2015年12月21日月曜日

インタビュー第7弾 発生生物学が専門の若原正巳先生のお話を掲載しました。

  実際お話を伺ったのは7月下旬で年末まで原稿をあげるのに時間がかかり、先生には大変ご迷惑をかけましたが、どうにか年内に若原正巳先生のインタビューを掲載することができました。
こちらからごらんください。


 生きものの生きる戦略や人間の特質、日本人の原型的な資質についてなど多岐にわたる話。かなりなロングインタビュー、いや実際の所、正確にいえば個人授業なのでしたが、ぜひ少しでも読んでくれる人がいてくれると嬉しいなと思います。
 もしかしたら前半、中盤の生物発生の仕組みや、生きものたちの生存戦略についてはすでに知ってるよ、という人も多いのかもしれません。ですが私は具体的に専門の方からこの手合いの話を聞いたのは全く初めてで、とても知的好奇心が刺激され、インタビューで落とせる部分がありませんでした。
 「生涯生殖繁殖度」という言葉が示すとおり、動物たちは端的に言えば自分の子どもたちを少しでも多く残す、もっと露骨に言えば自分の遺伝子を残すことが生存の最大目的としてこの世界にいるということ。そして、なぜか人間だけはそのことを主目的にしているようにはとても思えないこと。何というか、全てが不思議なことばかりではないですか!!と私は思うばかりでしたね。こちら側からすればせっかく生まれてきて目的が自分の遺伝子を残すことだけとは。そのためには性転換さえ当たり前の魚がいるとは。と直感的には思うばかりですが、それはこちらの角度で、生きものの世界では人間の持つ考え方のほうが不思議なことでしょう。まあ、とはいえ人間の社会も生存戦略として子孫を残すのが原点な訳ですが、それはだいぶ後景に退いた意識になっているといっていいでしょう。だからこそミーム(文化的遺伝子)ということが語られるのでしょうか。
 人間は自然から逸脱したでしょうか?果たして僕は自然から逸脱してしまったのでしょうか。そういう角度で考えるのも面白いことです。旧口動物の王様である昆虫、脊椎動物の両生類、爬虫類、哺乳類。類型化は出来るのですが、子どもの育てる機能はけして一様ではない個性もあるようです。胎盤がないのに子どもをお腹で育てる魚類のサメ、哺乳類なのに胎盤があまりに脆弱なので未熟児で生まれた子どもを袋に入れて袋の中に入れて母乳で育てるカンガルー、魚でも体外受精かもしれないが、口の中に卵を入れて卵を守る魚もいると。
 類の個性は標準化できてもその中でも個性的な種がいる。そう考えればホモ属サピエンス種のわれわれ人間も、その中で多様な個性があるし、生存戦略のためにこれからも個性を伸ばして生存戦略のための進化をしていく、変化をしていくのかもしれません。南伸坊×岡田節人さんの「生物学個人授業」のなかに岡田さんが興味深い一文を載せておりますので、ここで少し紹介します。
「生きものの科学とは、普遍と多様のはざまで仕事をしているのです。(中略)生きものの科学は、多様性の調査と、多様性への賛美から始まっています。やがて普遍の側面は大きく姿を現し、遺伝子の正体と働きが明らかにされることによって、一大クライマックスに達します。といってもトリの翼とサカナの胸ビレの違いが生物学の根本の現実であることは、あまりにも自明です。同じであること(普遍)を知ったら、多様も理解できるのでしょうか?普遍と多様のはざまに、二十一世紀の生きものの科学が新しく始まろうとしているのです」
 今回の(インタビューというよりは)講義のために、幾つか極めて優しい本で予習していきました。以下、参考程度に。もし、この種の話がいままでなじみなく、これを機会に関心が生まれたという人に僕が参考にした本をあげておきます。おそらく図書館で簡単に入手できるはずです。
●「爆笑問題のニッポンの教養① 生命のかたちお見せします 発生生物学・浅島誠」 (講談社)
●「生物学個人授業 岡田節人」 生徒:南伸坊 (河出文庫)
 以上二冊が生物の発生の勉強に使いました。特に南伸防さんは改めて思ったけれど、ものすごく文章がうまい。やさしく、わかりやすくを標榜する参考書のような文体。かつ、そこに「わかりやすさ」へのこびへつらいがありません。凄い人だと思います。ほかにも南さんの個人授業シリーズがあるのですが、残念ながら爆笑問題のテレビシリーズのようにはいかず、岡田先生以外、ほかに2冊くらいしかないはず。そのもうひとりは河合隼雄さん。ほかは確か養老たけしさん?くらいだったかな?確か。
で、後半の人間の特性については以下の本を参考に読んでいきました。
●「人間はどこから来たのか、どこへ行くのか」 (NHK取材班)高間大介 (角川文庫)
 あとはNHKスペシャルの番組「ヒューマン」のDVDを図書館でレンタルで二本ほど見ました。今回は予備知識が必要だと思いましたので、少し資料は多め。でも、知的好奇心を刺激される読みやすい資料たちたちです。
 もちろん、若原先生の本も。映画ファンは「シネマで生物学」などの本もおすすめです。ただ、私も先生が準備されている本の目次を見せていただきましたが、来年発刊予定の若原先生の新著は大いに楽しみにしてよいものと思います。

2015年12月5日土曜日

とまこまい生きづラジオ #004に出演




この秋に苫小牧の「フリースクール検討委員会」で行っている「生きづラジオ」に出演しました。

その画像がYOU TUBEにあがっています。

MCは、友人でもある藤井昌樹さん。お時間があるかたはゆるゆるとご覧下さいませ。

2015年11月24日火曜日

追悼・毛利甚八さん

 
 漫画「家栽の人」の原作者,毛利甚八さんの訃報に接して、ただただ驚いています。もはや「家栽の人」という作品も古くて知らない、という人もいるかもしれませんが、全十五巻の中に人のこころの深い部分を誤解や何かを乗り越えて本質の部分を見抜いていく家裁の裁判官を主人公にした素晴らしい漫画でした。漫画界の古典と言っていい。
 私はこの漫画に出会ったのは最初は主人公を片岡鶴太郎が演じたテレビドラマ。鶴太郎が優しげで真面目そうな裁判官役をやってるんだなあと思って何気なく見ているうちに、その内容の深さについ引き込まれ、そのまま原作の漫画に走った。単行本を中古で買い求めているうち、強烈に引き込まれていったのです。1994年頃だったろうか・・・?おそらく30代の半ばに入る少し前の頃だったので、いろいろと苛立ちを感じつつ、でも自分のその攻撃性だけではいいことがないぞ、だけどこの苛立つ気持ちをどう方向付けたらよいのか?と思いが揺れていたころに出会った作品だったと思います。
 
 主人公は植物栽培が趣味で、いつも時間があれば木を眺めていたり,植えてある花や植物を眺めていたり,官舎のまわりに花を植えたりしていて端からは変わり者に見える。でも、裁判を一旦はじめると非常に仕事が出来る。なぜ出来るかといえば、その洞察力の深さゆえ。
 だからこのマンガの裁判官は法務実務家にして、心理学者みたいな人でもある。桑田判事というこの裁判官、「見えない背中」が見える人のようで、その話の展開はアッと驚くこと多々。
 
 家裁で扱う問題である少年非行や離婚調停を通して、家族の問題を植物や木を比喩として大変巧みな大岡裁きを行っていく。ただ、事柄はそういう分かりやすい余韻を残すばかりではない。木々や植物が育つように、家族が育つことを考えている裁判官である主人公を配し、人の弱さ、弱いように見えての強さ、愛情の裏返しの悲劇、わかりやすくはない優しさ、などなど、人のこころのひだや綾を巧みに描き出す。。コミックス版では全15巻、一作も駄作なく説得力のある作品を続けてきたものと驚嘆するし、読者側としては教えられたり、心の洗濯をしてくれたり。本当にあらゆる面で感謝するばかりでした。
 しかし、この作品から得られる気付きを得てもまだ、現実にうまく適用できない自分に情けない思いを抱いたこともたびたびありましたし、中には読んだ作品にはこういう展開は納得いかない、という思いを抱いたこともありました。
 
 その頃、岩見沢の心理クリニックの先生が93,4年頃いわゆるインターネットの前、「市民ネット」と呼ばれた時代に自分の所に通う若い患者さんたちを対象にコンピューター通信ができる若者交流掲示板をはじめたことを知り、実際にその先生に会いに行き、その市民ネットの掲示板の交流に加えてもらうことができました。で、その中で「家裁の人」の一作品でこういうものがあるんだけど、内容がこれでいいのか僕にはわからない、納得できない、と問いかけたことがありました。
 それはいわば返答を期待しないモノローグのような書き込みだったのですが、驚いたことにその作品を読んでいる人がいて、「私はこのように読んだ」というレスポンスがあり、「自分以外にもこの作品の原作をファンとして読み込んでいる人がいるのか!」といたく感動し、一時その岩見沢のクリニック掲示板にのめり込んでいたこともいま思えば懐かしい思い出です。いずれにしても、なかなか一筋縄でいかないリテラシーを要求する作品で、精神分析療法をしていた自分には人の深層心理を考える上でも大変勉強になる作品でした。
 
 内容は巻を重ねるごとにより複雑でシリアスになり、一話完結だったものがそうではなくなり、最初のコミックスでは13巻~15巻にあたる部分で一旦休筆になり、満を持して3巻分の最終話までは学校で問題児とされた子が学校を相手に裁判を起こす過程、その中学生と付き合い始めた主人公桑田判事の息子が不登校になってしまう過程、学校で秀才の優等生である子が体育教師のパワハラに耐えられず、学校に放火したことを隠しているという子が近くの森に隠れ家を作り、お互いの思いを語り合う自然の森が作品をまわしていくトポス(場所)として登場します。この最終三巻の連続シリーズは部分部分に神話性も帯びていて、どこか河合隼雄さんの語る物語性に通ずる要素がかいま見えます。わかりにくい、「感受性」に訴える要素が増えてくるのですが、それが自然との響き合いの中でというか、木のざわめく音や、沈黙した場から発せられる論理とはまた別のモノローグのような言葉、それを受け止める人など苦労を背負う人々の中で交感されるやりとりはかなりリアルなものを感じました。そのように、日常性と非日常性が常に交流させる絵の見せ方が実に見事なものでした。
 
 そう、作品は舞台は家事調停が種となるので(後に話は少年非行=少年の苦労に主軸が移りますが)、現実判断の厳しさというものも忘れていない。聖人のような主人公でありつつ、理想と現実の狭間でまさに「裁判官」という「バランス」の仕事をどう観察と洞察と判断で行うかというのも読み手のスリリングを非常に喚起するものでした。
 
 さて、「家栽の人」に字数を割きすぎましたが、その後にゴリラ学者を通して現代社会を照射する「ケントの箱舟」。(おそらく主人公のゴリラ学者は、現在京大総長をされている山極寿一さんをモデルのイメージにしてるんじゃないかと思う)、そして現代の若者の抱える困難と古代的な世界でいまのマイノリティに立たされる若者とかつてマイノリティとして国家から搾取された狩猟系部落の人たちとの民俗学的な呪力も引き出す野心作「たぢからお」などの原作も手がけてこられた。
 最近の活動は知らなかったけれど、いつも頭の片隅にあった作者だし(民俗学者、宮本常一の歩いた道を辿るノンフィクションなどもあり、やっぱりそうか、と思わせる)、「家栽の人」はいつでも立ち返って読み直したいと思える僕にとっては古典というか,精神的な原点的な作品。
 
 あまりにも若くしての死(57歳)に今でも驚きを隠せないし,あまりにも勿体ない、これからの人だったと思うけど、大事な三作(家栽の人、ケントの箱舟、たぢからお)を残してくれたので、作品の中に毛利さんの精神は生き続けるからよかったと思うようにするしかない。
 
 ちなみに僕は「不登校新聞」を創刊号から確か1年ちょっと購読していたけれど、その中で毛利さんのロングインタビューが載った号もあった。「不登校の子は繊細で純粋。それだけにこの世界に生きていくのは図々しさが必要になるので大変な気がする」とか語っていたと思う。
 あと、そのインタビューで非常に心に残ったのは「家栽の人」の連載について、「自分の中でこれは嘘だと思うことは書きたくない。でも、どうしても必要に迫られて書いてしまうことはあった。そういう時は泣きながら書く」といった趣旨の言葉もあって、プロの意気というものに震えたものでした。 「居酒屋を経営するダメ親父が不登校の子のための学習塾をする話を書きたい」といったことも語っていましたっけ。その構想はおそらく果たせてなかったとおもうけど、もしそれが書けたら、現在に接続できるロールモデルになる作品としてのこったかもしれません。
 
 本当に惜しい人をなくしてしまった。こころより、そう、こころよりご冥福をお祈りします。

2015年11月15日日曜日

貧困と人の育ち -人文社会科学からの挑戦ー

 
 今日は友人の誘いで久しぶりに本格的な講演会に行ってきました。
「貧困と人の育ちー人文社会科学からの挑戦」と題した発表者が5人に及ぶ日本学術会議の人文社会科学分野研究者たちの講演会です。
 タイトルにあるとおり、いま注目を集めている子どもの貧困、いえ、正確にいえば「子どもと貧困の関係」に関する研究発表という感じでしょうか。場所は北大の学術交流会館。
 
 トップバッターは日本学術会議会長の大西隆さん。まず日本学術会議というものの性格について具体的な紹介。学術会議の役割のひとつとして政府への提言があるようですが、その中では2014年の9月に人文社会科学分野の研究者で「いまこそ『包摂する社会』の基礎作りを」という提言を行っているという話がありました。また、社会意識調査のデーターが紹介され、日本人の生活意識として自分は「中の中」に属すると答える人が圧倒的に多く、次に「中の下」と答える人が多い。つまり日本人の「中流意識」に変化はないとのこと。この生活意識データーの発表は個人的には少し意外で、驚きでした。
 
 続いて心理学を研究するお茶の水大学名誉教授の内田伸子さん。研究のテーマは「学力格差は経済格差を反映するか」。
 結論からいうと、経済格差が学力格差に直結するものではないというものでした。それよりも、家庭における親の教育において「共有型」か「強制型」かがのちの学力に反映するのではないかという推論でした。
 氏は、主に幼児期の教育を中心に議論を進めましたが、「思考」には「収束的思考」と「拡散的思考」というものがあり、前者はおもに想起、つまり暗記力に象徴され、後者は「想像力」に関係するとのこと。そして大事なのは後者の想像力による思考で、それは後に「PISA調査」と呼ばれる文章問題に有意に反映してくるそうです。想像力が伸びるのは類推(アナロジー)の力と関係し、類推する力は自分が「良く知っているもの」と「知らないものを関連付けられる力に関係するそうです。
 その他、意外にも運動能力の発達に関しても、「バレエ、ダンスなどを習う子」がむしろ発達の力が弱いとか。つまりそれらは特定の身体の部分を使う訓練的な運動であり、また、説明時間が必然的に長くなるため、子どもたちに運動に対する苦手意識を与えることが多いとのこと。ですから子どもの場合、まず「自由な遊び」が大切との話でした。それは先の想像力とも共通する話のようで、絵本の読み聞かせでも子どもの感情に寄り添う「共有型」が大人が子どもの自由な想像を摘んでしまう「強制型」よりも後々の学力の伸びに与える影響の違いが出るので、結論的には「経済格差と学力」よりも、「子どもの自由度と学力」のほうが相関性が高いと伝えたいのではないかな、と思いました。(あるいはいわゆる「文化資本」といわれるもの?)
 それゆえ、なかなかこの話題は興味深かった。
 
 続いて「社会的排除と子どもー外国につながりのある子どもの支援から」というテーマで近大姫路大学の松島京さん。社会学から見た「日本に滞在する外国系の子で保育園に通う子どもたち」のフィールドワークです。外国系の子どもたちの国籍などの背景から始まり、姫路市の保育園での外国系の子どもたちの保育の問題のかなり細やかな生活背景の分析などの研究が語られました。細かい話になるのでここでははぶきますが、保育園側の模索、葛藤、支援者の問題意識などが後半に語られ、子どもたちの親御さんの不安定な就労状況を含め、「さもありなん」というべき問題提起型の研究発表でした。今回は時間がなかったので質疑応答や登壇者間の議論がなかったので、その点が一番惜しかった研究発表でした。
 
 短い休憩を挟んで貧困研究を行っている北大の松本伊知朗さんの発表。関西弁イントネーションの明るい語り口。本日最もダイレクトで、貧困問題のストライクな研究発表です。冒頭で「「貧困の再生産」は宿命論ではありません。みなで考えて、そうならないような修正を考えて行きましょう」という呼びかけをされました。そして現代社会の貧困問題は「食べられない」という絶対的窮乏に陥る「絶対的貧困」ではなく、豊かな社会における「相対的貧困」であるということ。「相対的貧困」は貧困研究の先駆国であるイギリスで1960年代に「貧困の再発見」という形で登場したということです。
 また、「子どもと貧困」はけして近代の話ではなく、大昔からずっとあった歴史的イシューであるということでした。
 議論は日本国の所得再分配機能が弱いために格差が広がること、母子家庭の貧困率が非常に高いこと、子どもの貧困に対する社会政策が遅れていることを指摘。そして現代的な課題として、「家族」機能に関する市場化、生活手段の商品化が進んでいること。そのようになってきているにもかかわらず、なお公共的な支援ではなく、「家族」と「市場」に依存させようとする政策が続いていることを問題にされていました。
 「家族だけで子育てをした社会はない。家族なしで子どもが育った社会もない」という言葉が印象的でした。
 
 最後は同じく北大の教育学研究者で臨床心理士でもある間宮正幸さん。間宮さんの活動領域は若者支援で、就労支援の枠組みでの活動の実践が豊富な方です。間宮さんの話は私たちが今回出した本の内容にかぶる部分が多いので、極力かぶる部分は省きたいのですが、間宮さんは欧州では若者の失業問題に関しては、若者による「暴動」や「異議申し立て」という社会への表現として出ているのに対し、日本では「就労の困難」と同時に「人格的自立の問題」の二重の困難に見舞われている、と憂慮されていました。間宮さんが言われる「人格的自立の問題」は端的に言えばひきこもりなどの若者の内向化の問題で、その傾向が日本固有の難しさと考えておられるようでした。そのようなとらえ方をした上で、ご自身の「ヤング・ハローワーク」での若者の相談支援の実践を通じた報告。その中で就労活動以前に発達障害などの問題が見落とされている可能性や、社会不安が強い若者たち、いじめ被害に苦しんできた若者など、就労以前の問題を抱えている若者たちの事例が多いことに驚きと危機感を持っているようでした。
 ですから、就労への動機付け以前に人間力を高めることのほうが先決、とのこと。それが間宮さんがこだわる「人格的自立」という言葉に象徴されるもののようです。このあたりは自分も本作りの過程などで種々監修の先生とも議論してきたことなので、「うんうん」と頷くことが多かったのでした。
 間宮さんの提言としては●求職活動を「人格的自立」の要求と考え、仲間作りや異質な他者からなる共同体での体験と捉えなおす●彼らの自己信頼の要求に応える●日常の成功体験の積み重ねが必要、というような内容でした。
 
 また、議論の前置きとして若者の抱える困難を「ひとつの構造としてとらえる認識が必要である」「憲法9条、21条、25条とワンセットで考えるべき」「貧困と戦争が現実にセットされている(堤未果さんのことば)」「深層構造の「傷つき」を見るべき」と述べられたことも大変印象的でした。
 
 全体には約四時間近い長丁場にもかかわらず、いろいろなテーマを持つ話者が五人語ったので、時間が経つのもあっという間で。最初に予定された質疑応答の時間はなくなり、また仮にあったとしても予定が十五分で、これだけ広く深い各種のテーマでは意見の集約は難しいだろうなあと思いました。私自身もいろいろな課題をつまみ食いした感じもあり、深い理解にいたるものはありませんでしたが、今後いろいろ考えていく際に広い角度の問題提起が沢山あって、多くの刺激をもらえました。このような内容が無料で聞けるというのは非常にありがたかったと思っています。

2015年11月8日日曜日

インタビュー第六弾:姉崎洋一さん(北海道大学名誉教授、特任教授)

既に掲載して数日が経ってしまいましたが、インタビューシリーズの第六弾を掲載しました。今回は北海道大学名誉教授・特任教授で教育学を研究されている姉崎洋一さん。http://ethic.cloud-line.com/interview/21/
 今回は教育学の話よりもアクチュアルな話題である「安全保障関連法案に反対する学者の会」の北海道を代表する中心メンバーのおひとりとしてお話を伺いたいというかたちで、初めて今回はツテなしでお願いしました(但し、昨年三月に出版した自費本を買ってくださったご縁はあります)。
 インタビュー当日は安保法案の特別委員会で強行採決されると思われた日でしたし、当初は先生も超ご多忙と思い、反対の心境と法案への思い、その他9月16日というまさに法案成立直前の気持ちを伺って即時記事化しようと。いえ、実はそうするしかないほど時間がないだろうなという思いでインタビューに伺ったのですが、結果、何と約束の時間からデモへ出かける(!)時間まで大丈夫ですということで、結果三時間半にわたりお話を伺えました。結局、掲載はあの時期のリアル状況からは時間は経ちましたが、むしろいまあの時を改めて振り返るのには良かったのではないでしょうか。
 安保関連法案をめぐっては、冷静に考えると幾つか民意が揺れる局面があったと思います。そして僕自身もそうでした。昨年の時点で閣議決定される頃には公明党に淡い期待を抱きつつ、結局閣議決定は規定の政治的な事実で、その後長く衆議院の議論が始まってまでは私個人として「あきらめ」の感覚があったのは恥ずかしながら否定できません。それよりも安倍政権の周辺や安倍首相を擁する日本の政治家の人たちの幼稚さのきわまりに嫌悪感が強かったから「全ては彼らの思うとおりに」という諦めと何ともいえない忌避感があったのかもしれません。
 それが変わる潮目がもちろん1つは衆議院における憲法学者の憲法審査会での自民党推薦も含む「全員違憲」の発言で、そこからそれに対する与党の稚拙なリアクションや、学生の安保法案反対のデモであるSEALDsの動きであったわけです。
 折りしもこの法案を通して自分でも自明視していた「立憲主義とは何だ?」「民主主義とは何だ」「われわれはどういうものによって集団統治されているのか」という根源的な問題を考えさせられたわけです。
 国政選挙がない以上は民意が反対の声を何とか届けるしかない。それが国会をとりまくデモであったり、安保法制に反対する学者の会であったり、ママの会であったり、いろいろです。で、自分として考えたのはやはり「インタビュー」ということでした。自分は基本的にシュプレヒコールにあまり乗れるタイプではないし、サウンドデモには好感持っていますが、それに乗れるほど若くも無いし、どうしたらいいか?という方法の模索の結果が「反対する学者の会」の姉崎先生に反対の根拠を伺おう、アプローチでした。
  先生は一貫して優しく、しかし硬骨の精神で日本と世界を覆う現状を語ってくれ、あっという間に時間が過ぎました。実は今回のインタビューがいままでで一番よどみなく自分自身が聞いて話せるものでした。それくらいかなり興味関心が似通っていたので。。。時間が瞬く間に過ぎ、先生は6時半から始まるデモに行かれる30ほど前までお付き合いいただきました。おそらくその後は準備が大変だったことと思います。本当にありがたいことでした。
 それにしても、インタビュー内でも語っているSEALDsの方法論は画期的でした。「立憲主義とは何だ」「民主主義とは何だ」という根源的な問いかけをするデモのアプローチ、新規のシュプレヒコール。音楽のリズムと政府批判デモの融合はかつての日本にはなかったのではないでしょうか。また、彼らが過去の教養をきちんと吸収し、現在のポップカルチャーをもって人々に思いを伝えて巻き込む。対決というよりも表現。過去の知性へのレスペクトと、多忙な人たちへ思いを伝えるための方法論の構築。結局、その表現に対して稚拙な政府側はあまりに幼稚な反論をしたりした。
 現実の議論のフィールドという場面で言えば、どちらに分があったか歴然でしたね。まあ、そんな批評家めいた物言いはこの一度限りにします。それはいい年をした大人のとる姿勢ではないので...。

2015年10月30日金曜日

父親のケース会議を通過して思ったこと

父親のケース会議第二回目に出席。場所は自宅。前のケア・マネージャーが育休取得で代行に入り、代わりにケアマネ事業所のセンター長がウチのケース担当になったのと、母親がこのところグッと体力・認知力が低下しているのを個人的に僕が情報を伝えているので、ついでに母親の様子を全体で確認する方途でもあるのかもしれない。いずれにしても、現に父のケースの現状とニーズの再確認、サービス提供側の新しい提案など、しっかり会議はする。もちろん本人主体として。

集まるのはケアマネージャーを中心に、訪問ナース、訪問リハビリ担当者、介護用具設置提供業者。父母、息子の自分。今回は再び食の意欲を失い、食べなくなった父に医師の訪問による往診が主眼。これは息子にとっても最もありがたい話で、最近は病院も当日拒否する寝てばかりの状態なので、訪問往診は訪問看護と訪問リハビリだけでもずいぶん違う安心があったから、加えて医療は大いに助かる。

もう一つの課題はデイによる入浴サービス。受けますと言って全然行かず。大概前日断るパターン。自宅風呂に入ろうと思うなどと現状としては無茶を言うので、ウチの風呂に入る介助がしてもらえるか聞いてみた。それはできるとのこと。けれど、父親は女性の介助は嫌だという。男性で可能か聞いてみたら可能とのこと。ならば、と僕が少し前がかりになったところで父の様子を伺うといまひとつ乗り気ではないようなのでこの件は保留に。まず往診のサービスと食べれるようになることが一応の方針で決着。父親の食べる気力が起きない、起きる気がでない、風呂に行きたくないはさまざまな心理的な要因もあって、換言すると「生きる目標がみ出せないし、今後元気になったからといっても何があるか」ということなのだけど、これはサービス提供者も、そしてわれわれ家人も如何ともしがたい問題なのだ。父は「自分の母親は絶食して死んだ。自分もそうなれたら」というが、それは僕らは、まして僕は家人として出来ぬ相談。
最近関係良好なリハビリ担当の人が「そういうことは言わないほうが」ととりなしてくれたけど。そこまで言えるほどに甘えられる関係が生まれたのか、それとも本音がもうそこに尽きているのか。こちらとしては判断つかない。

前段が長すぎたけれど、ケアマネージャーを軸としてこの種の対人サービスはいまの時代の仕事の最も難しい部分を垣間見た気がする。まずじっくりとした傾聴。落ち着いた姿勢で話を聞き取り、ニーズの本質をあぶり出す。本人ニーズは今までも本人自身が求めながら使わず、けっこう裏切ってきてるのだけど、それでもニーズの短期利益と長期利益の両面考えているのが語り口からわかる。短期的にニーズが合わなくても、判断は保留にしていつか必要な局面も考え合わせながら、「とりあえず残しましょう」「やめましょうか」と判断。そしてナースの意見、介護用具業者の意見を聞きながら、それを受け入れつつ、路線を父親にフィードバックする。場合によっては被保険者の求めに応じてその場で電話をかけてことを動かす。それが例えば祝日明けの病院受診に向けての介護タクシーの準備など。

そこに集っている人たちの「こうしたほうがいい」本人の「こうしたい」のあいだを取り持って、落としどころを誰も不安にさせずに方針決定する。もちろん、すべて良しの決定はないけれど、ベターな印象に落とし込むところはさすが。
でも、上述のことはほかの専門職も姿勢は同じ。ナース、PT、介護用具の業者は民間業者だけど、介護保険適用なので、姿勢はみな、そういうもの。これが現代の仕事、もうひとつの最先端だよな、と思う。

対人サービスは相手がいま何を求めているか知らねばならないし、知るためには聞き取る姿勢が必要。同時に、理解を求めるには明瞭で、わかりやすい説明を当事者にしなきゃならない。例えば、母親は難聴なので、大きな声で、しっかりと、ゆっくり語りかける。頓珍漢なリアクションでもみんなかなり悠然として構えているのはやはり訓練されてるな、と思う。

僕も一応は勉強としての認識はあるから、その場の一局面ではできそうな気はするけど、これを継続的にやるとはとてもとても。考えにくい。ノイローゼがおそらく再発すると思う。でも、これが現代のサービス業の最先端のひとつだ。

先日のフューチャーセッションで提起した話題から展開して、いまの仕事は多くがコンピューターが代わってくれるので、人の仕事が接客、対人援助サービスなどの洗練されたコミュニケーション労働になっているので、そこに向かない人は大変という話が援助職の人からあった。まさにそういう時代なんだと思う。それ以外はコンピューターを活用する仕事とか。
NPOの仕事だとてそうだろう。今回のフューチャーセッション、ファシリテーターで東京から来られた方は完全にプロフェッショナルな仕事をされていたけど、ボランティアだ。自分の生きがい、やりがいの代わりに対価を得ていない。
でも、福祉職が、つまり対価を得る福祉医療職が生きがいやりがいが持てるかもてないかわからない。人や彼を取り巻く人に安心を与えることが生きがいで、それで生活している人は当然いるだろう。

問題はあらゆる角度が洗練されて、マインドが同じでも自分のキャパが生活に見合う給料となる職業にするにはいささかきつすぎることもあるだろう。あるいは多忙に見合うにはデリカシーを要求されすぎるとか。僕はこの都会化した札幌に生まれ住んで50年を結構超えるけども、昔に比べて対人関係が洗練されたなあ、乱暴な部分がなくなったなあ、摩擦が本当に減ったなあと思う。それは現代に全体浸透している何ものかではないか。清掃だって、もう10年ひと昔の隔世の感がある。今ではビル清掃していて、ビル内勤務している人は「お客さん」なのだけれども、昔はそんな意識があったかどうか。それだけそういう意識を持つような人間が働く側のベースに必然として求められるし、それができない人はやはり勤められない。

それで、この器にはまりそうではまりきれない人の生活の方法はどうか?という話になる。やはりこの、多くが「感情労働」に従事する時代に、別の仕事の形が自然に当てはまるものとなるとすぐ浮かぶもの…。となると職人、農業、シェフ…。そんな感じか。つまり生産者、ということになるでしょうか。
だから、教育過程からいえば、「一律」ではひとりひとりの育ち、資質に現状、見合ったものになっていないのではないか。僕はエレベーターでよく会う宅配業者の真面目な身体を使った働きぶりにすごく感銘を受けるので、宅配業者の人には自分への届け物には極力心からお礼するようにしているけれど、でもどこかでこのような業務でずっと行くにはもったいない人も多いのではないか、と思うのです。

父親のケアマネージケース会議から風呂敷が広がりすぎたけど、あえて一度広げてみました。

2015年10月19日月曜日

『ひきこもる心のケア』販促活動記録(1)

 
 お久しぶりです。無事8月下旬に刊行された『ひきこもる心のケア-ひきこもり経験者が聞く10のインタビュー』。
 その発売に合わせて、少しずつ宣伝を兼ねて、もろもろ会合や、ひきこもり・不登校の親の会のかたがたの集まりなどにも参加させていただいています。その活動の第一次報告です。
 
まずは、9月9日に小樽の不登校・ひきこもり家族会に参加。この場で確か本を買ってくださった方がいるはずなのですが、現在ちょっと確認を忘れてしまいました。来月にまたぜひ参加したいと思っています。
 
次に、9月12日。全国障害者問題研究会北海道支部。 の夏季学習会にご招待いただきまして。
この場は特別支援教育の専門家で、本書「ひきこもる心のケア」のインタビューにも登場いただいた札幌学院大学教授の二通諭先生と、元々本書の企画の大元になった会報企画の助成金申請もしていただいたNPO法人レター・ポスト・フレンド相談ネットワークの田中敦理事長(本書インタビューにも協力いただきました)との共同シンポジウムのシンポジストのひとりとして参加しました。司会は「ひきこもる心のケア」、監修者の村澤和多里札幌学院大学准教授。
この大会の場では本書8冊をお買い上げいただきました。
 
9月18日は石狩・不登校と教育を考える会「かめの会」に参加。会のほうに一冊献本させていただき、1冊のお買い上げがありました。
 
9月26日は全国ひきこもりKHJ親の会家族会連合会北海道「はまなす」 に参加。会合の冒頭に本の紹介をさせていただき、7冊の本のお買い上げがありました。

10月はまずは函館に。10月11日、函館のひきこもり当事者の集い、「樹陽のたより」と道南ひきこもり家族交流会「あさがお」に参加。後者では30分体験発表と質疑応答の時間をいただき、おかげさまで持っていた本12冊がすべて完売しました。

10月16日。もぐらの会えべつ登校拒否と教育を考える会の特別例会で訪問型フリースクール・漂流教室の相馬契太さんとのトークセッション。相馬さんの巧みなリードのおかげもあって29名の方が集まり、本も10冊ご購入いただきました。ありがとうございます。
才人、相馬さんについてはこちらにインタビュー記事があります。(少し古いもので申し訳ないです)。

そして昨日の10月18日は昨年まで札幌在住で、5年来の友人であり、現在苫小牧の若者サポートステーション&ワーカーズコープの仕事をされている藤井昌樹さんが運営委員をしている「とまこまいフリースクール検討委員会ーこどもかけはしネットワーク」にお邪魔。午前の不登校に関する勉強会、「ふとうこうシンキングカフェ」に参加させてもらったあと、午後からUstream配信「生きづラジオ#4」に出て、藤井さんと対談してきました。このネット配信で本作りの心境やら、生きてきた過程での挫折やらは大雑把にまとめて話してきましたので、お時間がある方、関心のあるかたはご覧になってください。
しばらくしたら、YOUTUBEにも全編上がる予定です。

とまこまいはネット情報配信に大変意識的で、コンテンツも短い期間のあいだに大変盛りだくさんです。ぜひこどもかけはしネットワーク、チェックなさってみてください。

本の全国的な売り上げも幸い順調のようで、まずはホッと胸をなでおろしているところ。今後も行商は続けたいと思いますので、お声がかりがあればうかがいます。よろしくおねがいします。

 


2015年9月29日火曜日

北海道新聞夕刊に「ひきこもる心のケア」に関する記事が載りました

昨日(9月28日)、北海道新聞夕刊の記事で『ひきこもる心のケアーひきこもり経験者が聞く10のインタビュー』が取り上げられました。
ありがとうございます。以下、記事を掲載します。



2015年9月3日木曜日

もう9月も3日。今日は新刊本について監修者の村澤先生とともに地元紙、北海道新聞の取材を受けました。

 少し喋りすぎたかもなあというのが印象です、いえ、別に変なことは話してはいないのですが、もう少し村澤先生にも譲るべきだったかもと。村澤先生とは個人的に本の絡みでよく会っているので、改めて自分たちの作業を振り返る場で横で話を聞くと当たり前ですが、語り口、息遣い、ポイントでの抑揚。さすがにうまいなあと思います。いえ、何しろお相手は大学で教えているわけですから、当然なわけで。でも、語り方の勉強になるなぁと一瞬思います。なにしろ自分はいま思っていることを伝えたいだけで、わ~と行ってしまいますから、余裕がない話し方だったろうな、ポイントがつかみづらかったかもしれないな、と思います。

 いろんな局面で、勉強になることは山ほどありますねえ。
 こういう機会が訪れるとやはり欲目が出て、自分の本のタイトルでネット検索とかしてみたりするんですけど、ほかの検索結果を見るとどうしても「う~ん」と腕組みしてしまうんですよね。何だか重たいというか、ネガティブな社会病理現象のようなタイトルが並んでいて。

 私は私たちの生活心理とひきこもることに何か確たる断絶があるとは思えないのですよ。いえ、そういうふうに言うほうが特殊で、もっと大変だ、というお話は分かるんですが、比重と言いますかね。もう少し肯定的なひきこもることの提起があって、そのバランスの釣り合いがとれて、建設的な話になっていくと思うのですが...。

 あるいは「ひきこもること」を別の角度、つまり病理ではなく、「どういう関係性の中で起きることなのか」、そもそも人と人との「関係の場」が先にあっての個人、と考えれば、こもっているひとも、こもってないひとも同じ穴のむじなではないか、という議論もアリではないかと。こうなるとわかりにくい分野の話になので、もう少し議論が煮詰まり、先に言った時に出てくる展開の話かもしれません。(そういう展開までいつか行って欲しいですけど)。

 でも面白いかもしれないのです。ひきこもりを論じることは哲学を論ずることかもしれません。究極は、ですけど。だからもしかしたら社会的な現象のみならず、哲学的な何かを提起している現象なのかもしれません。ひきこもりは。(まあ、ここまで書いてしまうと、誤解を招くかもしれないので。いまはこのあたりで)。

 誰にとってもいまの関心領域がありますから、ひきこもりの話はマイナーなのはある種必然性があるだろうし、語りがある種の固定性があるのは仕方がないことかもしれません。でも、潜在している層が数としては分厚いのでしょう?

 ではなぜ層が分厚いのにあまりにマイナーで、議論に固定性が生じるのか。これ哲学というか、これ壁だよね、と思うところなんですね。

 まあ、少しずつ少しずつですね。ある程度の「抑えるポイント」と「整理」ができればいいなと思います。う~ん。宣伝めくけど、今回の本もその中のひとつということで。Oh!YEA!ということで。

2015年8月31日月曜日

ひきこもる心のケア出版しました。

 
 
1800円(税抜)
 
 このたび元ひきこもり経験者としてひきこもりの支援実践を行っている人やひきこもり関連の研究者をされている方々へのインタビューをまとめた書籍『ひきこもる心のケアーひきこもり経験者が聞く10のインタビュー』が世界思想社より出版されました。
 私がインタビューアーとなり、10人の先生方の話を編纂しています。丁度一年越しの作業がやっと実を結んだ形となります。実際はインタビュー作業は2011年の秋から始めていたのですが、昨年書籍化のためにインタビューの内容そのものを全く変えて専門領域でお話を伺ったもの、あるいは補充インタビューしたもの、そして新たに道内外の支援実践者3人を加え(うち、参加NPO法人団体の理事長に改まって話を訊いたものを含む)全部で10人。実質、この1年の作業をまとめた本といえましょう。
 
 私自身が読み返して編者自身、おこがましいという気もしますが、率直に「これは面白い」「面白いし、ためになる」と思いながら読み終えました。
 10人の先生方のお話が、いわゆる「社会的ひきこもり」に特化したものばかりでないにもかかわらず、その語りが相互に共振している感じがあり、言葉では「○○である」とはうまく言えないのですが、ある種の共通のベクトルが見えてきた気がするのです。その結果、「ひきこもり」をとりまくいままでの言論環境の中にあっても新鮮な、そして新たな「共通認識」を創るものと思われる角度を提起できたのではないかと思われるのです。
 ただ一番、おそらくみなさんの共通問題として言えるのは、「過剰な競争社会化」「自己責任論の浸透」「社会の流動化の促進」というあたりのこと。本書でとりあげたひきこもり問題の背景、底流にその語りの中に流れているような気がします。
 
 本は全部で四部構成。第一部は支援実践者の物語り。まさに物語りといってよいような、支援実践に至る過程に支援者自身も若いときにいろいろと深い模索の時期があったことがわかります。序章でわたし自身のひきこもり経験を詳細に、逆インタビューされていますので、できれば昨年出した自費本を読んでくださった方は、今回はできるだけ最初から第一部、第二部という順番で順番に読んでいただければ、と思う作りです。そのように新鮮なひきこもりをめぐるストーリーがイントロダクションとして色鮮やかに、この本の全体像へとつなぐ流れを構成しています。
 
 その形で第二部は「ひきこもりと心理学」、第三部は「ひきこもりと発達障害の関係」、第四部は「社会的排除としてのひきこもり」といった流れで終章で本書の監修者と私でインタビューを終えた後の感想対談をする、という作りです。
 
 ひきこもりという現象、この現象の渦中にいる人は全国で70万ほどとも言われているようです。ただ、その態様の幅はわたし自身はわからないところもありますし、実際、何をもって「問題となる」ひきこもりなのか、というのは正直どうなのだろうか?という気がします。「つながりを失っている」「つながる場所が見つからない」という共通項はあるかもしれませんが、私たち生活者と何か確たる断絶があるのだ、とは私は思いません。ただ、本書でも和歌山の紀の川病院というところでひきこもり研究所を開所している宮西照夫先生が語る「ひきこもり臭」がある、という意味での共通項はあるかもしれません。
 
 しかし矛盾するようですが、「ひきこもり」が最近語られなくなってきたのが気になるところです。もっと大きくいえば、社会に伏在する種々の困りや困難への照明が「落ちてきている」ような気がするのです。それは端的に言えば、私が懸念する政治の動きで、どうも人びとが国を創るボトムアップ型社会の構想とは真逆に、「国民から国家へ」のトップダウン型社会になりつつあり、そのため生活の中のさまざまな困難が置き去りにされる可能性を危惧しています。(やや物事を大きく取り上げすぎかもしれませんが)。
 
 いずれにしても、すべてのインタビューが成功したとはいえないかもしれませんが、本書の八割方は非常に面白い、興味深い出来になったと多少の自負があるところです。そして本書をベースにしてインタビューをはじめたならば、そうとうなものが提出できたのでは?とまた、おこがましくも思います。
 
 思い返せば、本の編纂の過程ではいろいろなことがあったな、と思います。それは共同作業を通し、編者、監修者、出版編集者それぞれのリアリティを軸とした立場を交錯しながら、時にこちらが思い込んでいたほどには自分が考えていた「ベース」が理解されているわけではなかったとか、それはお互いにさまざまな思いを共同作業の中で感じたことと思います。
 でも、例えば、その私が感じた「さまざまなこと」こそ「社会的生産の合意点つくり」だったわけですし、このような活動は古風にいえば”上部構造的な”作業ですが、でも社会のための「生産活動」でした。つまり初めて社会へと、つまりは世に問う、そして誰かのためになってもらえる希望を託す「インタビュー集」という作品になりました。
 ぜひ多くの人に手にとってもらいたい、それが偽らざる心境ですが、読まれて厳しい評価を受けること。これも大事な社会活動です。どうか手にとって下さる方があれば、ご自身の「思い」で、その感性に忠実に、ナチュラルな形で読み進めていただければ幸いです。
以下、内容の目次です。
 
はじめに
序章 ひきこもりという経験  杉本賢治
第1部 ひきこもり支援の最前線
第一章 自立を強いない支援  塚本明子 (とちぎ若者サポートステーション所長)
第二章 仲間の力を引き出す  宮西照夫 (紀の川病院ひきこもり研究センター長)
第三章 ピア・サポートという方法  田中敦 (NPO法人レター・ポスト・フレンド相談ネットワーク理事長)
第2部 ひきこもりゆく「心」
第四章 対人恐怖とひきこもり  安岡譽 (北海道精神分析研究会会長)
第五章 自己愛とひきこもり  橋本忠行 (香川大学准教授)
第六章 モノローグからダイアローグへ 村澤和多里 (札幌学院大学准教授)
第3部 発達障害とひきこもり
第七章 オーダー・メイドの支援  二通諭 (札幌学院大学教授)
第八章 自閉症スペクトラムとひきこもり 山本彩 (札幌学院大学准教授、元札幌市自閉症・発達障害支援センター所長)
第4部 社会的排除とひきこもり
第九章 若者が着地しづらい時代の支援 阿部幸弘 (こころのリカバリー総合支援センター所長)
第十章 生活を自分たちで創り出す 宮崎隆志 (北海道大学教授)
終章  ひきこもり問題の臨界点  杉本賢治 × 村澤和多里
おわりに

2015年8月21日金曜日

インタビュー第五弾 政治学者、田口晃さん。

お久しぶりです。新しいインタビュー記事の更新が収録日より丸まる二月遅れてしまいましたが、昨日掲載をしました。
 http://ethic.cloud-line.com/interview/16/
 
 今回は「民主主義」について。収録は6月19日で、NPO法人Continueというところで毎週行われているオックスフォードのペーパーバック、「Buddism」の英語購読会のファシリテーターをしてくださっている田口晃さんに七回にわたり、北海学園大学法学部一般教養の政治史を自由討論の中で学びながら、その背景を元にしてContinueの理事長さんとスタッフさんを交えた座談形式で行いました。それゆえ、私たちの準備の続きをもとに話しあいを行ったため、内容がやや難しめというか、抽象度が高い面があるかもしれません。ですが、いま、民主主義の意義が改めて問われている状況なので、アップ・ツー・デートな内容だと思いますし、同時に、NPOのスタッフの方の発言や私の発言で、「民主主義はどういうものと考えてこられ、その実質が、意識や考え方として(日本で)どういうふうになっているのか」を考える耐久性の高い内容になっていると思います。

 今回も分量は多めにとりました。形式話ばかりでなく、「本音の」というか、意識の深層に内容が後半特に、展開がなっていくのが見えてきて、いろいろと刺激的な内容になっていったと思います。少なくとも私は非常に面白く、今後も似たような別の企画を立てれればと思います。「いま、民主主義はどうなっているのか」というところに関心があるかたにじっくりご賞味いただければ幸いです。
 次回のインタビューのお話はすでに7月末にお訊ねすることができました。今回は発生生物学の先生で、生きものの世界の生存戦略の不思議さ、面白さ、そして自然界の生きものとして、特異な存在であるわれわれ人間の登場から今後のありかまで、非常に面白い、トリビア?も満載な内容です。幸いに、自然学と人文学の出会いの内容になっております。できれば来月には掲載したいと思っています。どうかお楽しみに。

2015年4月3日金曜日

インタビュー運営サイトをブログに移行中です。

 個人でインタビューサイトを運営中ですが、何らかの理由があって、サイトの検索が上がって来ないようです。確かに無料HPサイトを利用しているため、レイアウトもきれいではないのですが、それにしても不自然でありますし、折角の良い人のお話も読まれないのではお話にならないので、当面今までのインタビューをブログに再掲し、今後はブログにインタビューを掲載して行こうと思っています。そのうち、きちんとしたホームページを作成するときもあるでしょう。
 暫定措置ですが、私自身は記号のような存在で良いとしても、内容が多くの人の目に物理的に触れないのは惜しいので、手間隙はかかりますが、少しずつ移行して行こうと思います。現在のホームページは新しいインタビューも今後掲載していき、時期を見て完全移行して行こうと思っています。

2015年4月1日水曜日

困窮者自立支援制度について 櫛部武俊さんに聞く

お久しぶりです。
様ざまあって、なかなかブログに手をかけられないで来ました。

本日から新年度ですが、本年度から施行される「生活困窮者自立支援制度」について釧路で先駆的な活動をしている櫛部武俊さんにインタビューした内容を拙ホームページにて公開しています。話は制度の内容を超えて、櫛部さんの人生観も含んだロングインタビューです。

関心のある方はぜひ読んでいただければ嬉しいです。
http://ethic.cloud-line.com/

なお、ETVの「ハートネットTV」でも困窮者自立支援制度を昨日と今日、とりあげますね。
このあとの午後8時から。(現在、午後7時50分)。
そちらも制度に関心があるかたはぜひどうぞ。

2015年3月30日月曜日

インタビュー第四弾 櫛部武俊さんと、生活困窮者自立支援制度

今年の二月下旬、釧路を訪れ、「生活困窮者自立支援制度」のモデル事業を全国に先駆けて行っていた一般社団法人 釧路社会的企業創造協議会の事務所を尋ねて行った櫛部武俊さんのインタビュー、遅れに遅れましたが、本日掲載させていただきました。丁度、制度発足直前という、ある意味ではタイムリーなものとなった、としておきましょう(笑)。
http://ethic.cloud-line.com/interview/11/

 内容の長さや私の文章の中でも垣間見えるかも知れませんが、私はかなりな「櫛部ファン」です。櫛部さんの魅力はさまざま思うのですが、一番思うのは、櫛部さんという人は人と「共有」したい人なのではないか、ということです。今風にいえば、「シェア」したい人、というか。

 生活困窮者自立支援制度とか、生活保護制度のゆくえの中で活躍する人という捉え方だと、どうしても経済問題や社会問題の枠組みのスペシャリストとして捉えがちになりますし、行政マンでもあった櫛部さんには特にそういう視点でまず考えてしまいそうですが、実際の櫛部さんはむしろ「人と気持ちを分かち合いたい人」という気がするんです。

 「こう思わない?」「そういうとこあるよね~」「あいつすごいね~」「これ、どう思う?」「何か違わないか?」みたいな、人と人との関わりあいの割合深いところの「そうかな」「そうだよね」という分かち合いを求めていて、それを阻むのが経済とか、社会関係とか、孤立孤独とか。そういうものを取り払われた中で人が自由に「感じられる」状態をわかちあいたい。それを阻むものと向き合いたい。何よりもまず経済問題とか、社会問題が先にある人だけではけしてないんじゃないかと思うんです。
 そうでないと、私みたいな身分不詳なものにこんなにいろんなことは話してはくれないと思います。おそらく櫛部さんの明るさと人間探究心はかなり若い頃に培われた何ものかだと思いますが、それをきっと組織人としてシンドイ時も忘れないで来られた。その恩恵はちゃんとあって、僕は釧路に櫛部さんがおられることが寒い土地柄だと思うけど、灯火な気がしています。職場も若い職員の人たちも含めてとても明るいものでした。

 困窮者自立支援制度の具体的なことを付け加え忘れてました。

 行政はまず生活相談の窓口を設置し、相談に来られた人の支援計画を作ります。これが法定必須事業。もう一つの必須事業は離職後に住宅を失った人を対称にする「「住宅確保給付金」。
 任意の事業として、日常生活自立、社会生活自立をベースにした「就労準備支援事業」、ホームレスなどの人のための「一時生活支援事業」、家計相談、家計管理に関する扶助「家計生活支援事業」、そして生活困窮世帯の子どものための「学習支援事業」などです。

 釧路では中間労働、社会的企業として「魚網作り」を行っていますが、現在多くの自治体では任意事業の動きは鈍いようです。現在進行形の法律なので、今後を見守って行きたいものです。

2015年1月5日月曜日

自分のメディアがあるということ。

 わ!と。
 今年に入ってから書いたブログ記事のアクセスがいままでの記事より短期間でアクセスが多いのでびっくりしてます。おそらく、「ペコロスの母の玉手箱」にまつわる検索でヒットしてブログに到着していただいたのでしょうね。中身を読まれた方がどのような感想を抱いたか分かりませんが、まあ、面倒なことを書いているなと通り過ぎた方が多いのではないかと思います......。自己卑下ではなくてね。

 こんな感じなので。もう少し自己修正する分析が必要であるとも思っております。

 今年も(?)個人的にはいろいろありそう。日々の舵取りって難しいですねえ。この時代。時代のせいには出来ませんが、暗中模索ですよ。今年は本が出る予定なので、現状も間歇的に忙しいときはありそうではあります。間歇的だと思いますけどね。まだ分かりませんが。
ですから、自分のためになるべく吸収できそうなメディア探索をしています。特にインタビューや対話を中心に。昨年からその辺は意識的に見聞しているつもりですが。ネットには結構オルタナティブなメディアがありますね。自分のアンテナにひっかかりそうな。今まで気づかずにきたんですねえ。

 まあ、こういうブログも考えてみれば、自分発のメディアなんじゃないかと改めて気がついて。
 ちょっと無謀なことをしようかなと考えています。ま、いま現在ですけどね。
 無謀なことを考えてすぐ(個人の中では)突っ走ってしまい、度坪(『ドツボ』、です。度坪、っていいね。土坪とかもね)にハマルんですが。それなのにまた馬鹿なことを考えているのですが、もうちょっと頭を冷やして考えます。

今のところ、ヒントはこれ ↓
 
 
よければこちらも運営してますのでのぞいてみてくださいね。
 

2015年1月3日土曜日

「ペコロスの母の玉手箱」 感想


 
 明けましておめでとうございます。今年は少しブログもアップしていこうかなと思っています。さぼり気味だったので。今までよりも少し広げて刺激を受けた本や映像メディアについても書いて行きたいです。
 
 まず、今年のお正月に読んで素晴らしい才能との出会いを寿ぎたい、岡野雄一さんという方の『ペコロスの母の玉手箱』。表紙に描かれているように、これは老いて認知症になった母親を看ていく(観ていく)日々を綴ったショート形式の漫画です。母親が入所したグループホームを主人公の後期成年(60過ぎの人ですが、過ぎたばかりなので、初老とはいいにくい。後期成年という言葉を使いたい。老人という言葉は70くらいからが適当ではないでしょうか)が訪ねて伴にゆったりと過ごす時間を描いています。グループホームに母親は居住していますから、直接介護の場面はありません。ただ、本人のことを母親は思い出してくれません。ほぼ「まる禿」になった息子の名を母は思い出してくれず、「ハゲ」と呼ばれるところはやや切ないです。
 全体にユーモア漫画のタッチと、丸みを帯びた描線で認知症の世界の緊張感はほとんど感じませんが、作者の「母ちゃん」も含め、ホームに入っている人たちの描写はかなりリアルです。(ひとり、コミカルに描かれるレギュラーのおばあさんはいますが)
 にもかかわらず、ここに描かれる世界はどこか僕らの記憶の源流を思い起こさせる切ない郷愁が全編を貫いています。同時に、驚くほどシュールな世界を描いているともいえます。淡々としていながら、漫画の表現としてはかなり斬新な世界を切り拓いていることに気づかされ、僕は一度目通読したときは、その斬新な想像力の飛翔具合にびっくりしました。これが60越えの、しかも男性のものなのだろうか、と。作者自身の母が辿っていると思われる記憶や主観的な世界への感応力は、ともすれば社会秩序の体現であろうとしてしまう覚醒した世界の住人であろうとする中年以後男性の硬さをやすやすと乗り越え、母と伴に、母の若い頃に、そして母が酒乱のために悩まされた晩年少し前の父との安らかな語らいの世界に、作者自身が飛び込んでいきます。
 
 母を看るのは後期成年の息子のみで、その妻はおらず、客観的にその世界を描いているという意味では現代的な課題でもあり、リアルタイムな表現ですが、ここまで異性であり女性である母親の記憶の往復に寄り添う形の旅に付き添えることは普通なかなか出来ることとは思われず、ある意味では作者の「憑依する能力」というものさえ感じてしまいます。
 
 私がまず驚き唸ったのは冒頭にあるタイトルのように、「母の中に玉手箱があって その玉手箱の中に迷い込んでしまったような」世界からこの漫画のストーリーは始まりますが、車椅子にのった母と対面している初老の自分をもまるごと箱の中にしまってしまう穏やかな「大きな母」の描写でした。これは男性作者にはなかなか出来ることではないな、と思います。
 ストーリーの中で、主人公はいつも淡々とホームに現われ、母のなすがままに現実感から離れた母とのきれぎれの対話に寄り添い、時たま禿げた頭をなでられるがままに時を過ごします。
 作者の母は、上記したように酒乱の父に悩まされた人でした。父親は素面の温和さとは一変して酒三杯で人格が豹変します。それでも母の記憶の中で父は許され、そして酒が入ると乱暴になる夫を慕い、時には今でもすがっているかのようです。おそらくそれは現代では考えられないほど昔の「母親」というものにとって夫は「すがり、頼る」唯一の人であった、ということでしょう。作者の母は夫を看取ったあと、すぐ認知症になりますが、その症状が出てくること自体がおそらくその証明でしょう。慕い、すがり、頼る夫の存在を失ったとき、やはり子どもは父の代わりにはなれなかった。母はあくまでも母で、おそらく子どもは子どもです。時には甘えても心の中で頼りとなる「心から慕う手」にはなれないのでしょう。
 だから子どもである「ペコロス」さんは母にずっとかなわない。むしろ呆けるようになった母を看ながらまるで母が辿る記憶の旅の中に自在に翻弄され、いつまでも子どもであって、「未だに母ちゃんの掌の上にいるとやねぇ」と思い、会話のない母とのゆるやかな時間に「不思議なぬくもり」を感じる境地にいます。淡々とし、冷静に見える主人公の描写の中に母を恋いる世界(とてもシュールな世界)が展開する。こういう表現を出来る作者に今までの男性には出来なかった「乗り越え」をみた気がしました。そして「幼子を慈しむように、童女になった母を慈しむ」と、自分と母の相互の懐かしい記憶の往復を抑圧せずに描写していきます。
 まさに、幼子を見る若き母の姿がワープし、認知症が進んだ母の邪気のない笑顔がまるで童女のように描かれます。
 現実とのバランスをとりながらも、老婆である母親が童女となり、若い女性となり、そして自分の幼い頃の母となり、それらの時を往来する自分の母親への気持ちを絵で表現した人はかつていなかったと思います。漫画でそのような、真面目な問題や状況を軽やかな表現で描いた作者は、女性にはいたと思います。
 
 
 例えば、こうの史代さんは少なくとも、間違いなくそのひとりです。「夕凪の町 桜の国」「長い道」「さんさん禄」「この世界の片隅で」など、絶妙な作品をこうのさんは書いてきました。このような作品の系譜は女性にしか難しいとずっと思っていたので、まさか男性で、しかも母の介護で(いえ、母の介護ゆえ、かもしれませんが)、こうのさんの系譜を引き継ぎ、並ぶ作者が登場するとは思いませんでした。
 
 柔らかでしなやかに想像力が自在に飛翔する男性作者の登場は、僕自身も遠からず体験することとなる母を看ていく際の想像力の、こころの予習になります。でも、正直作者のような感応の力が自分に生じるようにはとても思えませんが.......。僕にとって、作者があとがきに書かれているように看ていくものへの「癒し」の力になってくれるかどうか。いずれにせよ、これは医療系、介護系などの名作漫画ですし、一般の漫画の世界にも古典となる作品といえましょう。(このシリーズの第一作は映画化もしたようです。作品の舞台の長崎弁が言葉の力を与えています。この辺はこうのさんの古里、広島を扱った物語同様の地方の言葉の力もあります)。