2010年2月22日月曜日

相談員から学ぶ(1)

※本日のブログは今日ハローワークから帰宅後に書いた日記をそのまま転記したものです。長文で読みにくいです。お好みの方のみお読みください。

 8時半過ぎにハローワークの職業訓練相談課。いつもお世話になっている職員さんと面談。私が何となく感じていた基金訓練は現に生活に困っている「第2のセーフティネット」(生活支援資金貸し付けなど)に該当している人が主な対象なのではないか?という思いはまさにその通り、とのこと。
 実は国が進めているこの第二のセーフティネット。まさに生活保護に転落させないための制度らしい。文字通り湯浅誠さんが派遣村騒動の中で構想した制度の具現化というわけだ。3月以降の訓練校のチラシをもらったが、それは何と11校にも及ぶ。そしてそのほぼ9割がたがパソコンの基本スキル、ワード&エクセルの勉強だ。

 そこからすでにうかがい知れる。高度専門的な訓練はない。自分自身の腹くれない思いとして「云ってはなんですが、3ヶ月こちら側の生活保障でのとりあえずの勉強期間の気がします」という言葉を受けて、まさにということで答えの一つが上記の「生活保護に転落させないための(あるいは生活保護に縛られないための)システム」という話であった。もう一つ相談員の着眼の鋭さを感じたのは相談を受けていて「労働者(及び失業者)側にも感じる受身性」という話であった。すなわち、職業訓練を受講している間は何かちゃんとやっている気がする。でも終わってみれば仕事がない。そこが「待ち」の姿勢なのではないか?と。与えられるものを受身で待っているということ。(これは困っている人への批判ではない。僕はそう受け止めた。むしろ僕との長い付き合い的な話し合いの中で、結構職業観や僕のキャラクターを知った上での本音トークだと思った)
 彼は学校教育から日本は問題があるんじゃないか?とこの仕事をしながらしみじみ思うようになった、と前から云っている人であるから。

 彼は云う。勉強をやっている間は何か「やっている感」はある。だけどそれがその後の「就職をする」感と結びついているように思えない、と。僕は自分自身の経験に照らしてこう答えた。「確かにその通りだと思います。自分がそうですし。勉強はインプットだからアウトプットの場がないと気持ちが余り良くない。確かに検定とか受けて合格すれば達成感はあるけれど、学校を出ても仕事を見付からなければ、何だ?と」
 「だから、単純なことなんですよ。みんながやることをやる。やれば何とかなると思うけれど、結局みながやっていることなのですから。そこで仕事がないとか生かせない資格だと云っても選んでいるのは自分ですから。みながやっている、ということはみなが駄目になれば同じように駄目な状況になるわけですし。そしてみなが考えている仕事をしていればいい、というのはみなが駄目になれば駄目になる。極めて簡単なことなんです」

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