2011年8月31日水曜日

勝山さんの真面目な側面@漂流イベント

 ひきこもり名人、勝山さんは世間に流布する常識や通念を反転させ、痛快極まりないし、逆にその点でおおくの誤解をあえて与えているところもあるような気がします。斉藤環氏がひきこもり界のトリックスター、と評したのもあながち間違いではないかも。

 でも、存外に勝山さんの真面目な点、あるいは自分もそうなんじゃないかと思った点を3点ほど羅列してみます。

1.まずは導入部から。これは意外と話を発展させれば面白くなったところかと思うのですが、勝山さんはこの社会から「家業」がなくなってしまった、ということと、ひきこもりの増加を重ねている点があるようでした。
 「サラリーマンは焼畑農業。消費して土地を消耗させるだけ」「工業生産的、サラリーマン的な大規模農業はダメ。土と対話して工夫が必要なのが農業。だから適正範囲がある」「家業は地道に次世代が前の世代を引き継いで再生産を行う。その意味で環境に優しい」(趣旨)、といったニュアンスのことを語っていました。
(新刊「安全ひきこもりライフ」涅槃編にも相通ずる。自分も職住分離が与える光と影については良く考えているので。勝山氏は時に、経済的自立で親元を離れる事は、場合によってそれは「自立」ではなく、「家出」だ、とも表現する)。

2.国民年金は老後の年金だからメリットが無い、と考えてはいけない。年金には障害基礎年金がある。いつ、だれに障害が訪れるかはわからない。だから、いざの時に保険のつもりで年金には加入しておくべき。経済的に納付できなければ免除制度がある。かならず年金事務所で手続きを。いますぐでも。こういう大事なことは役所は教えてくんないんだよねぇ、と。(これは私も年金の納付お願いの仕事をしていたので、超納得です)

3.登壇台に上がってきた子供を構ってあげて、時には抱き上げてお母さんの所に連れ戻してあげたり。随所に子どもに対する本物の優しさを見せていた。

 まぁ僕はなかなか硬い人間なので、時々気になった行動なんだけど、それらを何とも思わない漂流のお二人と勝山さんはさすが。(ただ、大きな扇風機の前に何度も近づいて、時折ペットボトルもかざしている時はちょっと危ないんじゃないか、と思ってしまいましたが)。

2011年8月28日日曜日

勝山実さん「ひきこもりカレンダー」


昨日の二日目の札幌での勝山さん講演イベントの前にお借りしたのですが、勝山実さんのデビュー作。「ひきこもりカレンダー」。
おそらく、勝山さんの原点の書であり、心の叫びの書です。
私はこれ、自分の心に直撃しました。素晴らしい!本物だ。
これを読みたかったのだ、と思った。自分は後退しているのだろうか?
ここには魂が宿っています。家族と、社会と、自分とに真っ直ぐに向き合って、闘っています。その闘いも、当時ひきこもりというマイノリティ課題に関し、非常に理にかなった、論理的な闘い。誰がこの本を読んで著者を否定出来ようか。出来るとしたら無視することだけだ。そうです、出来るだけ見なかったことにすること。

ひきこもりの一般的なイメージを覆す本物の、ひきこもりの人の本質をわしづかみにしている本です。
絶版は絶対に惜しい。何故なんだ?と思う。出版社が倒れちゃったみたいだけど。。。
今、この本が新刊で出ても全然おかしくないどころか、社会的な評判を呼んでもおかしくないと思う。ひきこもりの問題が進展してないのか?いや、筆者の筆力ゆえに。いっそ、仮名で同じ本を出しても十分読まれるのではないかと思う。梶原一騎と高森朝雄みたいだけど。。。

勝山さんのお母様からの暴力の話は大事なポイントだと思う。僕は内々の親密な関係ではぐちぐち言うに留めて、基本的に欠席裁判的な事は公には嫌なんだけど、そして勝山さんの主観が多少、仮にあったとしても、母親からの折檻というのは後々に相当程度、響いたと思う。
家庭内に暴力の匂いが満ちている、っていうのは本当に辛いし、実に実に、大変なことなんだよね。。。ひきこもりもこじらせてしまう。僕は本当にそう思う。

僕の場合は、兄と父のいがみ合いと、そのとばっちりによる兄の暴力だけど、少年期に家庭内に暴力の匂いたっぷり浴びると、相当ダメージが大きい。医者とか、研究者はそこら辺はどこまで認識してるかな?自分の場合、中学校もプレ校内暴力校で、荒れたクラスの代表が自分のクラスだったし、アニマル砂漠のような思いを感じたけれど、でも、それ以上に家庭の中がごたごたしている、兄と父の「憎悪週間」が家庭を支配しているのはあの当時は、もう表現できない辛さだったからね。。。(もちろん、本気で憎悪していたのは父に対する兄の側であったが。当時は)。
学校は帰ってこられる場所だけど、家庭は本来、最後の安らぎの場所のはずだからさ。特に子どもにとっては。そこがごたつく。まして母親がとなると。。。想像するだに辛いです。

でも、勝山さんのこのデビュー本は「安心ひきこもりライフ」にも通じる、軽妙なユーモアのセンスも失われていない。これ、渦中の中にあっても冷静さを失っていない証拠。ひきこもりの人が陥りやすい自責の念、結局世間と自分どちらが悪いかの二文法で行けば自分が悪い。会社やバイトが続かず、応募した会社に悪い、親に悪い、周りに悪かった。人間として御免なさい、ダメな人間なんです。。。という敗北宣言には陥っていない。

「ひきこもりライフ」にはデビューから10年後にふさわしい達観があるけれど、10年前の勝山さんは若者らしく、世間や社会とキッチリ向き合って闘う意志がある。「俺だけが悪いわけじゃない」という自己肯定が中途半端なものとしてではなく、キチンとある。これが名人となるポイントなんだな。

支援者や、マイノリティに物見高い関心を示すマスコミをひっくり返す正論パワーがあります。もちろん100%正しい、なんて露ほども思わないけど、世間に流通している正論なんかに比べれば遥かに正しい。

とにかく、ここで自分が向き合う話は非常に論理的で筋が通っています。郵便局員採用試験の話なんて、発見でした。勝山氏の社会の作った仕組みのばかばかしさを突くその話は深く納得。

自分のインタビューが載った本が教育書のコーナーに置かれているのを見て「ひきこもりは教育の問題だとは思わない。もっと深い、社会全体を含めた総合的な問題」とか、ひきこもり脱出の方法本を評して「分かるんです。だいたい本を買うのはひきこもっている本人ではなく、親やその家族です」
全くその通り!良く言ってくれたというしかありません。

前から「どうもそうじゃないか」と思っていた。世間とか、下手な支援者とかいう人たちはどうもひきこもりという人種は人間として何か欠落してるんじゃないか?と一方的に思っているんじゃないかと。
でも、ひきこもりの人の多くは、本当は勝山さんのいうことを内に秘めているんじゃないの?
でもでも、それを言っちゃうと、厄介なマジョリテイを相手に不毛な戦いをしなくてはいけなくて、平和主義者のひきこもりさんたちは、ことを荒立てず、できるだけ面従腹背して恒久的なストライキを確保。花を愛し、森を散策し、音楽をめでて、で、新聞とかは爛々とした目で誰も話しかけられない状態で一字一句読んでたりするのが事実だったりするんじゃないかな。下手な政治議論したらあっという間に論破されちゃうよ。ひきこもりの人たちに。外形で舐めてたんだな~。結局のところ。・・・そんなこともないかい?
まぁ、この本が絶版でなければ、この本を煩わしい誤解者たちに読ませるべきですね。そういう意味では、勝山名人のデビュー作は素晴らしい。

ひきこもり側には自助団体の話も鋭くて、大いに反省を迫らされるし、ひきこもりを取り上げるマスコミ番組について述べる「ドキュメントひきこもり」もいい。実に的確です。中途の短文エッセイが光ってて、社会批評家としての才能も垣間見えます。

いずれにせよ、勝山さんのひきこもり分析は正しいよ。当事者(直に勝山名人から「元」当事者というのはありません、一生付き合っていくのですとご教授いただきました)がほとんどうなづき放しだから間違いない。

かゆいところに手が届かない治療者とか支援者の本を読むより、まずこの本を当事者とその家族は読むべきでしょう。

・・・やはりポイントは家族なんだよな。。。過去の歴史だから、もういいべぇ。無いことに。というのはやっぱりどこか。そう、ごまかしがあるような気がする。重くて深いごまかしが。で、そこは深く掘り下げると「社会」という巨大な岩盤に通ずる。そんな気がします。
 まあ、さすがに高齢者になりきって弱り果てた親にそれをやっては絶対にいかんと思うが。

その意味では、勝山さんは20代のうちに、社会という外部に思い切りストレートに開いて良かったと思います。
でも、オープンだから、軽妙だからと甘く見てもいけないと思う。そういう表現手段を外部にさらすまで、どんだけの葛藤があったんだ?と思うと。勝山さんには感謝してもしたりないと思います。

僕はこの本のほうに「安心ひきこもりライフ」以上に強い感動を受けたのは、僕が精神後退しているからなのだろうか?
いえ、そうではなく、忘れてはいけない、原体験への検証作業に必要な本だからなのだと思う。
誰でも、僕もこの本を読むまでには、「安心ひきこもりライフ」のひきこもりセーフティネット、安心の基盤づくりという勝山名人のひきこもり初心者の混乱を解きほぐす作業の前に、当然ご本人の荒らぶる魂の時代があったはず、という予想はついただろうと思うけど。

確かに怒り、告白、あらぶる魂の片鱗はあるけど、ここには混乱はなく、ひきこもりライフに通ずる冷静さ、客観的な自己分析、転じて社会分析がある。家族というやっかいな代物との向き合い方も。

やはり新刊とともに、このデビュー本は車の両輪だと思います。
僕もアマゾンで購入します。いつでも自分の原体験を確認するために。そういうことが必要な局面の時、一端自分を洗いなおすためにも。
不幸にも?非常に安くて郵送料の方が高い、と名人直々に仰ってましたが。
この破格価格の絶版本。アマゾンで。クレジットカードがなくても購入できるんですかねぇ?

2011年8月21日日曜日

ニセコの方へと

本日は久しぶりに車で遠出しました。今までは少々行ける状況では無かったですし、気分転換も兼ねて。
行きは小樽から余市、俱知安に抜けて、喜茂別、真狩を通って羊蹄山をぐるっと回り込む形でニセコへと。


目的地である有島記念館へ。記念館は最初に行った時の思いれが深かったため、今回、そう4回目でしょうか。意外と展示が少ないのに驚きました。芸術の森にも有島武郎の住まいを再現した所がありますから、う~ん、ちょっと期待はずれに近い感じも。。。

その後、ニセコ駅向かいの土産店兼食事処で鮭のハラス定食を食べました。これが非常に美味。

有島記念館を出る頃にはぽつぽつ雨が降りていたので、予報通りかな、と思ったのですが、ニセコパノラマラインの壮大な風景を走る頃には晴天に。基本的にドライブ「晴れ男」を自称してますから、面目がたったというものです(笑)。
岩内から泊村まで足を伸ばしてみました。泊発電所の真近に海水浴場があるんです。小さな浴場ですが。まだ海水浴客がいる中、すぐそばが発電所で立入禁止になっているのがとてもシュールでした。
羊蹄をのぞむ真狩や喜茂別、もう少し後志側では仁木町などはフルーツの産地で農業地域としては豊穣な感じがしますので、もし事故が起きたなら・・・。やはり嫌な想像が働きますね。

岩内に戻って、帰りは赤井川から小樽に抜けました。

途中の牧場型のロッジ、『山中牧場』のソフトクリームは名状しがたく美味いのです。もう、ここを訪れるだけのために赤井川に来る価値はありますね。また、そのまま小樽側へ向かうと小樽の全景を見渡せる展望台が綺麗。あちこちで観光客さん(自分もそうですが)から歓声があがる景勝地です。

美しい小樽の海を眺めた時間が午後4時40分頃。朝7時半に出て、マイペースで走行し、帰途手稲の前田公園によって、6時過ぎに家に到着しました。ほとんど車の運転しっぱなしだったので、久しぶりなのでちょっと疲れたかな。

写真も結構撮ったのですが、iPodで映したので今日のところは上手くJpgで貼り付け出来ません。有島記念館と山中牧場のリンク、そして山中牧場のもう一つの見どころ、牧場の観覧があるのですが、そこで初めて、YOU TUBEで試験的に撮ったのでそちらをご覧いただければ嬉しいです。




有島武郎記念館 ¥500
鮭はらす定食 ¥680
山中牧場ソフトクリーム ¥250
 
合計 1430円ナリ、ですw

2011年8月19日金曜日

大野更紗さん「困ってる人」書評(Ustream)


22分です。宜しければどうぞ。(音声しか出ないかも。その場合ネトラジとしてお使いください)。

※映像のリンクはこちらで


2011年8月12日金曜日

ストーンズの変則ベスト盤「ジャンプ・バック」


昨日よりも過ごしやすくなり、夕方以後はかなり過ごしやすくなりまして、やっと夕方以降、元の感覚が徐々に戻ってきたなという感じであります。

行き詰まり感が相当ひどかった中、たまたま春に相談に行っていた道委託の職業カウンセラーの方から電話をいただき、そこで少し話す中でやや落ち着きが戻りました。

いい年して恥ずかしいですが、なんかまだ八方ふさがりというわけではないんだなーという気がして。(困ったもんで、「八方ふさがり」とか。そんな気になってしまうんですね。辞めてしまったところの上司などは、人格100倍出来た人でどれだけ辞める時にも救われたかわからないのに。)
時の薬、まだ通用するかなー。

時と言えば、ストーンズ。ロックンロールでもう40年以上ですか?最近こそニュースを聴きませんが、ドロドロの中でも継続は力なり。いろいろ言われもしましたし、私もパンクから始まってるんで、冷やかに見てたりしてましたが、改めて聴くと、やっぱり凄いですよ。ストーンズは。2曲目の「ブラウン・シュガー」のイントロで久しぶりに身体に快感が走りました。もう何回も何回も、どこでも聴けるロックの定番なのに。

知る人は知る、彼らはロックンロールというよりも、むしろブルースとか、その発展形としての50年代、60年代のリズム&ブルースの大好きな連中たち。つまり黒人たちの「これしか手段が無かった」、黒人の敬虔なキリスト者たちから見れば悪魔の音楽にどうにも魅入られた人たち。
ロックンロール成分の主はチャック・ベリーなのかな。でも原型は、ブルースに魅入られた人たちなんだと思う。だけど、どうにもロックンロールとしか言いようのない。その生命力。

このアルバムでは自分としては60年代末から70年代前半くらいまでしか認めていなかったんだけど、80年代以後のもたっぷり。
で、馬鹿にしてた80年代以後の楽曲もやっぱり全然違う。その濃く味。さらっと本物。ミック・ジャガーを筆頭に流石です。

アルバムは乗りのいい前半、ゴスペル風味からファンクの中盤の流れ、バラードの名曲群に、ラストの80年代以後のパンキッシュな硬質な楽曲群。選曲の流れがいいんだよね。
ストーンズ、ばんざい。
ブラック・ミュージックばんざい。


昔から大好きな曲だけど。今さら沁みるのは、気分なんだねぇ(苦笑)

2011年8月11日木曜日

ひきこもり菩薩-「安心ひきこもりライフ」を読む


またお久しぶりのブログです。
猛暑が続き、頭がクリアになりません。
昔の人はそれほど暑さをしのぐすべがなかったので、夏は余り難しいことを考えられなかったのではないか?と憶測したりします。その憶測が正しいとすれば、それがいいことかどうかは分かりませんけれど。。。

暑い8月にいま採用されているところを自主退職してしまいました。
もろもろありますが、一言でいえば、いつもの自分の悪癖が出たということです。

1週間くらい何も考えられず、やっと最近に至っていますが、猛暑の本日この夜9時過ぎくらいになってやっと涼しくなり、ブログに久しぶりに書き込んでいます。

ひきこもり名人、勝山実さんの「安心ひきこもりライフ」が発刊され、この8月下旬には何と、野幌札幌にも来られて出版記念講演が行われます。

ツイッターでもかなりな好評。私も早速購入、拝読しました。
私は、昨年、友人に勝山さんのブログを紹介され、「ひきこもり」のイメージを180度反転させるあっけらかんたる、また軽妙洒脱な文章にこれは素晴らしいと感動しました。これほどにビターな日々を乗り超えてユーモアたっぷりにひきこもりや自分の存在を客観化、対象化出来る人がいたとは。
ちょっと水木しげるさんその他の人たちの思想をイメージさせる、日々のエッセイに魅了された一人なので、この本に相当な期待を持ちながら読みました。
で、とりあえず今のところの感想は、やや期待が過剰すぎていたのかもしれないな、という感じです。

おそらく勝山さんのブログ「鳴かず飛ばず働かず」をマメにチェックしているとそれほどには新味を感じることはないかもしれないかな、という感じもするのです。
ひきこもりの人の完全歩合制業務としての、自販機などの小銭探しの話とかはちょっと名人にしては苦しい。ある意味、分かりやすい話だけに。(逆に、4人で1人前の公務員、は真面目に政策として実行されるべき話だろうと思います)。

ただ、勝山さんの中にあるだろう、ひきこもりの人の、あるがままの自分としての確立。他者の思惑(それは悪質な、あるいは善意でもどこか当事者のことをきちんと分かっていない支援者たち)にふりまわされるべきでないという思想は、見事に現実に対する対抗思想として表現されていると思います。
故に、もともとそういう部分に惹かれている自分としては、もっとディープに、深い部分まで突っ込む能力が勝山さんにはあると思っています。
それはいまの本が好評なうちに、次の著作に向けて期待したいものです。

いままでひきこもりについて、当事者自身の手によって、当事者の思想の本質を掴んだ本はなかったと思います。研究者や、支援者が著すものは、究極的には当事者のものではないので、隔靴掻痒の感があります。
だからこそ、勝山さんには大きな期待を寄せるところがあります。現実を誰も気づかぬところで「そうだよね!」と反転させ、その考え方で現実を塗り替える力量を持つと思っています。

ひきこもりの当事者は社会の外部に近い所にありつつ、自分がその内側にないことを嘆き、社会の側はその内側に抱えている問題に対しておおむね無意識です。
故にそこから生産的な表現活動や、思想が発展出来ずにいるのが今までです。
私も、あえていえば、その罪を背負っている一人です。

私が何よりもいま、一番凄いな、たいしたものだなと思う勝山さんの偉大な社会的役割なんだと思うのは、この著作とともに全国行脚を積極的に行っていることです。講演の後の懇談会にまで首座に座っているなんて私には怖くて到底考えられないことです。

その点ですでに「この人をもはやひきこもりといえるのだろうか」という矛盾したような印象も生まれましょうが、その菩薩行こそ、ひきこもりブッタの足掛かりな気がいたします。

私は最終章の「涅槃編」を発展させた次回作を期待するとともに、その菩薩行を拝観したいと思っております。言葉と行動が両方ともなっているだけでひきこもりにとって菩薩行なのですから。

※上手く書ききれなかったところもあるため、感想の続編を考えています。考えていますが、自分にその頭の筋力があるのかは疑わしい所です。