2018年1月7日日曜日

架空対談・私の2017年の10冊(2)いまモリッシーを聴くということ


S「で、二冊目はブレイディみかこさんによる元ザ・スミスの詩人ボーカリスト、モリッシーのザ・スミスとソロアルバムの全解説です」

K「ブレイディさんがこういう本を手がけてくれたことが素直にうれしいのと、先のジョン・ライドンの話で言えば、セックス・ピストルズ~PILってちょうどリアルタイムで自分、聴いたのは78年から83年頃までなんですよね。で、79年頃から81年くらいまでってぼく自身がかなり精神的にやばかったんだけど、同時期にイギリスのインディの新人たち、いわゆるポストパンクといわれる連中がどっと出てきて、その時期がもの凄く刺激的だった。パンクバンドでも初期から凄く音楽的に飛躍したバンドも出たし、ポップス側の新人も面白かった。ポストパンク勢は演奏技術はともかくとして、非常に前衛的だったり、実験的だったりして。その流れがかなり行き尽したあたりで、いま、いわゆる"ネオアコ"と呼ばれる、死語だろうけど。その流れからザ・スミスが出てきたと。日本ではそんな紹介のされ方だったと思う。僕は「デス・チャーミング・マン」の12インチシングルが初めての出会いなんですよ。凄い爽快な曲。やみつきになっちゃう。で、ファーストアルバムはラジオで紹介されて聴いたんだけど、何か独特な湿り気を感じて「ああ、これはイギリスのドメステックなものなんだろうなあ」と感じた。詞が当時のロックとしては独自でやばくて、ラジオのデスクジョッキーもその切り口で紹介してたね。とにかくイギリス期待の大新人だけど、どう解釈したらいいか、ってDJも戸惑っている様子だった。アルバム購入して歌詞カード読んでひっくり返りました。これはやられた!と」

S「ザ・スミスがデビューしたのが83年。解散が88年だから実質活動期間は5年。それに対してモリッシーは昨年新作を出したから、ソロになってからも今年で30年になるね。こんなに長くソロで一線でやるとは」

K「僕もね。だからやっぱりザ・スミスというのが格別過ぎたから。最初に話したとおりPILなどを筆頭にするポストパンク勢がやり尽くして極北化した英国にスミスが80年代英国インディロックをひとり背負い立った、というイメージだね。まあ、サウンド的にはジョイ・ディヴィジョンを改名したニュー・オーダーがいたけど」

S「ブレイディさんは「はじめに」でこう書いてる。「モリッシーのアーティストとしてのキャリアを振り返ることは、80年代からの英国の文化や政治を振り返ることでもあり、この国(英国)でいま起きていることを理解するという難しい命題に着手する上でも役に立ちそうである」と。いまのブレイディさんの仕事であり、考えている要素にミュージシャンで作詞家としてモリッシーがそういう位置を占めているというのは、ファンとしてはすごいうれしいというか」

K「シンプルにそう思います。ファーストアルバムでマンチェスターを象徴する、あるいはモリッシーにとってスミスのデビューを象徴する内容として「ムーアズ殺人事件」の記述を占めていたり、「スティル・イル」が実は労働党政権が初めて政権を握った「1945年」の精神。その夢にはもう戻れないんだ、という意味合いの歌だという見立てとか。ハッとしました。そしてセカンドアルバムからモリッシーの視線が自分自身から社会に向って、「鬱日記」から「イングランド日記」に変わる、とか。そこ同感、同感。また同感という感じ」

S「「プリーズ、プリーズ、プリーズ」を大学生が学費値上げ反対の闘争の中で歌うのを目撃してハッとするような美しい場面だったとか。モリッシーお得意の負け組の歌が、敗北主義でも次の何かに繋がるかもしれない、って。それくらいモリッシーの「負け唄」の歌詞の力は強い」

K「本当にそう思う。歌詞の見事さは音楽を作る人の転調の見事さにうならされるのと似て、このロック界詩人の「そうきたか」という唸るような言葉のテクニカルなスキル。直感でやってるんだろうけど、その才能は本当にすごい。テクニックもあるだろうけど、強烈に感情が含まれていることがわかるんだよね。英語が分からなくても、邦訳で読むだけでも」

S「モリッシーの作る唄の世界について非常に的確な指摘をブレイディさんはされています。「モリッシーの場合(中略)奇妙な二面性がある。ひたすらポエテイックで人を泣かせる叙情的な書き手と、乾いた目線で社会を切り取るドライな書き手、というふたりの人間がモリッシーの中に難なく同居しているようだ」と。で、セカンドアルバムの『ミート・イズ・マーダー』は後者の彼が幅を利かせているアルバムだ」と。

K「80年代はモリッシー出自の英国労働者階級にとって、保守党のサッチャー首相が国内を牛耳るという暗黒時代ですよね。徹底的に労働者階級がいじめられた時代に中性的に見えるモリッシーの「そこまでいうか」という唄の力でそれこそフーリガンや、ハード・パンクスみたいな人たちの心もガッシとつかんだという。日本に住む僕は本当に最悪なギークの時代にハマってたわけだけど、イギリスの聴かれ方はもっと大きな幅があるわけで」

S「そういう意味では「英国ドメステックなものだ」という直感は当たらずとも遠からずかもね。だけどサードアルバムに至って、ザ・スミスというバンドのワールドワイドな実力が示されたね」

K「そうそう。だから、モリッシーがガンガン勢いを増すに従って、ジョニー・マーの才能もグングン上昇するばかりという。もう、このあたりからはアルバムに入ってないシングル曲も含めて追随許すものなし、ですね」

S「最後のアルバムもメンバー間に不穏な空気はなくて、メンバー全員スミスのベストアルバムはラストアルバムだという話だけど。この辺、なんでモリッシーとジョニー・マーの関係が急に悪化してマーがバンドを抜ける経緯になったのか。ジョニー・マーの自伝を読んでも、とにかくマネージャーがいなくて音楽に集中したいのに自分がマネージャー兼業しなければならなくて、疲弊して。でもラストアルバムの頃にマネージャーがついてその問題は解決したはずなのに。新しいマネージャーを巡って自分だけが孤立したと。そして先にメディアが自分がバンドを脱退と書き立ててそのまんまメンバーとの折り合いがつかなくて抜けた、と記述されてるけど・・・」

K「人間関係を巡る不思議。やはりそこのケアマネージメントが出来る体制がなかったのかな?いかにもインディレーベルのバンドらしい最後というか。で、モリッシーはずっとスミスを真剣に再結成したく思っていたわけで。モリッシーのほうがずっと傷が深かったはずだけど、意外にもソロのモリッシーはきちんとアルバムをルーティンで出していたというか、精力的だったというか」

S「そう。まあ立場の違いもあるだろうけど、ジョニー・マーもさまざまな素晴らしいミュージシャンと活動を重ねていたけど、88年以後のソロの活動はモリッシーのほうが結果として遙かに精力的だったと言える」

K「90年代にはおおむね2年ごとにアルバムを出してるしね。(ソロのコンビレーションもやたらに多い人だけど(笑))。僕はソロは最初の二枚はリアルタイムで購入しました。で、ちょっと離れてソロ中期の「ヴォックスオール・アンド・アイ」も買った。これは今でも名盤だと思う。なので、ソロは語りにくいんだけど。今回コンビものとかで何曲か埋めて聴いてないアルバムの全体像を想像しながら、ブレイディさんのソロのアルバム解説をひとつひとつ読みました」

S「ソロの期間のほうが30年と、圧倒的に長いわけでね。当然ソロのモリッシーについてなぜ世界でレスペクトされているのか分かってないといけない。ソロの彼を支えたプロデューサーや楽曲を手伝った人たちのエピソードも非常に興味深いですしね。ただ、意外にもいわゆる「モリッシーバンド」メンバーの楽曲提供をしている人たちのコメントがないですけどね」

K「『ヴォックスオール・アンド・アイ』とか、後に90年代終わりに出した日本編集のミニアルバム『ロスト』という粒ぞろいの曲を集めたコンビを中古で最近購入して聴いたんですけど。やはり、この人は何だろう?とてもヨーロッパ的なシアトリカルな要素が強い人なんじゃないかなと思ったんです。いわゆるロックンロールな人というよりは。やっぱデヴィッド・ボウイ的な要素とかね。モリッシーの初期のアイドル、パティ・スミスとか、クラウス・ノミとか。そういう演出的な、演劇的な要素に惹かれているところがあるんじゃないのかな。」

S「同時に、マチズモ的なサッカー・フーリガンとかに対する愛着とか。愛国主義者的なとらえ方をされたりとかがあって。モリッシーへの誤解の要素になっている。
優秀な才能は大概矛盾した要素を包括して表現できる人たちなんだけど、まさにブレイディさんが書いているように、ふつうは両方を股にかけることはできない両極端にモリッシーは脚を置いて立つ、と。そこが文学畑の人から、英語圏では労働者階級の人たちまで無視できない人としての強さなんでしょうね」

K「毀誉褒貶にさらされながら、世間の逆風も恐れずに言葉を発する力を持つ人。確かにこんな人は今のポピュラーミュージック界の中では稀少中の稀少ですよね」

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