2011年4月7日木曜日

どこが自粛選挙?

 自粛選挙などと言いつつ、選挙カーによる遊説選挙が例年通りヒートアップしてきています。
 特に今回の選挙は市会議員、道議会議員選挙があるために、かなり地廻り、ドメステックな運動となってしまい、ウチの廻りでもいろんな候補がかなり大音量で叫んでいます。この選挙カーでの連呼選挙は本当にどうにかならないのでしょうか?いわゆる「空気が読めない」さいたるものです。

 陶酔するように「ワタクシ、○○は必ず、必ず○○を実行します!」と自己宣伝をやれるそのキャラクターは私にはまったく理解不能なものです。政治に関心を持つにしても、政治をする側と、私が生を受けて同じ地球のこの国に同居するものとしての性格がこれほど違うものなのか、と改めて実感させられます。自己陶酔出来てしまうキャラクターでないと、おそらく選挙運動なるものは出来ない。

 しかし、コミュニティ単位の議員を選ぶ方法はもっと何とかならないものか。茫然たる被災の風景を見てエンターティンメントや文化活動が自粛、自粛の流れの中で、上記のように彼ら議員候補は生き残りに必死、あるいは自己陶酔しているわけで、最も自粛から縁遠い人種です。
「被災した人々のために」というならば、少なくとも僕が知る、尊敬に値するこの国の文化の中でのリーダーというものは死者を心より黙とうし、黙して、実践的な行動の中で表現する。そのような人を自治のリーダーとして尊敬するのです。ですからリーダーはその際、政治家に限りません。教養豊かな医者のような存在も、危機の時にはその地域のリーダーに十分なりえます。

 結局、食べていくための政治家になるから良くない訳です。少なくとも区レベルを代表する政治のリーダーは兼業でもやっていけるようにすべきです。まずはこのネット時代、ネットによる選挙運動が出来るようにするのが第一に必要。僕ら自身によって、政治家にアクセスして、選びたい候補を選択できること。その意味ではユーストリームやユー・チューブのような映像が存在しているのは大きい。
 かつ、議会を夕方以後に持ってこれる政治文化とすること。そこで兼業議員がボランティア的に議会に参加する。それを僕ら地域の人間たちがネットなどで見る。そこでもフリー映像メディアの存在感は大きいのです。

 いずれ、この不毛な拡声器による連呼選挙は終わるでしょう。そも一日も早く終わらねばなりません。いったい、どこが自粛選挙でしょうか。被災地の人たちのことなど過剰テンションの中に在る彼らには眼中に無いはずです。こんな事をやっているといずれ全てしっぺ返しを食らうときが来ますよ。こうやって一つひとつ、政治リーダーに対する不信が増幅する。まぁ、リーダー不信が覆っているのは政治界だけではありませんけれども。

 率直に云って、これは「危機」ですね。何か、最も本来的で根本的なことに気付いていないという意味で危機だと私は思います。(偉そうだな)。

0 件のコメント:

コメントを投稿