2013年8月29日木曜日

8月12日の日記:「もののけ姫」再見

(このブログの内容は、8月12日に書いた日記を修正して転載したものです)。

   
8月12日 曇り、一時強い雨。

 昨日の「心理学と宗教」に関するインタビュー起こしをずっとやった後、関連として宮崎駿の「もののけ姫」を見る。そこで改めて宮崎駿の力量に驚く。宮崎は主人公のひとり、「アシタカヒコ」がもともとは大和にいた縄文人の末裔で、ヤマトに攻め込んできた現天皇家から逃れ、東北にて縄文的な生活を続ける部族の若者として描かれていると思われるし、西方にあり、タタラ場の近くにある森の神と対立する場所は、おそらく山陰、島根地方あたりなのだろう。もしかしたら出雲のあたりだろうか。そしてタタラ場の情景や、すでに鉄砲の原型がそのタタラ場で活躍するのを考えると、舞台は足利末期か戦国時代初頭だろうか。(その後、宮崎監督のインタビューを読むと15世紀の室町時代らしい。応仁の乱の頃?)。

 宮崎駿の凄いところはそのように時代背景がかなり綿密に、考証をごまかさずおり込んでいること。歴史的社会的構造を認識しており、それを決しておざなりにしないこと。歴史の表舞台の中心から排除されたところで生活している人びとを描いていること。そしてそれらを「アニメ」という要素の中でやりとげたこと。これは凄いことだ。この後の宮崎作品や、その前の作品を通しての論評は出来ないけれど、日本人の精神文化をアニメで表現し得た意味で、映画監督としての歴史に残る作品を作ったと言えるだろう。この作品ひとつだけでも歴史に名が残る映像作家だと言える。

 ただ、この森山に宿る自然、アニミズム、精霊世界を自らの手で殺した人間界の原罪のような物語は、日本人以外にはなかなか理解が難しい気がするし、そして実に一層深刻なのは、日本人の多くも深い部分までは簡単には理解が難しいのではないか、ということだ。正直自分自身、今回見返すまで、かなりの部分が見えていなかったことに気がついた。実に何も分かっていなかったのだな、この背景を、と。
 
 

 
 ちなみに、ラストシーンのもののけ姫とアシタカヒコが山と里でお互いに生きると誓う場面での風景は日本の「里山」の原風景で、この原風景も15世紀の頃に初めて出来たらしい。すると、この森の精霊と製鉄事業を行う人間との対決で(結果として)森の神を一度殺した人間が作る里山風景の前は、現在と相当違った日本があった、別の日本の風景であったということなのだろう。

 あと、宮崎監督の奇想がいつもながらに独特だ。タタリ神などの造形に漂う気味の悪さは異臭とでもいうべきものを感じさせるものだし、その現代的カタルシスとは違うラストへ向かうスペクタクルは観ていても、グロテスクに近く、その着想を理解するのは凡人の自分に難問は難問ではある。
 ただ、それがやはり「もののけ」であったり「たたり」であったりだとすると、自然そのもの・すなわち森の精霊たちが騒ぐことで、森から製鉄のムラへの激しい非日常の動きをすることを考えると、誠に不敬ながら、311の大津波を比喩的に頭に浮かべることでリアリティが増すのも確かな感じがする。ーいや、これは誠に不適格な例えであるが。。。

 「千と千尋」以降の宮崎監督の新作は余り関心が持てなくなった。もののけ姫のインタビューを読む限り、タタリ神のグロテスクな取り付く蛆虫みたいなものは、宮崎監督の中にある怒りを描写したものらしいが、その後千と千尋の「カオナシ」のグロテスクな描写を見て”もういいのかな、自分的には”という感じが正直あった。
 最新作は見ていないし、実は関心もほとんどない。個人的には「もののけ姫」がスペクタクル性と歴史描写の深みで最高傑作だと思う。いまの宮崎監督はそこから尚一層前進している、と言えるのか余り確認への関心を持てずにいるのだ。
 僕には「もののけ姫」の力技でピークを一方的に感じるだけで。あとは機会があればより温和で如何にもジブリ的な「魔女の宅急便」とか「耳を澄ませば」のような世界を清らかで美しいなあという感じで見てればいいかぁ、と思っていたりするのです。

2013年8月7日水曜日

姫田忠義さんという方を改めて追悼します。

 
 
 
 ブログは本当にお久しぶりです。8月に入ってしまったから、もう2ヶ月ぶりくらいですかね?
 8月も入った頭は「あれ?涼しいぞ」という感じだったのですが、ここ数日は8月らしく暑くて。昨日は初めて寝苦しくてなかなか寝付けませんでした。ちょっと昼間に冷たいものを取りすぎて腹を冷やしすぎた感があったため、扇風機を廻して寝てたら寒い感じが有り。かと言って、止めたらもわ~と暑くて寝苦しい。結局、タイマーセッテングで扇風機を回していました。今日も湿度が高い。
 
 まとめたいなと思う内容も無きにしもあらず、なのですが、本当に夜の8時過ぎないと頭がまともに回らない。ぼんやりして。暇があると、いわゆる、ルーツ・レゲエといわれる「DUB」というサウンドばかり聞いています。30度を超えると、このゆったりした土着的なドラムでループするようなトランス系の音楽が一番しっくりくる。時折、ドラムやベースが常識はずれに前に出たり、ボーカルに深いエコーがかかったり、さながら、密林での秘境音楽ですw。
 水木しげる大先生もこのタイプのレゲエが好きなんだって。なんか、、水木先生が大好きなニューギニアの密林での未開人の音楽のようで好きらしい。一方的に、嬉しい。
 
 さて、真面目な話。
 
 しばらく前に「あっ!」と思ったのですが、民俗文化映像研究所の姫田忠義さんが亡くなったという話を新聞で見つけて。そのまま放置は出来ない。日本の文化収集にとって貴重な仕事をされた方です。正確には「のはず」です。専門家ではないので、あまり断定的なことも言いづらいのかな、というところで、一応。
 
 
 
 もう20年近く前になるんじゃないでしょうか。NHKの教育テレビ、今のETVで見た「姫田忠義・日本文化の基層を求めて」ともう一編、「姫田忠義・ピレネー文化を見つめる」には強烈な衝撃を自分は感じたのでした。
 それらは、日本の厳しい風土でも特に厳しい山村などで生活を営む人々の風景を映像で捉えたもので、間違いなく現代が捨てた世界でした。
 
 夫婦だけで行う山焼きの焼き畑農業。真冬のマタギの冬山行の映像。そしてアイヌのイヨマンテ。その映像では若き萱野茂さんがアイヌの知性として、イヨマンテという熊送りの神事を、現代の僕らに了解できる形で説明をしてくれていました。それにしても、それぞれが圧巻な映像ばかりでした。自然とまさに格闘するような人々。自然と動物への畏怖と畏敬の感覚。
 
 そこに自然の大きさ、厳しさの中での小さな人間が必死に生きる生活のための営みが荘厳にみえました。自然の大きさの中に小さな人間の風景といえば、山水画を思い浮かべるけれど、そんな墨人の理想とは違うものだけれども、ただ息を呑むようでもあり、また美しいような感じもあり。。。
 それはピレネー山脈で羊牧を行う人たちの姿も共通性がどこか見えました。勿論、姫田さんは日本の基層文化との共通性を見たからこそ、その映像を撮ったのだと思ったけれど。
 いま、内容の詳細は忘れたけれど、VHSのビデオには取っていて、自分的には宝物なのです。
 
 姫田さんは名著『忘れられた日本人』を著した民俗学者・宮本常一氏のお弟子さんです。
 姫田さんの弟子としてのありようは、民俗学を聞き取り採取ではなく、映像として記録に残す方向性を自分の生き方として採用されたのでしょう。その姫田さんのナレーションやインタビューの朴訥とした語りのリアリティ、説得力にも当時の私は圧倒されたものです。何故かしらん?と思うほどに。
 
 ところで宮本常一氏の『忘れられた日本人』もとても美しい、こちらも日本人の基層文化をなす人たちの記録で、僕にとって大事な一冊。岩波文庫ですぐ手に入ります。お勧めです。
 
 Twitterで検索したら、民俗文化映像研究所もちゃんとツイッターをやっていて嬉しかったです。そしてどうやら、今月下旬に姫田さんの回顧映像展をやるらしいのです。
 
 
 いや~、見に行きたいものです。こういう文化素材に接せられる意味では東京は凄いですね。少し東京に文化的なものが偏しすぎている気もしますけれどもね。。。
 
そしてこちらが↓
民族文化映像研究所のサイトです。
 
 こう、自分の関心領域が右左上下しているような「変人」ぶりを感じる人もいるかもしれません。まぁ、自分でもそうだと思っていますが、でも一度この民族文化映像に触れたら結構普遍的な感銘を多くの人が受けると思うんですけどね。日頃気づかれていなかった失われたものということを思えば。いつかNHKのBSアーカイヴスでもいいので、姫田さんの「日本の基層文化を求めて」を再放映して欲しいものです。(民俗文化映像研究所でもDVDが手に入るようです)。