2010年10月3日日曜日

映画『アンダンテ』ボランティア

昨日、映画「アンダンテ」上映前の配布資料を揃える作業と「もぎり」のボランティアに行ってきました。
昼にひきこもり等に関するシンポジウムがあるので、その時間から人が集まるだろうと思ったら、意外にも一番最初の上映回から席がほぼ埋まるという盛況ぶり。
(少なくとも個人的に好きな「ミニシアター系」映画より遥かに盛況ですw)

自分が思っている以上にこの種の問題に対する関心が高いのか、と感じたのが率直なところです。
このところの取材等でお世話になってくれた方々たち、そして嬉しいことにハローワークで職業訓練に関する相談に乗ってくれている職員の方も来てくださって、私個人にとっても、とても嬉しいことでした。

映画に関しては、主人公の苦悩に共感しつつも、良質なファンタジーというか。ひきこもり問題に関する実存的な問題や、いま、社会に瀰漫する多くの現代的な課題の根本と思われる「関係性」と「経済」の問題まで切り込むのは難しいのだな、というところです。そこまで切り込もうとすると映画として必要なエンターティンメント性が維持できないでしょうしね。
ですから、難解、晦渋では困るでしょうが、リアルひきこもり問題はそのような局面があるのは確かでしょう。。。

昼のシンポで文学研究の先生の資料にもありましたが、私は「思ひでぽろぽろ」と「北の国から」を足して、そこにひきこもらざるを得ない辛さとその呪縛からの解放に向けた希望のファンタジーのような作品に見えました。すみません、読み取りが浅いのかもしれません。

昼のシンポでレター・ポストの田中代表が「ひきこもりの人たちは活字離れが叫ばれる時代にあって、非常に活字を読む人、読書人たちだ。新聞もすみずみまで読む人たち」とそのポジティブな側面を強調されましたが、やはりそこから先、なんですよね。おそらく大事なのは。

ある面では、新聞もそれほど深刻には読まず、本もほとんど読まないで世の中で活動している人たちの中についていけないが故に籠もりがちになる結果、インドアの活動が継続し、お金がかからない方法で生活に潤いを求める結果の活字文化なれ、という側面があるかもしれず。外で忙しくしていれば活字離れしていくということもあるかもしれません。そこら辺はぶっちゃけたところ、「鶏が先か、卵が先か」ということかもしれません。

ですが、活字なれ、情報の深層を探る能力、深い思索力、繊細な感受性をどう生かすかは社会的に見た場合に重要だと私も思っています。(偉そうな書きぶりだけど、自分を励ます意味でも)。

シンポジウムでもパネラーたちが自分のウィークポイントから披瀝したのはなかなかなことでした。この「関係性脆弱」の時代にあってはだれもがプライヴェートのウィークポイントがあっておかしくありません。そこから始めるというのは大きなことで、イデオロギッシュでさえあった「自己責任の時代」から、改めて社会相互間の応答が求められる時代にはこういうところから始まるものなんだな、そしてこういうところから始まって欲しいものだな~と思いました。

最後に都会のカプセルのようなマンションと、自然の中に開かれて人も自由に出入りしている人間関係が濃密な農村、という対比が明確であるこの映画。ちょっと逆の意味で区別しすぎかな?と思いましたが、単純に映画として楽しむ自分には稲穂の美しい、自然が豊かな農村風景に憧憬を持ってしまうのは否めない事実でした。

そこにすべての問題の鍵がある、とはなんぼなんでも思いはしませんが。

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