2011年4月5日火曜日

忘れられた日本人

 今日は午前中に紹介のあった求人を手にハローワークで紹介状をもらってきて、応募書類を書いて投函した後、午後雪割り作業をやりながら、合間合間にユーストリームで『環境エネルギー政策研究所所長』の飯田哲也氏の日本記者クラブにおける講演と、夕方に同じクラブ会場にて福島の市長・町長の会見を見ていました。
 私は後者の会見を聴いていて、コメント欄に次々揚がるコメントに残念な思いを強めていました。そこには「原発で食べてきた」首長だとか、「高齢の首長などには全体を読める目が無い」とか、随分な書かれようです。元来から「反原発運動家」のような人たちが書くことなら分かりますが、どうもそうは思われず。一見の見学者が通りすがりに云いたいことだけを書いている様子にしか思えません。

 思わず「そのコメントを書いている自分がどこのだれのおかげで電力のお世話になっているんだ!」とこちらもつられて何か書き残したくなるほどです。

 確かに原発誘致で潤った町もあるかもしれません。どこかの一つの市や町の首長さんは確かに「絶対安心」の神話に乗ってしまった面もあるかもしれません。それでも、長たるものとして、人間が作ったものに絶対など無いことなどは頭の片隅にあるはずですし、原発が事故を起こした際の危険性は必ずどこかにあるはずです。無意識、無関心で済ましていたとは思えません。まして福島全域はどう考えても自治体よりも中央政府や東京電力の不手際の方が圧倒的に大きい。住民やその町のリーダーに責任はないはずです。それを過去の誘致の事実のみを持ってきて、彼らのいまの悲鳴を責めるというのはあまりにヒューマニティがなさすぎます。

 切実な思いに対するこの匿名のコメントたち。自分は、ツイッターがまだそれほど一般化していない、普及直前の頃から始めており、その頃のリベラルでお互いに対してセンシティヴな感覚で対応、コミュニケーションが流れる時期の意識が強いので、ユーストリームのコメントがこれほど無責任になっていることに少々ショックを受けました。2ちゃんねるのユーザーがツイッターやユーストリームの普及に従って、こちらに流れてきているのでしょうか。今後、本当の意味で不謹慎コメントが増え、それを削除する業者によって削除されるような風にはなってもらいたくないですね。

 とはいえ、現段階のそれはせいぜい無責任だと思うコメントの段階ですが、このシチュエーションにおける匿名人による表現は、宮本常一という民俗学者の名著『忘れられた日本人』の中の一編、「子どもをさがす」を思い出させるものでした。


 「共同体の制度的なまた機能的な分析が実際どのように生きているか」という書き出しで始まる1950年代後期の周防大島の子どもの不明事件を取り上げたものです。家庭内の親子喧嘩で家を出て行った子どもたちを村全体をあげて探す。近代化が進み、選挙の時も親子で票が割れるようなところであったが、「目に見えない村の意志」のようなものが働いていて、子隠れに関してもある種の村総体での手分けした子探しが行われたという話。
 ところが、ここで一つ気になる話を宮本常一氏は書き添えます。

「ところがそうして村人が真剣にさがしまっている最中、道にたむろして、子のいなくなったことを中心にうわさ話に熱中している人たちがいた。子どもの家の批評をしたり、海へでもはまって、もう死んでしまっただろうなどと言っている。村人ではあるが、近頃よそから来て、この土地に住み着いた人々である。日ごろの交際は、古くからの村人たちと何のこだわりもなしにおこなわれており、通婚もなされている。しかし、こういうときには決して捜索に参加しようともしなければ、まったくの他人事で、しようのないことをしでかしたものだとうわさだけをしている。ある意味で村の意志以外の人々であった」

 私は上から目線の「日本人だろう」という言われ方は大嫌いです。ですが、いま頭を垂れるような思い、鼻がツンとして目頭が熱くなるようなのは、自分が被災していながら、被災地で全体を見ている自生的なリーダーたちや自主的にボランティアをしているこれも自分の家が被災したであろう、子どもたちの姿です。誰でもそこに感動を感じると思うのですが、そのようなひとたちこそ、日本人で、時とともに「忘れられる」日本人であり、ですが、彼らの力を借りた人たちにとっては「忘れられない」人たちになるでしょう。記憶の中で長く生きる人たちになるでしょう。

 宮本常一氏の『忘れられた日本人』に登場する所謂土地とともに生きる人たちや、世間師と呼ばれるいわば非定着の民のような人たちがおそらく近代化とともに忘れられる意識と感情を持つ人たちとなるだろうとして、何とか文章の上で記録させようという思いがほとばしっているような気がします。この作品に記録される名もなき日本の人たちは、いま被災地で歯を食いしばって助け合いをしている人たちと見事にだぶります。

 愛知県の「名倉村」(当時)のその三に登場する社協の松沢喜一翁の話などは何度読んでも感動が新たになります。

 私は現代に生きて、一歩間違えると「共同体の意志の外」の存在になりかねません。時によると、ネット時代に「通りすがり」コメントを残すような存在になりかねない。その事は常に厳しく意識していなければなりません。同時に、上からの思い切り「善意の意志」が必ず前置きされねばならないような空気もいま現在あるといえるでしょう。これもなかなかに厄介です。

 この震災の複合災害性に比べれば何ということはないような話ですが、「マス」の文脈ではいろいろと、完全なる内々関係にはない、社会関係上では厄介な気兼ねの必要な事の多い社会的状況になってきました。
 もしかしたら、そのような複雑な感情が時折屈折したネット上のコメントとして登場するのかもしれませんね。。。

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