2011年12月11日日曜日

本日は後退戦

 ああ、しまった。今日はやっと簿記の商業簿記があと2回分の講義のみになったので、復習をずっとしていない頭のほうから少しでも問題集を解くことで復習に入る予定だったのですが。。

 家の用事と合わせてショッピングモールに入ってる丸善で購入した講談社現代新書『ふしぎなキリスト教』橋爪大三郎×大澤真幸を読んでいるうちに、全く他のことが手につかなくなってしまいました。
 いえ、実際はこうやってブログに向かっているわけですから他のことが手につかないのではなく、面倒な簿記の復習問題から逃げた、って話ですけど。(苦笑)

 あとで感想を書けたらいいんですけど、この『ふしぎなキリスト教』という本におけるユダヤ・キリスト教の世界観は本当にぼくら日本人の世界観というか、世界の認識における解釈から大きくかけ離れていて、ある程度想定出来ていたとはいえ、改めて驚かされます。ですから、とにかく興味深くて面白い。

 簿記について、というか資格について書こうかと思っていました。「資格について」ではなく、資格の内容が高度になったのではないか、という話です。
 僕は1988年に一度日商簿記2級資格を取っていますが、あの頃よりも内容が深く、より一層簿記論的な所に入っている気がするんですけど。。。
 単にほとんど忘れかけているだけかもしれません。ただ、3級を基金訓練の時に勉強しても気づきましたが、勘定科目名が幾つか変わっています。
 もう20年以上経つと、簿記も時の経過とともに科目計上の方法論に変化しているところがあるのかもしれません。
 この間に世界の金融界を含め、変化がありますから、おのずと簿記もごくマイナーチェンジがあるのでしょうか。そして、やはり内容は高度な方向に向かっているのは確かなようです。WEB講座の講師の先生は1級を意識しているのか、かなり理論的な講義で、その方向性は個人的には興味と関心が持てるものではあります。

 とにかく意味などどうでもいいから、試験対策的にとにかく問題を解く、という過去の対策に比べると、現在はぼく自身の関心も変わってきていますし、それだけに理論的な話はなお一層有り難いのですが、いかんせん、簿記は記帳の実践なので、肝心要のそちらが駄目なのでは大変まずい。勘定科目が分からない、勘定の借り方貸し方科目を間違える、という素朴に問題が多いいまの段階では。。。

 簿記に限らず、例えば社会保険労務士などにおいても。学ぶ内容はより多く、細かくなっているのは間違いないのです。顕著なのは健康保険法です。いま復習は健康保険法の手前で止まってますが、健保は昔は最も理解が簡単なもので、点を取りやすい科目でした。ところが、このゼロ年代に医療保険制度の細かな改正(人の認識によって、改悪かもしれぬ)によって、入院医療費制度を中心に非常に細部な負担額の記憶が増え、テキストページは1.5倍くらいになっているのではないでしょうか。
 基本は医療費は増額の方向に向かっている訳ですが、それが広く浅く医療にかかる人の負担額が増える形になっているので繰り返しですが、細かいのです。

 行政書士もそうですね。とても高度になった。行政法、民法、憲法の判例解釈。かなり高度な事が問われるようになっているのではないでしょうか。そして大きな比重を占めるようになった会社法。
 行政法はより精緻になり、そしていま大阪で話題になっている地方自治法に関して占める出題の大きさはもう何年かまえから目立ってきているのではないでしょうか。地方分権的な意識と繋がっているのかは分かりませんけれど。。。

 僕が試験を受けた平成4年当時も行政書士試験は難易度が高くなったと言われましたが、どっこい、今では「屁」みたいなものかもしれないです。こういう比較は問題のある言い方ですが。。。

 何を言いたいかというと、社会がより複雑になり、かつグローバル・スタンダードの席巻によって、法律系や会計系もよりいろんな新しいことを覚えなくちゃいけない時代になってしまったんだろうな、ということなのでした。

 嗚呼、今日は自分に負けたな。『ふしぎなキリスト教』、読んで過ごします。講談社現代新書。税抜き840円也、です。




 しかし、工業簿記も含めて2カ月で全部終わらせるというのもやや無理筋なところはあるんだよな。本当は3か月くらいかけてやるのがスタンダードなんだけど。無料で勉強させてもらっているので、致し方なし。

2011年12月10日土曜日

朝ドラ・カーネーション

 現在のNHK朝の連続ドラマ「カーネーション」はいいですねぇ。好きなんですよ。「ゲゲゲの女房」もとても良かったけれど、もしかしたらそれ以上かもしれない。

 実際は朝は見れないので、夜6時45分の再放送を中心に見ているんですけど、たまに土曜日にまとめてやる再放送一週間分も見ますね。
 関西系の朝ドラは北海道に住んでいると拝めない関西ローカルの見事な芸達者、役者さんがいるなぁということにいつも感心するんですけど、何というのかなぁ。今回のドラマが際立っているのは総合的にいいんですね。脚本はもちろんのこと、演出から、配役から。そして主人公も際立っていますね。今回はナレーションも本人自身ですから、いつも体当たりのぶっちゃけ、女性なのに「生身さらけ出し」演技も含めて凄いエネルギーを放出していると思います。

 その今までにない「周りに合わせない」「自分の思いに忠実に動く」「思いを率直にぶつける」「行動原理に従って生きつつ、感じる思いから(極力だけど)目をそむけない」「とにかくエネルギッシュ」というのは、ブログを書いている自分のキャラクターからは全く真逆で、近くにそのような存在の人がいられたら非常につらいし、逃げるだろうけど、不思議にドラマにそのアクの強さや臭みがないのが不思議で、爽快さがあるんですね。これはまだ自分でも理由が良く分からない。何故なのか。

 それにしても国防婦人会というものは、どういうキャラクターの人たちが率先垂範して動きだしたんでしょうかね?非常時になると、突然元気になって、何か言って廻ったり、規律を押しつけて歩きたいというのは戦後の「子どもに悪い影響を与えるマンガを追放する運動」(ゲゲゲの女房)にも通じています。実は平和裏においてもある。僕が子どものころにもハレンチな(死語)漫画をやり玉にあげる、というのがあって、子どもながらに大人のいや~なところを思いました。自覚してたわけじゃないけど。

 それにしても、本日の婦人会の台詞は凄かった。

 「日本人の妻たるもの、夫が死んで遺骨になって帰ってくるのが名誉でしょう」。
 
この驚くほどの言葉にならない鈍感ぶり。
真面目な話、人間がなぜ人の素朴なこころに平気で土足に踏み込めるのか、自分自身の問題としても考えなければならないと慄然とさせられます。

 その後、主人公の糸子は夫が浮気をしたまま出征したんじゃないかと疑いを持ちつつも、その鈍感な言葉に悩まされて寝つけず、寝床で夫の姿を想像しながら改めて夫に対する愛情を確認する台詞。

 「大きい背中。笑ったり喋ったりする顔。こころ。それが全部骨になって名誉。。。
こんなに石炭みたいにぼんぼん燃やして、いったい日本はなにが欲しい?戦争って何や?」

 この素朴な、想像力ある台詞にいろいろ大きな意味が込められていると思いましたね。いや、実はもっとも身近な自分の身体の一部になっているような人への思いから発する言葉こそ真実で、そこに不条理が介入すれば、一挙にこの社会、この世界への疑問が思い切り露出する。
 そんな見事なドラマ上の場面だと思いました。

 ややこしい、観念的な議論は実はすべて、自分自身と、この自分の身体の延長への愛情の思いから生まれるものと考えます。
 だからこそ、「国防婦人会」なるものが、糸子の自分の身体に即した豊かな想像力に対して、かくも貧しい鈍感さで人びとの生活に介入していけたのはなぜか。正しいと思いこんで、人のプライバシーに入りこんで行けたのか。関心を持たざるを得なくなりますね。で、もう少し嫌味を言えば、そのような人たちは戦後、自分らの行動をどう振り返ったのでしょうか。もしかしたら、「悪書追放運動」やっていたりしてね(苦笑)。
 全く反省せず。

 でもね。
 もしかしたら、その国防婦人会やらも、ドラマ上のデフォルメで流石にそこまであからさまな事は云わなかったかもしれないし、あるいは言葉の勢いでつい言ってしまったのかもしれない。
 しかし同時に、急にマスコミテレビの世界を引き合いに出すと何ですが、結構平気で想像力貧困なことを言っても許される状況が見受けられる以上、やっぱり国を後ろ盾に平気で人の心に刺さるようなことを言って廻っていたのかもしれないですね。

 気をつけるべきは他山の石。
 主人公の糸子も、戦争に行ってPTSD(今風に云えば)になって帰ってきた幼なじみに悪意なく傷つけるようなことをやって、その幼なじみの親にハッキリと「構わないでほしい。世の中はあんたのように強い人間ばかりではない。弱くても生きていかなきゃいけないんだ」というようなことを言われても、どこかで逆に、自分が悪かったとはいかない。自分が傷つけてしまったのだと分かりつつも、弱さは駄目だ、戦争という外圧も、人のこころの弱さにも「勝つんだ」という姿勢、スタンスで挑む。

 この辺も今までの朝ドラにはなかったリアリズムですね。
 現代の割と教養的な朝ドラや大河ドラマと違って。教養的な今までの朝ドラでは、悪かった自分を反省して謝罪するというノリなのですが、今回の朝ドラでは逆に主人公は「負けてなるか!」となります。このリアルさは納得感が強いですね。

 魅力の一つはドラマの主人公が外からの刺激で変化する、という分かりやすい展開にはならず、本物の人間らしく主人公の女性が自分の行動原理に従っていて、どう振る舞うか行動原理が掴み切れないところがいい。それが現実ぽくていい。計算臭がないのがよいのですな。

 ドラマですからね。ただ、コシノ三姉妹のご母堂が主人公というリアリズムも同時にある。先述したように現実に近くにこのような人がいるとしたら、個人的には辛いですが、いろんな意味で「わかる、わかる」感があるのですよ。
 ただ、これだけ自分に正直で、言葉通り身体的な姿勢も含めてここまでリアルな主人公が不思議と嫌味な感じが無い、それどころか颯爽とした感じがするのは自分でもいまだ解けない謎です。

2011年11月28日月曜日

きれぎれに、つれづれなるまま。

2週間以上ぶりでしょうか。久しぶりの更新です。
この間、雪が降り積もったり、氷点下まで気温が下がる日が続いたりと、冬の天気にもなったのですが、不思議なほど今日は暖かく、まさに2週間以上ぶりの空と気温、地上の状態で、何だかめくるめくような感じです。

午後はキャリアコンサルタントとの面談4回目。履歴書の作成は一応この路線でOK、と。
明日から簿記の2級が始まります。午前と昼の計5時間を1日にやるので、午前中バイトをやっている自分は午後からのリアル講義とウェブ講義を併用する形に。
おおむね週3回で、2カ月で2級を目指すので結構なスピード。

12月は簿記中心になりそう。
社会保険労務士のほうは12月はやはりちょっと手をつけられそうにないな。
割り切らないと、全体が散漫になりそうです。

ファイナンシャルプランナー3級は、一応講座はウェブでおおむね聴き終わりました。
ただ、1回では無理だ。来年5日の日から17日の間、簿記の講座が無い時期が10日ほどあるので、そこで全体を聴き直そう。ファイナンシャルプランナー3級は非常に範囲が「浅く広い」のです。
社会保険、民間保険、国債・社債、投資信託、金融商品、所得税、所得控除について、不動産の民法、不動産関連諸法、不動産税、相続と民法、相続と税法、贈与と税法などなど。一点、一点掴みどころはあり関心を深めたい分野も多いのですが、それらを突っ込んでやっていたらとても全体を見渡せません。
故に、隔靴掻痒の感あり。

今日はもう1科目無料受講できるファイナンシャルプランナー2級も勧められましたが、触手は動くけれどどうでしょうか?FP3級試験は来年の1月22日ですが、以降の勉強も勧めてくれるけれど、ただひたすら勉強ばかりというのはどんなものだろう?というのもあります。むしろそれ以上に社会保険労務士をきちんと復習したいということがあるので。
まあ、一つのサジェスチョンというところです。

バイトと勉強と、もう一つは自分がかかわっているNPOですが、やはり関心は実はこちらに一番あります。自分なりに自由な係わり方として何が?と問われれば、やはりNPOが自分の中で当事者意識が強い。そこにいつの日か自分が学んだことが生かせるような状況があればいいんだけど。。。と夢見ますが、却って迷惑ということもあるかもしれませんし。動きがもっともっと、自由な広がりがあればよいなと思うところですが。

今日は久しぶりに自分の中になにも、設定していません。明日からまた新たな勉強も始まりますし、まずは骨休め。
ふと机の向こうの応接椅子にカバーをかけて載せて置いてあった本を開いてみたら神保哲生さんのトーク・オン・ディマンドの特別編、今回の東日本震災を受けての『地震と原発・今からの危機』です。これはと、ふと開いたら、一挙に大事な本だったと改めて気がついた。


プロローグの神保さんの文章も改めて自分の問題として考えさせられますし、TALK1「釜石市からの教訓」。片田敏孝氏との対談もとても考えさせられます。明治三陸大津波で未曾有の被害を受けた宮古市田老地区のギネスクラスの10メートルの二重の防波堤が打ち破られたこと、そしてどうやらそのハードに人びとが安心してしまったらしいこと。
「私は、今回の非常に大きな問題というのは、想定に縛られたことだと思っているんですよ。たとえば、湾口防波堤ができたから大丈夫、田老にもあれだけの堤防ができたから大丈夫という意識があった。人為的に高めていった安全が、安心感という形でヒューマンファクターの脆弱性を高めてしまったのではないか。」(片田) むむむ。。。

一方、比較に問題があるかもしれないけれど、岩手県釜石市の釜石東中学校のいわゆる「津波てんでんこ」な行動。中学生たちの自己判断によるアドリブが結果として多くの命を救った。
片田さんは言います。
「過去の津波の時は、家族がいるかもしれないと思って引き返したり、周辺を探しまわったりしているうちに津波に呑まれてしまった。津波の時は母も子もてんでばらばらに逃げなさい、という先人たちの苦渋に満ちた言い伝えが『てんでんこ』なんですね」。
うむ、まさに苦渋に満ちた言い伝えです。
「こういう文化があるところですから、『人の命じゃない。まず自分の命をとにかく最優先に守れ。』それがそのまま他の人を誘導することになるんだ」。

こういうことは、やはり地理的文化、漁村を中心とした産業文化が背景にはあると思います。ある意味、標準化できない発想ではありますが、危機の時にはどこかに(苦渋とともに)瞬発力で発揮しなければならない発想かもしれません。
片田さんは集団同調バイアスについて語り、みんなが逃げなきゃいけないと思いつつ、今がその時、と思えない。その時、誰かが真っ先に逃げ出すと、多くの人が同調して逃げ出す心理について語ります。

これは間違った方向に走り出せば危険ですが、本当の危機の時に、自分の判断を最優先する人の行動は、おおむねか、必ずか、人びとが同調して逃げ出すことによって結果的に多くの人を救うことを示している気がします。

すでに関係ない話題を一つに並べて書き連ねていますが(苦笑)。
今年ももうすぐ12月。今年を振り返るとき、東日本大震災はまず一番に振り返る重要事項です。津波と原発。そこから多くの人がすでに多くの被害を受けつつ、そこから幸いにも遠かった自分も多くを考えるきっかけにはなりました。
年末にはまた改めて振り返りのテレビ番組などで考えるでしょう。
「自己責任」は「他者責任」の言葉ですが、「自己判断」は大きな、自分自身にも突き付けられる言葉ではあります。

2011年11月11日金曜日

芹沢俊介さんを迎えて。


 明日、11月12日の土曜日、教育評論家の芹沢俊介さんを迎えて講演と当事者から活動家となった人たちをパネラーとするシンポジウムが行われてます。
 主催は自分も会員となっているNPO法人・レター・ポスト・フレンド相談ネットワーク。
 場所は札幌市教育文化会館3階の305号室。
 時間は午後1時30分から午後5時30分までとけっこうな長丁場ですが、一部で基調講演をされる予定の芹沢俊介さんは、ひきこもり問題(どうも問題、という言葉には抵抗がありますが)に関し、社会側や家庭の親側からではなく、あくまで主体者である当事者の視点に腰を据えておられるようで、その点が好感が持てるところです。

 近著『存在論的ひきこもり』はタイトルからして難解で、立ち読みしたところやっぱり難解そうでした(笑)。インタビュー部分くらいかなぁ、分かりやすそうだったのは。

 むしろ個人的には2002年の著作『引きこもるという情熱』が分かりやすく、当事者目線としてもよく判っている方だと思いました。こちらの本に関しては、個人的にもお勧めです。多少、定義となる表現が一般的ではない、耳馴染みのない用語があることと、「社会的引きこもり」理論に基づく社会への引き出し圧力に対抗する論理構成をとっているために、やや逆弁護的な響きを持っていること。「正しく引きこもる」ことに関して言えば、全ての引きこもりにとってたったひとりで、あるいは主体的に選んでいくことは現実的に可能であろうか?という問いは残りますが、前者に関しては定義を厳密にしたい意図であろうこと。後者に関しては引きこもる人たちの主体性を無視しない議論の組み立ての構築が見事ですっきりしているといえます。あえていうなら、論理がすっきりとし過ぎである気がしないでもありませんが。(ただ、「正しく」ひきこもり、そこから回帰したと思われる人を自分は目撃したような気がしていることもあるので、結構説得力のある議論にも思えます)。


 ぼく自身、引きこもりについての社会圧力的な論理に苦し紛れ?に湯浅誠さんの五重の排除理論の最も根源となる、「自分からの排除」を援用したりしてきましたけれど、芹沢さんはこの本の中でまさに引きこもりにフォーカスして、現実の人たちから逃げても逃げても逃げ切れない、自分自身の中にある「社会的自己」という存在観念を表現をします。引きこもりの人たちの(あくまで一般論として)良い子となるべく、自分の中で築き上げた観念的な社会性の高さにおける逆説の重たさを言い当てていて、見事だなと率直に思いました。

 内容そのものは分かりやすいです。(私が文章化すると却って難しくしているわけでw)
 社会通念や家族目線で引きこもりを捉えることに違和感を感じる方にお勧めしたい一冊です。



 個人的には明日は駆け込み参加、あるいは少し遅れての入室になるかもしれませんが、芹沢氏の講演が楽しみです。
 後半はシンポ。こちらはどんな展開になりますやら。
 市内、近郊にお住まいの方で関心のある方は地下鉄東西線・西11丁目駅で降りて教育文化会館へGO!ですヨ。


2011年11月8日火曜日

震災前よりまともな働き方を(Ust)

 東日本大震災女性支援ネットワークというところで行っている学習会のUstrem中継が本日の7時から9時過ぎまで流されていて、それがとても興味深いものでした。



Video streaming by Ustream
 
 学習会の中心は、元朝日新聞編集委員で、『ルポ・雇用劣化不況』(岩波新書)という名著の著者、竹信三恵子さん、弁護士の中村麻美さん、そして番組を最初から見られなかったので立場は良く知らないのですが、おそらくハローワークの関係者の方なのでしょうか。河村さんという方。

 主に被災地三県において、特に女性の均等待遇を訴える活動をしている人たちとのつながりの勉強会で、被災三県と女性労働がテーマのベースかと思いますが、私は河村さんという方の語る雇用保険にまつわる雇用政策の具体的な話が非常に興味深かったのでした。(21分過ぎ辺りから)。

 ちょうど雇用保険法の勉強の復習を一通り終わらせていただけにタイムリーでもありました。

 社労士の勉強といっても両義的な思いがいつも抜けません。例えば厚生年金保険は正規社員の老後を守る大きな2階建て年金ですし、FPにおける所得控除政策も非正規・正規の社員間と所得における逆進性(税や社会保険料が所得が低い層により厳しいものになっている)の著しさに何とも言えない思いを抱いています。

 矛盾を感じつつ学ぶ。そのことの意味は、自分をより強くするのか、より自分を不安にさせるのか微妙なところではあります。

 話が横にそれましたが、自分のように雇用政策の観点。あるいは被災地支援の観点、女性労働の問題への関心からの観点。
 いろいろな角度から見ることが出来ます。けして音声もよくありませんし、このような話題に関心を持つ人は少ないかもしれませんが、各種勉強会等々に参加できない人などには良い内容かと思い、録画をアップさせていただきます。

2011年11月3日木曜日

近況報告

 11月にはいったので、上記タイトルにて。
 近況報告というところですが、収入は現在午前中の清掃バイトのみ。あとは市の無料資格取得講座でもっぱら勉強をしております。夜は主にツイッターのTLを見たり書き込みをしたり。あるいは気になるブログを見たり、ですね。音楽を聴きつつ。

 市の無料資格取得講座で選択したのはファイナンシャル・プランナー(FP)3級と、簿記2級講座。簿記は今月末からで、現在は専らFPの勉強中心。10月の4週目から始めたのですが、すでに講座は10月頭から。そしてリアル生講義は午前中なので仕事で受講できません。故に勉強はWEB講義にて。

 ファイナンシャル・プランナーで学ぶのは①「ライフプランと資金計画(主に国の社会保険・労働保険)」②「リスク管理(民間保険ー生保、損保、医療保険)」③「金融商品」④「タックスプラン(主に所得税)」⑤「不動産(取引、譲渡、賃貸、それらに掛かる税金等)」⑥「相続・事業継承」の6つの分野で、それらを浅く広く学びます。
 上記に記したように、すでに遅れが生じているので、約一科目4時間半くらいのWEB講座を何とか4科目終わらせました。練習問題も解きつつ。勿論、今後再度の復習をきちんとしなければ。現在はまだ付け焼刃的。

 一番自分が苦手に思っていた金融商品、特に投資信託とか、為替商品とか、外貨建て商品とかがあるこの科目は「耐えられへん」と思いましたが、これがやはりネットの向こうですが、教える人の上手さというか、テキストだけだと頭が痛くなる科目も教え方のおかげで「なるほど、なるほど」と。少なくも、国債や株式は違和感が少し薄れた。でも、上記の投資系の商品はやっぱり生理的に苦手でほぼ飛ばしました。(苦笑)

 最初の労働社会保険はとらなきゃいけない科目だし、金融商品も債券や株式は簿記を学んでいると補完できるものがあるような気がします。
 それは所得税のもろもろを学んでいる部面でも同じことを感じます。また、自分がちゃんと知りたいと思っていた給与所得の源泉徴収票。すなわち年末調整の仕方も基本を教えてくれて有り難い。こちらも担当の講師が実務的かつ懇切で嬉しい。

 こんな形で今月17日でリアル講座は修了するので自分もそれに合わせる形で。出来れば。29日から始まる簿記講座まではこれから中心軸は平日は社会保険労務士の復習。徴収法と健康保険法が中心になりますね。国民年金までいけるか。

 今月はまだこの流れで余裕はありそう。今の感じで。土、日も自分の時間として使えそう。19日からジョージ・ハリスンのドキュメンタリー映画が札幌でも上映されるようなので、それがまた楽しみだし、他にも必要な場所に出向くこともあるかと。

 そうそう、12日の土曜日は自分が係わっているNPO法人にて講演&シンポジウムがあります。評論家の芹沢俊介氏が来られます。自分としての広報はまた改めて。

 12月は簿記2級でこれは2カ月で仕上げる結構タイトなスケジュール。12月は午前午後同日にてリアル生講義が10回あります。午前はバイトで出れないので、WEBで聴いて学ぶことになります。だから復習を兼ねると結構ハードかな。きっと、午前・午後のどちらかが商業簿記、工業簿記という形になると思う。予想としては、午後に工業簿記かな。

 12月はどのような形になるかは分かりませんが、多少、今よりは余裕が減るかもしれません。

 まぁ、結果的にお金は余りかからないことになりそうだし、善しとするか(苦笑)。

2011年10月24日月曜日

熱かったのね。

 この2カ月仕事が見つからず、いろいろ情報収集していた中で見つけたのが札幌市で助成事業として行っている資格の無料受講講座やインターンシップ事業。インターンは基本的に介護などの実務能力がある人向け。
 私は無料資格受講講座のファイナンシャルプランナーと簿記2級に目をつけ、先日申し込みに行きました。その時は所謂キャリアカウンセラーと相談、となっているはずが完全に受講面接みたいになり。面接でアウトのノリ、すなわち、「履歴書をマジマジと見ながら面接官沈黙」や、「勉強を大変おやりになってきたようで(過去の資格取得の件)」といわれ、後は特段なく事務連絡で面接終了のパターン。
 「これは駄目だな」と思ってたのですが、数日後に受講OKの連絡で本日再度受講に向けたオリエンテーションがあるので来てほしいとの連絡。

 ついでに今日から午前清掃のアルバイトが決まり、午前5時起きという自分にとっては過酷な(え?苦笑)日々が始まった中、午後3時に再度お会いしました。校長先生のような立派な風情のキャリアカウンセラーの方と。
 もろもろ事務的なやりとりを沈黙の中で過ごした後、私の履歴書をずっと見ていて、「貴兄の履歴書の書き方を再度考えよう」というようなお話となるやいなや、その後が熱い!クールな風情でこんな熱い人だったんか!みたいなノリで私の履歴書のプレゼンの仕方、大胆な書き変え方を伝授します。履歴書もパターン化せずとも良い、職務経歴書型でも構わんのだ!

 大野更紗さんの病院でのパパ先生とのやりとりもかくやの如く、私は「はい!」「そうですね!」「仰られる通りかと思います!」と反射的な反応。(でもだんだんと目は下に(苦笑)思わず気づいたときに相手の目を見るw)。
 もちろん、参考にはなるけど。熱いなぁ。私は段々気づいているんだけど、あんまり熱い人だと自分が退いちゃうんだな。ご節ごもっとも、にだけ徐々になってしまう。
 ただ、本音をいうと、熱い人をどっかクールに遠い目で見てるところもあるんだよねってところにも気づいてしまったね(笑)。いやいや、まぁ。そんなことを言ってはいけなんだけどね。

 だけどクールに冷静な会話というか、平熱の会話のほうが自分は好きだねぇ。そのほうが自分を出せる。やっぱ、ご立派でどうも、てへへ。みたいな感じだと、「お恥ずかしいことでございます」みたいになってしまう。課題だね。

 10日ぐらい後にまた履歴書を自分で組み立て直して見てもらうんです。「あなたならちゃんとしたプレゼン履歴書あれば大丈夫でしょう。頑張って」、と言ってくださるのだが、正直そういった意味合いにおいては、あんまり頑張りたくないんだよね。おっと!書き過ぎ、書きすぎ。
 贅沢な悩みかな。。。いま、学校じゃ自己分析じゃなくて、求職口に合わせた自己分析をさせているとか。大変なこったなと。そう思うよ。

 俺、7社に勤務してたんだな。どれも正社員ではないですけどね。まあだいぶ整理をしてくれた。
 これで、今度は自分の人生失敗談もブラッシュアップしようか(笑)。「失敗キャリアカウンセラー」なんてね。本当の失敗を知りたくてしみじみ同感、共感したい人はそんな失敗談、ブラッシュアップストーリーでは聴きたくはないやねぇ。面接は本来はお見合いと同じように面談にならなければいけないと思うよ。

 馬鹿なことを書いてますが、これから午前中はバイト。現在授業開始中のファイナンシャルプランナー3級は午前9時からなのでリアルタイム受講は出来ないため、ネットで勉強することに。こちらが11月中旬まで。下旬から簿記2級が始まります。こちらは登校6~7割、ネット受講が3割くらい。テキスト代がただなのも嬉しいところ。後はここに社労士の復習を組み込む。他の勉強を汲んだので、最初は1月くらいから実務講座を学ぼうと思ったが、1ヶ月くらい遅れるかな?

 土、日はいままでどおり自分の時間に使います。自分が携わっているNPO関連もあるし。
 これから雪の季節になるのが嫌だな。自転車に乗れなくなるし、交通費もかかるしねぇ(苦笑)。

2011年10月21日金曜日

小樽観光 小樽文学館・美術館

  今日もそうでしたが、晴れわたって暖かい昨日。10月20に、小樽にドライブがてら出かけました。目的地は小樽文学館。そしてその建物に併設されている美術館。もともとは文学館でボランティアをされている友人のハイロウさんの話を聞いて興味を持ったためもあります。小樽に出たついでに小樽港を見渡せる手宮公園にも寄ろうか、という目論見もありました。実はもう一つの目論見も。。。それは後述しますが。

 昼は小樽でとる目算で札幌を車で出たのは10時半頃。快晴でかつ暖かく、手稲星置を越えたあたり、ちょっとした小山は紅葉も色づいて綺麗。散歩がてら頂上にも登れそうな高さ。しかし今年は熊の街歩き騒ぎがあって、ここら辺も下手に登ると危ないかも。でも山側には実際、犬の散歩で遊歩道のような所を歩いて降りてくる人もいますし、何となく熊騒ぎも関係ないような長閑さ。若い女性が山の傾斜面あたりから国道沿いのほうに向かって通勤する様子で、意外に自然の場と生活の場が普通に近い感じです。昔は、いえ今もですが、このこんもり小山と開かれた街との間には干渉し合わない「自然世界」と人間世界が別れていたのでしょうねえ。人間側も畏怖の念を持ちながら・・・なんて考えつつすぐ海が見えてきてあっという間に小樽です。札幌からだと高速は本当に要らない。

 小樽について運河から港よりのパーキング一日券で停めたら、何だかすでに観光客気分。小樽なんて隣の市、という感じでいたのですが、独りで降り立つとそれなりに非日常感覚が心身に訪れます。僕の内実的な目的の一つは今後「独りで行動出来ること」。30代の頃、結構いろいろと道外を独り旅したものですが、あの当時は仕様がないという現実的な側面もありましたし、どこかで自分、独りなんだということを意識から隠すようにしてた気がします。それでも十分に楽しめたものでした。ところが40歳になった頃から突然、一人旅をしていて「ひとりは寂しい」「この風景や何かを他人と分かち合いたい」との思いが急速に意識され、それ以来、ひとりきりの旅は全くと言っていいくらいしなくなりました。そしてここ数年、悩みを同じくする人や、心情を理解してくれる人、友人が増えるに従い、ますます単独行動が減りいつのまにか「ふらっと出かけるのにひとり」ということがなくなりました。一人で出かけるのは「(何らかの明確な)目的のある場所」。逆に遊びに出るのは独りじゃない。極端にいえばそんな感じで、行き場所もなく、誘いも無ければ、市内は別ですが、一人で別の街をうろつき歩くという事はほとんどなくなりました。

 それで、ひとりになってもなんともない。落ち着かないこともない。その場での出会いを楽しめるようになる。それが目標なんですが、如何せん、40代以後そういう癖がなくなっていたもんで、小樽のような、レトロで歴史性を色濃く残す観光街は知らない場所に来たときのように、何とはなく自分の気持ちはストレンジャー。我が家の墓参りの時には感じない、落ち着かなさ。

 まずは確か駅前の紀伊国屋や玉光堂が入っているビルに結構上手いラーメン屋があったと駅に向かいます。この日は修学旅行生の集団が多い。途中で旧手宮線線路跡地を確認しつつ、まずはJR小樽駅。バスターミナルビルに入っている筈だったラーメン屋はなく、真昼にしては意外に空いている旧来型の喫茶店。そこでコーヒー付きのカレーで一服しようかと迷いましたが、都通りでのラーメン屋ののぼりが気になり、そこは「えいや」と見きって都通りへ。

 最初考えたラーメン屋は少し値が張るのが分かり、客も多そう。そこは諦め向こうにもある店のショウケースをのぞく。当店おすすめ塩あんかけラーメン。ふむ、うまそうだ。こちらに決めたと思ったら狭い階段を上へと。入ったら、中は修学旅行生でかなり満杯。奥さんらしき人が忙しく接客中。仕様がないかと一席だけの空きを座ってこの店名物のあんかけラーメンを頼みます。横に修学旅行生の男女グループが若々しいエネルギーで賑やかです。この頃はかなり異邦人気分を抱いている自分ですが、賑やかながら隣の男女高校生たちのグループの雰囲気は悪くない。健康そうだし、でも生意気そうでもないし、お店の人にも挨拶が良くできる。別にお行儀の良い学校の生徒さんでもなさそうな普通の高校の生徒ぽいけれど、ざっくばらんであいさつもしっかりしているのはいいよな、と思っていました。たまたま次回通信紙用に最近の若い人の問題とかを考えてたんで、その意識とのギャップが脳裏に浮かびました。まぁケースの違いということだよね。やっぱ普通に若者は健全だ。僕が食べ終わりがけに彼らは店を出ましたが、どうも静岡から来ているらしい。

 さて腹がくちて都通りの観光表示案内を見ると都通りを越えて左に行くと文学館はすぐ、みたいです。どうも名所の一つである日銀支店の建物の向かいのようだ。なんだ、近いんじゃん。というか、駅に来る時に確か通りすぎてるはずだな。


 ありました。旧手宮線の線路沿い。おや、建物は何だか古い学校の校舎みたい。まだ少し食後感があったので旧手宮線をぶらり散歩して、目的の小樽文学館&美術館に。小樽に由来する人たちを展示する文学館と美術館は同じ建物に入っています。両方を閲覧すると500円。一回の事務所前で受け付けすると、共通券みたいのをもらって見ることが出来るギャラリーのスタンプを押してもらう形です。この日は市民祭というのをやっていて、まずは1階の奥に進みます。まずは市民が主宰していると思われる「石」の展示。奇岩というか、見立ての石です。思わずつげ義春のせつない漫画、『石を売る』を思い出します。石の趣味ってやっぱりあるんだなぁ。だけど、売買とかは無さそうだよなぁ。わかんないけど。

 そして一歩進んで市民写真展に。こちらは北海道新聞社賞とか、市となどの奨励賞なども展示されてます。これが良かったな。いい写真が沢山あった。テーマや構図も捉えた瞬間も「いいな」と思うのが沢山あったし、やっぱり小樽周辺は自然が多いんだよなと改めて認識しました。満喫。

  その満喫感を感じつつまずは1階の『中村善作記念ホール』へ。小樽を根城にされた洋画の風景画家です。僕は美術館にせよ、展示室の解説パネルは結構好きでそれを読み込むことに結構時間を費やします。作品もさることながら、中村善作の言葉がいい。自然との向き合い方。写生と向き合う際の覚悟。いい文章だなぁと感心。前景に若い女性が背中を向けて小樽港を見渡す風景画は僕も見覚えがありますが、やはり絵は風景を写すと同時に、それを見た自分が新たにその風景を見る観点が変わるという効果があり、その相互作用が楽しい。美術館である程度見知った場所の風景画を見る喜びの一つはそれです。中村善作という人が小林多喜二と同時代人で交流があり、伊藤整との関係もあるようなのには吃驚したな。あと、昔は絵の描き方の本があったんですね。そういう本で中村氏は寄稿されています。絵と誠実に向き合った人のようなので、その文章をまとめて読みたいものだ、と思ったものです。

 そして最後にとって置こうと思う小樽文学館は2階だけど、先に3階の『市原有徳(ありのり)記念ホール』に。こちらは外観からして現代的で綺麗。
 入ると何というか、一挙に前衛的な世界です。こちらはいわば版画家なのでしょうか。抽象版画というか。市原氏のアトリエ、というかほとんど工房というかミニ工場の一室の如き有様ですが、それを再現したところがあり、そこがまた凄い。芸術工房というより、何かの製造工場みたい。スキンヘッドの熊さんのさきがけみたいですね。
 作品は基本前衛的。ただ、ある種の作品は圧倒的な異世界を見せるような説得力があり、無機質な質感を感じさせるというようなことが解説パネルに書いてありますが、独特な有機物性、なまめかしさを覚えさせるものもあり、なかなか一筋縄でいかない感じだなと思いました。中村善作もそうですが、何ら予備知識なく異質な世界を見たので、ホールが出て映像が流れている美術紀行番組で市原有徳さんの紹介番組をしばらく見ました。この方も小樽で定年まで安定した仕事を持ち、ずっとこういう前衛作品を小樽で作っていた人なんだ。ある意味、中村善作さんと好対照なんだなぁとこの対照ぶりが面白かったのでした。

 さて階段を下りて、目的の「小樽文学館」へ。入り口がまたなかなか立派でユニーク。どこがユニークか説明が難しいですが(笑)ざっと奥行きまで眺めますと、なるほど同じ文学館でも札幌とは違いだいぶ面白い空気感を醸しています。まずは企画展である「小樽・新聞物語」を見ます。展示物は明治から昭和初期の新聞ですが、解説文が実に面白い。何というのかな。今も昔もかわらぬ人の下世話さ、おっちょこちょいぶり、そこはかとないユーモアやトホホ感覚。これをまた新聞がちゃんと大衆狙いに大真面目かつ下世話に書いていたことが分かります。明治から現在まで。変わらないことは変わらないのだなぁという実感と、先述したように、それを解説してくれる表現がポップ。面白く、何度吹き出しそうになったことか。

 後は本流である小樽輩出の文学者たち。もちろん小林多喜二であり、伊藤整であり、小樽に滞在していた石川啄木であり、あるいは小熊秀雄というあたりの分類展示です。啄木は知る人は知る。有名な天才気どりだった人であり、借金王でもありでそこら辺をツッコミいれた企画展同様のユーモアで見学者の興味を引きます。(寝そべった啄木の人形がステキ。欲しいw)

 しかしさすがに小林多喜二や伊藤整の展示にその遊び感覚はありません。文学館創立期からの柱でしょうから、なかなか崩せないかもしれません。多喜二の死にざまや名前通り伊藤整の雰囲気から茶々を入れる空気もさすがにかもせないかも。でも、多喜二と伊藤整って整の方が一つ年下の同時代人なのですね!全然知らなかった。面白いことに現在の小樽商大に当たる学生時代に一緒に学生芝居に出てる写真がありました。また、多喜二のデス・マスクも展示されていますが、確かに整ったハンサムな顔立ちです。下衆な言い方ですが、多喜二の人気はこの若さと美貌は無視できないのではないでしょうか。

 当時の多喜二死亡の新聞記事がありますが、さすがに官憲批判こそ載せていませんが、意外と不審死を疑わせるもので、母の狂おしい嘆きも紹介され、かなり多喜二に同情的な取り上げ方です。こういう新聞の取り上げ方は現代とはそんなに開きがあるとは思えず、ちょっと怖いような気がしました。 

 後は個人的にビビットに響いたのは詩人としての小熊秀雄でしょうか。名前だけは知っていましたが、作品は知りませんでした。こちらのパネルで紹介されていた「魅力あるものにしよう」は思わずグッとくる作品でした。

 やはり文学館ですから、言葉が立ちあがる場所です。言葉と出会って感動する。その醍醐味を小熊秀雄の詩からしかと受け止められました。かの人の詩はこちらのサイトで読めます。

 とはいえ、この文学館のユニークさや、凝り方は相当なもの。小樽が生んだ、あるいは小樽に住んだ石川啄木等の生きざまをユニークに取り上げた解説はトホホであると同時に自分なんかはとても共感するもの。

 仕事嫌いで生涯自由人だったアナーキズム川柳人・八橋栄星ですとか、社会人生活に力が入らない側での名前どおりな並木凡平さんとかね。
 小樽でプロレタリアとかアナキズムを標榜した川柳運動があったなんてねぇ。まるで江戸の狂歌運動みたいですね。

※このあたりの人たちですとか、北海道の文人たちをユーモアたっぷりに取り上げた高山美香さんという方のコラム、「北の文人 立ち話 」はおそらく絶対読んで面白いでしょうね。全部はまだ自分も読んでいませんが。(概して昔の文学者は徹底している人が多いなぁ。。。)

 そのような次第で堪能させて戴いた美術館と文学館。ひきこもり名人、勝山実さんも気にいる施設になるのではないかなとしみじみ思いました。小樽には文化あり、を改めて思いながら、お向かいの日銀の建物を写して。

 午後3時半すぎ、小樽港を見渡せる手宮公園へ向かいます。



 いい景色を眺めながら、少し早い文化の日を思い返しつつ、帰路へ。

 実はこの後、ハイロウさんが少し前に訪れたことがあり、ブログで触れていた大変興味深いスペース、坂ビスケットがやっている?「レトロスペース・坂会館」をまずは場所の確認して帰ってきました、と稿を締めようと思っていました。もう午後も5時くらいになると外が真っ暗ですしね。ところがまだここが営業?してたのです。ナント!

 そして入ってびっくり、あけてびっくり。アッと驚くタメゴロー。このスペースの展示はぶったまげ。

 その感想はこれだけ長くなるともうそれこそ書くスペースがありません。でも本当にここは凄い。好きものには何度来ても飽きないだろう、異空間であり、かつ人びとの情熱と情念の場所。

 こちらは写真撮影OKの場所でしたので、それこそ稿を改めて書きましょう。その時間があれば、ですけど(笑)。いまのところ。
 でも、さわりとしての写真を2枚ほどw




2011年10月9日日曜日

ややこしいシステム

 実は国民年金にまた切り替わって以降、8月分と9月分の国民年金保険料を納付していたのですが、私は月400円プラスアルファする付加年金付き保険料という形で払っていました。現在定額で15,020円ですから、15,420円です。
 そしたらば、先月年金事務所から連絡があり、一度厚生年金に加入し、国民年金から形式上脱退しているので、付加保険料付きの年金保険料納付を8月9月とされているけれども、一端そちらの付加保険料は返還するので、8月については国民年金の定額期間にして、9月分に関しては10月末まで400円のみ付加保険料を納付してもらい、10月分以後に関しては、付加保険料納付き国民年金へ加入するなら、新しい納付用紙で支払ってほしいとの話。
 上記の文章自体、そもそも分かりにくいかもしれませんが(笑)、まあ了承しましたということで、そこから先が長い。9月の初旬くらいに連絡があってから、「付加保険料納付申請書」が送られてきたのがほぼ下旬近く。

 電話した時にも話したのですが、納付用紙そのものは全く同じ形式の付加保険料付きの用紙が手元にあるわけで、それは結局同じことではないですか?と問うたところ、用紙は同じだが、再手続きを経た後で、同じ納付用紙で新たに付加年金加入という形をとって欲しいとのこと。
 ここら辺ですでに効率の無い煩雑な手続きが絡んできます。

 その後なしのつぶてで先週の金曜日にやっと今度は「保険料の還付申請書」と9月分の400円のみ納付する用紙が送られてきた。800円ですよ。そのいかにも社会保険事務的な用紙に記入し、印鑑を押し、800円を返還してもらう。それも1月から1月半後。場合によれば、もっと遅れることもあるという。繰り返しますが、800円なんですよね。いかめしいこと。そのまだ返還されない800円はひと月半後に銀行に振り込まれ、先に9月分の400円は今日10月9日にコンビニで納付してきました。

 国民年金保険料は、厚生年金保険の保険料も同じですが、納付は次の月の末日まで。とはいえ、納付するなら同月分は同月に払っておきたいとの思いもある。だけど、先週送られてきた還付申請書と9月分の納付用紙が年金機構で把握されるまで、10月分以後の新しい納付用紙は届かないのだろうなぁ。こちらも蓄えとの計算があるんですけど。。。まあねえ。。。。

 次の月の末日まで払えばいいとはいえ、納付用紙のやりとりをする間にこう多くの事務手続きが煩雑にあると、下手して忘れて納付月に間に合わないということだって起こりうる。
 まして付加保険料というのは、他の一般保険料と違って納付期限まで納付しないとアウトになるシステムなのだ。もう少し間に入る手続きシステムは簡略化出来ないものかねぇ。
 社労士の勉強というのは、ある意味その煩雑なシステムに食い込んでるともいえる、悪い言い方をすればね。その代理人になる勉強という側面もある。
 しかし、流石にこういう無駄な時間経過はいいことじゃない。
 まるで付加保険料なんてマイナーなシステムには加入しても意味ないじゃない?って年金機構みずから思っているような感じがしますです。

2011年9月26日月曜日

ひきこもり外来の可能性について

※(この文章は自分が関わっているNPOで作成した『北海道ひきこもり支援ハンドブック』挿入のコラム・エッセイのために書いたものです。本年2月に書いた原稿ですから、やや内容が古くて申し訳ありません)

 ひきこもり外来という言葉を聞いたことがある。その言葉に初めて触れた時、何か大きな期待感のようなものを感じた。2週に一度、あるいは1カ月に一度、ひきこもりに理解がある専門医に50分程じっくり自分の思いを語り、自分の言葉を整理してもらい、その整理によって新たな自己への気付きが生まれる。そんなイメージだ。


 そのひきこもり外来の現在はどうなのか。ネットで調べてみた。すると、いろいろな資料や専門家のインタビューが載っているかと思ったが意外なほど情報が無いのだ。正直、これは半当事者的意識からの主観かもしれないが、ひきこもり者への深い洞察に基づくものにも見当たらない気がする。また、幾つかの資料を読んでいると、確かに「治療モデル」は必要であるにせよ、ネットで読めるものはそのモデルが強調されがちなのが気になる。

 しかし筆者自身が長く「精神分析」モデルで健保・国保の枠組みに上手くはめてもらい、ひと月に一度10年以上にわたりその治療モデルで経過が良くなっているため、ひきこもりの長時間カウンセリングに可能性を見る気持ちは抜けない。しかし実際には、なかなかそのような理想の環境にはなっていないようだ。

半当事者的目線で評論家的なことを言うのは気が引けるが、「ひきこもり」に関して、自分自身がピンとくる経過良好の話はあまり目にしない。(あくまでネットで見る専門家の話の世界だが)。極論すれば、ひきこもりの主体者でない人がどこまでひきこもり者の実存世界を理解できるのだろうか?という気がするのである。(そのためにはひきこもり体験者が自らの世界を自らの言葉で、支援者たちに伝えていかねばならぬ責務があると思うけれども)。

 一言でいえば、明瞭な可視化が出来ないゆえに、どうしてもある種のおどろおどろしい側面のみが強調されがちなのではないかと思うのだ。この雰囲気は筆者には既視感がある。30年以上前の統合失調症の人たちを見る社会的視線である。その後統合失調症は薬の劇的効果もあり、社会の認知も進み、障がいの中でも「最後の差別」とまでいわれていたが、その点もずいぶん緩和された印象がある。おどろおどろしげな目線は理解の難しさに根差すだろう。困ったことにその当事者さえ、それらひきこもり者を見る、世間や、関心を持つ人たちの思考回路を内面化する。故にその「自責」感がより一層問題をやっかいにする。それら相互の固定観念から、共に抜けていかないと本人も周囲も自縄自縛になるばかりではなかろうか。そのように書いている筆者自身とて、その自縛から抜け出ているとは言い切れない。

 話を戻そう。ここにひきこもり外来医で新潟で活動されている方だと思われる人の考えがある。その人はその膠着感から少し抜け出た発想をしているようだ。発想としてはこういう感じだ。

 ポイントは、医療と心理と親の会とNPOと居場所が一体化する複合的な取り組みにある。つまり孤立した若者に有効であるためには、治療システム側も1対1などの孤立的スタイルではなかなか有効性に乏しい。診察室や、箱形の居場所や、深刻そうな大人の寄り合いでは駄目、とまで言っている。いわば「お祭り」のような集まりにあること。かつまた同時に、自分を見詰めることが出来るカウンセリング室の併用があること。

 その両輪があれば良い。ある家族の会のリーダーは仰っていた。いろいろな形でのいろいろなフォローが本人たちには必要なんでしょうね、と。

 その意味で、支援グループと個別カウンセリングの併用は今後有効な手段だと半当事者としての筆者は思う。愚見であろうか。 

 ※家族会のリーダーの方が仰った「いろいろな形でのいろいろなフォローが欲しいですね」という語りはある地方の家族会に取材でお邪魔させて戴いたときに、もろもろ、少数ながら活発な家族の方が当事者のための生きやすい社会について自分も含めて座談が深まったその後に、しみじみと仰ったひとことです。
 その感慨深そうなひとことがやはり当事者性を残した私にはとてもとても印象深く響いたのでした。