2010年8月31日火曜日

NPOの質を問う-別刊朝日新聞(4月23日分)

NPOの質を問う (10分)

≪ゲスト≫
工藤泰志(言論NPO代表)
田中弥生(独立行政法人・大学評価・学位授与機構准教授)

≪司会≫
坪井ゆづる(朝日新聞編集委員)

鳩山政権は、参議院選挙マニフェストのたたき台に
「新しい公共」の概念を加えました。

「官が独占してきた領域を公に開き、
新しい公共の担い手を拡大する」とし、
NPOなどの役割拡大に期待を示しています。
しかし、行政の下請け化が進むといわれるNPOが、
「新しい公共」の担い手になることはできるのでしょうか。
そこで、今回は、NPOの現状と問題点、
またこれからのNPOのあり方について
「エクセレントNPO」を提唱し、改革を訴える工藤氏と
日本や諸外国のNPOの支援、研究を行っているの田中氏と考えます。
(Yahooビデオの解説よりコピー)

2010年8月30日月曜日

支援試論

 斉藤環の「社会的ひきこもり」(PHP新書)のような本は10年経って状況が多少変わっている面があるとはいえ、基礎概論としては良く出来た本だと思う。思うけれども、微妙な違和感が残るのも事実だ。医療的アプローチ、福祉的アプローチ等々あるだろうが、常に突き詰めると出てくる問題は、人間が人間を「かのように」切り取ることが出来るか、ということだ。人が人を客体のように扱えるか。というきわめてセンシティヴな問題である。ここは本当にデリケートなことで、一歩間違えるとパターナリズム(父権主義・温情主義)に陥ったり、研究者が客体として当事者たちを観察する、という罠に陥ってしまう。「支援者」と呼ばれている人が「仮に」自分の善意をほとんど疑っていないとすれば尚更危ない。

 そのような次第で、支援者は常に、自己のアプローチが相手方にどういう影響を与えているのかについての絶えざる検証が必要となるし、ヨリ以上に大事なのは支援している主体としての自分自身を疑ってみる作業であろう。自己が行っている支援の意味・譲れぬ思いを基盤に持ちながらも、自己の視点を離れたところで自分自身が、何らかの意味で「揺れて」いなければいけないのではないか、と私は思う。

 磐石として揺るがぬ支援者ほど怖いものはない。そのように思う。

 仮にひきこもりという定義があり、研究し、追求してもひきこもりから脱出した人たちが生きる社会がすでに半分病んでいるというケースもありうる。率直に言えば、ひきこもりから脱出しても仕事を探す段階において、すでに社会がその人を「浦島太郎」扱いすることで状況から抜け出せなくなっている、というケースも考えられよう。

 そのような際、医療や福祉の支援のアプローチはまた別の観点を持たねばならないだろう。医療者や研究者、支援者等がひきこもりは「弱い人たち」「手を差し伸べねば動かない人たち」と一般化して考えているかどうか。実際にはわからない。そこにもこころ医者、PSW,カウンセラー、NPO支援者うんぬん、うんぬんと一般化された名称として手を差し伸べる人たちが登場するわけだが、その人たちの心情の中にも考え方に濃淡があるはずである。それは他の支援が必要な人たちの種別(この表現も良くないが)の世界にもあるはずである。

 かくして、あらためて、人は人を客体として扱えない、というきわめて困難な、そして人間の本質に係わる問題が立ち表れる。そして時により、知らず知らず人が人を客体として扱いかねないのが、現代における「エンパワーメント」云々で表現されるカウンター的な真っ当な対抗(抵抗?)概念が現れる素地でもある。

 そして率直に言えば、当事者が「エンパワーメント」を高める、というのも言葉で言うのは簡単だが、現実にはそのような意識と結果が短兵急に立ち現れないのも事実だろう。しかし、やはりこういわねばならない。当事者はそこで折れてはならないと。

 支援する立場の強さについ繊細さを忘れ、研究者的アプローチやパターナリズムアプローチに陥り、そしてそのような支援の枠組みに追随するよりは、ささやかでも抵抗の表現をするほうが健全であろう。
 しかし、当事者はその「ノン」の姿勢を示すのが怖いのも確かだ。そこで支援者の援助の暖かさが冷えた関係に変質するのではないか?と不安になるからである。

 医療的アプローチにせよ、NPO的な世界にせよ、その世界観の中に一筋にハマルのはどうやらある種のドツボに陥る危険性もありそうだ。それゆえに、関係性の固定化の結果から生ずる長く引きずる葛藤の罠に陥らないためには、支援者・被支援者の関係性の果てに結果として生じてしまった上下関係を浄化するために、被支援者のつらい自己表現と、それを誤解して受け止めた場合の支援者との関係を調整するための「第三者」が必要となるのではないか。最近そのことを良く考えている。

 いずれにせよ、人間と人間の関係だ。どのように知的で精神的に健全な人間であっても、自分のアプローチを検証されきれないという事態はあるだろう。
 繰り返しになるが、肉体面はある程度ありえるかもしれないが、心理面に配慮せねばならない援助と被援助の関係において、援助者は相手の人を客体と見ることはできない。その点は絶対である。

2010年8月26日木曜日

北海道NPO情報最新号

北海道NPO情報最新号(PDFです)

自分のポイントは「【札幌開催】の就労・スキルアップコース(福祉コース)」だったり(^_^;)

本日は「反貧困ネット北海道」の学習会に参加してきます。

2010年8月22日日曜日

ゲストをお招きしてユーストリーム実験

 今回は映像配信実験としてツイッターのフォローさせてもらっており、友人でもあるハイロウさんをお招きしてライヴ動画配信サイト「ユーストリーム」の配信実験をしてみました。ライブでも配信しましたが、録画もしておりますので以下からクリックして宜しかったらご覧下さい。(109分とやや長尺ですが)。

USTREAM 録画

 ハイロウさんのブログでご自身が「まだまだ」という感じで書かれておりますが、どうしてどうして、今回は私のほうが自分自身に対して課題を多く実感しました。ありがたいことに、今回はハイロウさんの友人がライブ中継にチャット参加されたこともあり、やはり、いまこの場での喋りが「届いている」「配信されている」ということが初めての体験で冷静さを少し失ってしまったのではないかと思います。視聴してくれていることのあり難さの中に埋没してしまったのは聞き手、語り手としてはまだ、「なっていなかった」な、と思います。改めて聴きなおしてハイロウさんの伝えたかった点をその場でちゃんと受け止めていなかった部分も発見しました。
 今後の反省点です。申し訳なかったです。

 そしてハイロウさんが準備されている状態ほど、自分が配信に際して準備していなかったのだな、ということも録画を聞き返して実感したことでした。

 自分のことばかりは止めましょう。
 ハイロウさんのネットメディアのかかわり、ipadを実際お持ちいただいての使い勝手とこの作品の出来るまでの過程、ツイッターやブログの役割などの話を聴きながら、いかにハイロウさんという方がソーシャルメディア等々に意識的に係わっているかが分かり、大変勉強になりました。(これは配信した以外の雑談の中でもいつも教わることです)。

 それだけ意識的に係わっておられる方だけに、今後このようなメディアをどう活用していけるのか、逆にその限界はどこか、等々アドバイスやインスピレーションは受ける機会を今後もいただければ、と思っています。

 ぜひハイロウさんには今後もこのような形で協力をいただければと思いますし、良ければ他にもこのようなネット配信等に係わってみたいという人があれば大歓迎でございます。この1年くらいの間にリアルに意味ある出会いも増えましたし、別の角度からも学ばせていただいている人からそれを「配信していく」というチョイスが一つ生まれたともいえると思います。そのようなフォーマットが面白いという方があればお付き合いいただけると嬉しいです。

 すると今後、私もかたちを二つきちんと考えたほうがいいかもしれません。ちゃんと「聴く」という流れと、あくまでも「雑談」という流れと。長い目で見て、その両方が出来たら理想的ですね。夢のような展開といえるかと思います。
 

2010年8月19日木曜日

宮本太郎 『生活保障』書評



 この1月にNHKニュースのシリーズ「無縁社会」ドキュメントの中でSANGOの会も紹介されたが、そのプリ取材の際、記者から聞いた話で印象に残るものがあった。一つは政策的な支援を持たない35歳以上のひこもり者が相当数潜在しているのではないかということと、職場を離れざるを得なくなった40歳過ぎの人たちが居場所を持たず、再就職先を得られぬまま相当数ひきこもりを余儀なくされているらしいということ。社会的な体裁を重んじる世間の傾向に抗いがたく、中長期に渡るひきこもりの人たちと同様に手段を持たぬまま呆然とひきこもりに至ってしまった人たちが同列に浮かび上がる。そんなイメージを持った。その取材の成果が「無縁社会」というキーワードのシリーズの一環となったのは個人的にはいささか暗いイメージとなってしまったなと思いもしたのだが、最近の100歳以上の所在不明者の「消えた高齢者」問題の出現により、まさに「無縁」のキーワードは時代と完全にリンクし、どの現役世代の未来展望をも考え合わせると、今や誰にとってもこのキーワードを無視できなくなった感がある。

 さて、本書・宮本太郎氏の『生活保障』である。サブタイトルの「排除しない社会へ」という言葉に込められた思いがこの社会福祉政策学者の時代の渦中の中における祈りのように響く。今までのやり方では通用しなくなった戦後社会保障政策の沿革を述べた上で、新たな時代の社会保障政策について特にヨーロッパ、北欧の社会保障政策などを紹介しながら格差社会に苦しむ普通の日本人へ向けた渾身の書となっている。
 この本の特徴は『生活保障』という古風ながらも耳新しい用語を使うことにより、仕事で収入を得る、いわゆる「現役世代」の福祉に焦点を絞っているところが画期的である。かつて新書などにおける福祉啓蒙書はおおむね高齢者福祉の論点(医療、年金、介護等)が中心であった。しかし特に今世紀に入って明瞭化してきた企業経営の転換に伴う労働環境激変の結果、労働形態の変化や失業により生じた格差や貧困、医療や年金などの企業内福祉からこぼれ落ちる非正規労働者の問題などを踏まえて、”失業者対策”や”就業訓練”についてなど、「雇用の保障」について真正面からきめ細かくかつ総合的な論考がなされた政策提言となる新書は、待ち望まれながら意外にも今までの日本からは登場しなかったものである。つまり、それだけ雇用と労働の問題はシリアスな局面にあるといえよう。

 産業の変化と労働形態の多様化で働く人たちの分離が例え進んだとしても、人が人として生き生きと存在し、過剰労働にあえぐことなく適切に働いて生きていくことは、今までのシステムが通用しなくなっても当たり前の人間としての権利のはずであり、宮本氏はその”当たり前の再構築”に真剣な論考を深める。人は人生において何らかの過剰なストレスや人間関係において「心の弱まり」に陥ることがある。そのような条件に陥った際においても雇用や生活の保障、人の居場所ありようを考えていく。その際のキーワードは社会からの排除ではなく、社会が人を包み込んでいく「社会的包摂」の概念である。この本のもっとも惹きこまれるところはこのような概念を抽象論で落とし込むことなく、この社会での現実適用を真剣に考えている点にある。難しく絡まってしまった糸を丹念にほどいて行くような筆致が、この本全体を貫き、読む者に著者の誠実さと真剣味を感じさせる。

 私も社会問題や社会的事業等に関するシンポなどに参加するとすでにこの本をベースに各種の課題が考えられているなと思うことが多い。しかし、その個別の問題も現実の壁に阻まれおり、現状ではなかなか難しい状況にあるのが分かる。同時にこの本に描かれる方向性が道筋だというのも社会保障研究者や政治学者たちのベーシックなコンセンサスになりつつあるようにも思う。
 阪神大震災の折に発揮されたボランタリー精神のように他人に対する思いが篤い日本人が、政治や行政が間にはいるや途端に相互不信に陥ると宮本氏は論じているが、消費税導入論議も政治の側におけるお粗末な結果となったのは実にむなしく、氏の論考を証明している。

 「社会の風景が変わる」ことをわれわれ日本人が本気で望んでいるのかということも考える余地が大いに必要だし、「格差」は経済の格差のみならず「問題意識の格差」でもあるのだな、としみじみ思う。しかし繰り返しても良い。この本で書かれた宮本氏の思索と政策提言は当面、全く古くはならないはずだ。多少専門的で読みづらいところもあるかもしれないが、現代日本社会保障論の古典的テキストがここに新たに一冊生まれた。これは請け負っていいと思っている。

PS.
 一度内閣参与の職を辞した湯浅誠氏が参与職に復帰し、失業者のパーソナル・サポートのシステム構築アドバイサーとして働いているはずであるが、その後の進捗状況は分からない。ただ、パーソナル・サポートも現状では貧困に陥る状況を押し留めるサポーターの印象があり、本書で宮本氏が強調するアクティベーション(積極的就業支援)の理想からは少し遠いかもしれない。しかし、方向性は同様のものであり、今後このシステムがより洗練強化される状況を望む者であるが、現政権の休眠状態(情報が前内閣に比べても著しく届かなくなってきた)を見ると、そのポジティヴな動きの第一歩も危うく感じてしまうのが個人的には危惧の念を持つところである。

2010年8月16日月曜日

自分用メモ 今後のシンポジウム、勉強会等。

■8月26日(木) 18時30分より:反貧困ネット北海道 連続学習会【8月学習会】会場 札幌市教育文化会館301号室
◎テーマ「精神障害と貧困」講師 鈴木浩子さん(植苗病院PSW、日本精神保健福祉士協会理事)
参加費 500円 
http://www015.upp.so-net.ne.jp/hanhinkondo/

■8月23日(月)~28日(土)
札幌学院大学経営学部公開講座 「ソーシャルビジネスが社会を変える」
開催日時 8月23日(月)~ 8月28日(土) 連続6日間
9時10分~12時20分 D301教室
コーディネーター:河西邦人(経営学部教授)
無料。事前申込不要。

8/23(月)→ねおす専務理事・宮本さん「社会的起業な生き方」
24(火)→グリーンファンド事務局長・鈴木さん「エネルギービジネスの経営戦力」
25(水)→ビズカフェ石井さん「社会を変える!を仕事にするには?」
26(木)→元NPO法人さっぽろチャレンジド・現札幌市市民活動推進課長・加納さん「ソーシャルビジネスで成功したいあなたへ!」
27(金)→北海道NPOサポートセンター小林さん「社会起業家稼業30年と北海道NPOサポートセンター」
28(土)→地域生活支援ネットワークサロン事務局顧問・日置さん「地域の課題を宝に
http://www.sgu.ac.jp/news/j09tjo0000001gcn-att/j09tjo0000001glh.pdf

■9月3日(金) 北星大学 社会福祉夏季セミナー「現代のわが国における生活保障のあり方とその課題」
受講料:2,000円(学園生:1,000円) 申込:8月20日まで。
http://www.hokusei.ac.jp/research/lifelong_learning/seminer01.html
9:50 開会式
10:00 【基調講演 I】『社会福祉の生活保障機能を考える』宮本 太郎 氏(北海道大学 大学院 教授)
11:15 質疑応答   司会/杉岡 直人(北星学園大学 社会福祉学部)
11:45 昼食・休憩
13:00 【パネルディスカッション】『生活保障から見る実践現場の課題』
司会/佐橋 克彦、伊藤新一郎(北星学園大学 社会福祉学部)
(1)『就労・雇用の観点から見る生活保障』重泉 敏聖 氏(就業・生活応援プラザとねっと センター長)
(2)『医療サービスの観点から見る生活保障』星野 由利子 氏(札幌麻生脳神経外科病院 医療生活相談室長)
(3)『介護サービスの観点から見る生活保障』芦崎 祐公 氏(特別養護老人ホーム青葉のまち 相談支援課長)
15:20 休憩
15:35 【コメント+総括討論】コメンテーター宮本 太郎 氏(北海道大学 大学院 教授)都築 光一 氏(岩手県立大学 社会福祉学部 准教授)
16:15 終了

■9月4日(土)  14時半:【ビッグイシュー札幌販売3周年記念講演会・シンポジウム】北大学術交流会館にて
講師:ビッグイシュー日本 佐野章二代表 コーディネーター:北大 中島岳志准教授 入場無料・事前予約不要
http://www.bigissue.jp/news_kakudai04.html

■9月18日(土)14時 【堤未果・むのたけじ札幌講演会】
-現代の「豊かさ」と「その裏側」を考える-
会場:共済ホール 参加費 1,000円
主催 堤未果・むのたけじ札幌講演会実行委員会事務局 医療九条の会北海道(011)758-4585
http://iryo9jyo.dosanko.org/

などなど。なかなか興味深い内容。全て参加するのは難しいですが、出来る範囲で極力参加したいと思っています。特に、堤未果&むのたけじ氏の講演会は見てみたいものです。「むのたけじ」さんという名前はほとんど伝説化してますからね。失礼ながらまだご存命だとは思わなかったです。これを機会として逃すわけには。堤さんも同様です。なかなか北海道に来られることは無いでしょうし。

2010年8月10日火曜日

グダグダUst実験。

 今流行り?つつあるかにみえるユーストリームを録画実験してみました。内容はグダグダ、歯切れ悪い喋りですが、おヒマな方は視聴してちょ。



social janitress 08/09/10

(PS.つまらないよ。眠くなる。途中から生意気そうだし。42分グダグダ)

「新しい公共」シンポ感想?

(こちらは本格的にボロボロ。約15分。”やっつけ”です、申し訳ない!)

2010年8月8日日曜日

一次産業に関する矛盾

 昨日は夜遅い時間から間歇的に鉄砲雨のような激しい雨がありました。間隙を縫って友人宅から傘を差しながら自転車で帰ってきたのですが、花火大会のように光るわ、雷音が割と近くで鳴り響くわ、雨が滝のようにふるわで大変。

 この2~3日猛暑でしたからねぇ。その反動はあったと思います。今日も雨がひと時激しく降ったし、今はまた結構気温が高い。

 そのおかげか、今年はおコメの出来が大変良いらしく、北海道は全国でも最高とのこと。豊作は喜ばしいはずですが、新聞記事は決まったようにすぐ「不作だった昨年から一転、豊作の今年は米価下落が心配」と続きます。
 素人からすれば、本来作物がその年良く出来たなら喜ばしい話。豊作踊りでもして道民みんなでお祝いすべき話ですw。しかしそうはならないのだな。江戸時代じゃないからね。市場経済は余るぐらい米が出来たら市場価格は安くなるという論理。
 
 素朴になんかおかしくありませんかね?普通に会社だったら業績が上がってボーナスだ、ベースアップだ、ってなる話でしょうに。みんなでお祝いして新米を大いに食するべきでしょうに。

 同日の夕刊には秋刀魚が道東沖に来なくなり、漁民の人たちが大変だとの話あり。明暗のコントラストなのに、どちらも困る構図のストーリーになっています。農民も漁民も。

 「これからの日本は一次産業」「北海道は日本の食糧基地」などとおだて上げてもこういう社会構図では結局どうしても夢を描けない、という話になります。
 もしも一次産業が大事、北海道を食糧基地にしたいと思うなら、見合った今までに無い政策を立てる必要がありましょう。市場任せにするのではなく。

 サブプライム問題が起きる前、物凄い勢いでローンから逃げたカネが石油や食糧にたかり、一次産品が高騰し庶民も政府も真っ青になったのはたかが2年ちょっと前の話です。米粉パンとかね。でもすでにそんな事態は忘れられたが如し。

 いいのかな~いいのかな~いいのかな~。
 ん~、どうなんでしょう、一色さん?

2010年8月5日木曜日

SANGOの会・8月1回目例会

SANGOの会ブログに8月3日の例会の模様がアップされています。

農業は私の恩師からも何年か前から人間の自然として一番真っ当、とよく言われ、「自給自足のススメ」を囁かれるのですがね。
やはり躊躇がありますよ。現実的な問題も当然含めて。

ただ、現実原則のみに意識を縛られず、自由に発想を広げれば、
行き着くところに自給自足農業というのは十二分にアリだとは思っています。
ヒキコモリストの遺伝子の一つには元々農耕の民の遺伝子があるような気もしたりして。
昔のフィルムなど見ると、本当に農村の家族の暮らしは寡黙で夫も妻も常に黙々と何か手仕事なりなんなりしている。

冬は「陸の孤島」なんて言葉があったりして、文字通り山村農家は引きこもらずにいられない(でないと死んでしまう)状態で。おそらくそのためもあって「漬物文化」なども発展したのでしょう。

例えば今では北海道の道路整備事情は一頃に比べて著しく、札幌、石狩~浜益なんてスイスイ、ラクラクですが、昔は石狩から北にある厚田と浜益の間は冬は隔絶されてたもんです。通行は船で、という時代もあったんですよね。ほんの30数年前のことです。道路整備の事業というのはその意味ではスゴイ。

ただ、その農村的なるものがまた、長き思春期を過ごした(特に80年代いっぱい)時代にはイヤでイヤで仕方なかったのですね。フィルムで観るだけでも。
あるいは教育テレビの「明るい農村」とか。

でも、今では自分には出来ないと思っている人が多数派であるにしても、農業に対するいわれない偏見はすでに無くなったのではないでしょうか。質実で地に足がついた時代になってきた。そんな気がします。
園芸市に来る若い人たちもどんどん増えている様に思いますし。

2010年8月3日火曜日

ONE SHOT ONE KILL 〜兵士になるということ

 
 本日の昼のSANGOの会に参加する前に見てきた映画です。今週の金曜日まで、午前中1回のみの上映ということもあり。
 一言で云うと、アメリカ海兵隊員に入隊した新兵たちの訓練の様子を描いた作品です。「自由と平等の国」?アメリカにおいて、軍隊についてはその理念の治外法権にあることを明かすようなドキュメンタリーでありました。

 徹頭徹尾、昨日まで民間人だった若者が入隊したその日からキレタ状態の上官から徹底的に怒鳴られ、それに対する答えもほとんどスクリーム(叫び)に近い状態で応じなければなりません。「声を出せ!」ってシツコクシツコクやられるのでね。
 基本的に戦争が続いている国の当事国としての軍隊である、という認識に基づくのかもしれませんが、戦前の日本軍隊の「精神主義」を笑えません。二昔前の街頭での雄たけびを上げる新入社員研修、大学応援団の先輩から後輩の特訓どころの騒ぎじゃない。

 普通に見れば完全なる狂気です。狂っています。
 入隊した者で脱落した人間がいたのかは明らかになっていませんが、もとより普通よりちょっと困っている程度のアメリカの庶民の若者にとって海兵隊員は国の誇りであり、同時にそこで時を過ごすことは大学まで進学させてくれる社会的キャリアを与えてくれるところでもあり。その意味では日本の自衛隊にも近いのかもしれません。しかしそこで与えられるものは、彼らが望むデシプリン(規律)の精神じゃなく、合理性を失った、精神主義とさえもいえないような世界です。



 入隊する若者自身が自分自身の自己変革を願う、という動機の側面もあるかもしれませんが、上官たちに朝から晩までしつこく雄たけびの命令を受け、スクリームの応答をする姿は、もしかしたら戦前の日本の軍隊にも負けじ、あるいはそれを優に勝っているかもしれません。
 日本が負けたとき、アメリカの兵隊さんの余裕なり明るさなりに日本人が魅了されたところもあると聞き及びますが、今も昔もアメリカの新兵さんの入隊訓練は同じなのでしょうか?仮にそうなら、日本軍隊のみが精神主義とはとても思えませんね。
 あるいは、現代のアメリカ軍隊のほうが昔に比べて精神の余裕を失っているのかもしれないという仮定も立てたれます。だとしたら、アメリカ軍隊の士気の危機ぶりは相当なところにまで来ているのかな、と思ってしまいましたね。

 先週見た「アメリカ戦争する人びと」のいわば同系列で、こちらは軍隊の入隊訓練のドキュメンタリーですが、いずれもアメリカの暗部をえぐっています。

 もし、唯一この”アメリカのヘビーなリアル”が価値があるならば、この新兵訓練の様子を映像をじっくり寄りながら映しても良しとした「公開する態度」と、両作品とも日本人の監督がとった作品である、という点でしょうか。よくぞやった、という感じです。

 政治の大きなかけひきの裏で、小さなミニシアターではリアルなアメリカの一面を見ることが出来る。そして考える事ができる。これは大きな意味あることだと思います。

 そういえば上映前にこの作品の監督が挨拶を述べる、という意外なサプライズがありました。現在キャンプシュワブ基地に滞在する海兵隊員とつい最近話す機会があったとのこと。アフガンでの戦闘に備えて日本全国の基地を気象条件や地理的条件に合わせて移動しながら訓練しているそうです。

 私はこの映画を観ながら軍隊の狂気や戦争をしたがる馬鹿な人たちを嗤うことが出来るかもしれませんが、それを押し留めることが出来ない点において、未来の世代から「野蛮人の時代」に加担した人間の一人として記憶されることでしょう。未来から軽蔑される人間のひとりとして。忸怩たる思いがありますが、致し方ない。罪を背負って生きるしかありません。。。

2010年8月1日日曜日

広報ー「新しい公共」シンポジウム

●「新しい公共」シンポジウム
日時:2010 年8 月10 日(火)18:00~
会場:はっさむ地区センター 札幌市西区発寒10 条4 丁目(JR 発寒中央駅向かい。)
会場電話011-662-8411
入場料:無料 参加希望者は直接会場にお越しください。
プログラム
基調講演 18:30~19:15 寺脇 研 京都造形芸術大学教授
シンポジウム 19:15~20:30
シンポジスト
鈴木 寛 文部科学副大臣
逢坂誠二 内閣総理大臣補佐官(地域主権・地域活性化及び地方行政担当)
寺脇 研 京都造形芸術大学教授(元文部省官僚で「ゆとり教育」を推進)
山口二郎 北海道大学大学院教授
コーディネーター 中島岳志 北海道大学大学院准教授

●わが国の教育政策を考える 星槎国際高等学校主催 星槎大学共催
寺脇 研 氏 講演会 「教育はどう変わるのか」~「コンクリートから子どもたちへ」の視点から~
日時:2010 年8 月10 日(火)12:50~14:20
会場:星槎国際高等学校札幌学習センター3 階 札幌市中央区北5 条西12 丁目16
参加費:無料 (定員70 名)
問い合わせ電話(星槎国際高等学校) 011-208-3111 fax011-281-9611 mail:sapporo@seisa.ed.jp

だそうです。参加しようかと思っています。

これは北海道NPOサポートの8月号通信から知ったのですが、うむむ。何だか熱そうなメンバーのてんこ盛りですね。おじさんのような醒めたタイプも熱くなってしまえるでしょうか。。。(ただでさえ暑い日日にねw)。

ところで、9月から始まるNPOへの職業訓練ですがこの回は20名で福祉系NPOへの就業希望ということらしい。少し方向性に修正が加わりましたかね?(詳しくはリンクを貼った通信8月号で確かめてください)。