2011年7月31日日曜日

Division

私は君のために 選択肢を与えた
私は君に より長い夏休みを許した
ところが君が 覚えたことといえば
皮肉に満ちた歌詞のかずかずと
屈託のない笑いではなく 皮肉な笑い声だけ

商店街がそばにあるのにバスに乗ってショッピングモールに行く
ぼんやりする時間は必要だが
ぼんやりしすぎるのは危険だと
学ばずにきたら どうなるか
安直な世過ぎを 阻むものが多すぎたのか
君にとっての悪が
相対的な意味があるなどと 勘違いして
時は過ぎゆき 君は苦しむ
生理なのか 記憶なのか
越え難い河が 繊細な小川だとようやく気づく

普通に感じ 普通に優しくあれば
そんなに芝居じみた世界だと思わずにすんで
人形のように感じ ロボットのような動きの
その不自然さに気づく

商店街に戻り 店主と食材について話せ
自分を 自分の外側から見るな
試食して ここにたどりついた意味と
自分の食感を感じろ

君の前に流れているのは 渡れない大河じゃない
それは 子どもが水浴びする小川に過ぎない
定義なんて仰々しい
支援なんてばかばかしい
お互いさまだと気づくのに
あと何十年かかるというのか

より長い夏休みの後に
その後に

2011年7月9日土曜日

しばらくぶりです。

しばらくぶりの更新です。
休みの本日、久しぶりに髪を切りました。

んで、久しぶりに庭を眺めました。感じるように。
札幌の春はクロッカスをさきがけとして、一斉に桜も梅も花が咲く、
とPR用に考えていたのはほんの先頃のことのよう。
ぱっとしない天気の今年の春でしたが、いつのまにかもう夏がやってきました。

この時期は花の時期ではないけれど、植物の勢いがまさに若者が生をもて余すかのように、強い生命力を持って迫ってきて、ある種の凄味があります。
植物も生きている、ということを実感させられます。

この生命の勢いを人間に例えるとどうなりましょう?
私は天然にぼんやりしていたい人間ですが、自分自身、いつのまにか「生命の勢い」の季節は過ぎて別の局面に入っているとおもうことしきりです。

でも、植物も夏に圧倒的な生の勢いを見せつける。人間も天然自然のいきものならば、生の勢いを持て余すかのように、この世は動いているのでしょうか。
そして勢いの時代が落ち着いた人にとって、生とはどのようなかたちを心身に持つのでしょうか。

昨日、久しぶりに家電量販店を覗いたときに受けたカルチャーショックのことを書こうと思って切り口が全く変わってしまいました。
いずれにしても、アップルとかソフトバンクの提供するものはインターネットの時代にもう一段別のステージを目論んでいるかのようです。

文字通り日常の中に電子化が普通に組み込まれている時代が来そうな気が。
エンタメと日常の社会生活が重なるような時代が。
意識の断層も含めて、それを認めて、ある程度その感性を想像出来る形をできれば手に入れたいなと。
そのうえでアナログ(アナクロ)な感性はより強固になりそうな気も(苦笑)。

まずは一番、敷居が低そうなのはアイ・パッドかな~。
まずはそこから。

(相変わらず内容が途中で変化してますね)w