2010年7月31日土曜日

無茶苦茶身体がだるいです。

今年の気象は異常だとしか思えませんね。
全国ニュースの天気予報を見るだけで頭がくらくらしそうです。
本日は午後あたりから晴れてきたと思ったら滅茶苦茶暑い。
冷麦食べて、モナカアイスを食べて昼寝。まずい、これは数年前のメタボ症候群に近づく道だ。
起きたら腹がもたれて。やはり食べなれないことをするとイカン。
でも、今日はとにかく本能に従いたい日でした。とにかく何故だか知らないけれど。
階下に降りたら、母親鬼の形相。あさってまで電化製品の無料回収業者が来るとか。たまには家の手伝いをしろ、と。しかし、親父が古いものを投げたくないので。結局かんばしくない結論しか出てこないと思うのだがなあ。
最近、年とともに母親の直情的な怒りが抑制なくなっている気がします。そろそろ気をつけないといけないですねぇ。
ヒキコモリストの試練は自分の両親を普通に相対化して見て、例えば介護などにもどうかかわれるかですね。(介護の形もいろいろある上で)。

昨日の「反貧困北海道」のシンポは少し茶化した形で書いてしまいましたが、中小企業の社長さんの悩みは本当にシリアスで私も考え込んでしまいました。
特に先端産業とは違う中小企業は大変。誠実な会社運営をされているだけに尚更のように見えました。地域別でない一律最低賃金上昇の方針がきわめて中小企業にとり悩ましい課題であることが分かるだけでなく、ここ最近、仕事がどんどん減っているのにもかかわらず、ほんのちょっと前にも考えられないくらい求職応募が来る、例えば一人採用にひとりしか来ない状況から今は一挙に30人、40人が応募に来る状況に戸惑っている様子でした。

もはや「自由市場」とか「労働市場」とかの限定条件でこの社会の閉塞を何とかできる状況なのだろうか?と素朴な疑問が強まるばかりでしたね。
職業訓練も根本的な問題として職そのものが無ければねぇ。その点もとても考えさせられることでした。

おじさんも顔を出している『SANGOの会』もいよいよブログが出来ました。サイドバーにもリンクを貼りましたので、宜しく。
この社会のアウトサイダーやマイナー扱いをされてきた人たちはいま思えば「炭鉱のカナリア」だったのかもしれません。その声をやっと少しずつ届けようという動きが秘めやかに始まりつつあるのでもあろうかと。

2010年7月29日木曜日

明日は反貧困ネット北海道のシンポ。

昨日は市内の学習会で学園大の先生が雇用問題を語ったんですが。
前提の話はみんな分かっているというところで実際にどうしましょう?という話で〆まして。本当にどうしたらよいのでしょうか?という感じです。最低賃金の引き上げを説いても中小企業は仕事すらない現状。北海道は大変だどう。
機械化の波、世間の嫌われ者となった公共事業と公務員。だけど一つ一つ地方や身近な問題(買い物難民や中心部に集まってくる高齢者の孤立、あるいはサービス現業の分離化、アウトソージング化)を考えると効率性が強まれば強まるほど反対に社会課題が増えて、経済的にはデフレ圧力は強まるばかり。
本当にもつれた糸ですな。

明日は反貧困北海道のシンポに先月に続いて行ってきます。
おじさん、暗いですか?答えは勿論Yes! ええ、暗いですとも。なにせ経産省のデーターでは未だ90年のバブル以降の需要不足が終わってないっていうじゃないですか。
やったぁ、暗いおじさんの時代が主流化しつつあるぞよ。w

冗談はさておき、反貧困北海道では8月の学習会として精神障害者と貧困問題らしい。むしろ関心はあすよりこのテーマにあります。


 ポスターの「おー!」も何となく頼りなげなのがポストモダン以降の運動らしいトホホな相対感覚ですな。ご自分が正しいと思い込んで思いが成就すると楽天的に考えられる時代じゃないよと感じられるイラストで、おじさん的にはとてもフイットするのですが、それが正しいことかどうかはわからんことではあります。

2010年7月27日火曜日

此の頃。

 先週の金曜日、札幌市の官民全体のイベントとでもいうのでしょうか?「カルチャーナイト」という催しに行ってきました。

 とはいっても、基本は日頃夜には開いていない、用事がなければ行くこともないような公共施設などを開放する日、という感じでしょうか。乱暴に言えば。
天気が残念ながら雨模様だったですが、「道庁赤レンガ、市民活動促進センター、市役所、札幌市時計台内」というコースで友人と見学してきました。

 市民活動促進センターでは別の友人が主体者として係り、発足しているNPO法人の過去の通信誌をどうすれば置いてもらえるか聞いてきました。

 その後は札幌市市庁舎内ツアー。文字通り職員の方の引率で市役所内の日頃見ることが出来ない、立ち入れない場所を見学します。
屋上階の展望から市内の歴史を語るつもりだったと想うのですが、折悪しく(良く?)花火大会が始まり、子ども連れさんが多い参加メンバーはあっという間にそちらに釘付け。仕方がないですね、余りにも花火を見るには良い展望なので(笑)。

それから市会議員の席に座って市議会の説明や、自由撮影。同様に市長室見学などをさせてもらいました。子どもたちはおみやげをもらい、夏休みが始まる当日としてはいい思い出になったことでしょう。

その後は隣の時計台に。市内に住んでいると時計台にしろ、道庁赤レンガにしろ入る機会は滅多にありません。時計台があるこのあたりは元々明治には札幌農学校の敷地だったこと、時計台は「演武場」と呼ばれ、どうもミリタリー系の施設だったらしきことなど、札幌市民でありながら、知らないで来たことを学ぶことが出来ました。

二階のチャペル形式の講堂は如何にも明治の面影を感じますが、なかなか座り心地の良いものです。奇妙にまどろみの感じを持ったのは何ゆえか?自分にも良く分かりません。

その後友人と話しながらアイパッドを含め、ネットと市民活動的なものや新たなるコミュニケーションや仕事のあり方など、妄想を含めてあれこれと。知的関心を得たなかなか面白い夕方から夜でした。

あ、そうか。イベントのタイトルも「カルチャーナイト」なんだっけ。そういえば。(^_^;)

そして昨日は共にNPO就業研修を学んだ仲間でNPO法人レターポストフレンドに関心がある男性と同団体の副理事長に引き合わせ。うむ~。風格がある語り口と説明能力です。友人でもある彼が改めてとても頼もしく見えました。

私も会いに来た彼も、事例研修会の講座に来てくれたNPO代表の話を聞くのとそん色ない印象を受けたのではないかな?と思いましたね。まずは良かった良かった。

2010年7月20日火曜日

社会的事業就業研修レポート

 先日の記事で先の6週間研修の修了レポートをリンクしましたが、外からのパソコンで見ると専用のソフトがないと開けないようです。よって、改めてコピペしてこちらのブログに貼ります。
 ・・・しかし、最後の一節の辺り、私のひねくれ者の傾向が現れてしまっていますね。前向きなところで終わらない傾向というか。あと、その日の2時間の中で文書を綴ったのでところどころ分かりにくいところ、破綻している部分があるかもしれません。その点はどうぞご容赦を。

 <研修終了レポート>

 この度の社会的事業コースの訓練がもう終了するということで、自分自身の食い付きが弱かったのか、もう少し自分の中で「これ」というものが掴めなかったかものかな、と残念な思いもあります。現代社会においてNPOで働くこと、ソーシャルビジネスで働くことというのはやはり自分にとってもまだ安定性を基盤とすることが難しい、大変新しい働き方なのだろうなと思います。会計について学んだとき、年度末で収益が正味財産となり、基本的に収益をベースとした発想がNPO法的には無いのだと気付き、とはいえやはり一般の企業のようにニーズの把握とマーケティングが必要であるとなれば、適正なNPOの事業規模はどの程度であるべきかという悩みというか、疑問も起きます。この場合のニーズとは営利企業も行政も拾うことが出来ない生活のデティールにおける生活者の悩みであり、あるいはまた生活弱者の人が持つ困りごとであろうかと思います。営利もコストがペイしないから商売とせず、行政は税金を投ずることができない世界。そこをNPOやソーシャルビジネスが拾いあげ、「利潤」のルールに基づくこの社会に対して、元来の社会の在り方(お互いさまの世界)を提示するオルタナティヴな生活や社会を作る先駆けになるのだろうと思います。

 その意味で私自身この社会の新しい、同時に元来存在したコミュニティの復権の両面に基づく意識を活性化させていただいたわけで、大変貴重な学びの時間を得たと、とても嬉しく感じています。

 しかし、さりながら私自身の受講動機がもともとNPOや社会的事業を行っている法人や団体に就労することにあったわけで、その点では上記の会計理念でもあるとおり民間企業では利潤といわれる部分は来年の社会的事業の継続へ廻すわけで、そこには専従の職員の最低限な確保というところに気付きます。民間企業のように新規事業を目論むために従業員を先に雇って先行投資をする、というわけではありませんから。

 するとそこにはNPOにおいてはどうしても「労働マーケット」は小さいと見るのが普通であるはずです。そこは私自身この講座を通して受講して改めてハッと思ったことでした。NPOで就労するというのは甘いことではないな、と。

 しかしながら、就労実習後多くのNPO団体の方々の事例研修を聞くなかで思うことは利潤追求ルールの社会の中では社会的課題が想像通り沢山転がっているし、その課題は今後の人口構造や世界の経済構造のダイナミックな変動の中でますます増加するのは目に見えているということでした。そして、先に書いたとおり営利企業や法律に縛られる行政では拾えない課題に取り組み、また彼らの当初思い描いた構想を超える新しい課題を前にその課題を「なるほど」と知的に受け止め、解決や新しい課題として新しい事業を始めるような、そんな仕事を楽しめる姿勢と企業のように自分では主体的に係れないことにもかかわっていけそうな可能性でした。

 大きな意味で市場という面では今後NPOが労働市場の大きな一角を占めないといけないと思います。つまりそれはたくさんのNPOが存在している社会であり、そのNPOが競合するよりも各層、各般に渡ってそれらの課題に向き合う多様なNPOが存在する社会でしょう。そのような社会が来るのか?

来ると思いますし、傍観者のように自分がそのようなことを言っていてはいけないとも思います。

 現在の市場社会では異業種交流は別として、やはり同業であれば分断された社会であり、その活動は秘密化され、その会社のCM面のみ、つまり光のみが情報として流布され、不祥事の際に不祥事隠しがわかって謝罪する、というような消費者を幻滅させることが続いています。政治も同じでしょう。職業政治家も。それらは競争をルールの基盤に置いているから、秘密が横行し、社会の中に疑心暗鬼がどこか基底に流れているのだろうと思います。そのような疑心暗鬼が時々社会病理現象としてあらわれているのだろうと私は思います。

 その点においても、NPOの理事長さんたちのお話は非常にオープンで、困っていることもすべてというわけではないでしょうが、明らかにされておられましたし、それゆえにその内部的課題をどうするかという悩みも率直にされていたような気がします。

 NPOのような組織の可能性はそこにあるのではないかとこの6週間を通して、一番思うことはそれでした。ある課題が活動を通して把握される。しかしその課題は自分たちの団体では解決できない。ではそこは他の団体に相談してみようというオープンな感覚。

 NPOが常にいちばん大事にするミッションが自分たちが出来る範囲での「社会的課題の解決」であれば、そのような他の団体や専門機関、時には営利企業にも投げかけられるのではないかと思います。そこに今の経済社会のルールが作り出した経済外問題が広範に広がる社会においての、一番の未来性だし、業種において一番誇れることの一つなのかもしれないな、と思いました。

 2週間の振り返りレポートで私は「NPOにおけるプロとは何か?例えば福祉の専従職員や臨床カウンセラーとの違いは何か?それは自分にはまだ見当がつきません。しかし「思い」だけではいけない。それが何なのか?」と書きました。その答えはまだ明確になりません。

 しかし、上記縷々書き述べたことが一つのヒント程度にはなるかもしれないかと思っています。今更大学に戻って専門的にNPOやソーシャルビジネスについて専門的に勉強するのは不可能ですが、この講座が自分の今後の指標になるのは間違いないような気がします。それが自分の個人的な人生にとって幸せなことかどうかはわからないことなのですが・

2010年7月14日水曜日

ちなみに、です。

 私はもちろん、社会の目に見える現場で働く人たちをとても尊敬しています。
 沢山応募に来る人たちを次々と受け付ける市職員たち、車に乗っていると迷惑に思ってしまう道路で僕らを誘導してくれる道路作業の人たち、ビルの清掃職員、市のゴミを回収する清掃職の人、宅急便を配送してくれる人、意外なほど接客態度が良いネットカフェの店員さん。
 私は彼らは凄いな、偉いなと思うし、自分にサービスしてくれる人たちに本当にありがたいという思いを抱いています。
 逆に自分が彼らの立場でお客や道行く人々がそう思ってくれたら面映くも、とても嬉しいでしょうが。

 かれらの目的がその際に「お金」や「生活」でも、その仕事がいつか何か別の、次元を超えてその人の精神を高みへ持っていく可能性もあるかもしれないとも思います。

 僕が納得行かないのはそれら全体を覆いつくすこの世界のゲームのルールなのです。それを憂いても詮無いことですが。

 僕にとっては自分で望んでやったこととはいえ、学生時代に創価学会に入信してしまい、誤って学生幹部になってしまい、昼夜問わずそのことばかり考え、そのことばかりで動き回った末、20代いっぱい逃げ出したそこでのマインドコントロールが抜けなかったこと。その種の目に見えないマインドコントロールがこの現実経済社会に蔓延しているのではないかと思ってしまうのです。

 創価学会それそのものを批判するとか今はあえてする気もありませんが(政教分離では全然ないことは多くの人が想像するとおりのものですけれども)、ただ新興宗教以外のこの現実世界もひとりひとりの人間に過剰にきついルールを強いていないか?それが疑問です。「働けない人」と「働きすぎで燃え尽きそうな人」の二極分解へと向かっているような。
 だから飛躍すれば、自分が「何故頑張って働かないといけないか?」の理由付けとして「国を愛する気持ち」が徐々に前面に出てくるのかもしれません。こうなれば憂うべきことです。(この場合、自分のために自分が好きで忙しく働いている人は除くべきでしょう)。

 現代社会は僕を含め、情報社会となり、人は観念にヤラレル傾向は強まっています。

 ワールドカップやチャンピオンズリーグで活躍するようなサッカー選手は野生の優勝劣敗の原理で良いのです。私はあすこにヨーロッパ人の野生の本能を見ます。でもそれはそれでよく、そこに現代的な戦略が当てはまるから面白いのでしょう。
 そしてまた、あれほど凄い野性の本能(例えば「ゴールをこじあける」という言葉で象徴されるような)をどこかで自覚するからこそ、ヨーロッパは「社会」のシステムに関心を寄せ、社会保障のルールを合意を得て適用できるのではないか。
 彼らは長く、そして近代では第一、第二の大戦争を、もう極限状態まで行う、という愚行をしてきました。それで自分たちの野性本能にさすがにとことん懲りた、というのもあるでしょう。だからサッカーのようなスポーツに自分の生理を解放し、「ケ」である日常で理性的な社会制度を形成しているのではないかと思われます。
 これが僕の見立てです。

 さて、ヨーロッパから最も遠い私たち日本人は本当に自分の野生に懲りているのかな?私は疑わしいと見ているのですけどね。特に最近の世論というのを見ていたり、政治家の質を見ていますと。

社会的事業就業コースが終わって。

 6週間に渡る社会的事業(NPO、ソーシャルビジネス等)に係る就業希望訓練が先週末で終わりました。そこで得たもの、課題などの具体的な内容は以下に譲るとして、30人のメンバー全員がすべてが無事全員卒業しました。その中では今まで営利企業で普通に営業マンをやっていて、どうも営利企業での働き方に納得がいかない、NPOといわれても良く分からないが、非営利事業という言葉に惹かれて受講したという人、初めからきわめて問題意識が高い人、ニート・フリーター系の人、さまざまでした。
 おじさんはひきこもり代表というわけです。いや、別に宣言したわけじゃありませんが(苦笑)。ただ、NPOとなったレターポストフレンドの紹介は最終日にさせてもらいました。どれだけの人に記憶されたかは疑問ですが。

 今日は市の臨時職員募集、春に続いて初夏の第二弾。今回は国勢調査に関する事務職員募集、55名です。受付にいったらば、まあ長蛇の列。就職戦線の厳しさを春に続いてまたひしひしと身に迫ります。ただ、今回は見たところ女性が7割くらい。男性は割と年配の人が多い。女性のほうが意外にも今の就職戦線は厳しいのか?それこそ仕事があればその種の調査に係わってみたいものです。聞き取り調査とか。ないものですかね~。基金訓練も落ちまくった昨年の冬から今年の冬までの身に染みる寒さを知っている身の人間にやらしてもらえないものかなぁ。
 春は春でまた、たしか100何十人のところに10倍くらいの応募があったんだよね。雇用問題は深刻。

 おじさん自身を振り返ると、仕事をしないといけないとしぶしぶ自覚が高まった30代に二つの課題がありました。一つはまず入職できるかどうかの戦い。もう一つは入職できたら今度は入職先で仕事が継続できるのか?の戦いです。
 この時期、職場は清掃現場で4箇所くらい変わってますね。朝と夜の清掃ダブルワークをしてた時期もありました。社会福祉士の勉強してたときですね。仕事自体は30代だしまだ今より元気だったので、その日その日のやりがいはありましたが、やはり清掃の現場特有の庶民おばさん中心の難しさをしみじみ実感させられるばかりで、余りにも直截な心の中に踏み込む態度の人と人事管理の問題に最終局面でぶつかり、一箇所で続けることは無理でした。清掃の仕事は人事管理が大きな課題でそこがクリアできれば精神健康上もいいんですけどね。ただ、ルーティーンワークが多く、どうしても自分の頭で考え、クリエイティヴな要素はないから、そこで結局人間関係や、人間の感情問題がストレートに露見していき、伝染していくんですよね。

 40代になり、職業訓練も含め、やっと社会保険労務士資格を生かして国民年金関係の仕事に就いて安定するはずでしたが、そこで自分でぶち壊し。本当に自分自身を疑いましたね。

 上記の話に戻りますが、いまの競争社会では別に「NPO」など名乗らなくとも、却って会計上「利益」を持ってはいけないNPO法上の法人では雇用を拡大できない要素が多いわけで、社会の格段・各層においてNPOが多様に誕生しないと雇用は増えようがないと思います。そこが自分でもNPOに可能性を強く感じつつ、悩ましく思うところでした。
 NPO的なものが「未来の可能性がある仕事」だと学んで実感しても、それが「直近的な未来」なのか「まだ見えない遠そうな未来」なのかは見通しがつきません。
 少なくとも、鳩山元首相の退陣により、現在砂漠のオアシスは蜃気楼のように遠のいた気がします。

 個人商店のような小商いが成り立つ時代はとっくに終わりましたが、私はNPOやソーシャルビジネスは生活ニーズに対応する「小商い」的な世界の復権、という角度でも見ています。しかし、このカネがカネを生む競争社会では小商いはあっという間に潰される運命にあります。

 オルタナティヴな働き方に注目する人たちはさきがけかもしれませんが、確実に増えている気がしています。この潮流はチャンスなので、世界を覆うゲームのルールに潰えないよう、ただ祈るのみです。

 日常話からずれました。(汗)。今週は土曜日のエクセル検定を前に「やばい!」という思いに満ちてそこに入れ込んでいます。これも現代的な病に冒されている自分の姿を半面に見つつ、ですけれども。

 最後に、私が学校?で学んだことの最終レポートをここに転載して本日は終わります。

 修了レポート

2010年7月5日月曜日

じたばた訓練日誌-新しい公共と新しい働きのあり方を模索しつつ-

 4月から受講を始めた基金訓練のOAビジネス科から6月にNPOなどの社会的事業に就業するためのインターンシップつき訓練に転校して7月に入り、いよいよ受講期間も終着点まで来ました。

 最初はNPOとは何か?NPOの理念とは?あるいはソーシャルビジネス、コミュニティビジネスとは何か?という概論的なものを学び、その後実際にNPO団体で2週間のインターンシップを行い、現在は実際にNPOを運営している各種団体の理事長から運営の実態と実情を伺いながら具体的なイメージを膨らませる作業を行っています。それに加えてオフィスPCの使い方や労働社会保険について。簿記、会計帳簿の読み方や税務など、NPOの管理運営の具体的な方法を学びます。これらが6週間の学習期間における全体的な内容でした。

 ここへ至る前のパソコンスクールで学んだことは訓練の方法に過去の蓄積がありますし、就業に向けたオフィスソフトの検定合格を目標とし、履歴書を書けて面接技法を学ぶという具体性があり、それなり大変ではあっても、就業に向けた目標のために得るスキルが具体的で、受動的な目標設定を設けた勉強のしがいはありましたが、今の学びはその点を比べれば大学の講義を受けるような感覚であり、自分の関心にあった分野を学ぶという「自由の感覚」と同時に、就業への具体的なイメージにおいては、今ひとつ明確にならない難しさがあるのも確かです。今回初めて始まった「新しい公共」のための就業訓練は端的に言ってまだ主催者も受講生も手探りの面があったと云えるかも知れません。しかし私にとっては元々関心が強かった領域であったので、NPOという、大きな力ではないにせよ「社会問題解決に結びつく仕事」に日々動機づけられてきたという点では、意義深い日々を過ごす喜びがありました。同時に受講後のかたちがNPOという存在がまだ収益事業として難しい分野であるがゆえに、その分野で働くことを目指すその意味を自分に問い続けながら、自分の頭で探り、考え続けなければいけません。自分が持っていた問題意識はけして孤立した考えではなかったという一種の安心感があるとともに、まだまだマイナーな「新しい公共」に携わる仕事の領域で経済的な自立は得られるだろうか?という「折り合い」の問題は心の中に常にあるものであり、いろいろと難しい課題があるのもまた事実だと思います。

 そのようなことを考えつつも、率直に言えば私の頭の中ではいつもこの3月にNPO法人化を果たした「レターポストフレンド」をイメージしながら各種の話を聞いていたのも本音です。やはり具体性のある何かをイメージしないと聴講の動機を強く組みにくいものです。今後、もしも学んだことを同団体に生かせる機会があれば大変うれしい事でしょうね。学ぶ仲間も社会的な関心の高さの点では一致するのでどこか同胞意識が感じられ、一般的な就業訓練より面白いのは確かです。

 年内に同様の6週間訓練が今後も3回に渡って行われます。関心のある人はぜひ受講されてみたらいかがでしょうか。ただ、鳩山首相が退陣した後、めっきり「新しい公共」という言葉が聞こえなくなりました。官も民もそれぞれの理由で対応できないニーズが地域や社会に膨大に広がっているのですから、今後の内閣もこの旗を下ろさず、むしろより推進する方向で進んで欲しいと切に願うところです。