2012年12月19日水曜日

「困っているひと」から「生きづらさ」へ

 昨日は半分は当事者意識、半分はボランティア的に係わっているNPOにて事業に絡む集いに行ってきました。

 いわば社会的排除に置かれている当事者の方がいて、そのご家族の方が中心に集まると思われ、確かにそういう立場の人が来られてはいたのですが。むしろ実際に話をされると、ご家族の困りごとというよりはご自身の悩みを中心に語られる場になっていたようで、深く考えさせられたところです。

 具体的なことは書けないですが、一般に人生のライフステージで起きる事柄、課題に向き合って頑張っている方々のお話なのですけれども、そのライフステージ上の頑張りにおいて、その頑張り中での悩みを聞いてくれる周囲の状況というものが無いのだなぁということが正直驚きでもあり、また今後の自分の人生上の課題も含めて考えさせれたところです。

 社会サービスの利用だけでは済ませられないその「人」としての心のありよう、つまりひとである以上普通に生活を送っている人、あるいはそう見える人々の悩みが、何故かこの「社会」というか、「世間」というか。そういう場で吐き出せる場所が無いように思われるのでした。

 語られた内容はもともとのNPOの趣旨とは多少別の枠組みでの問題とも言えるのですが、最近自分が感じるのは悩みや困りは「区別すること」が難しくなりつつあるな、ということです。

 それはそれで標榜するNPOの目的からすると対応の難しいことなのですが、さりとてそこに特化・限定できないものに広がっている感じがあったのが、昨日集まりに参加しての実感です。

 先に大学の先生に行ったインタビューでも「生きづらさ」というテーマの話の枠組みの中で、社会的排除にある人のみならず、一見社会的なというか、経済的なというか、労働者的にというか。そういう場所で勝ち残ったように見える人も「いつ、自分もどうなるかわからない」という不安と同居している感じがありますね。と語られたのが印象に残っていたのですが、その話を思い出したのが昨日でした。

 逆に浦河のべてるの家とか、釧路の地域生活ネットワークサロンなどのNPOや障害者の企業がその自分たちが持つ弱みを強みに生かしている。社会の問題が集約的に現われていると思われている所にこそ、新しい社会を構想するヒントがあると思います、という話は一見理想的に聞こえますが、でも、何か社会の側が「照り返されている」感じもします。

 う~ん。難しいな。
 今までの基盤が揺らいでいると、つい逆ベクトルが正しいという話にもなりがちなので、そこはバランスをとって考えなければならないけれども。

 ともかくいまの感想では、普通の人たちも生きづらさを感じている。その時、例えば選挙などの際に現れる政治に関する向き合い方としては、相変わらずの「無関心」か、あるいはまたもや強い力に引っ張ってもらいたい。はたまた自分を投影して自他を鼓舞する。弱みを見せちゃ駄目だという気分が反映している気がします。それって素直なことなのかな?と。

 僕にはその結果がより一層、困っている故の救済願望や、自分が強くなる、やはりもう自助努力しかないのだという考えで行くとすると、ごく普通の人が普通に話せたのかもしれないプライベートの悩みの持って行きどころを一層失っていくのではないか?という気がしてならないのです。

 子供っぽく書けば、社会が強がっている限り、歪みが広がるっていうのかな。

 で、いま実際の現実には「困っている。悩みを吐き出したい、ぐちを聞いてもらいたい」という一点だけでも集まって話し合える場が必要となるのかな…と思ったり。

 しかし、その具体的なものと考えると、答えが出せない。そんな思いを抱いています。

PS.記事のタイトルが適切かどうか、分かりません…

 

2012年12月2日日曜日

「ポストモラトリアム時代の若者たち」書評

『ポストモラトリアム時代の若者たちー社会的排除を超えて』村澤和多里、山尾貴則、村澤真保呂 世界思想社

 
 1997年から98年にかけての金融不安による大手銀行や大手地銀の破綻による不況の可視化に伴い、すでに失われた10年を遥かに超え、もはや我が国の斜陽化は自明に思える。この期間、雇用問題や精神的な負荷は若者たちへと、一番中心的なしわ寄せをされてきたと言ってよいだろう。非正規労働の拡大化に伴い団塊ジュニア世代以降、際立った問題としては若年ホームレスやひきこもり、ニートの問題として顕在化した。それは日本企業の要請の結果でもあったし、グローバル化の帰結でもある。
 この間に幾つもの政策提言も含めた若者論が現われた。それら若者論の中でも、心理社会両面において昇華し統合された本がついに登場したというのが評者の最初の感想である。
 
 論点は多岐に渡る。しかし、3人の筆者たちの問題意識に通底しているものは同じものだろうと了解できる。細分化した若者にまつわる問題や文化論は分解して見ていくと拡散してしまうが、筆者たちの問題意識を通底していると思われるのは「モラトリアムの消失」と「若者たちのアイデンティティの危機」ということであろう。若者たちの成長のためのメタモルフォーゼの時間喪失が社会の変容による結果であることがこの本を読めば分かる。まさに、ひきこもりやニートなど若者たちに起きている問題は「社会と心のつなぎめ」で起きていることなのだ。
 
 本書を外観すれば前半で戦後の高度成長化における大量生産型のフォーディズム体制での若者の理由なき反抗が実は青年が大人に移行する過程において必要な自己再構成のためのモラトリアム課題であったこと、そのモラトリアムをアイデンティティ(自己同一性)確立のための心理過程であると喝破したE.Hエリクソンのアイデンティティの議論を踏まえて、若者の危機は生き方の方向性喪失の危機や役割取得の危機であり、敷衍すればひきこもりの問題も引き伸ばされたモラトリアムの中でのアイデンティティ拡散の危機の結果ということは言えるだろう。
 
 しかし古典的な意味でのアイデンティティの危機であればその若者自身の役割取得の失敗と言えるかもしれないが、問題を社会的に見れば、むしろ古典的なアイデンティティ獲得のための心理的な努力をしても報われないような社会の激変があり、そこでは多くの社会成員が古典的な意味でのアイデンティティ確立の努力を経たのち、社会に入っていく構造にはなっていない。端的に言って、社会が流動化し、その流動化する社会に適応しようと人々は常に自分のリスクを痛烈に感じながら生きており、モラトリアムを経ながらアイデンティティの確立を目指す若者たちを後押し出来ない社会になっている。ルーティンの中で生ききれない動的な社会では、確固としたアイデンティティは常に揺らぐ。
 
 それ故に学生は常なるリスクに立ち向かうべく資格の取得に奔走し、無事に就労されるべく、かつて学生時代に必要だと思われた「どう生きるのか」「なぜ働くのか」と言った学外での学生同士の対話や、あるいは無為に思われるような「遊び」の時間を失いながら、モラトリアム期間を消失した時間に生きる。
 
 かくして、いわば「経済的モラトリアム」の中で学生時代を過ごし、「市場青年」たるべく無為な時間を喪失した中で有用な時間を生きる。
 
 アイデンティティ拡散を経験している中年世代の自分は、この若者たちの余裕のなさ、あるいは猶予のなさが余りに残酷に思える。何が自分にとって大切なことなのかを考える暇も無いだろうからだ。勿論、古典的な意味でアイデンティティ拡散に陥り、社会的役割を引き受けられない。目標喪失し、自己決定を回避するという問題は過去から今に至るまである。今も昔もひきこもりなどの選択などは、アイデンティティ拡散の議論としてある程度説明は出来ると思う。
 
 しかし繰り返しになるが、モラトリアム期間における自分との向き合いの苦しさや危険、逆に「自己の世界観の広がり」は学生時代の無為の自由な時間にあった筈だし、それが社会に豊かさや広がりをもたらして来たと充分仮定出来る以上、現在の経済困難を主原因とするモラトリアム期間の消失は、社会に新しい風を入れることが出来ないという、社会にとっての不安定要因といえよう。古典的なモラトリアムの時代には、自己省察と自己再構築によって社会の枠組みの「理由を知り、豊かな見識を持って」(J.J・ルソー)再びそこに参加していくことが理想化された。またそのあり方がその社会の成長と幸福な一致を見ていた。ところが流動化している現在進行形の社会は古典的なモラトリアムが通用しなくなってきている。
 それゆえに、古典的なモラトリアムの中で呻吟する者はおそらくひきこもっていくしかない。このいわば「経済的モラトリアム」の時代では学生を中心に、無為の時間を無為に過ごしながら思惟したり遊んだりできず、有用性の時間を生きざるを得ない、とおそらく感ずるであろうからである。有用性の時間に”ノレない者”はひとつの選択として「ひきこもらざるを得ない」。
 
 若者たちが心理的な放浪が出来た時代は放浪の共同体が残っていたが、今は無いと本書では書かれる。放浪した若者たちを受け入れてくれる社会的空間もない、という。現代社会で「自分の物語」を持てない若者の時代は、社会にとっての「大きな物語」の喪失と分かち難く結びついていると。ゆえに物語を喪失した「市場青年」になることを忌避し、「兵役拒否」をした若者たちはひきこもることが選択肢となる。
 
 この大きな物語のない時代、そして古典的モラトリアムを経ての成長の物語が喪失した時代においては、新たなモラトリアム、いわば「主観性の地図」作成が自己の存在基盤を作り直していく生成プロセスとなる、と本書で数少ない(?)希望を語る。「主観性の地図」とは、既成の物語やマスメディアなどが作る出来合いの自己ではなく、自己が生きる世界の地図を自分で作り、その地図を生きてみること。もし失われたモラトリアムが再生するとしたら、その地図を作る過程のなかに、あるいはその地図が広がる空間の中にあると考えられる。
 
 社会将来のために試行錯誤し、旅の仲間を作り、地図を広げていける時間と空間の余白やスペースを作るのが現在進行形の社会における必要な役割になるだろう、ということになる。
 
 考えてみれば、若者たちにとっても最も辛い立ち位置にいる人たちこそが、一番多数派とは違う生き方を自覚的に選んで生きることを意識させられるのだともいえよう。その意味でひきこもる青年たちに却って新しい生き方を提案するという難しい示唆を示す本でもあるが、共著者に臨床心理士も含む『若者サポートステーション』における若者ミーテングの実践過程の報告が、傷ついた若者たちへの一つのヒントになる。このミーテング実践の理念を知り、まずは自己承認作業を通ずることで、弱きところ、小さきところから新しい、この危機の時代の突破力になるということも同時に示唆しているように思える。
 
 他の論点としては「腐女子」の章でマンガのオリジナルをパロディ化し、キャラ萌えなどを通じての二次創作など、新しい自分流の編集作業を通じての生きがいなど面白い動きも取り上げれれているし、若者社会変容の歴史を追えば、若者の反抗反発が社会から個人へとどんどん領域が限られていく状況があることを伝えてくれる。「学生運動」→「校内暴力」→「学級内いじめ」→「家庭内暴力、登校拒否、ひきこもり」と、異議申し立ての社会問題が個人病理へと変化している、という指摘は目からウロコが落ちる。
 社会的つながりの働きは個人的な葛藤を集団内で共有しあえることが出来たが、共同体価値基盤が消失した現在では、それを個人と制度の中に回収してしまうという見方は鋭い。
 
 社会の第三次産業化、サービス社会化への変化が与える影響については、ひきこもり問題を考える上で他の識者たちも多くが指摘するところであり、ある種の普遍性があるといえよう。
 また、この本においては「再帰性」という言葉が重要なキーワードになっている。その概念が持つ重要さはイメージとしては掴めるのだが、その意味が多分に多義的な使い方をされているのが、やや気になる点であった。文脈に合わせ、つどつどの解説は欲しいところであったというのは贅沢なところであろうか。
 
 いずれにせよ、自分の中で曖昧に持っていた「こうであろう」という感覚が理論としてきちんと提示され、何がしかハッキリ見えてきた気がしたのは大変に有難かった。この本の記述を通して見えてくるものは実に多いはず。特に若者支援などをされている人などには強くお勧めしたいところ。
 
 個人的には今年読んでベスト1,2に入る本でした。やや社会学的な記述が多いので、その種の本に読み馴染みが無い人にはとっつき悪いところがあるかもしれないところが唯一の難点でしょうか。

2012年11月4日日曜日

堺市の高校教師の取り組み

 ここ2日ばかり激しい風や断続的に降り続く雨にやられて、結構しんどい思いをし、今日は疲れた体を休めた状態ですが、それは北海道大学で行われている長期のイベント、『サステナビリティ・ウィーク』に参加の際、その帰りに諸に雨、風にやられたせいでもありました。

 しかし、人文社会学に関心がある私にとって「生きづらさを超えて」をテーマに行われた講演とシンポジウムは有意義でした。
 初日は「優しさのゆくえ」などを書かれた栗原彬先生の講演。昨日の土曜日は午前の仕事ののち、「学校と仕事が出会うとき」というテーマで、堺市の高校での現代社会授業の取り組み、そしてデンマークの職業訓練と人格教育を兼ねたと思われる「生産学校」の紹介をされた名誉教授(大学は忘れました)の二人の話とその後のシンポジウムに参加。

 個人的な関心に即して言えば、堺市の教育困難校で長く現代社会を教えられた教師、井沼先生の話が響きました。教育困難の理由としては、複雑な家庭環境や、厳しい経済状態が背景にあり、生徒の約8割はバイトをしています。そして残念ながら、退学率も高い高校です。

 井沼先生によれば、「言葉が通じない」くらいの生徒さんとの出会いが年々増えてかなりカルチャーショックを受けるようですが、複雑な家庭事情を抱えている子女が多く、必要性があってアルバイトをしている生徒さんが多い。そのアルバイトでは最低賃金以下、あるいは労働基準法を守らない使用者に安価に使用される労働力として生徒さんが使われているとの話。
 それで、井沼先生は抽象的な現代社会の勉強をするのではなく、彼らの実際の日々の生活に即したーすなわち、バイト込みの生活ーで使用者に利用されないよう、まずは「雇用契約書」をもらおう、そしてその体験を元にレポートを書き、事例を元にグループワークを行う取り組みをします。

 この取り組みの話は非常に面白く、雇用契約書をもらって、労働基準法を超えて働かされている事例、そもそも”雇用契約書?WHAT?”な使用者もあり。そこで気づきを得た生徒たちは「ムカついたり」「イライラさせられたり」しながらも、学校で自分たちが置かれた労働環境をフィードバックしながら、職場に再度新しいアプローチをします。
 なかには「使用者は毎日残業残業で、あるいは家庭にいざこざがあって」諸々の事情で社長や店長も大変なんだ、と呑み込んだり、あるいはパートのおばさんと話しながら上手く売り場主任会議から、店長会議に持ち込んで、ついに最低賃金を確保するという、職場民主化の手がかりの導き手になる子がいたり。

 この実践はある種感動的で、中には労働法にある程度精通していく生徒の中には「店長インタビュー」を行って、どこに会社の経費が使われているのか理解を深める生徒もいるのです。そのレポートなども感動的です。

 最初はバイトをやっても、待遇が悪いとどこかで感じても表現の方法が分からなかった高校生たちが、労働基準法や労働契約法を学ぶことを通して働く者の権利が守られていることを知る。そして、知った以上、何らかのアプローチをせざるを得ない。個々のレポートを見ると、その若者たちの瑞々しい現実との向き合い方にグッとくるものがあります。中にはこの取り組みに会社の人が感心し、法を守ることが会社のイメージアップにもつながるんだなあと気づくケースもあるようです。

 授業最後の自分のバイト先の店長などへのインタビューで過労、労働法違反の長時間労働、忙しくてまともな食生活も取れない実態を知り、ムカつく自分たちの扱いをする大人も大変だなあと気づいてもいくわけです。そうすると、改善意欲が高い生徒さんだと、そっから先の問題意識はポジティヴでしょうね。

 もうひとつ深く感銘したのは、この現代社会の授業カリキュラムです。バイト先から知る労働法のみならず、「契約って何?悪質商法」「キャッチセールス、ロールプレイ」、「一人暮らしの自立度チェック」「高校生のためのライフプラン入門」「賃金、女性と労働、解雇予告」、「社会保険」「派遣労働」「カード社会の落とし穴」「ローン計算」「最後のセーフティネットとしての生活保護」etc・・・。

 まさに、高校を出たあとに社会に直面せざるを得ない生徒さんのためのカリキュラムがぎっしりです。ここまで実際的な社会の勉強であれば、下手な大学生さんなどよりもより実践的な知、生きるための知識が身につくのではないでしょうか。

 280人入学すれば、80人が途中退学するような困難校ゆえにおそらく全ての授業が真剣に学ばれるということはないかと思いますが、不詳、自分なども高校ぐらいでやって欲しい生きていくための落とし穴にはまらない教育があればいいのに、という実践がちゃんとここにはあった、ということがとても嬉しい驚きでした。

 ただ、授業を受け持っていた井沼先生も現在は進学校に移り、移るとそのような学校においては、このようなカリキュラムは立てられないとのこと。
 おそらく大学を意識するとこれらの実践学問は等閑視されるのでしょうが、現代社会の厳しさを考えると学校が本来伝えるべき知識の転倒を感じざるを得ないですね。

※この文章は自分の社会保険労務士事務所ホームページのブログから転載しました。

2012年11月1日木曜日

味わい

 毎朝、自転車でJR札幌駅近くの屋根付き駐輪場に自転車を入れてアルバイト先に向かいます。駐輪場を借り始めた時以来、早朝早番で出勤される60代半ばくらいの人柄の良さそうなおじさんがいつも「おはようございます」「行ってらっしゃい」。帰るときには「気をつけてお帰りください」と。
声がけをしてくれて送り出してくれます。
 この6月に駐輪場を借りるようになって以来、早い段階から自然に親しみが湧いて、時折雑談したり、挨拶を交わしたりしていましたが、今日は割とじっくりと帰り際に話ができました。

 このところ朝、いつも駐輪場の中にいたおじさんは最近は見かけなっていました。寒くもなってきたので、早朝は入口の所にある管理室(高速インターチェンジのお金を授受する場所くらいのスペース)の中にいるんだろうなと思っていたのですが。
 本日は向こうの方から「久しぶりですね。朝なかなか会えないのは上(二階)や、他のことを先にやってしまいたいものでねえ」との話。僕が「いえいえ。もうこれから寒くなってきますしね。管理室の中にいらっしゃるかと思ってましたよ」と水を向けると、おじさんは「いやあ、それはねえ。お客さんが寒い中自転車で来られるわけでしょ?そんな様子を見てると、中に入っているという気になかなか、なれないんだねえ」と仰る。ほお~と感心して、「〇〇さん、失礼ですがシルバー人材センターから派遣されてきたのですか?」と尋ねたところ、「いえいえ」と。僕が「いやぁ、実はもしかしてサービス関係のお仕事をされて来た人かな?と思ってて。そんな感じがしますけど」と言うと、「うん。この駅のそばのビルの二階で理髪屋やってたの。いま〇〇(某焼鳥チェーン)がはいってるビルの2階でね」「ああ、なるほど~」。

 どうりでね、と思いました。前々からこのおじさんの親しみやすさや礼儀の良さには感心していたのですが、この屋根付き駐輪スペースの場所からほど近いところでずっと理髪屋さんをやってたんだ。「いま、引越ししてね。中央区の電車通りの方に移ったんだけど、向こうは道も狭いし、迷子になるよ。前はここのそばにね。住んでたの」「あぁ、それは近くていいですね。全く圏内じゃないですか。それじゃ、この風景がずっと馴染みですね」「そうね。もう50年近く、こちらでね」と。くふふ、と笑われる。

 いいなあ。いい味だ。そう、昔は理髪屋さんがそこかしこにあったんだよなぁ。職住一致だったりもして。もちろん駅の中心部なので、床屋さんが実家じゃないけど、長く職場のすぐそばに住んで、今も中央区のすぐそばが職場なんだ。いいなぁ。「お客さんが寒いと思うと、座ってられなくてね」、という言葉も理髪の仕事をやってた時代の習慣というか、気分が続いているんだろうなぁ。
 

 人さまの生きざまだから、簡単に推測してはいけないけれど、何か、自然ないい生き方をしてきてるんだろうな、と思って清々しかったのでした。
 今日はじっくり話が出来たので、表情なり、雰囲気なりも確認できたんだけど、とても自然で温厚そうな雰囲気。僕はこういう人がとてもしっくりくるし、元気をもらえます。

 地下歩行空間でビックイシューを販売しているMさんも、そう。最近はついつい甘えて1時間くらい話し込んでしまうけれど、この方も自分に対してオープンだから、僕みたいなかなりの人見知りも話しやすい。そして何より感心するのは客の流れや、その日々のイベントなどなど、人通りを客筋として見ている観察眼。その商売目線。それが全然嫌味でなく、普通に開放的に話してくれるので、勉強になることが多いのです。この方の表情やルックスもとても味わい深い。

 サービスの勉強を事前に仕込んでコミュニケーション能力を高めてサービス業に従事する。それを誠意あるプロフェッショナルな意識で向き合うならば、どんな若くても中年の方でも僕はとても敬意を感じますが、そういう事前に学ぶ方法じゃなくて、日々の中で培われた自然な気遣いみたいなものを昔の自営の人は持っていたんだと思います。
 そしてそれは「失敗」も含めて世の中全体で守られてるというか、包摂されて成長できてったような気がするんだけど。。。この辺のことは自分自身が未開の領域なので、なかなかうまい言葉が見つからないのだけど、感覚としては何かわかるんです。

 ビックイシュー販売員のMさんも話されたんだけど、買い物って、お客さんと売り子さんの、こういういろんな会話込みのものでしょ?というのは確かに、とうなづける。
 僕はおっさんなんで、いわゆる「〇〇銀座」のようなスーパー以前、つまりどこも商店街で物を買うのが当たり前の時代も知っています。
 子ども心にそれがけっこう嫌で苦手だったりしたので、結局この便利な時代に馴染んで生きてきたんだけど、段々年をとって昔ながらの居心地の良い時間が恋しくなってきたような。
 そんな気がする最近です。(まぁ、若い人相手、特に若い女性相手だと難しいと思いますがw)

PS.
 ケレン味のある文章を書いているうちにもう一つの書きたい情報を抜かしてしまいました。この10月より社会保険労務士事務所を開業。まだ作成したばかりの簡易なものですが、ホームページを開設しました。こちらが半分位、自分にとって肝心だった情報。
 「杉本社会保険労務士事務所」

2012年10月22日月曜日

ハートネットTV:過労死した若者

本日のNHK・ETVの「ハートネットTV」はかなり衝撃的なものでした。
学生時代から優秀だったSEの若者が過労でうつによる医療薬の過剰投与で死亡したというもの。
彼の労働環境は月に100時間を有に越える時間外の労働時間。
かつ、作業環境は劣悪。休憩室もなし。

ある意味、特殊とも言えるかもしれない労働基準法違反と労働安全衛生法の違反。
いくら現代社会の最先端で働く若者たちと云う、仮に相互了解的な幻想があったとしても、そもそも人のいのちを軽々に扱うような企業のあり方は絶対にあってはいけません。
見ていて、法令がどうこういうよりも、人倫に反する、と思いました。

しかし、非正規の働き方がやんごとなくとめどなく広がっていき、その穴を埋めるように正社員の人たちの働き方が厳しいものになっている話はよく聞くことです。いびつなことだと思います。

私たちの社会は、もはや、現在過労で命の不安を感じないとしても、人として自然な家族を持ち、仕事をしながら平安に過ごすことが手に入らない未来の不安を感じながら生きるのか。
それともお給料は良くても、手に入れたプライドや企業の要請、他者をライバル視しながら命を削るように仕事に自分の人生時間を預けるのか。
そんな極端な二者択一の社会に生きているのでしょうか?信じたくはないですが。

いずれにせよ、最も抜本的なところから考えるべき地点に立っているのかもしれません。

亡くなられた若い人のみならず、二人の同僚の方たちも病気で休職ののち、退職。そのうちお一人は今では生活保護を受給されているという話も非常に残酷な話で、有意な若者たちが戦傷兵のように打ち捨てられる。
これはやはり改めて大きな課題の前に自分たちは立っているのではないかと思いました。

2012年9月25日火曜日

芹沢俊介氏講演「いじめ根本解決への提言」質疑応答

 
 芹沢俊介さんの講演、質疑応答の部分です。講演の主部分は大枠を伝えるために「だ、である」体を使いましたが、質疑応答の中に一番芹沢さんの誠実な部分、聞き手に微妙なニュアンスを伝える繊細な丁寧さが見えると思いましたので「です、ます」体に変えています。
 質疑は講演で考えられたものを超えた芹沢さんの一層、考え考えされた部分が表現されているため、出来るだけ忠実に再現してみました。故に多少読みにくさがあるかもしれません。
 ただ、このためらいや、聞き手に伝える思いが結構大切な感じがあります。
 質問を受けている際の芹沢さんの姿勢は本当に真摯で、これが本当のジェントルマンというものかなあと思いました。(記載した二番目の質問は、私がさせていただきました)。
 その後、芹沢さんを囲んで懇親会が用意されていましたが、そちらは参加していませんので。その場でより具体的で実践に即した話があったかもしれません。
 主催のNPOはいじめに関する仲裁(メディエーター)、和解のための話し合いを実践志向しているNPO法人のようです。団体のHPはこちらです。

Q1.「レジュメのいじめ防止策のところに、『一人になれる子どもをどう作るか』という言葉がありました。この点についてもう少し詳しく聴きたいのですが」

 実はここは書こうかどうか迷ったところなんです。書いた理由は、「いじめが終わるとき」という本の末尾にかなり激しい身体的・心理的暴力を受け続けながら、ほとんど報復感情を抱かずに済んだ子どもさんとの出会いについて書いたんです。
 言葉を交わした時に彼がなんと言ったかというと、「お母さんが居るから」と言ったんですね。僕はその言葉を象徴的に受け止めました。それはお母さんのためにとか、お母さんに申し訳ないからということじゃなくて、お母さんがいてくれたから報復感情を抱かずに済んだという風に僕は受け止めたんです。なぜそう受けとったかというと、僕が好きなイギリスの児童精神科医でドナルド・ウイニコットという人がいます。彼の言葉の中に「子どもは誰かと一緒の時に本当にひとりになれる」という至言があります。つまり、一緒の誰かというのは漠然とした誰かではなく、特別な「誰か」なんです。これは子どもにとっての特別な誰かというのは、よほどのことがない限り「お母さん」なんですね。お母さんが一緒にいるときひとりになれる。このお母さんは基本的に絶対的信頼の対象としての母親です。こっから先は僕の養育論になってしまうんですけれども。
 

 要するに絶対の信頼の対象になるためには、それは子どもが本当の危険の時、絶対な対象としていてくれる。ひもじい時に食事を与えてくれる。どこか痛いときにすぐ飛んできてくれる。常にそう言う関わりの中で子どもはお母さんを絶対的信頼の対象にしていきます。
 そしてその絶対的な対象は子どもの中に内在化されます。つまり「信頼」という言葉が内在化される。すると子どもはお母さんが具体的にそこにいてくれなくても、常に絶対という対象と一緒ということを意味するんですね。このように内在化された信頼感があるので、絶対の対象が内在化してさえいれば一人になっても大丈夫。
 ひとりになれるということは右往左往しないということです。つまり群れの動きに動かされず、自分の欲求や主体性を大事にしながら行動することができる。子育て養育の肝はそこにあります。出会った時のその20歳の男性、おそらく彼は絶対的対象を内在化出来ているために報復感情を持たなかったのだと思います。そう理解しました。

 普通、いじめに遭うと多くの場合は報復感情を持つんですよ。僕も持っています。そして僕は対人的に人が怖いですね。つまり傾向としてはひきこもりです。ここでこんな風に喋ってますが、これは役割なものですから。でも根っ子は人が怖いですね。これは傷です。60年前のことを思い出して、まだ「あの野郎」という報復感情を捨てられないですね。ですから、群れの中の安心感と引き換えにやりたくないことをやってでも群れの中で安心したい。このように、いじめが群れから離れる恐怖に由来するのは責められないことです。
 でも、その「責められないこと」自体がいじめのベースになっていると考えていったとき、いじめって本当に厄介だなと思いますね。そういうことをひっくるめてやはりそれを対抗させる力としてひとりになれる力、ひとりになれるベースをどうやって作るか。それは早期の親子関係の中で作られるのか。これは何かテーマになるような気がします。

 でも、まだ自分の中では言い切れないですね。そこへ繋いでいくための対話がまだ不足しているところがあって。でも言い切りたいな、とは思いますけどね。そんなところでいいですか?

Q2. 「現代社会での学校、生産手段としての会社がある限り、いじめの構造はなくならないという風に受け止めました。仮に集団がそうだとすると、それを変えることが出来るのか?ということが一点。あと、いじめられたお子さんが学校をアイデンティテイの拠り所としたり、社会的な居場所と考え、ギリギリまで追い詰められても頑張るんだとの話がありました。同時に私は昨年、芹沢さんのひきこもりに関する講演を聴きまして、その時、ひきこもることについては十全に引きこもるべきと語っていたと思いますけれども、先ほどの学校でいじめられているお子さんについては、学校へこだわっていくことについての情実と言うか、そこへの厚い気持ちがあるように思いました。その辺りはひきこもりの方への角度とは違いがあるように思いまして。その点の違いについて芹沢先生のフォローをいただければ」

 いいところを突いてくれたなと思うのですけれども(笑)。
 どうして子どもが逃げないか。「逃げなよ」というのは割と簡単です。でも本人が「逃げられないよ」「逃げたくないよ」という気持ちもあるんだということ。これは押さえておきたいんですね。なぜならば、学校や職場はいじめはいつでも起きる状況があるけれど、同時に学校や職場は抑止する場を同時に作れると思っているんです。

 職場であれば上司の力で十分にできますし、学校であれば教員が出来ると思います。で、今日お話したのはこの程度の知識を持っていれば、後は子どもへの愛情で何とか出来ると思っているんですね。だから多少の余地、子どもにとって小さくても居場所はあるよ、教室の中に居場所があるよと感じられるものがやはり学校は用意しなければいけないと思いますし、用意できると僕は思っているんですね。そしてそれは難解なことではなくて、子どもへの愛情をベースにしていじめに対するしっかりした知識を持って、いじめに対しては絶対に許されるものではないという姿勢を貫くのであれば、そんなに難しくなく子どもたちが生きられる場所に持っていけると思うものですから。

 
 
 ひきこもりは個的な動機が強くて、いじめの場合はむしろ僕がウエイトを置いたのは、深刻な心理的な傷というところにウエイトを置いて考えてきたものですから、そこに居続けることと心の傷の絡みで考えると心の傷をさらに深めるけれど、なお学校へ行き続ける。間違えれば自分の死を招いてしまうことと、それを存在の深いところで感じていて、でもなお学校へ足を向けてしまう。また居場所のない自分の席に座ってしまう。ある種のどういったらいいのでしょうかねえ....。いじめで追い詰められるか、自分の社会的居場所を失うかみたいなせめぎ合いみたいなものですけれども、その気持ちへの幾ばくかの配慮はしなければならない。

 配慮をした上で、でも「学校へ行くのはやめなよ、行かない方がいいよ」とは言いたいですね。言いたいですけど、でも子どもが「行く」と言った時に僕たちはなにができるか。やはりいじめに対してはっきりと、じゃあいじめに介入するよという態度を教師が取れるかどうかですね。
 今日は親のことは話しませんでしたけれど、親も日々の様子を見ているならば、これは?と思うわけですね。いろんなネガティブな変化が子どもさんに生じますから。そうしたときに親御さんがそこに踏み込めるか。つまり、「休みなよ」「休んでどこかへ行こうよ」というところまで踏み込めるかどうかですね。
 子どもはそれでも抵抗するだろう。でもそこで抵抗することで対話のようなものが親子の間で出てくるならば、それはすごく子どもにとって生きる力になると思います。ですから微妙な発言を確かにしたわけで、前回に来たときの話と今日の話に落差を感じてくださったということで、非常に鋭いご指摘を頂いたと思います。

『見えるいじめと見えないいじめの話があって、囲い込み型のお話とか、もう少し詳しく教えていただけますか?』

 はい。囲い込み型というのはですね。外側からは同一グループに見える。でも内側では四人によってひとりの標的が作られている。これが愛知の大河内君の事件のいじめの構造なんですね。外側からは同一グループに見えるのでわからないんですね。見えないんですね。外からはいじめられていることは見えない。だけど内側では四人によって排除されて分離されている。そしてここにさまざまな暴力や金品の奪取があった。この構造のいじめは結構多いです。これがわかったのは大河内くんがメモを残していたんですね。あいつらにこれだけのものが取られたとか。これで初めてわかったんですね。
 こういうことは、この囲い込み型の構造が知識として持っていれば、子どもの状況で、子どもの変化を見ることで学校や家族が知識として持っていてくれると全然いいですね。いじめの三層構造や四層構造は外側から見えますからよほど不注意でないとわかりますけど、囲い込み型は厄介なので。いじめがどうかを見出すことは、こういう構造があるんだということが知識としてないと見えないですね。それくらい厄介だということです。


 

 
 

2012年9月24日月曜日

芹沢俊介氏講演『いじめ根本解決への提言』

 9月22日。NPO法人フレンズネット一周年北海道記念講演で評論家の芹沢俊介氏の講演を聴きました。今回は大津のいじめ自殺事件に端を発した4度目のいじめ社会問題化に即し、昨年のひきこもりに関する講演に続いて、もうひとつの芹沢氏の追求テーマであるいじめについて。今回もかなり原則的な話をされました。貴重だと思うので、長いですが、その話の大枠全体を記載します。
 
 
 まず、芹沢氏は個人的体験として、自分もいじめを受けてきた経験を端緒として話を始められました。

●私自身の経験として、小学校5年、6年の時、いじめを受けた。ともに3週間くらいの短期で済んだけれども。身体的なものではないが、あるときクラスの男子全員に無視された。幸いなことに当時は地域社会に子どもが多く、放課後の世界での遊び友だちがけっこうあって、学校外で地域の仲間が待ってくれていたので救われた。
 1986年、岩手県で鹿川(しかがわ)君という子のいじめ自殺事件があり、その頃から自分はいじめに関心を持った。実はその時まで自分が受けたいじめのことを忘れていた。鹿川君の自殺で自分のいじめを思い起こした。それから僕は本格的にいじめ問題に関心を寄せ始めた。

●いじめを事前に防ぐのはまず困難だ。なぜならいじめが起きるのは同じ顔ぶれが一日同じ場所の一箇所で拘束されるところから起きる。その顔見知りの関係でいじめが起きる。故に、学校や会社でいじめが起きるのは避けられない。図書館のように自主的に自分で選んで来る場所ではいじめは起きない。
 学校、会社が解体されるとき。もしそれが来たらいじめはなくなるかもしれないが、両者が共に機能している限りは、いじめはなくならないだろう。ならばその場所自体にいじめが起きるモメントがあるわけで、だからいじめを事前に防ぐのは困難だと考える。
 そうであるならば、起きたいじめを深刻化させないことのほうが重要だ。どういじめを深刻化させないか。

 
●また、いじめられた子が標的になったことによってのちのち傷を抱えることに心を寄せなければならない。その傷を抱えるというのは、対人関係において必要以上な怖れを抱くことになる。それを抱くことはのちのちひきこもりの要因になりうるし、実際にもある。
 それから、いじめを受けた人、特に身体的ないじめを受けた人はほぼ100%近く「報復感情」を抱く。これはきつい問題を当人、周囲、家族に残す。いじめた当人に報復できればいいが、それが不可能だと報復感情を満たすため、攻撃性を向けやすい家族、例えば弟、妹、母親に攻撃を向けてしまう。あるいは他人に攻撃を向けられなければ自分自身に向ける。それが自殺念慮となる。他者攻撃の反転が自傷行為。
 報復感情の処理の難しさというものをひしひしと感じる。それをどう考えたら良いだろう?と僕は思う。いじめが深刻化する、というのはつまりそういうことだ。

●だからいじめの深刻化は防がなければいけないし、それは可能だと僕は思っている。そのための幾つかの提案をしたい。
 大津のいじめ自殺事件の社会問題化を考えると、これは以前3回、いじめの社会問題化があったと考える。1回目は1986年の鹿川君いじめ自殺事件。2回目は94年の愛知の大河内君のいじめ自殺。3回目が北海道滝川の2005年少女いじめ自殺事件。この時に、自分は今までいじめを考えて本などで書いてきたことが不十分だったと気がつき、もっと徹底的に根本から考えなくては、と懸命に考え直した。今回話すのは05年以降に考えたもの。

●実は今回の報道でも一点、どうしても気になることがある。それは「いじめ」という言葉が実態を欠いたまま飛び交っていることだ。実態を欠くとはどういうことか。それはいじめに関する丁寧な知識を欠いたままいじめという言葉だけが飛び交っているということだ。いろんな人、識者がコメントしているがどうもピンとこない。彼らはいじめの自明性を疑っていない。もし「いじめ」が自明なら、もう30年以上社会問題になっているのに同じことが続かないはずだ。もっとましな対応が出来ているはずではないか。
 僕が多くの人にいじめって何?どういうものをいじめというの?と問うてみても上手く答えてくれない。実態的な答えが返ってこない。それくらいに僕らはいじめという言葉を感情的・情緒的な言葉としてのみ使っている。それではいじめの深刻化・困難化を変えられないではないか。

●まずはいじめの明確な定義が絶対必要だ。定義がなければいじめか、いじめじゃないかの区別ができない。大津の事件もいじめの定義を教師が持てなかったゆえに教師は最初けんかとみていた。定義があいまいなまま、いじめについて勝手な解釈が横行する。それゆえにいじめの定義が大切で、定義を明確にしないと有効な対策を立てられない。

●86年以降、現在まで定義は出揃ってきている。私が定義として過不足なくよくまとまっていると思うのは警察庁少年保安課の定義である。それは二つの条件。この2つを満たせばいじめだという定義である。
 一つはいじめの標的の座に座らされる人が「特定化」されていることである。もう一つはその特定された標的に対して物理的・心理的暴力が「反復継続して」加えられていること。「暴力の反復継続性」。これを抜きにしては、いじめの本質が全くわからない。反復は繰り返すこと。継続はずっと続くこと。いつまで続くのかはわからない。参加メンバーにもわからない。ここがとっても厄介なところだ。
 このような明確な定義が一本化されていないことが、いままでいじめが適切に対処できない結果を生んでしまっている。

●いじめはけして「弱いもの」に特定されるものではない。集団を背景にして個人を孤立させる形が本質的なものだ。だから「反復」と「継続」ということがとっても重要。
 ところで、この警察庁の定義はいじめ参加の側には一言も触れていない。実はこれはとても含蓄のあることで、なぜいじめ参加者に触れていないか。僕が推測するには、いじめに参加する側は、加害者が固定している場合と、流動化している場合があるからだ。
 86年の鹿川君の場合は、いじめ側は朝と昼と、放課後と、いじめ参加メンバーが違っていた。数も多くなったり少なくなったりしている。
 そのあたりも認識して、参加側の明確な定義をしなかったのであろう。

●ところで、いじめの標的に対して心理的物理的な暴力が目的であろうか。苦痛を与えることが主目的だろうか?僕はここから考え直しをしようとしてきた。そしていま、僕はどうも暴力が主目的ではないぞ、とはっきり思っている。
 それはどうしてか。それはなぜ標的が特定化するのか。なぜ反復継続するのかの問いかけがポイントになる。つまりこの問いの最も有力な答えは、いじめという集団暴力に参加している人たちが自分が標的の座に座らされないために行なっている、ということだ。
 いじめは誰が標的になるかはわからない。誰がどういう風にして標的の座に座るのかの答えは導き出せない。だからひとたび定義に沿ういじめが始まった時、自分が標的の座を固定化していく側につくのが一番簡単な方法となる。つまり「標的であり続けてくれ」ということ。標的であり続けてくれれば自分は助かる。つまりは防衛行動なのだ。
 「みんな」の側にいるために「ひとり」を固定化する。いじめが終わらない理由の大きなポイントはここである。

●いじめは子どもたちの鬱積、ストレスが転化したものという見方があるが、僕はそれを取らない。イライラが暴力に転化するなら、それは一過性のもので終わるはず。その形はドメステックバイオレンスに似ている。それはいじめとは質が違う。いじめはもっと人間の弱さというか、僕ら自身の弱さに”根”を持っている。その弱さとは、「ひとりになるのを恐れる」ということ。群れの中にいたい。群れの中にいれば安心だということ。もちろん、これがいじめの原因の全てではないが、いじめ問題の根っ子だとは言える。それは「ひとり」を恐れるがゆえに「ひとり」を犠牲にするということ。自分たちの世界から分離しようとする。
 いじめの要因はそう考えたほうが良い。そう考えるといじめは子どもたちの世界の話ではない。大人の僕らを含めた、人間としての根源的な弱さの話であって、そこまで視野を広げて考える作業が必要ではないか。でないと、自分とは関係のない、自分の外側の問題として排除した形のままで終わってしまう。
 しかし、この弱さは子どもたちの世界にしっかり写されていく。大人の弱さがしっかりと子どもたちに根ざされていく。

●次に、いじめには「見えるいじめ」と「見えないいじめ」がある。いじめの「四層構造」というものがある。中心に被害者があり、その周りにいじめの加害者があり、その外側に煽動者がある。そのまた外側に傍観者がいる。それをいじめの四層構造という。
 これは「見えるいじめ」である。大津事件は「見えるいじめ」だ。ただ、今のところ報道でわからないのはここに煽動者がいたのか、傍観者がいたのか。どうだったのかというのは気になるところだ。鹿川君の事件はこの四層構造が増えたり減ったりしていた。先生も葬式ごっこに参加していた。これで分かるとおり、いじめは犯罪と等価ではない。暴行・恐喝があった場合は犯罪だが、煽動・傍観は犯罪で捉えられない。
 また、無視だけで人を自殺に追い込むことは出来る。クラス中が無視することで自殺した人はけっこういる。これを犯罪として立件できるか。犯罪は「行為」である以上、立件はできない。無視をいじめとしてしっかり認識できても厳罰処分にすることは全然現実的ではない。
 

●もう一つは「見えないいじめ」。見えないいじめに僕が気づいたのは94年の大河内君の事件のとき。大河内君は先生たちにクラスで騒ぐメンバーの一人だと思われていた。誰も彼がいじめの対象だとは思わなかった。でも、仲間の中でいじめがあった。標的・分離され、お金をせびり取られていた。これは外側から全く見えてこない。これが「見えないいじめ」だ。ではどうしたらわかるか。それは「見えないいじめ」という構造があるんだ、ということをしっかり理解し、認識すること。この認識を持っていないと見えない。僕はこの構造を「囲い込み型」と名付けた。この型は結構ある。
 「見えるいじめ」はクラスに関心のある先生であれば分かる。でも「見えないいじめ」は構造を理解していなければわからない。そういう意味では、いじめは巧妙になってきているなと思う。故にこの「囲い込み型」のいじめ自殺はとっても厄介だ。

●誰がいじめの標的になるかは述べた通り、わからない。今までいろいろいじめられやすい人の指摘があるが、実際は誰でもが標的になると考えるのが正しい。だから、いじめは起きるという前提で、傷が深くならないうちに見つけて、上手く調整するのが肝要だ。

●いじめがなぜ標的を自殺に追い込むのか。実はいじめと自殺の因果関係を辿るのは絶望的に不可能だと考えて欲しい。また、そういう視点からいじめと自殺の関連性を問うのは不毛だと思う。それよりも、いじめによって標的にされた子がどういう状況に追い込まれるかしっかり知るということの方が大事だ。これを通してしか、いじめ自殺に追い込まれた子の理解に届かない。
 いじめは標的を「ひとり」にすることだ。これは、もう少し説明のいるところで、ひとりになったら本を読めばいいじゃないか、といったコメントを語った識者がいるが、いじめというのは、そんな簡単な精神状態に置いてくれたりはしない。いじめはひとりなるのだけれど、「独りなんだ」ということを常時知らされるものだ。「お前は独りだぞ、独りだぞ」と。「お前に居場所は無いんだ」ということを常時知らされる。すると授業を聞いていても腰がいつでも浮いていて、授業もまともに聞いていられる状態になれない。家に帰っても同じで、読書なんてとんでもなくて、テレビを見ていても上の空だ。
 僕はこれを「我なしの状況」と呼んでいる。自分がない。
 自分があるというのは、自分の居場所がある、ということ。自分がないと居場所がない。この「我なし状況」に耐えられる人はよほど強い人なので、ほとんど不可能なことだ。「我なし状況」。これはすごい屈辱で、屈辱感でいっぱいなので、「いじめられてないか?」と問うと絶対そんなことはない、と真っ向から否定するほどのものだ。

●いじめはこの「我なし状況」を常時知らしめられるわけで、尽きるところ、この世界にいたくないと思うのも、ものすごく自然な流れだ。大津の男の子は自殺の練習をさせられていたが、自殺の練習をさせられたから自殺したのではない。そんな練習をさせられる屈辱こそが自殺をさせる。
 そこで初めて「自殺といじめ」が関連する。因果関係ではなく、人間の存在の仕方の話である。人間論であり、人間理解の話。これがないままでいじめを考えるのは不可能である。

●最後に、いじめられる子どもはそれだけの屈辱感を与えられながら、どうしてその場を離れられないかを考えたい。なぜ学校に行かないという選択が出来ないか。
 僕が2007年「いじめが終わるとき」という本を書く少し前に杉並区の親たちがいじめのある学校に通わせないという方針を固めた。それはひとつの考え方だと思ったし、新しい事態が起きたなと思った。でも、僕はもう少し子どもに即して考えなければな、と思った。不登校らの子たちから問わず語りに話を聞くうちに、最近そう思うようになった。
 子どもにとって、学校に行くというのはやはり一種の安心感・安定感と結びついている。だから彼らは学校に行く。そこを絶たれてしまうと自分が何者かわからなくなってしまう。だから命を削るまで彼らは行ってしまう。こう考えると、本当に大人が配慮しなくてはいけない。教員が配慮しなければならない。今まで話したことを教員がしっかり理解していけば、そういう対応が出来ないはずはない、と僕は思っている。
 そこまで深くかかわれば、深刻化する前に何とか対処できる。そして教師は子どもたちに対して考えているぞ、弱さの現れの形がいじめだということを教師は考えているぞ、真剣だぞということを示すだけでもいじめの最悪化の抑止力になる。
 いじめは子どもたちのなかで起きる問題だが、同時に僕ら人間の弱さの現れだと自分を見つめることでしか、いじめの相対化はできない。
 でも、大人が自分をみつめれば、いじめの軽減になると私は信じる。

※1時間半超の講演のあと、40分の質疑応答がありましたが、すでに長文になりましたので、その質疑応答部分は後日アップさせていただきます。

 

2012年9月20日木曜日

映画「SWEET SIXTEEN」などなど。


 
一貫して英国の社会問題を背景にした社会派監督の名匠、ケン・ローチ監督の02年作品、「SWEET SIXTEEN」をレンタルで観ました。

 感想はひと言、「切ない」。もうこの言葉しか浮かばないほど切ない映画です。ケン・ローチは好きな監督なので、それほどの映画ファンでない自分でも結構この監督の作品は観ている筈です。特にベテランになったこの10年以上の間はノリにノっている人なので、どれも見逃せないです。ただ、かの人の作品におけるベースは報われない確固たる岩盤、”階級社会英国”で一貫して労働者階級の立ち位置から作品を紡いでいる人であること、また、作品自体が非常なリアリズムなので、映画にわかり易い救いが用意されていないといったことがあるので、社会背景とかがわからないと楽しめないかもしれません(かくいう自分も英国に行ったこともないので、偉そうなことは言えないのですが)。

 
 スコットランド田舎町?に住むストリート未成年リアム。作品は冒頭天体望遠鏡で子供たちからお金を巻き上げて星をみせてやる風景から始まりますが、かのようにリアムという15歳の少年は家庭が極めて複雑です。母親はおそらく麻薬密売に手を出して刑務所に入所中。母の父親と、母の恋人は二人とも完全にドロップアウトしている大人。何と母への面会に少年リアムを使って麻薬を刑務所内で密売させようとする、そんな工作を考える大人たちです。
 ゆえにリアムには帰る家がなく、同じ養護施設に入っていた真面目な姉の家に転がり込んだり、行動規範が崩壊しているような親友、ピンボールのところに転がり込んだり。
 リアムは学校に全然行かない少年ですが、ストリートの知恵というか、機転と勇気を持ち、母のためにモービルハウスを購入しようとして頑張ります。彼の素顔はとても家族思いで、母親に対する愛情が人並み以上に強く、普通の大人以上に母を救ってやりたいと考えます。

 しかし、ニュー・アンダー・クラスというか、何のまともな大人の手立てがない場所で彼が考えることと言えば、結局のところ、麻薬を大量に密売してそのお金で家を買ってやるという乱暴な考え。逆に言えば、そういう短絡的な思考しか持てません。能力がないのではなく、彼に必要な社会的な手立てを持てないでいるのです。

 考えてみれば、この映画では彼、あるいは彼とその友達たちをサポートする大人は全然出てきません。出てくるのは社会の裏の世界で生きる大人たちや、麻薬を買う人間や、すぐ暴力でカタをつけようとする大人たちばかりです。能力も、思いやりもある彼が、なぜ教育の世界から遠く隔たっているのかの理由は、周囲の大人たちがどのようなものかで透けて見えてきます。

 この映画のラストもケン・ローチらしく(?)、救いのないものです。ただ、余韻が残るのは主人公リアムのハードなライフスタイルの中でも、彼自身が失わない信義則や、家族に対する愛情が本物であるという事実でしょう。それだけに「切ない」のです。

 この映画に関しては、ブログなどを当たれば素晴らしい批評に数多く出会うはずです。ただその中で友人、ピンボールの切なさにも言及されていると、なお良いなあと思います。親友・ピンボールもリアムが彼を強く求めているように、ピンボールも彼を強く求めているのです。
 リアムが悪い大人たちによって立派なワルに育て上げられそうになる過程で捨てられる。そのことが心細くて心細くて、リアムが求めた家に火をつけ、彼の前で麻薬で酩酊しながら自傷行為に走る。
 そう、タフなワルなフリをしても、まだ彼らは16歳になるかならないかの普通の「少年」であるわけです。

 僕は何年か前にこの映画を初めて見たとき、ケン・ローチの名を世に広めた60年代の名画「ケス」と比べて、同世代の余りもの環境への置かれ方の違いに愕然としたものでした。

 もちろん、同世代を主人公にした「ケス」も普通の意味で大変な環境に置かれる少年の話でした。その作品は英国北部の小さな田舎の炭鉱町で閉塞するような環境の中、母子家庭の母親もダメ、かつ暴力的な兄の支配、閉ざされた炭鉱町の労働者たちの窒息など、少年が置かれたシンドイ環境は同じでした。ただ60年代の「ケス」には、小さな希望として、主人公ケスの野生の鷹の飼育という生きがい(それは少年の土地からの飛翔を暗喩しているのかもしれません)、そしてそれを認めた先生が鷹の飼育についてクラスで彼に発表させ、彼に人としての尊厳と役割を与えた点が救いとして残されていました。

 しかし、今作では学校もなく、彼を育てる責任を持つ大人もいません。もはや彼らは彼ら同士だけで何とか必死に生きているのです。彼らがバイトしているピザ・ショップでさえ、大人らしき人は見かけない。そしてドラッグ(麻薬)がすぐそばにある。日常のそばにある。

 ですから、初めて本作品を観た数年前には、ケン・ローチの作品といえども(彼の作品はドキュメント・ドラマ、略してドキュ・ドラマという呼び方がされます)、これは余りにも現実的では無いのではないかと思いましたし、同時に新自由主義以降の「社会などない。あるのは男と女と家族だけ」のサッチャイズムへの極端な批判、「これがあなたが作った結果だ」というメッセージ性だと思っていたのです。

 ですが、前にも記事にした高岡健さんのインタビュー本「ひきこもりを恐れず」で述べられているとおり、英国の新自由主義は新しい新中間層を作ると同時に、労働者階級を分化させ、「ニュー・アンダー・クラス」(新下層階級)を出現させたというのです。その中では10代の妊娠、母子家庭、貧困その他で10代後半に進むにつれ、ヘビーな環境の青少年たちがストリート・ピープルとなったり、学校においては校長先生が血だるまで倒れている、そんな学校に警察官が張り付いている。それくらいのバイオレンスな状況があるらしく、かの国の一番の課題は青少年の「非行と犯罪」だというのです。学校で麻薬の取引が行われているというのですから。。。

 その点、日本にはまだ全然社会的な秩序と余裕があるというのが高岡氏の主張です。

 その意味で、この作品「SWEET SIXTEEN」もケン・ローチのドキュ・ドラマの観点は変わっていないということなんだ、と再認識し、今回改めて見返した次第です。

 もう一つ持っているブログで紹介した「この自由な世界で」も、ポーランド移民労働者の話が出てきますが、5年ほど前のビックイシュー・バックナンバーでも英国に向かったポーランド出稼ぎ労働者の苦境が紹介されていて、基本的にドキュメンタリースタイルのケン・ローチのアプローチは変わっていないと思います。

 
 先ほどの高岡健さんの本の話に戻ると、社会の工業化からいち早くサービス産業化に移行した英国ではこのように労働者階級にしわ寄せが移行し、ブレアによる荒廃した学校の教育改革もむなしく、ニュー・アンダークラスを生み出し、安定した社会環境を持たない白人の若者たち、そして主に南アジアからの移民の不遇な環境に置かれた人たちが不満層として堆積し、今年盛り上がったロンドンオリンピックの前にロンドンから各地に派生した暴動という形で噴出したと言えるでしょう。

 高岡氏によると、犯罪・非行という反社会・非社会的な問題は英国で深刻ですが、日本でのひきこもりやニート(英国のニートとは質が全然違います)と数字的にはおおむね対応するそうです。

 高岡氏は経済的な蓄積や余力を持つ日本は自分と向き合う時間を持つ形態であるひきこもりが出来る日本という国はよほど上等であるという評価をしていますが、今後懸念されるとすれば、家庭が子どもを育てる経済的な余力を持てない、持たない状況が日本に普通にあるという光景です。そうなっては絶対にいけない。しかしすでに日本の少子化や晩婚化、非婚化はある意味でそういう直感や本能、あるいは実態的に経済的に家族を持てないかたちとして出ているのかもしれない。
 ただ、早々と家を出され、社会のケアを受けられないまま同じような仲間とサバイバル的に生き、子どもを産んで、父親がいないような状況が生まれやすい社会でないこと。これは唯一の救いでしょう。

 話を映画に戻しましょう。「SWEET SIXTEEN」。何とも皮肉が聞いたタイトルですが、主人公のリアム少年が時代や社会の波や構造に翻弄されながらも、人間の原形質を必死に守りながら、傷ついていく。そこにやはり希望のなさと同時に、ある種の人としての感動があります。だからこそ感想の全ては「切なかった」というところに行き着きます。明るくはないけれど、心に深く残る映画です。
 主人公役の少年がDVDのボーナスインタビューでこのような趣旨のことを語っています。
 「リアムのような子に共感できる。この国は教育に力を入れてほしい。彼のような子が報われるために」。
 おそらく、監督のメッセージもそこに尽きるところがあるでしょう。

 機会と場所と、人と人とが相互に依存しあえること。人間関係に分断線を引くシステムを考え直すこと。そんなことを深く思わざるを得ない。そういうことを考える契機にもなる映画だといえるでしょう。

PS.
 映画の舞台となったスコットランドはグラスゴーの02年の社会的現実に関心のある方はこちらのサイトを参照してみてください。10年経った現在のグラスゴーはどうなのでしょうか?もしも詳しい方がいれば教えていただきたいところです。

2012年9月8日土曜日

こんな時代だと。

大事な言葉も、何もかも消費されて終わってしまうよ。

勿体ない。

やはり、消費されずに自分の中に残るのは深い「対話」か、自分の中が崩れるほどのカルチャーショックしかないのではないか。

自己混乱とか自己崩壊しそうなカルチャーショックは、いわばハードランディングなので、ソフトランディングには本当に大切な人との対話の継続が良と思う。

その出会いの対象の選択センスも実は前段として、その人の中にある何ものかに負うところがあるような気がするんですけどね。。。ムムムのム。。。

2012年9月7日金曜日

客観的に見れば大丈夫なはずだよ。

ひょんな拍子に久しぶりに自分のブログをず~と見返す機会を持ちました。
要は、やるべきことをさぼったということなんですけどねw

で、「ふ~ん」と思った。
なかなか、書けてるじゃん、と。
素性柄というか、いろいろある関係上というか、表現が回りくどいところがあるけれど、回りくどい分、穴も少ないとも言える。もちろん、いつでもそうだとは口が裂けても言えないが。

ーこれは、自分の書いたものを客観的に第三者的に見てそう思うわけです。

どうも生きにくいなぁと思うタイプの人間の常として、自分に自信を持つのは難しいもの。むしろ自分を過小評価しているとも言える。
まして文章なんかにこだわっているいい歳をした人間、ともなればそれが稼ぎと直結するものでなければ、社会生活上役立つことも余りない面が輪をかける。

でも自分の考え、感じたこと。
「悪くないじゃない」と素直に認めれば、生きにくさの幾分かは薄れるでしょう。
自信家とは無縁ですが、実態以上に自分を低く見せるのは、「勿体ない」どころか、といいますかね。
何か、一神教の世界で生きているとすれば、「この地上において神に対する裏切る行為であるぞ」、とかね(爆笑)。一神教なんか全然、知ったこっちゃないですけどね。まあ、そういう人間側のアクロバッテングな理屈もあるかも知らん。

おっと、また横道にそれそうだ。

生きづらさを抱える他の人と話していてもそう。皆んなあるわけです。美点がね。良さがね。
それを他者も自分自身も評価出来ないのはなぜなのか。

昨日、話していて改めてそれだろうな、と思うのは、もう誰でも気づいている他者とのあいだでの評価で生きる学校から始まる社会生活。

こんな当たり前のことが、ひとりひとりの能力や自尊感情を毀損する。
自分に言う。
「もったいないことをしてるなあ。明日から変われなくても、いいさ。このこと、忘れないでおこうよ」と。

ね?

2012年7月24日火曜日

高岡健氏の著書


いま、児童精神科医である高岡健という方による著書を一生懸命読んでいます。この写真掲載をした『引きこもりを恐れず』という本はインタビュー録であり、読み易いのですが、中に書かれていることは非常に重要な論点がいくつも含まれており、領域に関心のある者としてはどこもかしこも見落とせない考察だと思います。
児童精神科医として、発達障がいに関する本も書かれていたり、発達障がいに関して同じく児童精神科医の方との対談本もありますが、とにかく実利的観点からの必要性を強く求めている人にとっては、おそらくその思いには答えてはくれないかもしれません。

この本に関して少し触れましょう。
僕個人としては、英国の70年代後半までの労働党と保守党の福祉国家/混合経済(公共性の高い産業の国家運営)による協調路線から、サッチャー政権による新自由主義改革によるワーキングクラスの没落(特に北部の炭鉱労働者に顕著)、ニューアンダークラス登場によるブレアの教育改革の(結果としての)失敗、など第三次産業化に伴う英米、そして遅れてアングロサクソン二国を追った小泉政権下で政策遂行された日本の新自由主義的構造変化・移行に伴う社会病理化、社会問題の現出についてとりあげていて、非常な説得力です。

この本は2003年に出された本に関わらず、現在とみに議論の的となっている「社会的排除」の問題を先取りしており、その意味では湯浅誠氏や、稲葉剛氏、宮本みち子氏らの発言よりも相当早い段階から同様の議論を先取りもしています。

引きこもり、発達障がい、ホームレス化、いじめ、自殺など、社会的排除の全体像をコンパクトなインタビュー本において深い説得力飲み込めるものとして出されていることに、個人的には驚愕しました。

おおむね内容に関しては同様なことが書かれている「不登校・ひきこもりを生きる」も本日購入してしまいました。(こちらは2011年発刊)
にわかに、自分の中で大きな存在となりました。

PS.
急いで付け加えると、人生には基準がある、あるいは人生には基準が必要だ、と考える人にはこの方の本は合わないかもしれません。
そして、ひきこもり体験者のかなりの部分で、世の常識人というか、平凡人同様に「世の中には基準がある」と考える人は多いと思われます。かくいう自分もそうで、ひきこもりが肯定されて嬉しいと思っても、別の切り口においては驚くほど基準を求めている、ということがあります。そういう葛藤がありますが、おそらく高岡氏の語られていることは真実で、それをいま現在呑み込めるかどうかの違いしかないのでしょう。

真実は、理想と同じように未来を照らす松明のようなもので、本当に暗闇で前後左右が見えなくならないと響かないところがあるかもしれないです。

同時に、真実を割と簡単に飲める人も極く少数ながらいる。これは僕などには本当に不思議な感じで。

高岡氏とは逆ベクトルの議論があるのは当然、知っています。ただベクトルからいったら、圧倒的に自分は高岡氏の論に与しますね。呼吸がしやすい感じになります。

2012年7月20日金曜日

「いじめ」について。

大津市で自殺した中学2年生の自殺の原因が「いじめ」によるものだ、ということで事件発覚以来、日々この件についてマスコミも、僕が利用するSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)も、日々この話題で絶えない。  

何よりも、今回の事件はいじめ被害があったという被害者側の両親が警察に告発したこと、それを警察が受理しなかったことから始まり、教育委員会の見解、そして今では民事訴訟、刑事告発と、今までの日本社会にはなかった「学校の外」、すなわちダイレクトに社会の側に訴えを起こして事件の全容解明を求めた点が新しい。  
また、加害者といわれる3人の子どもたちとその親たちも「いじめはない」という形で徹底的に争う構えを見せている以上「いじめ」があったかなかったかの当否についても全面的に争われる。この様相が今までにない展開だと言えよう。  
結論をまず先に言ってしまうと、僕の立場はここまで来たら裁判や取り調べで徹底的に調査すべき。そして黒白をつける以上、関係者以外・当事者以外はその方向性だと理解した以上はもはや野次馬とならずに静観して裁判の行方を見守るべき、という立場だ。  

こういう風な立場に立つ自分の観点そのものを振り返ると、ずいぶん自分の中でも変わってしまったものだな、と。自分の中に深い感慨が、ある。  
この間、ほとんどテレビに触れる機会がそうないからあまり多言は言えないが、マスコミに関してはおおむねいじめ加害をセンセーショナルに伝える立場、それに対してSNSの議論の中の多くは学校という制度の仕組みを考えようという意見が多かったように思う。後者の立場の多くはいじめはなくならない。過去から現在において大人の説教説諭でいじめはなくなったりしない。そもそも人間も動物であり、まだ衝動性と罪悪感の葛藤で「自分」が苦しむには至らない、同時に(性的な部分を含め)衝動性が大きく突き上げてくる思春期時期にはなおさらいじめを道徳的な建前から頭ごなしに叱っても意味をなさない、という「建前」幻想を捨てて人間の「本性」の側に立つ。  
だから、多くはいじめのターゲットにされた子たちがいじめから逃げられるシステムを作るべきという考えを持っていると思う。そこから導かれる回答はクラス制度の見直し、体育の団体競技を選択制にする、授業の単位制など。つまり、1クラス35名なら35名、幕の内弁当のように一つの場所に6時間押し込められるから、その集団の抑圧が誰か特定の者に向かうことを回避するという方法だといえよう。抑圧が攻撃に向かう特定の対象は、当然加害者が反撃を加えられる可能性がない子、加害者と傍観者にとっての「いじめられっ子」という子になってしまう。

僕もおおむね後者の側に立つ者だ。僕自身の経験においても、家の中でいじめられた程ではないけど、学校内いじめにもかなり傷ついてはきた。思春期は特に一層、そのようなことに敏感になるものだし、そのような時期に限って集団生活を強いられるというのはどこかで人間に傷を背負わせてしまうものだ。当時はフリースクールなんてものもなかったし。  
だから学校の制度的なアプローチとしては、(今は知らないが)例えば「班分け」、修学旅行の「自由班」などもなんとかしてもらいたいものだ。 集団に馴れることを求めつつ、どこかで担任教師も孤立する子を把握しているはずだろう。 

実は僕はいじめに対しては、少し昔はもっと過剰反応をしてた筈だ。特にもう何十年前になるだろう?いじめ自殺をした子に対してなされたいじめとして、クラス全員でいじめられていた子の弔意文の色紙を廻して、それに先生も加わっていた、ということがあった。  
とにかく僕は家の中で独り激しくそのいじめが行われた学校、クラスを憎悪し、怒り、呪ったものだった。人というのはかくも残酷か?死んだ命はかくも程度の低い連中の犠牲になったのか?これが平和憲法を持つ平和な国、日本で起こることなのか?と。  
でも同時に分かってもいたのだ。中学時代にさんざん聞いた「平和」「民主的な議論」「先生になんでも話して」。そんな素敵な言葉は授業が終われば露と消える。休み時間、特に昼休みになれば教室は暴力そのものと、暴力的な匂い、いじめ対象に向かう動物的な衝動に満ち満ちていたのだから。  
ここまで思いつつも、僕はいまそのように思春期の、あるいは思春期前期の子どもらの加虐性を責めて責めつづけても仕様がないんじゃないかな?と思う。それでいじめが止まるのなら、僕等が子供の時から止まっている。やはり現実に即した制度の改変をしたほうがいいのではないかと思う。故に大人の説教よりもクラスの流動性を高める方が意味があるだろう。  
場合によればクラスから逃げる、学校を逃げる、別の学習のスタイルを見つけるという方法が現実の今の世の中では最も効果的だろう。  

しかし同時に、それを受け入れる世の中の体制はあるのだろうか?という疑いは捨てられない。学校の外の社会や大人社会がそれを「学校のドロップアウト」として見る勢力が大半ならば、フリースクールに移行しても子供自身の内面に傷が残るままだ。それは端的に「逃げた」という負い目になって残る。学校から逃げた、あのクラスから逃げた、あの連中から逃げた、あの連中に道で出会ったらどうしよう。怖い、とか。いじめ被害の子に「精神的な強さ」を求めるのはほとんど二次被害でもある。「もっと強くなれ」「奴らを見返してみろ」。こんな言葉、ちゃんと死語になっていれば、おそらく少年の自殺なんて起きない。(今回の大津事件を言っているわけではありません)。

僕は猜疑心が強い人間なので、制度をいじくることで人びとの本能、その本能の裏返しとしての精神論がそうそう消えるとは思えないのだ。  
ある種の人は、人間も動物なので、強いものが弱いものを叩くのは仕方ない、だからいじめられる側は強くなれ、と暴論を含みながらある面では人間の本性に気づいている者もいる。しかし彼らが見落としているのは、いじめられる側は「個」対「多」という決定的な不平等にあるということだ。いじめが固定化すると、いじめる加害者のみならず、一番層として多い「傍観者」が強いものの側に立つ、というリアルな現実を敢えて見ないのか、わからないほどに無知だ。  

いじめをモラリズム的になくすには、日常の中に「非日常」が頻繁に現出していくしかない。  
部下が上司のモラル違反を正す。それを同僚たちが賞賛する。生徒が教師の不備を正す。それを他の生徒や先生たちが賞賛する。マスコミが不正を暴き、それを不正者は認め、人々はそのマスコミを賞賛する。クラスでいじめがあれば、「1対1でやれ。俺たちがそれを見ている。言い分を言え」という。それをクラスが当たり前の前提とする。また、クラスにいじめがあると「そんな恥ずかしいことはやめろ」という者が出る。普通にその者が他の生徒に賞賛される。
ーこれらはどれもこれも、ありえない。少なくとも今の日本社会でほとんど見ることはかなわない。残念ながらこれが現実なのだ。  

しかし、「現実なのだ」で終わるのも本当にいいのだろうか?  
例えば、ある意味ではこういう「非現実」はどうだろう?いじめられる側の子に抵抗権、対抗権を与える。一対多、体力でも当然かなわないなら、バットでもなんでも与えていじめる連中をバットで殴り返す。ただし頭部は不可。
これを認めたら、てきめんその子に対するいじめはなくなるだろう。  しかし、残念ながらいじめられる子はそんなことを大概しない。そういう「目には目、歯には歯」ができない子達がいじめの犠牲になる。だって、やり返されない見通しがあるから、いじめが成り立つわけだから。やる連中も、当然、人を見ているわけだ。  
暴力に暴力で対抗しても意味はない。その意味で、いじめの被害に遭っている子は本質的に平和主義者だし、倫理をわきまえた人間の常識を備えたちゃんとした子だ。  
そんな子達に一層の倫理を求めてどうするのだ?この世の中は実に不思議なもので、いじめ被害に遭うような倫理的な人たちが、より一層倫理を深めて、倫理が必要な子たちにこそ読まれるべき、あるいは語られるべき倫理が彼らに忌避されている。こうして社会は何とか成立している。  
ーこれもまた現実だ。  

僕はここまできたら一層、失われた非現実を呼び戻したらどうか?と思う。僕が思うのは「報われない魂」が化けて出るという話の復活なのだ。いじめで殺された子、ハードワークに殺された人。それら、報われぬ魂たちが成仏できずにその地にとどまり、地縛霊のように祟りを求めて彷徨う。鎮魂を求めるのは人びとがその魂の悲しみを理解し、怯れ、人間の愚行を心から謝り、これからの繰り返しを二度と犯さぬ誓いを立てる。  
このような前近代的で非日常的な精神の働きを取り戻すしかないのではないか。そして、その精神を培うには子供時代から親から子へ、老人からその子、孫へと語り継ぐ心ばえしかない。  
その意味ではトラウマになる可能性もあるが、「地獄絵図」による天国・地獄の教えもあながち笑って済ますことも出来ない。
最近、そんなことを思う。  

人はこんな文章を読んで「ちょっとどこかおかしいんじゃないか?」と思うだろうことは理解しています。  
しかし、けして、ふざけてこんなことを書いているつもりではありません。

いずれにせよ、大津の事件に関しては、両者の言い分が決定的に対立し、和解の路線という今までのありがちだったものと違う局面に入った以上、粛々と事実関係を明確化していくべきでしょう。  その過程で多くの人が傷つくでしょう。もちろん被害と容疑(加害者側は加害者性を争うから加害者と現段階では言えない)の両者は勿論、その家族、あるいはクラスの子どもたちや担任、教頭・校長(証言台に立つ場面もあるでしょう)それら現場の人たちとその家族。みんな傷つくでしょう。そういうとこまで想像すると、この事件の明瞭化は社会全体がある傷を得た。その傷は亡くなられた少年の鎮魂の過程でもある。  

その意味で、亡くなられた御魂を慰めるための、これは大きな大きな道すじなんだろうと思います。
実にやるせない話ですが、これは僕らの贖罪のストーリーでもあるのでしょう。。。

2012年7月8日日曜日

思春期の記憶

今日、たまたま家の用事で買出しに車に乗る時、ボブ・マーリーの有名な「ノー・ウーマン・ノー・クライ」のライヴ演奏が流れた。僕はここのところ、ボブ・マーリーのベスト盤CDをずっと入れているわけで、前に車に乗って帰宅するとき、かなり大きな音でかけたまま、そのままエンジンを切ったんだね。

鳥肌が立つんだよね。いつ聴いても。観客たちが前奏で合唱している。。。

演奏は「ライヴ!」っていう1975年の作品で、イギリスはライシアムというコンサート会場で録られてる。音像からすると、けして大きな会場じゃないんじゃないかな。。。観客たちのダイレクトな声がずいぶん身近に聞こえるんです。ものの本によると、前の日に同じ会場で行われたボブ・マーリーのコンサートで、この曲で自然発生的な合唱が起こったことにインスピレーションを得たプロデューサー兼レコード会社のオーナーが急遽、ライヴ盤用に音取りすることを決めて二日目の演奏の音がライヴ盤で世に出たとのこと。

この後、ジャマイカで自宅を銃撃されたボブ・マーリーは1977年にイギリスに脱出する。ジャマイカは二大政党制だけど、ハンパない一般人を含んだ権力闘争で、選挙の季節になると両陣営の応援団?がガンマンと化し、政敵を銃で倒すというのが平気であるらしい。それで片方の政党を支持していたボブ・マーリーも標的にされたわけ。1976年の暮れに自宅を襲撃されたあと、次の年にはすぐイギリスに脱出したわけだけど、それは彼が所属してたレコード会社がイギリスにあったため。

元々、イギリスはジャマイカの宗主国で、イギリスにかなりのカリブ移民がおり、そのコミュニティで母国ジャマイカのレゲエミュージックが聞かれた。その母国の音楽を配給して販売してたのが、ボブ・マーリーが所属してたレコード会社の社長。この社長も生まれがジャマイカだったこともあり、生まれた土地の音楽をカリブ人コミュニティの人たちをターゲットとして販売していたら、同じコミュニティのそばに住んでいた白人の労働者階級の人たちも、その強いビートや、独特のリズムに惹かれて、ジャマイカのレゲエ音楽を聴いていたという話。

マーリーに話を戻すと、彼がイギリスに入国して居をとりあえず定めた1977年は、イギリスではパンクの嵐が吹き荒れた頃。パンクのミュージシャンはレゲエ音楽が好きになってくれたジャマイカン・ミュージックの提供者から見れば、マイノリティ白人レゲエ・ファン。そしてレゲエミュージシャンから見ると、パンク音楽はレゲエの持つ宗教性を抜くと、共に社会に対する抵抗の音楽として、スタンスは共感できるものである、という感じで。

ボブ・マーリーを慕うパンク・ミュージシャンと、自分たちの音楽を愛してくれている意識が高い若者層がいるんだな、ということでより一層意を強くした、というのがボブ・マーリー側の感覚だったかもしれないですね。
この年、イギリスでボブ・マーリーと彼のバンドは『エクソダス』という名盤を発表します。
おそらく、スタジオ録音のアルバムでは、この作品がボブ・マーリーの一番の傑作と言えるはず。本当に捨て曲なし、緊張感に優れ、また愛情や優しさ、包容力も含まれた、多彩な人間の感情を表現し得たレゲエ音楽の中でも名盤中の名盤に数えられるものでよう。

やはり、それはコミュニティに差異はあれど、ボブ・マーリー自身も自分がやっている音楽が白人社会に受け入れられる可能性や自信を持てた確信がきっと出てきて、素晴らしいレコードを作ることができたんじゃないのかなあ。
このあと、どんどん彼の音楽はインターナショナルに受け入れらるような方向性が加速したと思う。それは今ではいい、正しい方向性だったと思います。
スティーヴィー・ワンダーもこの時期、レゲエやボブ・マーリーに強い関心をもち、実際に接点も出てくるわけだけど、マーリーがもう少し長命であったら、十分、スティーヴィー・ワンダーのような存在になったような気がする。もっと硬派な形で。

ああ、全然話がねえ。何故かボブ・マーリーの一部ストーリーの記事になってしまいました。
最初のきっかけは「ノー・ウーマン・ノー・クライ」のライヴバージョンに触発されて浮かんだ連想を書くつもりだったんですけど。
全然、流れが別になってしまいました。

タイトルに偽りありだ。ボブ・マーリーの70年代の充実期に関する話、でした。意図せず。
この記事は音楽ブログのほうにも挙げておきます。失礼しました。

ボブ・マーリーの歌声。バラードに限らず、アップテンポなテンションが高い楽曲においてもどこかリアルな切なさがあって。それがまた好きにならずにいられないところなのです。



2012年6月20日水曜日

社労士実務講習、大詰めを迎えて

タイトルが大げさですが(苦笑)。
一応ラストの2単元、労働保険料の年度更新と、健康保険・厚生年金保険の定時決定(算定基礎届)という7月上旬まで行わないといけない労働保険と社会保険のハイライトを迎えて、今日はその半分を終え、一応のこと、明日終了の予定です。
この単元は実は全6時間では少ないと思う。年末調整を3単元演習を使い、レアケース等も含め演習中心にやった結果、結構「手が覚える」要素があっただけに、出来ればこの分野はもう2単元は欲しいところですが、致し方ないところです。
明日はハイライトの年末調整。本日は労働保険の新規適用手続き、つまり会社(なり、自営業、NPOでも構いませんが)の労基署などへの保険関係成立届けや概算保険料の申告書等を書く実務。これは、昨年NPO団体の雇用保険、社会保険新規適用事業所手続きを行なったことが結構役立ちました。

いよいよ明日はハイライトの概算保険料の年度更新と算定基礎届ですよ~とのアナウンスで今から心してますが。でも演習がもっと欲しいかな。あと3時間では足りない気がします。レアケースも学んでおいて、出来れば「手が覚える」ところまで行きたいところなのですが・・・。

でも、今の講義を担当している先生は本当に良心的な人だと思います。(web上ですが)。

講座は講師の人柄が面白いというか、社労士の先生もいまの人のように非常にヒューマニステックな側面を強調され、働く人の側に立ち、法令や通達を出来るだけ会社は遵守して働きやすい職場を構築するようにお願いしたいと丁寧に語られる人もおられれば、割りとありがち?な、企業側にたって、率直に「誰から報酬をいただいているか考えてくださいね」というスタンスの先生もおられます。もちろん、その先生も社労士の学ぶ労働社会保険法令にきちんともとづいた上でそのように仰っておられるわけですが、やはり個性の違いもそれなり見えてくるわけで、自分はどのスタンスに立ちたいか、ということが考えに入ってきます。その意味では、講師も一方だけの軸足の人のみでなかったのは良かったと思いますね。

特に年末調整の方はレアケースも含めてたくさん演習を行なったのは良かったですね。その意味でも労働保険の年度更新もたくさん演習問題を出して実務に自信を与えてくれれば嬉しいですが。
ただ、繰り返しですが、この単元を担当される先生からは、社労士の良心を見る思いで、勇気をもらいました。

少し前にいわゆる「消えた年金」の記録訂正を審査する総務省の「年金記録確認第三者委員会」が、加入者からの訂正申し立て件数を抑制するよう指示する内部文書を作成していたという記事を読んで、一体、お役人が、ではなくて、第三者委員会がそんな指示をするなんて、どんな第三者委員会なんだ!と憤って第三者委員会のメンバーを調べてみたところ、社労士のお偉い方々がたくさん名をつらねていて、ガックリきたことがあるものですから。。。

やはり、どんな仕事でも、自分の信念を持つことは大事なんですね。自分がこの資格を活かして生きていけるかはさておいても、やはり自分の軸は必要だとこの間講師の方々のキャラクターを見ていて再考したことでした。


また、入退社、結婚・死亡、従業員の事故、長期療養、障害、育児介護に関する実務について学び、きょうあすで事務所の新規適用手続きと、労働保険料の年度更新を学びますが、「働く人の生活」と「法令」が密接に絡んでいるのだなぁということ、そのことがだんだんと繋がりとして見えてきたことは収穫でしたね。これが実務家の実際の話を聞ける一番のメリットでした。

法令を「横断的に」と学ぶうちに改めて思うことでしたが、もっと想像の羽を伸ばせば、いろいろな局面ごとにどういう保険給付がつかえるのか、という意識を持ち続けることが大事だなと改めて考えています。

2012年6月14日木曜日

実務講習

 現在、私はバイトをしながら社会保険労務士の実務講習をWEB講座で実務家から学ぶ日々をベースにして過ごしていますが、当初、はじめた時点は5月20日くらいからでしたでしょうか。受講可能期間が6月30日までとお尻が決まっていて、それまでには終わらせねばならないとそれなり意識がそこに向き合う日々で過ごし、でもなお関心のあるNPO的な活動も関心を寄せながら、誘いがあればそれに乗りながら、毎日単元3時間、実務の勉強をする日々を過ごしてきました。ところがあれ?気がついてみたら、思ったよりも早く講習単元がもう残すところ4回分となりました。

 実務家として役立つかどうかという検証は、今後現実の実務の機会がぜひとも必要だと思っていますが、とりあえず学んだことは無駄ではなかったのではないかと思っています。
そしてしかし、これからまた改めて考えること、補足することが必要だと思います。(7月には一般の社労士試験に向けた全科目総まとめの講座を実務に還元するため記憶の想起作業のために行います)。

 とにかく、なにしろやはり、新年度からもバイトと社労士と、NPO関連の誘いの3本建て中心で、考えてみればいつも自分のことばかりだったな、とある程度反省するところもありまして。。。もちろん今後の生活のために、と思えばどうしてもそうならざるを得ない面もあるのですが。同時に介護保険を受給しはじめた父もいる、高齢者両親との同居でもあり、両親の面倒を見ていくんだということの想像をベースに考える必要はどうしてもあります。

 家のことのもろもろも、今月の下旬くらいから来月の頭にかけて、少し気にかかることを手がけなければいけないなと思っていますし、自分の部屋から始まり、作業のしやすい環境のための整理や、家周りの作業も少しちゃんとやらなきゃなあ。
なにしろわがまま放題で、2階は自分の私物でわやわやだ。家長の身体が自由にならなくなった以上、物置から庭から、そろそろこちらのほうできちんとやらなきゃいけない。いけないと思いつつ、ずっと手がけないままできたので、そこらへんも両親と相談しつつ整理を手がけていきたい。

 後は資格を生かすための準備もそろそろ必要だ、と考えています。

 まずはいまの講習が一段落したら、次の復習にかけて6月下旬から7月をどう活用するか、スケジュールをどう作るか。そんなことをそろそろ考える段階かなと思っています。再来週くらいから、そんな意識で過ごすことになれればと思います。まずは今月の月末までバタバタし余裕がないという風にはならずに済みそうで、その点に関しては悪くはないんじゃないかな。

2012年6月8日金曜日

本日は泣き言

本日、野田首相の大飯原発再稼働に関する記者会見を見ました。
実質的に、原発再稼働宣言といっていいでしょう。
この記者会見を聞きつつ、菅元首相が311以後の原発事故で感じた危機意識が全く共有されていないのだな、と本当に悲しくなりました。
何よりも、今の野田首相の「政治生命を賭けて云々」という発言を元にした次々の普通の人たちの議論を無視していく決定の数々のその一つ一つが、総選挙に値するイシューであるのにもかかわらず、打ち上げていくその断行のありようは、もちろん最大野党が自民党であるという、対抗軸なき政治の上に乗っかっているが故であるといえましょう。
首相に自覚があるのかないのかわかりませんが、「国論を二分する」議論も野党の一層の経済界中心の発想に親和性がある限り、国民が見えなくても構わない危険性の中にあるということを考えないわけに行きません。
その点、昔の自民党で言えば、例えば宮沢喜一さんのような人は健全「野党の存在」を国民意見のバランスの点で大事なものであるという理解がある人でした。

まあ、そんなこといいのでしょう。僕自身、多くの人たちがそんな政治だの権力だのに余り関心がないというか、厄介事だと思うだろうし、楽しくもない話題だということを十分承知しているつもりです。

ただ、僕自身はこのように考えてしまう性癖はもう中年期を迎えて直しようがないことは知っているし、例えば先の「消えた年金」に関する第三者委員会が年金の訂正申し立てを抑制するように指示を出していたという驚きの記事がありました。普通、厚生労働省がそういうことをしていたというならばまだわかりますが、第三者委員会という元来消えた年金の調査審議をする機関がそういうことをしていたのが驚きです。しかもその第三者委員会は有識者、しかもその中には自分の仕事としたい社会保険労務士の偉いさんの人々が多数入っているのです。そういう話がまた一つ自分の気持ちを塞ぐのです。

最近、埓のない思い、妄想は「身体一つを資本に出来れば、少なくともほとんど人に迷惑をかけず、自信のなさも緩和され、聞きたくもない迷惑な話にかかずらわらなくても良いのではないか」という考えです。

体を資本とした技術があれば、例えばビルメン会社で現場労働で生きていけないか。あるいは農業、それも売るための農業ではなく、理想をいえば自給自足的な農業で生きていければ、と。
しかし、軟弱な身体とつまらない欲望に自分は支配されている。

軟弱な身体の自分としては、身体資本の仕事に自信がなく、社労士の実務能力の最低限を何とかかんとか身につけて就職が難しい時代にとりあえず活路を見出そうとする。
しかし、その仕事は自分の強いアイデンティティで事業者中心とはならず、冷静に働く人を守る法理を伝えながら尚、仕事を事業主からもらえるのか。
そのようなことを日々考えているのですが、そのような物思いも自分の核をけして強くはさせてないような気がする。自分の芯が自分を良しとする、自分を喜ぶものとさせるだろうか。

「国民生活」とか「経済生活」を守る云々と内省なく首相が言えるのは、日本の普通の人々の似たような弱みを知っていて、そして脅しをかけているように見える。

でももう、そんなことは分かっているし、分かっているから憤ったり、その種の情報にかかずらわるのは気がつかれる。ノイローゼになりそうになる。
ならばいっそ、自分の身体を資本に、情報社会から身を隠してしまいたい妄想にも駆られます。
もちろん、それは出来ないだろうとどこかで思いながら。。。

何かを知ったうえで、どうにも解せない政治が行われていることを自覚する。それは不快だし、知ってて知らぬふりをして生きていかざるを得ないのか、という気にもなる。
それらは疲れるから、逃げたくもなる。
実は、声にも言葉にも文章にもしなくても、そう考えているひとは多いのではないか。

まあ、そういうことです。

それにしても、これは日本にとって、あるいは地球環境にとっても由々しき方向性ですよ。経済成長という目の前のために、福島の悲劇の可能性を座視、維持してもいいのでしょうか。
それが民主党という政権で、そういう意味での政権交代だったのでしょうか。
僕は民主党に政権交代したとき、民主党に投票してませんが、とんだ茶番だったなと思いますね。

人は誰にも迷惑をかけずに生きてはいけないでしょう。でも、迷惑の範囲は小さくできるかもしれない。どれだけ人への迷惑を緩和させるか。今のままの自分の生きる模索は迷惑緩和に向かう道なのか。

首相会見をききながら、かなり暗澹たる思いで自分の今後を考えてしまいます。あまっちょろいんだよなぁ。いい年をして。本当に。

2012年5月26日土曜日

ビックイシューのバックナンバーを。



 最近懇意にしてくださっているビックイシューの販売員さんから、すでにソールドアウトになっているビックイシューのバックナンバーがまだあるということで、少しずつ選択して今後バックナンバーを揃えていこうと思っています。

 最近いろいろとビックイシューを通して学ぶこと、考えること、意識化されていることが増えているので今から考えると相当古いもの(購入したものでは5年ほど前のもの)も、今読むと実に問題の先取りをしているなぁと感心させられることしきりなものですから。

 バックナンバーを読み返そう、と思っているのですが、ただ読み返したまま自己満足しているのも勿体無いし、自分の中で簡単なアウトプットをしたい。そこでブログに簡単な読後感想を書こうと思いたちました。
 しかし、こちらのブログはどちらかと言えば、自分の生活の実態を反映したい。

 実は僕は現在ブログを3つ所有しています。贅沢な話ですが。一つはこのブログ。もう一つは趣味の音楽(時に音楽に絡む映画など)中心のブログ。もう一つ、社会的なことの思いを書き続けていた「夢のでこぼこブログ」というのがあるのですが、自分自身、日々の物思いはツイッターを多用することでそれらが解消されてしまい、すっかりそのブログは更新を止めていました。

 よしならば、この止まった状態のブログを利用して、ビックイシューのBN(バックナンバー)を出来るだけ負担に感じない程度で読後感想をアップしようと思い立ちました。ですので、随時そちらにビックイシューBNの感想を書いていく予定ですので、もし宜しければそちらも時折覗いて戴ければ幸いです。まあ、自分も一応は別のことで忙しくもあるので、そんなに頻繁に更新もないと思いますが。。。どうなりますやら、ですね。
「夢のでこぼこブログ」 です。

 ついでに宣伝。音楽、端的に洋楽ロックを中心にした洋楽ポップス専門のブログも開設してますので、宜しければそちらも。
「Bridge」

2012年5月23日水曜日

ことばの定義

本日、自分もボランティア的に?活動しているNPO法人から新しい会報が送られてきました。
毎回、表紙に団体の経緯と活動の概要が出ているんだけど、どうも自分としてはすっきりとしない言葉があります。それは「ひきこもり者」ということば。ひきこもりしゃ。と読むんだろうけど、こういう名詞は成立するのだろうか?なんとなく、気持ちがいいことばではない。これが「ひきこもりもの」と呼ぶとしたら、一層不快だろうなぁ。昔の芸能人が「河原者(もの)」と呼ばれた頃と同じ差別的な印象を抱くと思う。

「若年の範疇に入らない、青年期・壮年期の「ひきこもり者」に軸足を置きながら、ひきこもり者が社会に出ていった時、自信や希望を持ちながら歩めるような」

普通に読んでも、どこかおかしくないだろうか。ひきこもりしゃ、ひきこもりしゃ。
自分の中でつぶやいてみる。「ひきこもりしゃ、かぁ。。。ひきこもりしゃ、ねえ。。。」

当団体の代表自らの熱意で呼んだ昨年の芹沢俊介氏の講演シンポの時も、講演者の芹沢氏は「ひきこもり」という名詞形は使いたくない、と仰っていました。ひきこもり、という名詞形はある状態像のみを捉えた言葉にすぎないから、といった趣旨で。そして自分では「ひきこもる」「ひきこもっている」という、ヨリ動的アプローチのような側面で使いたいと仰っていた。

確かにその通りで、僕はこの種の話が出来るメンバーともよく話すんだけど、「ひきこもり」と顔に書いた人間が存在して、歩いたり食べたりしているわけじゃない。
あたりまえの人間がひきこもる、という行為を選択しているわけです。あるいは、現状はひきこもらざるを得ない人たちが増えてきているということかもしれない。

このような名詞が生まれる背景には、こう書くと身も蓋もないけど、10年来の長い歴史がある会報が当時のひきこもりに対する社会認識上の問題もあって通信タイトルもダイレクトに「ひきこもり」になっている以上、何というのかな。そのことばの流れで自然と「ひきこもり者」という表現になるのかもしれない。
そうなのかもしれないけど。でも、それがいまだに生きている、というのはなんだか違和感があるんだよねぇ。

表現の固定化であり、表現の固定化は悪くすると、あるいは慣れが進むと「評価の固定化」になっていかないだろうか?という一抹の懸念を感じます。一層恐ろしいとすれば、それを当事者というか、当事者として意識している人たちがそれをそうと受け入れてしまうこと。
それが「自分はひきこもり者だから」とネガティブな内面化のみをしてしまうとすれば、それは生産性のない思考パターンに陥ってしまう気がするんですよね。

現代社会がいろんな社会的な課題が出てきたり、あるいは多面的な切り口が必要になってきたがために、ある種の属性や分類化が必要になってきたのだろうし、課題の可視化にも役立ってきたのだろうと。その意味では理解するのだけど、いまは、いま一度、ことばの使用方法から再考すべき時にきているのかもしれない。

ひきこもり、という言葉もひと頃の偏見から逃れたとはいえ、顔を持つ当事者たちの本質を捉えにくくなっているのが事実だし、当事者自身がどこかで包括的な用語から抜け出ていく局面がある。
それを考えた場合、不思議な一般化されたことばはそろそろの改めて考えてみる時期に来ているような。そんな気がしてなりません。

2012年5月10日木曜日

ボブ・マーリー/ロックパラスト1980

ひと月余りぶりの書き込みになります。この間、基本的に落ち着いた生活をしています。(まぁ、低空飛行の安定、というべきでしょうかw)。個人的には6月末まで一応目処を立てたい勉強を続けています。今月中旬過ぎには実務的なものを手がけていく予定。

今はその過去取得した資格の復習を主に時間を割いていますが、その中でも自分の時間の中で趣味の音楽を楽しんだり。
最近は自分の中でボブ・マーリーを再度真剣に評価するモードに入っていまして。自分が持っていないベスト盤のレンタルし、今年出たマーリー特集のムック本を読み込んだり。

彼が亡くなって昨年で30年で、ボブ・マーリーのドキュメント映画が出来たようです。日本でもぜひ公開してもらいたいものです。

最近、YouTubeで発見して衝撃を受けたのが癌で亡くなる前年の6月、ドイツでのライヴを同国の貴重なテレビ番組「ロックパラスト」で収録されたボブ・マーリー&ウェイラーズのおそらくライヴ全編の映像。これが上がっていて、二日かけて観て、そのテンションの高さ、エネルギー、本気の演奏に食入いるように見入りました。

おそらくここ何十年かでも映像記録としてはベストのライヴ・パフォーマンスに属すると思います。ボブ・マーリーのライヴ・パフォーマンスはその音楽とともに、あるいはそれ以上に得難い体験との話は聞いていましたが、過去のボブ・マーリーの映像記録でもここまでの迫力のものは僕も知りませんでした。

偉大なパートナーたち、ウェイラーズのメンバーも最高です。ベース&ドラムスのカールトン&アストン・バレット兄弟、キーボードのタイロン・ダウニ、ギターのジュニア・マーヴィンに加えて、おそらくこの時期、初期のインターナショナル契約をしてからの初期のメンバー、ギターのアル・アンダーソンとキーボードのアール・リンドがバンドに戻ってこのライヴにも参加しているはずです。彼らは皆、当時の素晴らしいジャマイカのレゲエ・レコードの多くでバック・バンドを務めた偉大なセッションミュージシャンたち。
そして、すべて本国ではソロアルバムを出しているこれまた偉大な女性歌手たち、ボブ・マーリーの妻であるリタ・マーリー、そしてマーシャ・グリフィス、ジュディ・モワットの3人のスターを揃えたバックコーラスグループ、「アイ・スリー」。

この頃、すでにボブ・マーリーは皮膚がんが告知されていて、患部を切除せずその後がんが全身を転移して次の年に亡くなりますが、それを予感していたか、あるいは一度聞いたという癌の完治を信じていたか。それは分かりませんが、とにかくパワフル、エモーショナルで憑かれたような演奏ぶりと、バックの演奏のタイトで縦横無尽に流れていく自在さには本当に恐れ入ります。

1時間33分とボブ・マーリーの好きな人でも忙しくて全編を一度にじっくり見れる人は少ないかもしれません。かつ、このブログの流れにはちょっと合わないかもしれませんが、これほど感動したライヴ映像はほどんど見たことがないものですから紹介せずにはいられませんでした。このブログの久しぶりの更新挨拶として。
それにしても、動画サイトでライヴの全部が見れるのですから凄い時代です。

映像を貼りますが、出来れば直接リンク先に飛んで、ディスプレイが大きい家庭の人はぜひ大画面で見て欲しい。「ジャミング」という曲におけるカールトン・バレットのドラムスの音の重たい迫力といったら!そしておそらくライヴ映像では滅多に見ることが出来ない今や後世へ繋ぐ名曲のひとつである「リデンプション・ソング」など、聴きどころが満載です。

ドキュメント映画もぜひ日本で公開してもらいたいが、このライヴもDVDで発売してもらえないだろうか。




http://www.youtube.com/watch?v=G_0jsIpfL18&feature=related

2012年3月31日土曜日

通信ひきこもりNO.71&芹沢俊介氏講演記録


 私自身が会員として関わっているNPO法人レター・ポスト・フレンド相談ネットワークに対する助成金補助事業により、紙面刷新した通信誌年度最終の3月号です。
 表紙イラストを見てもらえば了解していただけると思いますが、実に良い雰囲気です。イラストの持つ力だけで内容に期待を持てるのは昔風に言えば、レコードジャケットのセンスがよければ、中身にも期待が持てそうだ、という話に似るかと思います。そして実際の話、私自身が関わっているのは専門家へのインタビュー採録部分ですが、他の種々の内容にかかわっている人の顔ぶれはこの助成金事業の3回分(昨年11月号、1月号、そして今回の3月号)の中でも最も多様な参加者のものとなりました。

 この表紙イラストの爽やかさにふさわしく、今回の誌面企画充実助成金事業の一応の最後は、文字通り内容として充実したものとなったのではないかと一会員としても自負していますし、振り返れば自分なりにずっと模索した「ひきこもり」という言葉に付された重たすぎる意味なり、その言葉に付随した種々の問題点なりを俯瞰し、相対化し、ある意味では脱臼させる?試みに成功できたのではないでしょうか。自分がここ3回で係わったのは専門家へのインタビュー(うちひとつは芹沢俊介氏の講演の採録)ですが、個人としてそこで学んで思ったことは、実際に編集し紙面化される前に伺った言葉や内容の全体一つひとつをリコーダーに起こしながら、自分が新たに強く意識し始めていた今まで重い形で固定化されていた「ひきこもり」ということばに付着しつづけた意味の再検討であり、その点を促すことにある程度の成功を見たのではないか、ということでした。それに加えて編集以前に伺った話の中に幾つもあった貴重なアドバイスや気づきある発言という個人的な宝も同時にありました。
 そんな納得と、学びを得るものでした。今月号の札幌学院大学准教授である村澤和多里先生のインタビューが現在のところ、僕自身の問題意識と共通する最も最新のものであり、ひきこもり問題全般に渡っても先駆的な内容になった、と自負しています。
 いつになく、思い切り自分自身を自画自賛しているわけですが、でもある程度それは客観的なものでもあろうと思っています。

 そして、表紙のイラストを手がけていらっしゃる高津さんーまだ拝見したことはありませんがーを称揚したいと改めて思います。そして高津さんを発見協力してもらい、一貫して専門家インタビューや講演録をまとめるに際しての多大な手腕を発揮した当NPO法人の副代表の実務的な力量にも改めてレスペクトするものです。

 うん、実にイカンですね。こうも堅苦しく自分たちのささやかな活動を自画自賛しては。実は、ごく卑近なところでは通信のタイトルが何とかならないかとか、活字が小さすぎて読みにくい等々の率直な声も聞いてはいます。それは私もそうだろうなと思うところです。しかし、ビックイシューだとて活字は小さいのです。このブログだとて活字は小さい(笑)。確かに読みやすさを考慮すれば、活字の多さがレイアウト的に目立つのは理解できる。しかし、そこは商業雑誌とも違うところ。今のところは関心を持つ人に「内容で判断してもらう」ことしか出来ません。そこは限界です。

 タイトルに関しては、僕自身は専門家インタビューにあるように、いずれひきこもりという言葉も解体されていくだろうと思っています。むしろ今の世の中ーつまり経済が衰退し、「斜陽化する日本」という国に現在から近未来に起きてくるであろう現象ーを考えれば特定の名称を与えられた人たちの居場所である以上に、今後よりいっそう社会の中に「生きづらさ」を基盤とする、社会の中で生きていく不安や辛さを共有する居場所というものが今後大きなニーズを占めていくだろうと想像するのです。それがいわゆるアジール(駆け込み寺のようなもの)としての機能を持つ、諸々の社会的排除を受けた人たちの結構大きな、あえていうならば雑多な人たちの居場所が必要とされる時が来るのではなかろうか、などと。。。
 
 実は、昨年の『ひきこもり支援ハンドブック』取材の初期から僕には別の下心、あえていうなら別の動機が生まれていました。それは取材の早期に中年世代の就労支援をしている都道府県の委託機関のことでしたが、そこを取材した時点で、この社会の(古風に言うならば)「下部構造」で何か起きている、それは結果として結構な数の人たちが「ひきこもらざるを得ない」現象を生んでいる。その状況を知ることが出来るかもしれない、というものでした。

 その問題意識でひきこもりの人たちの社会的居場所を取材するのを目的としつつも、一方で僕の内面では経済状況と人びとの相関的なありようについて考えてもいたのでした。そしてその昇華された試みのひとつが、「釧路市生活福祉事務所」の取材で得たものでした。経済困難に伴う社会的排除のありようを官民一体で克服する試み。そしてそれは今までの理念を持ち替える勇気を含めた試みだと思えるもので、「これはひきこもりの問題にもパラレルに捉えられる」と思ったのでした。そこで聞いた循環型福祉の思想、してあげる・してもらうという関係性からの脱却のみならず、その関係性の相互的な入れ替え。「上から目線からの脱却」ー少なくともその問いを常にワーカー自身の側から自己へ続けていくことなどの哲学に徹することなど。
 これらの話は巷に氾濫する「ひきこもり支援者問題」にも密かに切り込むポジティヴな試行ではないかと僕は思ったのでした。

 あれから1年半余り。あの時の釧路で聞いたときの心のときめき、ここに具体的に見えた希望のある話から、いま、進歩をしながら、かなり先へと来た印象を感じています。例えばひきこもり名人・勝山実さんの「安心ひきこもりライフ」や昨年のノンフイクションベストセラー・大野更紗さんの「困ってるひと」、いきづらさ研究を試みる大阪のフリースペース、コムニタス・フォロの主催者、山下耕平さんの「迷子の時代を生き抜くために」、そして芹沢俊介さんの名著「引きこもるという情熱」や「存在論的ひきこもり」等々。大枠で、乱暴に言ってしまえば『社会的ひきこもり』を中心にした論調は遠景へと引いた感じがします。少なくとも僕の中での思いはそこまできてしまったと思っています。
 今風にいえば、当事者主体とか、当事者主権という言葉になるのでしょうか。

 「ただ」、というか、「もちろん」というべきか、ひきこもりの人の固有の個性はあって、その問題のフォローは断然、大切なものです。そこには今までの通信誌取材でも聞いてきたとおり、苦しい時は医療的なカウンセリングがやはり必要だと思いますし、ひきこもりの人たちに一般的・固有な問題として共通してある悩みの体験を語り合えるゆるやかで落ち着きのある、そして安全な居場所は断然必要です。

 いわば、僕のこの長々しい文章の焦点であり、この点がすでに状況が変わっているのではないですか、と伝えたいのはもはや支援者の目線の変化が求められる「とば口」まで来ているよ、ということかもしれません。
 その意味で、「ひきこもり」という言葉は解体されるときが遠からず来ますよという認識を頭の片隅に持っておきませんか、という思いがあるわけです。それは対抗的な物言いではなく、この通信の表紙のように爽やかに、あえていうなら、出来るだけポップに行けませんか、そういう認識に立てませんか、ということですね。
 僕は自分自身「ひきこもり」という問題に特化して考えてきたのはこの3年程度ですので、分かったふうなことは言えませんが、おそらく今まであまりにも重いブルースが強調され過ぎてきたのではないでしょうか?

 でも今やある意味、多くの人たちが平場に立っている状況にあるともいえるわけで、その意味ではひきこもり気質の僕たちは世の中がこれ以上のサバイバル合戦の様相が止まらず加速するなら一層大変なわけですし、別の意味での生きていく上での難しさに立っているのかもしれない。
 ですから「大変だ、そこに入れない僕らはバスに乗り遅れてる」などという発想はさすがに古くなったと見極めたうえで、でも「さてどうしようか。まずはお互い苦労しますね、ご同輩」というところから行きたいものですね。

 等等、長文失礼いたしました。

 本文が過剰に長くなったため、昨年11月に行われた芹沢俊介さんの講演と元当事者たちを招いたシンポジウムの集録の紹介が書く面がなくなりました。一言だけ。芹沢氏の話はとてもラディカルです。ラディカルでかつ極めて論理的でもあります。
 ここまでラディカルであることを支援者たちを中心にどう受け止めるのかということもあえて乱暴な想像をすれば気になるところでもあります。

頒布物受領の方法については、下記リンク先にて。
「ひきこもり理解啓発セミナー集録」

2012年3月23日金曜日

熊野旅行記

久しぶりの書き込みです。

この3月19日から3泊4日にて和歌山県熊野地方の熊野古道を歩いてきました。
中世より由緒ある中辺路歩きです。
今回はツイッターを通して知り合った地元にお住まいのarahikiさんによる全面的な古道歩きお付き合い、3泊4日の宿泊提供とお食事、そして各種のお付き合い、車での白浜温泉や新宮、地元の歴史的な場所へ連れてくれたりなど、本当に何かと良くしてくれました。ネットで興味や関心、人柄などはおおむね相互に理解があったと思いますが、ここまでしていただいたのは本当にありがたく、ネットをやっていて、こういう素敵なことがあるんだな、としみじみ思った次第。

14年ほど前にも歩いているのですが、その後世界遺産となったこともあり、少々、世界遺産化に伴う変化が気になったりしたのですが、思った以上に変化がなく、もちろん中世・近代の「蟻の熊の詣」みたいなことまではないとは思いつつも、少しは人の歩く姿も目立っているかも、と心中、気をもんだりもしたのですが。幸い?歩いている人もほとんどなく、静かな自然のそれなりに険しい道は変わらないままでほっとしました。
むしろ二日目の近露というところから熊野本宮大社にかけて、あるいは中辺路古道の入口である滝尻あたりの、昨年9月の台風の爪痕がかなり痕跡を残していました。
初日の古道の入口からは、台風の爪あとは見えなかったのですが。。。

ひとり旅でなかったこともあるか、今回の古道歩きで膝が笑うようなことがあるかとの不安は特になく。ただ、むしろ古道の山歩きは下りのほうが辛い。普通の山歩きもそうでしょうが、帰宅して落ち着いたあとは、足のつま先が痛くなりましたね。靴擦れもできていた。
旅はarahikiさんと各所にある王子の解説などを読みながら、彼から地元の歴史や言い伝え等を聞きながら種々、二人の関心事項やその他を語り合いながらの気のおけない旅。
これもまた自然で良かった。

北海道民の開拓者の末裔の現代っ子(?)として生まれた自分には熊野のような歴史が重層的にあり、複層的な場所は本当に興味が尽きないのです。
日本の歴史の表舞台とは別の、非常に大事な裏舞台としてのヒントに満ちた場所のような気がしますし。(これは歴史を持たない旅人の勝手な思い込みかもしれません)。

近代においては大逆事件で事件の概要を知らずに連座を強いられた、いわゆる「新宮グループ」もあり、古代においては「隠国(こもりく)」と呼ばれた神話におけるイザナミノミコトがおこもりになった地でもあります。
そして現代において物語文学や、近代を超える文学を目指したこれまた重層的/複合的な生い立ちを自覚的に自ら背負った作家、中上健次を新宮市に生んだ土地です。
霊域と聖域。聖と俗が複雑に織り成す地を旅して来れたんじゃないかと勝手なロマンに浸ってきました。

最終日は作家、中上健次の生原稿のコピーを新宮市立図書館の資料室で見せてもらったり、もろもろ中上に関する貴重な話を資料室の人に伺うことが出来ました。事前に連絡していてくれ、適切に話を引き出してくれたarahikiさんには改めて感謝。
海のそばの露天に連れてくれた白浜温泉・崎の湯、説経節で有名な小栗判官が蘇生した峰の湯温泉、そんな事前の想像を越える場に連れてくれたり、旅の醍醐味を存分に味わせてくださった。
しかも経済的に。

旅で感じたこと、感じて思ったこと、それを文章化するのは今の時点で難しいです。
今後、この旅で感じたことは別の形で文章表現化されるかもしれません。
考えてみれば、今までもそういうものだったのかもしれない、と思っています。
一度に書ききる才能と体力がないんだなw。

最後に夜、あんなに綺麗な星空を見たことはまず記憶にもそうないと思う。
陳腐な表現ですが、結果的に癒しも含めた旅だったな、と思います。

以下、写真ですが、とりあえずまとめてアップします。写真の説明はおいおい書き加えていきたいと思っています。素人写真で申し訳ない。また、写真の拡張子の関係で携帯写真をUPしていますが、携帯のバッテリーがなくなってしまい、3日目以降の写真があげられません。ご容赦を。


























2012年2月15日水曜日

エジプシャン・レゲエ

いやあ、久しぶりです。
 久しぶりなので、書こうとすればいろいろありそうですが、どれも今のところ特別な意味はないし、面白くもないでしょうし。骨休めでこんな曲と映像を。ジョナサン・リッチマン&ざ・モダンラヴァーズの「エジプシャン・レゲエ」という曲です。とってもファニーね。

2012年1月23日月曜日

検定試験の一つが終わり。

昨日ファイナンシャルプランナー3級試験が終わりました。
 試験に向けた準備不足は否めませんでした。
 仮にまぐれで合格しても、納得はいかないでしょう。
 前にも書きましたが、試験範囲が広すぎました。不動産から金融資産、社会保険や民間保険、相続や所得税。
 基本的に個人資産の保全に関する制度上のメリットを学ぶ試験ですから、あえて共通項をいうならば、6つの分野に及ぶ試験の共通点として税の控除に関するシステムが多くに絡んでいたとはいえるでしょうか。
 個人的に金融と民間保険以外は気になる範囲ではあったのですが、仮に税の控除システムならば、なぜそのようなシステムが構築されたのかが分からぬまま、ただ税額控除の計算だけを暗記するとか、利ざやの計算ですとか、丸暗記の方法はやはり自分にはなじまぬものでした。

 これから2月26日の日商簿記試験2級に向けて勉強の続きをしますが、残っている工業簿記はまだ半分。残り半分の板書資料をプリントしましたが、自分が知っている範囲の工業簿記を遥かに超えているイメージが浮かびます。簿記、特に工業簿記はかなり構造的な作りで先生の説明も原理的で私はその方がフイットしますが(歳のせいでしょうね)、それでも、資料を見ていると難解に見える。超順調に考えると今月いっぱいで一通り終えられる計算ですが、それはまず無理。2月のどの辺までひっぱってしまうかですかね。

 今日は久しぶりに完全に勉強から離れ、DVDで映画を見ていました。スペインの監督、ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』。この監督の作品は先にNHKBSプレミアムで再上映された『エル・スール』や、スペインのリアリズム絵画の大家、アントニオ・ロペスのマルメロの木を描く日々を淡々とドキュメンタリー的に描く『マルメロの陽光』。寡作を強いられている監督で、この3作しか基本に長編はありませんが、どれもえも言われない絵画的・詩的な名作で、説明の世界を超える映画と現実のあわいを見事に捉える本当に素晴らしい作家です。

 『ミツバチのささやき』も幼女とも言える少女の大きな目の美しいまなざしに魅了されるだけで価値を感じますが、良く考えてみればある種奇妙な作品であるとも言えます。だがぼくはこの作品を見ると何だか自分のこころが浄化される気がするのです。その意味では、少々変わっている人間なのかもしれませんが。

 ビクトル・エリセというこのスペインの監督の作品は映像美の向こうに実はスペイン内戦の時代やフランコ将軍の独裁時代など、スペインの抑圧された歴史が背景にあるのですが、そのような背景を知らないでも、映像の中にある深い部分やおそらく映画が持っている映像美のマジック、それはかなり古典的な方法を突き詰めた美しさだと思うのですが、そのようなマジックを見せることが出来る現代では稀有な作家なのではないでしょうか。

 彼の映画を見ると描く世界は日常の淡々とした描写が多いのですが、そこに一つ一つの物に対する人の扱いの丁寧さが素晴らしい。例えば『マルメロの陽光』では画家、アントニオ・ロペスがたわわに実ったマルメロがもうその重さで地に落ちようとする寸前のものを一つ。柔らかにもぎとり、その匂いを嗅ぐシーンとか、長編一作目の『ミツバチのささやき』にも一貫して物(対象物)とそれを扱う人の丁寧な手つきにとりあえず見ているぼくなどはほとほと感心してしまいます。
 いかにも、自分が日々、ものをかき集めては乱暴に扱っているか自覚しているので。。。食べ物を食べる行為も含めてですけれども。

 日々沢山の情報に接せられる時代。僕もその方法論を思い切り享受していますが、ビクトル・エリセ監督の作品と向き合う時間は心から集中して堪能できる本当に濃密な時間です。それ自体、自分にとって大げさに云えば奇跡的な感じです。

 いま、エリセ監督の作品は残念ながらレンタルで借りて見ることは出来ない。DVDのボックスセットでしか見ることはできません。そのうえ、『マルメロの陽光』に至っては、DVD化さえもされていません。ボックスセットで監督がインタビューに答えていますが、確かに映画を見る手法がどこか現代では変わっているのかもしれません。エリセ監督の意思を継ぐ監督の作品が生まれ、それを見る新しい映画ファンが生まれる状況があればいいなぁと思います。
 もちろん、それは沢山の違った手法の映画と等価で存在することが理想だということです。

2012年1月19日木曜日

白いソウルも黒いソウルも本物のソウル。

 タイトル、語弊がありますけれども。。。
 白人のいわばソウルマンといえば、ヴァン・モリソンが代表的なそのひとり。アイルランド出身で、アイリッシュの魂も織り込み、黒人音楽にも深い憧憬を持ついわばアイルランドの至宝の60年代ビート・ミュージック界から飛び出したソウルマンです。ビートルズのデビューのころと彼のデビューはそれほど変わりません。もともとは、ザ・ゼムというアイルランドのブルースの影響を受けた「黒い」ビートバンドのリーダーでした。

 ヴァン・モリソンはキャリアの長さの割に巷間伝わるように、なかなか頑固一徹な人柄で、YOU TUBEにも映像があがってきませんでした。あがってもすぐ消されるありさま。ですが、最近は割とゆるくなったようで、若いバリバリの頃の素晴らしいライヴ映像があります。
 ベテランになって演奏には時々ムラが見られますが、この演奏は「神がかり」です。この「レイター・オブ・ジュールズ」(日本では「ジュールズ倶楽部」のタイトルでCSでしばらく放送されてきました)での演奏は、まさに神憑り。ファッションはマフィアのドンみたいですけれどもw。

 僕はこの演奏に映像で出会ったとき、どれだけ震えたことか。全体の演奏のテンションが緩やかながら非常に高いのですが、特に間奏のギターを奏でるミック・グリーン(伝説のギタリストです)にも震えがきます。

 この映像は長いこと消えていたのですが、白みがかった映像で再び登場。すでに10万回以上のアクセスあり。やっぱりね。
 丁度この映像に出会ったころ、親父がちょっと危なかったもので、もとに戻って退院した頃に見て感動した記憶があるので、より一層思いれがあるのかもしれません。僕にとって癒しの音楽はこれですよ。



 もうひとつ、こちらは本物のソウル。グラディス・ナイト&ザ・ピップス。「ミッドナイト・トレイン・イン・ジョージア」で有名ですが、何しろ、このグラディス・ナイトという歌姫の歌、間合いこそ。本物のソウルというもの。確かにアリシア・キーズやエイミー・ワインハウスもいいのだが。。。より元祖を聴くべし。映像も宜しく、しばらくぶりに彼女たちの音楽を聞いて酔いしれました。「ミッドナイト~」を含む、2曲をどうぞ堪能あれ。



 何か唐突に洋楽ブログなんですが。。。要は、勉強からの逃避なんですよ(苦笑)。たはは。今週の日曜日にファイナンシャル・プランナー3級の検定試験なんですが、あまりにも学ぶ(暗記?)範囲が広くて難渋中なので。ちょいとばかり息抜き。それを本質的に人は逃げとも言う、と(*^_^*)
 

2012年1月1日日曜日

2011年を振り返る(Ust)

 実際は2012年になってしまいましたが収録は2011年の午後9時40分頃からです。
それなりに思いを率直に語ったつもりです。訥弁、変なイントネーション、長広舌。大変失礼なのですが、宜しければご覧くださいませ。約1時間半のモノローグです。今までで一番真剣に話したつもりです。