2012年9月7日金曜日

客観的に見れば大丈夫なはずだよ。

ひょんな拍子に久しぶりに自分のブログをず~と見返す機会を持ちました。
要は、やるべきことをさぼったということなんですけどねw

で、「ふ~ん」と思った。
なかなか、書けてるじゃん、と。
素性柄というか、いろいろある関係上というか、表現が回りくどいところがあるけれど、回りくどい分、穴も少ないとも言える。もちろん、いつでもそうだとは口が裂けても言えないが。

ーこれは、自分の書いたものを客観的に第三者的に見てそう思うわけです。

どうも生きにくいなぁと思うタイプの人間の常として、自分に自信を持つのは難しいもの。むしろ自分を過小評価しているとも言える。
まして文章なんかにこだわっているいい歳をした人間、ともなればそれが稼ぎと直結するものでなければ、社会生活上役立つことも余りない面が輪をかける。

でも自分の考え、感じたこと。
「悪くないじゃない」と素直に認めれば、生きにくさの幾分かは薄れるでしょう。
自信家とは無縁ですが、実態以上に自分を低く見せるのは、「勿体ない」どころか、といいますかね。
何か、一神教の世界で生きているとすれば、「この地上において神に対する裏切る行為であるぞ」、とかね(爆笑)。一神教なんか全然、知ったこっちゃないですけどね。まあ、そういう人間側のアクロバッテングな理屈もあるかも知らん。

おっと、また横道にそれそうだ。

生きづらさを抱える他の人と話していてもそう。皆んなあるわけです。美点がね。良さがね。
それを他者も自分自身も評価出来ないのはなぜなのか。

昨日、話していて改めてそれだろうな、と思うのは、もう誰でも気づいている他者とのあいだでの評価で生きる学校から始まる社会生活。

こんな当たり前のことが、ひとりひとりの能力や自尊感情を毀損する。
自分に言う。
「もったいないことをしてるなあ。明日から変われなくても、いいさ。このこと、忘れないでおこうよ」と。

ね?

0 件のコメント:

コメントを投稿