2013年10月27日日曜日

釧路でミーティングしてきたレポ

・今からひと月ほど前、釧路で元生活保護行政のリーダーをやっていた櫛部武敏さんから電話をもらいました。釧路で「外へと開く生活保護行政」「してあげる/してもらう」関係からの脱却を目指し、支援者・当事者相互の関係が循環する「循環型福祉」を標榜し、それを実践して、国内的にも『釧路モデル』として福祉界では有名になった釧路の生活保護行政の現場のリーダーです。
 3年前に関係させていただいているNPOの情報誌作りのインタビューでお話を伺って以来の僕は櫛部ファン。
 新しい方法論を現実化させた実績に惚れ込んだというのもありましたが、それ以上に感銘を受けたのは実際にお会いした際のその飾らないオープンな人となりと、実は行政マンとしての自分には行政マン的な殻があったのだ、との自己反省の弁を真摯に話してくれた、その誠実な人柄。その率直な姿に惚れ込んだのでした。
 状況的にひきこもりに関するインタビューに対して行政は特にガードが硬いことは知っていましたし、まして生活保護の福祉事務所といえばなお一層ガードが硬いだろう、と考えるのが普通。それだけに僕らの普通の発想から言えば、すべてが型破りな方で。そのくせ語る内容はいちいち筋道が通っているものだから何も知らない底辺側にいる自分のような人間には、舞い上がって惚れ込んでしまうのも、いま思い返しても無理のないことだったと思います。

・その櫛部さんからかなりカジュアルな様子で「今度『生活困窮者自立制度』っていうのが出来るからさぁ。そこにひきこもりとか無業孤立者の問題も含めて考えていきたいと思っているんですよ。だからあなたにひきこもりについて思っているところ、何でもいいから話してくれない?」との話が舞い込んできたときには、もう前のめりにぜひ喜んで、という感じで。

・実はその後に何度かメールや電話でやり取りするうち、制度枠が明後年、新しい法律になることとも絡んでいると分かってからは、一時結構考え込んでしまい、いろいろ調べたりもしたのだけど。結論としては自分の経験ベースにプラスアルファ、社会的なひきこもりの人の心理の中心を占めるものがある、という仮説を上手く伝える本にも出会えたので、理屈はそこから持ってくることにしました。(悩めば、ギリギリで意外と役に立つものは見つけられる!という発見でした)。まぁ、制度運用の肝は櫛部さんたちが実質、考えることなので。。。

・この間の、10月の釧路に行く週までは結構自分としては今までになく、というべきか、今まで以上にというべきか。ディープなひと月だったな、と思います。人に会い、本を調べ、過去のインタビューに当たり、専門家の人の話を聞き、友人たちにアドバイスを受け・・・。自分にとっても大事な蓄積の時間だったと思います。

・当日、バイト終わってまっすぐ丘珠空港に向かったら霧のため釧路空港に降りれないようだったら丘珠に引き返す、というアナウンスがあり、目の前が一瞬真っ暗に。祈るような思いで飛行機に乗ったのだけれど、案外簡単に釧路着。飛行機も揺れなかったし。でもそっから空港発バスが全然出発する気配なし。なんで?という感じ。40分くらいたってから出発したので会場まで三十分くらいしか時間の余りがなかったりするのか?食事する時間はあるのか?と不安に思ったらこちらもなんて事なく、ほぼ当初の予定通りにJR釧路駅に着。風がだんだん強くなっています。

・先に釧路入りして一緒に話をするハイロウさんと食事後、すぐ社会的起業家の一角に加わった櫛部さんの所属している事務所に入ったらもういきなりフレンドリー。「やあやあどうも」、という感じで暖かく歓待されてコーヒーを戴いている間にも既に櫛部節が炸裂。あっという間に緊張する間もなく会場入り。

・会合自体は自分に関してはまあまあ、かなぁ。喋りすぎて途中でフェイドアウトするあたり、人前で喋り慣れない問題点炸裂。かたやハイロウさんは論理的かつ自ら体験したことの具体例を交えて完璧なトーク。フォーマルな方々相手に納得の表情を手に入れてました。流石だなぁ。妬けるぜ(笑)。    
 後半の櫛部さんが勤務している社会的企業創造協議会の職員さんの仕切りもお見事。本当は二つのグループに分けてミーティングする予定が、しゃべりすぎてしまったために時間がなくなり、全体ミーティングとなったんだけど、キーワードを用いた話し合いは後ろのホワイトボードがいつの間にか活字で満杯に。本当にいつの間に?この人たちの頭の回転の速さは、なに?みたいなことを鈍重な自分は写真を撮ってから初めて気づいた次第です。ああ、社会的スキルがないぞう。


 喋りとか、質問に対して頭が真っ白になることはなかったけれど、ラストの方でつい熱がこもりすぎて暴走発言をした気がする。関係者の皆さん、申し訳ないです。どこかでアナーキーな癖があるもので。。。この質疑タイムでのハイロウさんの受け答えも完璧で見事だったなあ。改めて自分の少年臭さに思い至ります。社会性がぁぁあ。

・終わってから、新田さんという方が来られて「相談事例があるんですけど」、との話。すっごい洗練された美人の方。ん?新田さんとは。あのぉ、もしかしたら釧路福祉事務所で発行した『希望を持って生きる』の第二章を書かれていたあの新田さん?本を通して「この人、すごい!」と思ったあの、あの、自立生活支援員の新田さんですか?
 「そうです」というお答え。思わず「ええ!」と大感動。今は櫛部さんのもとで生活相談員をされておられます。「いや~。こんな、美しい方だったんですね!」と思わず、自分。ミーハー精神、全開です。ご相談戴いた悩ましい部分に関しては、結局僕はど素人なので、釧路に来る前に相談に伺った市の障害者支援相談員の方を紹介するに留まってしまいました。役に立たない自分です。
 後は別れ際にツーショットをお願い。いや~、嬉しい。憧れだった人とのツーショットだぁ。


 
 
 
 
 

 

・櫛部さんと会合終了後、いまは生活保護受給者の方々の生業作りのために釧路の基幹産業である漁業で後継者不足に悩む魚網作りを手がける仕事をされているのですが、その工場を一緒に見学させてもらいました。まずは地域に根ざした産業を守り、仕事とし、雇用を作り、と。しかし魚網作りは熟練工の仕事なので、一人の熟練工の仕事を何人もが時間をかけて行うため、今のところ月収にはそれほど結びついてはいない。それでも毎日午前午後と仕事をやっているし、受給者の方々の生きがいにもなっている。少しでも自分のお金で受給費を返還したり、生活の足しにする。そういう人の生きかたやありよう、そして地域とお金と仕事の意味について熱く語ってくださいました。非常に納得させられたり、考えさせられたりする話。その工場で立ったまま1時間くらい僕らとやりとりしてくださった。この話しもインタビューで収録して置きたかったなぁとの欲目が又。。。
 
 まあ、冗談はさておき、櫛部さんはこの釧路という土地、地域に根を降ろす福祉に本気だ、と改めて確認できた次第。
 おそらく、櫛部さんはそういう人だろう、と思っていた通りでした。地域の中で苦楽をともにする人だろうから、と。あああ、その立ち位置は凄すぎる。
以下、魚網工場の写真です↓



 

・夕飯までご馳走になったその日。なんという充実した日だろう。いろんなものをもらったし、同時に自分への宿題も沢山もらった気がする。「お前はどうだ?」どうだろう、どうするだろう、どうなるだろう?変わるかもしれない、変わらないかもしれない。変えられないかもしれない?
 でも、いろんなものも今も過去も見せてもらってきたはず。良い言葉も山ほど聞いてきたはず。その事実を改めて思い知る感じがある。別に肩に力を入れる必要はないけれども。

・と、答えがあいかわらずの曖昧なままの、とりあえず第1回釧路ミーティングレポートでした。