二度と犯さぬ誓いを立てる。  
このような前近代的で非日常的な精神の働きを取り戻すしかないのではないか。そして、その精神を培うには子供時代から親から子へ、老人からその子、孫へと語り継ぐ心ばえしかない。  
その意味ではトラウマになる可能性もあるが、「地獄絵図」による天国・地獄の教えもあながち笑って済ますことも出来ない。
最近、そんなことを思う。  

人はこんな文章を読んで「ちょっとどこかおかしいんじゃないか?」と思うだろうことは理解しています。  
しかし、けして、ふざけてこんなことを書いているつもりではありません。

いずれにせよ、大津の事件に関しては、両者の言い分が決定的に対立し、和解の路線という今までのありがちだったものと違う局面に入った以上、粛々と事実関係を明確化していくべきでしょう。  その過程で多くの人が傷つくでしょう。もちろん被害と容疑(加害者側は加害者性を争うから加害者と現段階では言えない)の両者は勿論、その家族、あるいはクラスの子どもたちや担任、教頭・校長(証言台に立つ場面もあるでしょう)それら現場の人たちとその家族。みんな傷つくでしょう。そういうとこまで想像すると、この事件の明瞭化は社会全体がある傷を得た。その傷は亡くなられた少年の鎮魂の過程でもある。  

その意味で、亡くなられた御魂を慰めるための、これは大きな大きな道すじなんだろうと思います。
実にやるせない話ですが、これは僕らの贖罪のストーリーでもあるのでしょう。。。

2012年7月8日日曜日

思春期の記憶

今日、たまたま家の用事で買出しに車に乗る時、ボブ・マーリーの有名な「ノー・ウーマン・ノー・クライ」のライヴ演奏が流れた。僕はここのところ、ボブ・マーリーのベスト盤CDをずっと入れているわけで、前に車に乗って帰宅するとき、かなり大きな音でかけたまま、そのままエンジンを切ったんだね。

鳥肌が立つんだよね。いつ聴いても。観客たちが前奏で合唱している。。。

演奏は「ライヴ!」っていう1975年の作品で、イギリスはライシアムというコンサート会場で録られてる。音像からすると、けして大きな会場じゃないんじゃないかな。。。観客たちのダイレクトな声がずいぶん身近に聞こえるんです。ものの本によると、前の日に同じ会場で行われたボブ・マーリーのコンサートで、この曲で自然発生的な合唱が起こったことにインスピレーションを得たプロデューサー兼レコード会社のオーナーが急遽、ライヴ盤用に音取りすることを決めて二日目の演奏の音がライヴ盤で世に出たとのこと。

この後、ジャマイカで自宅を銃撃されたボブ・マーリーは1977年にイギリスに脱出する。ジャマイカは二大政党制だけど、ハンパない一般人を含んだ権力闘争で、選挙の季節になると両陣営の応援団?がガンマンと化し、政敵を銃で倒すというのが平気であるらしい。それで片方の政党を支持していたボブ・マーリーも標的にされたわけ。1976年の暮れに自宅を襲撃されたあと、次の年にはすぐイギリスに脱出したわけだけど、それは彼が所属してたレコード会社がイギリスにあったため。

元々、イギリスはジャマイカの宗主国で、イギリスにかなりのカリブ移民がおり、そのコミュニティで母国ジャマイカのレゲエミュージックが聞かれた。その母国の音楽を配給して販売してたのが、ボブ・マーリーが所属してたレコード会社の社長。この社長も生まれがジャマイカだったこともあり、生まれた土地の音楽をカリブ人コミュニティの人たちをターゲットとして販売していたら、同じコミュニティのそばに住んでいた白人の労働者階級の人たちも、その強いビートや、独特のリズムに惹かれて、ジャマイカのレゲエ音楽を聴いていたという話。

マーリーに話を戻すと、彼がイギリスに入国して居をとりあえず定めた1977年は、イギリスではパンクの嵐が吹き荒れた頃。パンクのミュージシャンはレゲエ音楽が好きになってくれたジャマイカン・ミュージックの提供者から見れば、マイノリティ白人レゲエ・ファン。そしてレゲエミュージシャンから見ると、パンク音楽はレゲエの持つ宗教性を抜くと、共に社会に対する抵抗の音楽として、スタンスは共感できるものである、という感じで。

ボブ・マーリーを慕うパンク・ミュージシャンと、自分たちの音楽を愛してくれている意識が高い若者層がいるんだな、ということでより一層意を強くした、というのがボブ・マーリー側の感覚だったかもしれないですね。
この年、イギリスでボブ・マーリーと彼のバンドは『エクソダス』という名盤を発表します。
おそらく、スタジオ録音のアルバムでは、この作品がボブ・マーリーの一番の傑作と言えるはず。本当に捨て曲なし、緊張感に優れ、また愛情や優しさ、包容力も含まれた、多彩な人間の感情を表現し得たレゲエ音楽の中でも名盤中の名盤に数えられるものでよう。

やはり、それはコミュニティに差異はあれど、ボブ・マーリー自身も自分がやっている音楽が白人社会に受け入れられる可能性や自信を持てた確信がきっと出てきて、素晴らしいレコードを作ることができたんじゃないのかなあ。
このあと、どんどん彼の音楽はインターナショナルに受け入れらるような方向性が加速したと思う。それは今ではいい、正しい方向性だったと思います。
スティーヴィー・ワンダーもこの時期、レゲエやボブ・マーリーに強い関心をもち、実際に接点も出てくるわけだけど、マーリーがもう少し長命であったら、十分、スティーヴィー・ワンダーのような存在になったような気がする。もっと硬派な形で。

ああ、全然話がねえ。何故かボブ・マーリーの一部ストーリーの記事になってしまいました。
最初のきっかけは「ノー・ウーマン・ノー・クライ」のライヴバージョンに触発されて浮かんだ連想を書くつもりだったんですけど。
全然、流れが別になってしまいました。

タイトルに偽りありだ。ボブ・マーリーの70年代の充実期に関する話、でした。意図せず。
この記事は音楽ブログのほうにも挙げておきます。失礼しました。

ボブ・マーリーの歌声。バラードに限らず、アップテンポなテンションが高い楽曲においてもどこかリアルな切なさがあって。それがまた好きにならずにいられないところなのです。