前も書いたとおり一昨日、オルタナティヴスクールが主催するディスカッションを聞いてきました。
なかなか考えさせられるところの多い議論でした。
フリースクールの理事長さんがひきこもり支援をしている社会福祉学の先生と話し合う内容でしたが、流れとしてはフリースクールの理事長さんより4点ほど質問を投げかけ、それに対して引きこもり支援を行っている先生がそれに応じて答える形式で、1時間少し話し合った後に、会場から質問を受けてそれに答える形。質問者がわも質の高い質問が多く、時間を多く作って質問者との内容がより納得やすりあわせが出来れば良かった。その意味ではこの二部形式の会合。この一部は見ていないのですが、二部の部分のみを膨らませても良かったかな、という気がおじさんはしました。やはりデリケートな問題ですから、関心を寄せているひとりひとりのこの「現象」に対する認知のありかたに微妙な違いがあるでしょう。定義の理解のありかた、という風にでもとりあえず云っておきましょうか。乱暴ですが。それをきちんと為すためには「意味や受け取りのすり合わせ」が十分必要な気がするのですね。
とはいえ、おじさんが時々ふらりと参加する社会的なシンポでも質問と登壇者の間で受け止め方がずれたりすることが結構ありますから、限られた時間の中では限界があるのも確かです。
私自身も当事者の一人として思うところも多々あった会合です。最近では日々の出会いの中、例えばこのような会合の一つ一つもそこから自分にとって吟味しがいのあるものを求めている自分がいますし、また吟味できるものがある、というのがおじさんがとみに感じるこのごろです。
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