2012年7月20日金曜日

「いじめ」について。

大津市で自殺した中学2年生の自殺の原因が「いじめ」によるものだ、ということで事件発覚以来、日々この件についてマスコミも、僕が利用するSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)も、日々この話題で絶えない。  

何よりも、今回の事件はいじめ被害があったという被害者側の両親が警察に告発したこと、それを警察が受理しなかったことから始まり、教育委員会の見解、そして今では民事訴訟、刑事告発と、今までの日本社会にはなかった「学校の外」、すなわちダイレクトに社会の側に訴えを起こして事件の全容解明を求めた点が新しい。  
また、加害者といわれる3人の子どもたちとその親たちも「いじめはない」という形で徹底的に争う構えを見せている以上「いじめ」があったかなかったかの当否についても全面的に争われる。この様相が今までにない展開だと言えよう。  
結論をまず先に言ってしまうと、僕の立場はここまで来たら裁判や取り調べで徹底的に調査すべき。そして黒白をつける以上、関係者以外・当事者以外はその方向性だと理解した以上はもはや野次馬とならずに静観して裁判の行方を見守るべき、という立場だ。  

こういう風な立場に立つ自分の観点そのものを振り返ると、ずいぶん自分の中でも変わってしまったものだな、と。自分の中に深い感慨が、ある。  
この間、ほとんどテレビに触れる機会がそうないからあまり多言は言えないが、マスコミに関してはおおむねいじめ加害をセンセーショナルに伝える立場、それに対してSNSの議論の中の多くは学校という制度の仕組みを考えようという意見が多かったように思う。後者の立場の多くはいじめはなくならない。過去から現在において大人の説教説諭でいじめはなくなったりしない。そもそも人間も動物であり、まだ衝動性と罪悪感の葛藤で「自分」が苦しむには至らない、同時に(性的な部分を含め)衝動性が大きく突き上げてくる思春期時期にはなおさらいじめを道徳的な建前から頭ごなしに叱っても意味をなさない、という「建前」幻想を捨てて人間の「本性」の側に立つ。  
だから、多くはいじめのターゲットにされた子たちがいじめから逃げられるシステムを作るべきという考えを持っていると思う。そこから導かれる回答はクラス制度の見直し、体育の団体競技を選択制にする、授業の単位制など。つまり、1クラス35名なら35名、幕の内弁当のように一つの場所に6時間押し込められるから、その集団の抑圧が誰か特定の者に向かうことを回避するという方法だといえよう。抑圧が攻撃に向かう特定の対象は、当然加害者が反撃を加えられる可能性がない子、加害者と傍観者にとっての「いじめられっ子」という子になってしまう。

僕もおおむね後者の側に立つ者だ。僕自身の経験においても、家の中でいじめられた程ではないけど、学校内いじめにもかなり傷ついてはきた。思春期は特に一層、そのようなことに敏感になるものだし、そのような時期に限って集団生活を強いられるというのはどこかで人間に傷を背負わせてしまうものだ。当時はフリースクールなんてものもなかったし。  
だから学校の制度的なアプローチとしては、(今は知らないが)例えば「班分け」、修学旅行の「自由班」などもなんとかしてもらいたいものだ。 集団に馴れることを求めつつ、どこかで担任教師も孤立する子を把握しているはずだろう。 

実は僕はいじめに対しては、少し昔はもっと過剰反応をしてた筈だ。特にもう何十年前になるだろう?いじめ自殺をした子に対してなされたいじめとして、クラス全員でいじめられていた子の弔意文の色紙を廻して、それに先生も加わっていた、ということがあった。  
とにかく僕は家の中で独り激しくそのいじめが行われた学校、クラスを憎悪し、怒り、呪ったものだった。人というのはかくも残酷か?死んだ命はかくも程度の低い連中の犠牲になったのか?これが平和憲法を持つ平和な国、日本で起こることなのか?と。  
でも同時に分かってもいたのだ。中学時代にさんざん聞いた「平和」「民主的な議論」「先生になんでも話して」。そんな素敵な言葉は授業が終われば露と消える。休み時間、特に昼休みになれば教室は暴力そのものと、暴力的な匂い、いじめ対象に向かう動物的な衝動に満ち満ちていたのだから。  
ここまで思いつつも、僕はいまそのように思春期の、あるいは思春期前期の子どもらの加虐性を責めて責めつづけても仕様がないんじゃないかな?と思う。それでいじめが止まるのなら、僕等が子供の時から止まっている。やはり現実に即した制度の改変をしたほうがいいのではないかと思う。故に大人の説教よりもクラスの流動性を高める方が意味があるだろう。  
場合によればクラスから逃げる、学校を逃げる、別の学習のスタイルを見つけるという方法が現実の今の世の中では最も効果的だろう。  

しかし同時に、それを受け入れる世の中の体制はあるのだろうか?という疑いは捨てられない。学校の外の社会や大人社会がそれを「学校のドロップアウト」として見る勢力が大半ならば、フリースクールに移行しても子供自身の内面に傷が残るままだ。それは端的に「逃げた」という負い目になって残る。学校から逃げた、あのクラスから逃げた、あの連中から逃げた、あの連中に道で出会ったらどうしよう。怖い、とか。いじめ被害の子に「精神的な強さ」を求めるのはほとんど二次被害でもある。「もっと強くなれ」「奴らを見返してみろ」。こんな言葉、ちゃんと死語になっていれば、おそらく少年の自殺なんて起きない。(今回の大津事件を言っているわけではありません)。

僕は猜疑心が強い人間なので、制度をいじくることで人びとの本能、その本能の裏返しとしての精神論がそうそう消えるとは思えないのだ。  
ある種の人は、人間も動物なので、強いものが弱いものを叩くのは仕方ない、だからいじめられる側は強くなれ、と暴論を含みながらある面では人間の本性に気づいている者もいる。しかし彼らが見落としているのは、いじめられる側は「個」対「多」という決定的な不平等にあるということだ。いじめが固定化すると、いじめる加害者のみならず、一番層として多い「傍観者」が強いものの側に立つ、というリアルな現実を敢えて見ないのか、わからないほどに無知だ。  

いじめをモラリズム的になくすには、日常の中に「非日常」が頻繁に現出していくしかない。  
部下が上司のモラル違反を正す。それを同僚たちが賞賛する。生徒が教師の不備を正す。それを他の生徒や先生たちが賞賛する。マスコミが不正を暴き、それを不正者は認め、人々はそのマスコミを賞賛する。クラスでいじめがあれば、「1対1でやれ。俺たちがそれを見ている。言い分を言え」という。それをクラスが当たり前の前提とする。また、クラスにいじめがあると「そんな恥ずかしいことはやめろ」という者が出る。普通にその者が他の生徒に賞賛される。
ーこれらはどれもこれも、ありえない。少なくとも今の日本社会でほとんど見ることはかなわない。残念ながらこれが現実なのだ。  

しかし、「現実なのだ」で終わるのも本当にいいのだろうか?  
例えば、ある意味ではこういう「非現実」はどうだろう?いじめられる側の子に抵抗権、対抗権を与える。一対多、体力でも当然かなわないなら、バットでもなんでも与えていじめる連中をバットで殴り返す。ただし頭部は不可。
これを認めたら、てきめんその子に対するいじめはなくなるだろう。  しかし、残念ながらいじめられる子はそんなことを大概しない。そういう「目には目、歯には歯」ができない子達がいじめの犠牲になる。だって、やり返されない見通しがあるから、いじめが成り立つわけだから。やる連中も、当然、人を見ているわけだ。  
暴力に暴力で対抗しても意味はない。その意味で、いじめの被害に遭っている子は本質的に平和主義者だし、倫理をわきまえた人間の常識を備えたちゃんとした子だ。  
そんな子達に一層の倫理を求めてどうするのだ?この世の中は実に不思議なもので、いじめ被害に遭うような倫理的な人たちが、より一層倫理を深めて、倫理が必要な子たちにこそ読まれるべき、あるいは語られるべき倫理が彼らに忌避されている。こうして社会は何とか成立している。  
ーこれもまた現実だ。  

僕はここまできたら一層、失われた非現実を呼び戻したらどうか?と思う。僕が思うのは「報われない魂」が化けて出るという話の復活なのだ。いじめで殺された子、ハードワークに殺された人。それら、報われぬ魂たちが成仏できずにその地にとどまり、地縛霊のように祟りを求めて彷徨う。鎮魂を求めるのは人びとがその魂の悲しみを理解し、怯れ、人間の愚行を心から謝り、これからの繰り返しを二度と犯さぬ誓いを立てる。  
このような前近代的で非日常的な精神の働きを取り戻すしかないのではないか。そして、その精神を培うには子供時代から親から子へ、老人からその子、孫へと語り継ぐ心ばえしかない。  
その意味ではトラウマになる可能性もあるが、「地獄絵図」による天国・地獄の教えもあながち笑って済ますことも出来ない。
最近、そんなことを思う。  

人はこんな文章を読んで「ちょっとどこかおかしいんじゃないか?」と思うだろうことは理解しています。  
しかし、けして、ふざけてこんなことを書いているつもりではありません。

いずれにせよ、大津の事件に関しては、両者の言い分が決定的に対立し、和解の路線という今までのありがちだったものと違う局面に入った以上、粛々と事実関係を明確化していくべきでしょう。  その過程で多くの人が傷つくでしょう。もちろん被害と容疑(加害者側は加害者性を争うから加害者と現段階では言えない)の両者は勿論、その家族、あるいはクラスの子どもたちや担任、教頭・校長(証言台に立つ場面もあるでしょう)それら現場の人たちとその家族。みんな傷つくでしょう。そういうとこまで想像すると、この事件の明瞭化は社会全体がある傷を得た。その傷は亡くなられた少年の鎮魂の過程でもある。  

その意味で、亡くなられた御魂を慰めるための、これは大きな大きな道すじなんだろうと思います。
実にやるせない話ですが、これは僕らの贖罪のストーリーでもあるのでしょう。。。

2012年7月8日日曜日

思春期の記憶

今日、たまたま家の用事で買出しに車に乗る時、ボブ・マーリーの有名な「ノー・ウーマン・ノー・クライ」のライヴ演奏が流れた。僕はここのところ、ボブ・マーリーのベスト盤CDをずっと入れているわけで、前に車に乗って帰宅するとき、かなり大きな音でかけたまま、そのままエンジンを切ったんだね。

鳥肌が立つんだよね。いつ聴いても。観客たちが前奏で合唱している。。。

演奏は「ライヴ!」っていう1975年の作品で、イギリスはライシアムというコンサート会場で録られてる。音像からすると、けして大きな会場じゃないんじゃないかな。。。観客たちのダイレクトな声がずいぶん身近に聞こえるんです。ものの本によると、前の日に同じ会場で行われたボブ・マーリーのコンサートで、この曲で自然発生的な合唱が起こったことにインスピレーションを得たプロデューサー兼レコード会社のオーナーが急遽、ライヴ盤用に音取りすることを決めて二日目の演奏の音がライヴ盤で世に出たとのこと。

この後、ジャマイカで自宅を銃撃されたボブ・マーリーは1977年にイギリスに脱出する。ジャマイカは二大政党制だけど、ハンパない一般人を含んだ権力闘争で、選挙の季節になると両陣営の応援団?がガンマンと化し、政敵を銃で倒すというのが平気であるらしい。それで片方の政党を支持していたボブ・マーリーも標的にされたわけ。1976年の暮れに自宅を襲撃されたあと、次の年にはすぐイギリスに脱出したわけだけど、それは彼が所属してたレコード会社がイギリスにあったため。

元々、イギリスはジャマイカの宗主国で、イギリスにかなりのカリブ移民がおり、そのコミュニティで母国ジャマイカのレゲエミュージックが聞かれた。その母国の音楽を配給して販売してたのが、ボブ・マーリーが所属してたレコード会社の社長。この社長も生まれがジャマイカだったこともあり、生まれた土地の音楽をカリブ人コミュニティの人たちをターゲットとして販売していたら、同じコミュニティのそばに住んでいた白人の労働者階級の人たちも、その強いビートや、独特のリズムに惹かれて、ジャマイカのレゲエ音楽を聴いていたという話。

マーリーに話を戻すと、彼がイギリスに入国して居をとりあえず定めた1977年は、イギリスではパンクの嵐が吹き荒れた頃。パンクのミュージシャンはレゲエ音楽が好きになってくれたジャマイカン・ミュージックの提供者から見れば、マイノリティ白人レゲエ・ファン。そしてレゲエミュージシャンから見ると、パンク音楽はレゲエの持つ宗教性を抜くと、共に社会に対する抵抗の音楽として、スタンスは共感できるものである、という感じで。

ボブ・マーリーを慕うパンク・ミュージシャンと、自分たちの音楽を愛してくれている意識が高い若者層がいるんだな、ということでより一層意を強くした、というのがボブ・マーリー側の感覚だったかもしれないですね。
この年、イギリスでボブ・マーリーと彼のバンドは『エクソダス』という名盤を発表します。
おそらく、スタジオ録音のアルバムでは、この作品がボブ・マーリーの一番の傑作と言えるはず。本当に捨て曲なし、緊張感に優れ、また愛情や優しさ、包容力も含まれた、多彩な人間の感情を表現し得たレゲエ音楽の中でも名盤中の名盤に数えられるものでよう。

やはり、それはコミュニティに差異はあれど、ボブ・マーリー自身も自分がやっている音楽が白人社会に受け入れられる可能性や自信を持てた確信がきっと出てきて、素晴らしいレコードを作ることができたんじゃないのかなあ。
このあと、どんどん彼の音楽はインターナショナルに受け入れらるような方向性が加速したと思う。それは今ではいい、正しい方向性だったと思います。
スティーヴィー・ワンダーもこの時期、レゲエやボブ・マーリーに強い関心をもち、実際に接点も出てくるわけだけど、マーリーがもう少し長命であったら、十分、スティーヴィー・ワンダーのような存在になったような気がする。もっと硬派な形で。

ああ、全然話がねえ。何故かボブ・マーリーの一部ストーリーの記事になってしまいました。
最初のきっかけは「ノー・ウーマン・ノー・クライ」のライヴバージョンに触発されて浮かんだ連想を書くつもりだったんですけど。
全然、流れが別になってしまいました。

タイトルに偽りありだ。ボブ・マーリーの70年代の充実期に関する話、でした。意図せず。
この記事は音楽ブログのほうにも挙げておきます。失礼しました。

ボブ・マーリーの歌声。バラードに限らず、アップテンポなテンションが高い楽曲においてもどこかリアルな切なさがあって。それがまた好きにならずにいられないところなのです。



2012年6月20日水曜日

社労士実務講習、大詰めを迎えて

タイトルが大げさですが(苦笑)。
一応ラストの2単元、労働保険料の年度更新と、健康保険・厚生年金保険の定時決定(算定基礎届)という7月上旬まで行わないといけない労働保険と社会保険のハイライトを迎えて、今日はその半分を終え、一応のこと、明日終了の予定です。
この単元は実は全6時間では少ないと思う。年末調整を3単元演習を使い、レアケース等も含め演習中心にやった結果、結構「手が覚える」要素があっただけに、出来ればこの分野はもう2単元は欲しいところですが、致し方ないところです。
明日はハイライトの年末調整。本日は労働保険の新規適用手続き、つまり会社(なり、自営業、NPOでも構いませんが)の労基署などへの保険関係成立届けや概算保険料の申告書等を書く実務。これは、昨年NPO団体の雇用保険、社会保険新規適用事業所手続きを行なったことが結構役立ちました。

いよいよ明日はハイライトの概算保険料の年度更新と算定基礎届ですよ~とのアナウンスで今から心してますが。でも演習がもっと欲しいかな。あと3時間では足りない気がします。レアケースも学んでおいて、出来れば「手が覚える」ところまで行きたいところなのですが・・・。

でも、今の講義を担当している先生は本当に良心的な人だと思います。(web上ですが)。

講座は講師の人柄が面白いというか、社労士の先生もいまの人のように非常にヒューマニステックな側面を強調され、働く人の側に立ち、法令や通達を出来るだけ会社は遵守して働きやすい職場を構築するようにお願いしたいと丁寧に語られる人もおられれば、割りとありがち?な、企業側にたって、率直に「誰から報酬をいただいているか考えてくださいね」というスタンスの先生もおられます。もちろん、その先生も社労士の学ぶ労働社会保険法令にきちんともとづいた上でそのように仰っておられるわけですが、やはり個性の違いもそれなり見えてくるわけで、自分はどのスタンスに立ちたいか、ということが考えに入ってきます。その意味では、講師も一方だけの軸足の人のみでなかったのは良かったと思いますね。

特に年末調整の方はレアケースも含めてたくさん演習を行なったのは良かったですね。その意味でも労働保険の年度更新もたくさん演習問題を出して実務に自信を与えてくれれば嬉しいですが。
ただ、繰り返しですが、この単元を担当される先生からは、社労士の良心を見る思いで、勇気をもらいました。

少し前にいわゆる「消えた年金」の記録訂正を審査する総務省の「年金記録確認第三者委員会」が、加入者からの訂正申し立て件数を抑制するよう指示する内部文書を作成していたという記事を読んで、一体、お役人が、ではなくて、第三者委員会がそんな指示をするなんて、どんな第三者委員会なんだ!と憤って第三者委員会のメンバーを調べてみたところ、社労士のお偉い方々がたくさん名をつらねていて、ガックリきたことがあるものですから。。。

やはり、どんな仕事でも、自分の信念を持つことは大事なんですね。自分がこの資格を活かして生きていけるかはさておいても、やはり自分の軸は必要だとこの間講師の方々のキャラクターを見ていて再考したことでした。


また、入退社、結婚・死亡、従業員の事故、長期療養、障害、育児介護に関する実務について学び、きょうあすで事務所の新規適用手続きと、労働保険料の年度更新を学びますが、「働く人の生活」と「法令」が密接に絡んでいるのだなぁということ、そのことがだんだんと繋がりとして見えてきたことは収穫でしたね。これが実務家の実際の話を聞ける一番のメリットでした。

法令を「横断的に」と学ぶうちに改めて思うことでしたが、もっと想像の羽を伸ばせば、いろいろな局面ごとにどういう保険給付がつかえるのか、という意識を持ち続けることが大事だなと改めて考えています。

2012年6月14日木曜日

実務講習

 現在、私はバイトをしながら社会保険労務士の実務講習をWEB講座で実務家から学ぶ日々をベースにして過ごしていますが、当初、はじめた時点は5月20日くらいからでしたでしょうか。受講可能期間が6月30日までとお尻が決まっていて、それまでには終わらせねばならないとそれなり意識がそこに向き合う日々で過ごし、でもなお関心のあるNPO的な活動も関心を寄せながら、誘いがあればそれに乗りながら、毎日単元3時間、実務の勉強をする日々を過ごしてきました。ところがあれ?気がついてみたら、思ったよりも早く講習単元がもう残すところ4回分となりました。

 実務家として役立つかどうかという検証は、今後現実の実務の機会がぜひとも必要だと思っていますが、とりあえず学んだことは無駄ではなかったのではないかと思っています。
そしてしかし、これからまた改めて考えること、補足することが必要だと思います。(7月には一般の社労士試験に向けた全科目総まとめの講座を実務に還元するため記憶の想起作業のために行います)。

 とにかく、なにしろやはり、新年度からもバイトと社労士と、NPO関連の誘いの3本建て中心で、考えてみればいつも自分のことばかりだったな、とある程度反省するところもありまして。。。もちろん今後の生活のために、と思えばどうしてもそうならざるを得ない面もあるのですが。同時に介護保険を受給しはじめた父もいる、高齢者両親との同居でもあり、両親の面倒を見ていくんだということの想像をベースに考える必要はどうしてもあります。

 家のことのもろもろも、今月の下旬くらいから来月の頭にかけて、少し気にかかることを手がけなければいけないなと思っていますし、自分の部屋から始まり、作業のしやすい環境のための整理や、家周りの作業も少しちゃんとやらなきゃなあ。
なにしろわがまま放題で、2階は自分の私物でわやわやだ。家長の身体が自由にならなくなった以上、物置から庭から、そろそろこちらのほうできちんとやらなきゃいけない。いけないと思いつつ、ずっと手がけないままできたので、そこらへんも両親と相談しつつ整理を手がけていきたい。

 後は資格を生かすための準備もそろそろ必要だ、と考えています。

 まずはいまの講習が一段落したら、次の復習にかけて6月下旬から7月をどう活用するか、スケジュールをどう作るか。そんなことをそろそろ考える段階かなと思っています。再来週くらいから、そんな意識で過ごすことになれればと思います。まずは今月の月末までバタバタし余裕がないという風にはならずに済みそうで、その点に関しては悪くはないんじゃないかな。

2012年6月8日金曜日

本日は泣き言

本日、野田首相の大飯原発再稼働に関する記者会見を見ました。
実質的に、原発再稼働宣言といっていいでしょう。
この記者会見を聞きつつ、菅元首相が311以後の原発事故で感じた危機意識が全く共有されていないのだな、と本当に悲しくなりました。
何よりも、今の野田首相の「政治生命を賭けて云々」という発言を元にした次々の普通の人たちの議論を無視していく決定の数々のその一つ一つが、総選挙に値するイシューであるのにもかかわらず、打ち上げていくその断行のありようは、もちろん最大野党が自民党であるという、対抗軸なき政治の上に乗っかっているが故であるといえましょう。
首相に自覚があるのかないのかわかりませんが、「国論を二分する」議論も野党の一層の経済界中心の発想に親和性がある限り、国民が見えなくても構わない危険性の中にあるということを考えないわけに行きません。
その点、昔の自民党で言えば、例えば宮沢喜一さんのような人は健全「野党の存在」を国民意見のバランスの点で大事なものであるという理解がある人でした。

まあ、そんなこといいのでしょう。僕自身、多くの人たちがそんな政治だの権力だのに余り関心がないというか、厄介事だと思うだろうし、楽しくもない話題だということを十分承知しているつもりです。

ただ、僕自身はこのように考えてしまう性癖はもう中年期を迎えて直しようがないことは知っているし、例えば先の「消えた年金」に関する第三者委員会が年金の訂正申し立てを抑制するように指示を出していたという驚きの記事がありました。普通、厚生労働省がそういうことをしていたというならばまだわかりますが、第三者委員会という元来消えた年金の調査審議をする機関がそういうことをしていたのが驚きです。しかもその第三者委員会は有識者、しかもその中には自分の仕事としたい社会保険労務士の偉いさんの人々が多数入っているのです。そういう話がまた一つ自分の気持ちを塞ぐのです。

最近、埓のない思い、妄想は「身体一つを資本に出来れば、少なくともほとんど人に迷惑をかけず、自信のなさも緩和され、聞きたくもない迷惑な話にかかずらわらなくても良いのではないか」という考えです。

体を資本とした技術があれば、例えばビルメン会社で現場労働で生きていけないか。あるいは農業、それも売るための農業ではなく、理想をいえば自給自足的な農業で生きていければ、と。
しかし、軟弱な身体とつまらない欲望に自分は支配されている。

軟弱な身体の自分としては、身体資本の仕事に自信がなく、社労士の実務能力の最低限を何とかかんとか身につけて就職が難しい時代にとりあえず活路を見出そうとする。
しかし、その仕事は自分の強いアイデンティティで事業者中心とはならず、冷静に働く人を守る法理を伝えながら尚、仕事を事業主からもらえるのか。
そのようなことを日々考えているのですが、そのような物思いも自分の核をけして強くはさせてないような気がする。自分の芯が自分を良しとする、自分を喜ぶものとさせるだろうか。

「国民生活」とか「経済生活」を守る云々と内省なく首相が言えるのは、日本の普通の人々の似たような弱みを知っていて、そして脅しをかけているように見える。

でももう、そんなことは分かっているし、分かっているから憤ったり、その種の情報にかかずらわるのは気がつかれる。ノイローゼになりそうになる。
ならばいっそ、自分の身体を資本に、情報社会から身を隠してしまいたい妄想にも駆られます。
もちろん、それは出来ないだろうとどこかで思いながら。。。

何かを知ったうえで、どうにも解せない政治が行われていることを自覚する。それは不快だし、知ってて知らぬふりをして生きていかざるを得ないのか、という気にもなる。
それらは疲れるから、逃げたくもなる。
実は、声にも言葉にも文章にもしなくても、そう考えているひとは多いのではないか。

まあ、そういうことです。

それにしても、これは日本にとって、あるいは地球環境にとっても由々しき方向性ですよ。経済成長という目の前のために、福島の悲劇の可能性を座視、維持してもいいのでしょうか。
それが民主党という政権で、そういう意味での政権交代だったのでしょうか。
僕は民主党に政権交代したとき、民主党に投票してませんが、とんだ茶番だったなと思いますね。

人は誰にも迷惑をかけずに生きてはいけないでしょう。でも、迷惑の範囲は小さくできるかもしれない。どれだけ人への迷惑を緩和させるか。今のままの自分の生きる模索は迷惑緩和に向かう道なのか。

首相会見をききながら、かなり暗澹たる思いで自分の今後を考えてしまいます。あまっちょろいんだよなぁ。いい年をして。本当に。

2012年5月26日土曜日

ビックイシューのバックナンバーを。



 最近懇意にしてくださっているビックイシューの販売員さんから、すでにソールドアウトになっているビックイシューのバックナンバーがまだあるということで、少しずつ選択して今後バックナンバーを揃えていこうと思っています。

 最近いろいろとビックイシューを通して学ぶこと、考えること、意識化されていることが増えているので今から考えると相当古いもの(購入したものでは5年ほど前のもの)も、今読むと実に問題の先取りをしているなぁと感心させられることしきりなものですから。

 バックナンバーを読み返そう、と思っているのですが、ただ読み返したまま自己満足しているのも勿体無いし、自分の中で簡単なアウトプットをしたい。そこでブログに簡単な読後感想を書こうと思いたちました。
 しかし、こちらのブログはどちらかと言えば、自分の生活の実態を反映したい。

 実は僕は現在ブログを3つ所有しています。贅沢な話ですが。一つはこのブログ。もう一つは趣味の音楽(時に音楽に絡む映画など)中心のブログ。もう一つ、社会的なことの思いを書き続けていた「夢のでこぼこブログ」というのがあるのですが、自分自身、日々の物思いはツイッターを多用することでそれらが解消されてしまい、すっかりそのブログは更新を止めていました。

 よしならば、この止まった状態のブログを利用して、ビックイシューのBN(バックナンバー)を出来るだけ負担に感じない程度で読後感想をアップしようと思い立ちました。ですので、随時そちらにビックイシューBNの感想を書いていく予定ですので、もし宜しければそちらも時折覗いて戴ければ幸いです。まあ、自分も一応は別のことで忙しくもあるので、そんなに頻繁に更新もないと思いますが。。。どうなりますやら、ですね。
「夢のでこぼこブログ」 です。

 ついでに宣伝。音楽、端的に洋楽ロックを中心にした洋楽ポップス専門のブログも開設してますので、宜しければそちらも。
「Bridge」

2012年5月23日水曜日

ことばの定義

本日、自分もボランティア的に?活動しているNPO法人から新しい会報が送られてきました。
毎回、表紙に団体の経緯と活動の概要が出ているんだけど、どうも自分としてはすっきりとしない言葉があります。それは「ひきこもり者」ということば。ひきこもりしゃ。と読むんだろうけど、こういう名詞は成立するのだろうか?なんとなく、気持ちがいいことばではない。これが「ひきこもりもの」と呼ぶとしたら、一層不快だろうなぁ。昔の芸能人が「河原者(もの)」と呼ばれた頃と同じ差別的な印象を抱くと思う。

「若年の範疇に入らない、青年期・壮年期の「ひきこもり者」に軸足を置きながら、ひきこもり者が社会に出ていった時、自信や希望を持ちながら歩めるような」

普通に読んでも、どこかおかしくないだろうか。ひきこもりしゃ、ひきこもりしゃ。
自分の中でつぶやいてみる。「ひきこもりしゃ、かぁ。。。ひきこもりしゃ、ねえ。。。」

当団体の代表自らの熱意で呼んだ昨年の芹沢俊介氏の講演シンポの時も、講演者の芹沢氏は「ひきこもり」という名詞形は使いたくない、と仰っていました。ひきこもり、という名詞形はある状態像のみを捉えた言葉にすぎないから、といった趣旨で。そして自分では「ひきこもる」「ひきこもっている」という、ヨリ動的アプローチのような側面で使いたいと仰っていた。

確かにその通りで、僕はこの種の話が出来るメンバーともよく話すんだけど、「ひきこもり」と顔に書いた人間が存在して、歩いたり食べたりしているわけじゃない。
あたりまえの人間がひきこもる、という行為を選択しているわけです。あるいは、現状はひきこもらざるを得ない人たちが増えてきているということかもしれない。

このような名詞が生まれる背景には、こう書くと身も蓋もないけど、10年来の長い歴史がある会報が当時のひきこもりに対する社会認識上の問題もあって通信タイトルもダイレクトに「ひきこもり」になっている以上、何というのかな。そのことばの流れで自然と「ひきこもり者」という表現になるのかもしれない。
そうなのかもしれないけど。でも、それがいまだに生きている、というのはなんだか違和感があるんだよねぇ。

表現の固定化であり、表現の固定化は悪くすると、あるいは慣れが進むと「評価の固定化」になっていかないだろうか?という一抹の懸念を感じます。一層恐ろしいとすれば、それを当事者というか、当事者として意識している人たちがそれをそうと受け入れてしまうこと。
それが「自分はひきこもり者だから」とネガティブな内面化のみをしてしまうとすれば、それは生産性のない思考パターンに陥ってしまう気がするんですよね。

現代社会がいろんな社会的な課題が出てきたり、あるいは多面的な切り口が必要になってきたがために、ある種の属性や分類化が必要になってきたのだろうし、課題の可視化にも役立ってきたのだろうと。その意味では理解するのだけど、いまは、いま一度、ことばの使用方法から再考すべき時にきているのかもしれない。

ひきこもり、という言葉もひと頃の偏見から逃れたとはいえ、顔を持つ当事者たちの本質を捉えにくくなっているのが事実だし、当事者自身がどこかで包括的な用語から抜け出ていく局面がある。
それを考えた場合、不思議な一般化されたことばはそろそろの改めて考えてみる時期に来ているような。そんな気がしてなりません。

2012年5月10日木曜日

ボブ・マーリー/ロックパラスト1980

ひと月余りぶりの書き込みになります。この間、基本的に落ち着いた生活をしています。(まぁ、低空飛行の安定、というべきでしょうかw)。個人的には6月末まで一応目処を立てたい勉強を続けています。今月中旬過ぎには実務的なものを手がけていく予定。

今はその過去取得した資格の復習を主に時間を割いていますが、その中でも自分の時間の中で趣味の音楽を楽しんだり。
最近は自分の中でボブ・マーリーを再度真剣に評価するモードに入っていまして。自分が持っていないベスト盤のレンタルし、今年出たマーリー特集のムック本を読み込んだり。

彼が亡くなって昨年で30年で、ボブ・マーリーのドキュメント映画が出来たようです。日本でもぜひ公開してもらいたいものです。

最近、YouTubeで発見して衝撃を受けたのが癌で亡くなる前年の6月、ドイツでのライヴを同国の貴重なテレビ番組「ロックパラスト」で収録されたボブ・マーリー&ウェイラーズのおそらくライヴ全編の映像。これが上がっていて、二日かけて観て、そのテンションの高さ、エネルギー、本気の演奏に食入いるように見入りました。

おそらくここ何十年かでも映像記録としてはベストのライヴ・パフォーマンスに属すると思います。ボブ・マーリーのライヴ・パフォーマンスはその音楽とともに、あるいはそれ以上に得難い体験との話は聞いていましたが、過去のボブ・マーリーの映像記録でもここまでの迫力のものは僕も知りませんでした。

偉大なパートナーたち、ウェイラーズのメンバーも最高です。ベース&ドラムスのカールトン&アストン・バレット兄弟、キーボードのタイロン・ダウニ、ギターのジュニア・マーヴィンに加えて、おそらくこの時期、初期のインターナショナル契約をしてからの初期のメンバー、ギターのアル・アンダーソンとキーボードのアール・リンドがバンドに戻ってこのライヴにも参加しているはずです。彼らは皆、当時の素晴らしいジャマイカのレゲエ・レコードの多くでバック・バンドを務めた偉大なセッションミュージシャンたち。
そして、すべて本国ではソロアルバムを出しているこれまた偉大な女性歌手たち、ボブ・マーリーの妻であるリタ・マーリー、そしてマーシャ・グリフィス、ジュディ・モワットの3人のスターを揃えたバックコーラスグループ、「アイ・スリー」。

この頃、すでにボブ・マーリーは皮膚がんが告知されていて、患部を切除せずその後がんが全身を転移して次の年に亡くなりますが、それを予感していたか、あるいは一度聞いたという癌の完治を信じていたか。それは分かりませんが、とにかくパワフル、エモーショナルで憑かれたような演奏ぶりと、バックの演奏のタイトで縦横無尽に流れていく自在さには本当に恐れ入ります。

1時間33分とボブ・マーリーの好きな人でも忙しくて全編を一度にじっくり見れる人は少ないかもしれません。かつ、このブログの流れにはちょっと合わないかもしれませんが、これほど感動したライヴ映像はほどんど見たことがないものですから紹介せずにはいられませんでした。このブログの久しぶりの更新挨拶として。
それにしても、動画サイトでライヴの全部が見れるのですから凄い時代です。

映像を貼りますが、出来れば直接リンク先に飛んで、ディスプレイが大きい家庭の人はぜひ大画面で見て欲しい。「ジャミング」という曲におけるカールトン・バレットのドラムスの音の重たい迫力といったら!そしておそらくライヴ映像では滅多に見ることが出来ない今や後世へ繋ぐ名曲のひとつである「リデンプション・ソング」など、聴きどころが満載です。

ドキュメント映画もぜひ日本で公開してもらいたいが、このライヴもDVDで発売してもらえないだろうか。




http://www.youtube.com/watch?v=G_0jsIpfL18&feature=related

2012年3月31日土曜日

通信ひきこもりNO.71&芹沢俊介氏講演記録


 私自身が会員として関わっているNPO法人レター・ポスト・フレンド相談ネットワークに対する助成金補助事業により、紙面刷新した通信誌年度最終の3月号です。
 表紙イラストを見てもらえば了解していただけると思いますが、実に良い雰囲気です。イラストの持つ力だけで内容に期待を持てるのは昔風に言えば、レコードジャケットのセンスがよければ、中身にも期待が持てそうだ、という話に似るかと思います。そして実際の話、私自身が関わっているのは専門家へのインタビュー採録部分ですが、他の種々の内容にかかわっている人の顔ぶれはこの助成金事業の3回分(昨年11月号、1月号、そして今回の3月号)の中でも最も多様な参加者のものとなりました。

 この表紙イラストの爽やかさにふさわしく、今回の誌面企画充実助成金事業の一応の最後は、文字通り内容として充実したものとなったのではないかと一会員としても自負していますし、振り返れば自分なりにずっと模索した「ひきこもり」という言葉に付された重たすぎる意味なり、その言葉に付随した種々の問題点なりを俯瞰し、相対化し、ある意味では脱臼させる?試みに成功できたのではないでしょうか。自分がここ3回で係わったのは専門家へのインタビュー(うちひとつは芹沢俊介氏の講演の採録)ですが、個人としてそこで学んで思ったことは、実際に編集し紙面化される前に伺った言葉や内容の全体一つひとつをリコーダーに起こしながら、自分が新たに強く意識し始めていた今まで重い形で固定化されていた「ひきこもり」ということばに付着しつづけた意味の再検討であり、その点を促すことにある程度の成功を見たのではないか、ということでした。それに加えて編集以前に伺った話の中に幾つもあった貴重なアドバイスや気づきある発言という個人的な宝も同時にありました。
 そんな納得と、学びを得るものでした。今月号の札幌学院大学准教授である村澤和多里先生のインタビューが現在のところ、僕自身の問題意識と共通する最も最新のものであり、ひきこもり問題全般に渡っても先駆的な内容になった、と自負しています。
 いつになく、思い切り自分自身を自画自賛しているわけですが、でもある程度それは客観的なものでもあろうと思っています。

 そして、表紙のイラストを手がけていらっしゃる高津さんーまだ拝見したことはありませんがーを称揚したいと改めて思います。そして高津さんを発見協力してもらい、一貫して専門家インタビューや講演録をまとめるに際しての多大な手腕を発揮した当NPO法人の副代表の実務的な力量にも改めてレスペクトするものです。

 うん、実にイカンですね。こうも堅苦しく自分たちのささやかな活動を自画自賛しては。実は、ごく卑近なところでは通信のタイトルが何とかならないかとか、活字が小さすぎて読みにくい等々の率直な声も聞いてはいます。それは私もそうだろうなと思うところです。しかし、ビックイシューだとて活字は小さいのです。このブログだとて活字は小さい(笑)。確かに読みやすさを考慮すれば、活字の多さがレイアウト的に目立つのは理解できる。しかし、そこは商業雑誌とも違うところ。今のところは関心を持つ人に「内容で判断してもらう」ことしか出来ません。そこは限界です。

 タイトルに関しては、僕自身は専門家インタビューにあるように、いずれひきこもりという言葉も解体されていくだろうと思っています。むしろ今の世の中ーつまり経済が衰退し、「斜陽化する日本」という国に現在から近未来に起きてくるであろう現象ーを考えれば特定の名称を与えられた人たちの居場所である以上に、今後よりいっそう社会の中に「生きづらさ」を基盤とする、社会の中で生きていく不安や辛さを共有する居場所というものが今後大きなニーズを占めていくだろうと想像するのです。それがいわゆるアジール(駆け込み寺のようなもの)としての機能を持つ、諸々の社会的排除を受けた人たちの結構大きな、あえていうならば雑多な人たちの居場所が必要とされる時が来るのではなかろうか、などと。。。
 
 実は、昨年の『ひきこもり支援ハンドブック』取材の初期から僕には別の下心、あえていうなら別の動機が生まれていました。それは取材の早期に中年世代の就労支援をしている都道府県の委託機関のことでしたが、そこを取材した時点で、この社会の(古風に言うならば)「下部構造」で何か起きている、それは結果として結構な数の人たちが「ひきこもらざるを得ない」現象を生んでいる。その状況を知ることが出来るかもしれない、というものでした。

 その問題意識でひきこもりの人たちの社会的居場所を取材するのを目的としつつも、一方で僕の内面では経済状況と人びとの相関的なありようについて考えてもいたのでした。そしてその昇華された試みのひとつが、「釧路市生活福祉事務所」の取材で得たものでした。経済困難に伴う社会的排除のありようを官民一体で克服する試み。そしてそれは今までの理念を持ち替える勇気を含めた試みだと思えるもので、「これはひきこもりの問題にもパラレルに捉えられる」と思ったのでした。そこで聞いた循環型福祉の思想、してあげる・してもらうという関係性からの脱却のみならず、その関係性の相互的な入れ替え。「上から目線からの脱却」ー少なくともその問いを常にワーカー自身の側から自己へ続けていくことなどの哲学に徹することなど。
 これらの話は巷に氾濫する「ひきこもり支援者問題」にも密かに切り込むポジティヴな試行ではないかと僕は思ったのでした。

 あれから1年半余り。あの時の釧路で聞いたときの心のときめき、ここに具体的に見えた希望のある話から、いま、進歩をしながら、かなり先へと来た印象を感じています。例えばひきこもり名人・勝山実さんの「安心ひきこもりライフ」や昨年のノンフイクションベストセラー・大野更紗さんの「困ってるひと」、いきづらさ研究を試みる大阪のフリースペース、コムニタス・フォロの主催者、山下耕平さんの「迷子の時代を生き抜くために」、そして芹沢俊介さんの名著「引きこもるという情熱」や「存在論的ひきこもり」等々。大枠で、乱暴に言ってしまえば『社会的ひきこもり』を中心にした論調は遠景へと引いた感じがします。少なくとも僕の中での思いはそこまできてしまったと思っています。
 今風にいえば、当事者主体とか、当事者主権という言葉になるのでしょうか。

 「ただ」、というか、「もちろん」というべきか、ひきこもりの人の固有の個性はあって、その問題のフォローは断然、大切なものです。そこには今までの通信誌取材でも聞いてきたとおり、苦しい時は医療的なカウンセリングがやはり必要だと思いますし、ひきこもりの人たちに一般的・固有な問題として共通してある悩みの体験を語り合えるゆるやかで落ち着きのある、そして安全な居場所は断然必要です。

 いわば、僕のこの長々しい文章の焦点であり、この点がすでに状況が変わっているのではないですか、と伝えたいのはもはや支援者の目線の変化が求められる「とば口」まで来ているよ、ということかもしれません。
 その意味で、「ひきこもり」という言葉は解体されるときが遠からず来ますよという認識を頭の片隅に持っておきませんか、という思いがあるわけです。それは対抗的な物言いではなく、この通信の表紙のように爽やかに、あえていうなら、出来るだけポップに行けませんか、そういう認識に立てませんか、ということですね。
 僕は自分自身「ひきこもり」という問題に特化して考えてきたのはこの3年程度ですので、分かったふうなことは言えませんが、おそらく今まであまりにも重いブルースが強調され過ぎてきたのではないでしょうか?

 でも今やある意味、多くの人たちが平場に立っている状況にあるともいえるわけで、その意味ではひきこもり気質の僕たちは世の中がこれ以上のサバイバル合戦の様相が止まらず加速するなら一層大変なわけですし、別の意味での生きていく上での難しさに立っているのかもしれない。
 ですから「大変だ、そこに入れない僕らはバスに乗り遅れてる」などという発想はさすがに古くなったと見極めたうえで、でも「さてどうしようか。まずはお互い苦労しますね、ご同輩」というところから行きたいものですね。

 等等、長文失礼いたしました。

 本文が過剰に長くなったため、昨年11月に行われた芹沢俊介さんの講演と元当事者たちを招いたシンポジウムの集録の紹介が書く面がなくなりました。一言だけ。芹沢氏の話はとてもラディカルです。ラディカルでかつ極めて論理的でもあります。
 ここまでラディカルであることを支援者たちを中心にどう受け止めるのかということもあえて乱暴な想像をすれば気になるところでもあります。

頒布物受領の方法については、下記リンク先にて。
「ひきこもり理解啓発セミナー集録」

2012年3月23日金曜日

熊野旅行記

久しぶりの書き込みです。

この3月19日から3泊4日にて和歌山県熊野地方の熊野古道を歩いてきました。
中世より由緒ある中辺路歩きです。
今回はツイッターを通して知り合った地元にお住まいのarahikiさんによる全面的な古道歩きお付き合い、3泊4日の宿泊提供とお食事、そして各種のお付き合い、車での白浜温泉や新宮、地元の歴史的な場所へ連れてくれたりなど、本当に何かと良くしてくれました。ネットで興味や関心、人柄などはおおむね相互に理解があったと思いますが、ここまでしていただいたのは本当にありがたく、ネットをやっていて、こういう素敵なことがあるんだな、としみじみ思った次第。

14年ほど前にも歩いているのですが、その後世界遺産となったこともあり、少々、世界遺産化に伴う変化が気になったりしたのですが、思った以上に変化がなく、もちろん中世・近代の「蟻の熊の詣」みたいなことまではないとは思いつつも、少しは人の歩く姿も目立っているかも、と心中、気をもんだりもしたのですが。幸い?歩いている人もほとんどなく、静かな自然のそれなりに険しい道は変わらないままでほっとしました。
むしろ二日目の近露というところから熊野本宮大社にかけて、あるいは中辺路古道の入口である滝尻あたりの、昨年9月の台風の爪痕がかなり痕跡を残していました。
初日の古道の入口からは、台風の爪あとは見えなかったのですが。。。

ひとり旅でなかったこともあるか、今回の古道歩きで膝が笑うようなことがあるかとの不安は特になく。ただ、むしろ古道の山歩きは下りのほうが辛い。普通の山歩きもそうでしょうが、帰宅して落ち着いたあとは、足のつま先が痛くなりましたね。靴擦れもできていた。
旅はarahikiさんと各所にある王子の解説などを読みながら、彼から地元の歴史や言い伝え等を聞きながら種々、二人の関心事項やその他を語り合いながらの気のおけない旅。
これもまた自然で良かった。

北海道民の開拓者の末裔の現代っ子(?)として生まれた自分には熊野のような歴史が重層的にあり、複層的な場所は本当に興味が尽きないのです。
日本の歴史の表舞台とは別の、非常に大事な裏舞台としてのヒントに満ちた場所のような気がしますし。(これは歴史を持たない旅人の勝手な思い込みかもしれません)。

近代においては大逆事件で事件の概要を知らずに連座を強いられた、いわゆる「新宮グループ」もあり、古代においては「隠国(こもりく)」と呼ばれた神話におけるイザナミノミコトがおこもりになった地でもあります。
そして現代において物語文学や、近代を超える文学を目指したこれまた重層的/複合的な生い立ちを自覚的に自ら背負った作家、中上健次を新宮市に生んだ土地です。
霊域と聖域。聖と俗が複雑に織り成す地を旅して来れたんじゃないかと勝手なロマンに浸ってきました。

最終日は作家、中上健次の生原稿のコピーを新宮市立図書館の資料室で見せてもらったり、もろもろ中上に関する貴重な話を資料室の人に伺うことが出来ました。事前に連絡していてくれ、適切に話を引き出してくれたarahikiさんには改めて感謝。
海のそばの露天に連れてくれた白浜温泉・崎の湯、説経節で有名な小栗判官が蘇生した峰の湯温泉、そんな事前の想像を越える場に連れてくれたり、旅の醍醐味を存分に味わせてくださった。
しかも経済的に。

旅で感じたこと、感じて思ったこと、それを文章化するのは今の時点で難しいです。
今後、この旅で感じたことは別の形で文章表現化されるかもしれません。
考えてみれば、今までもそういうものだったのかもしれない、と思っています。
一度に書ききる才能と体力がないんだなw。

最後に夜、あんなに綺麗な星空を見たことはまず記憶にもそうないと思う。
陳腐な表現ですが、結果的に癒しも含めた旅だったな、と思います。

以下、写真ですが、とりあえずまとめてアップします。写真の説明はおいおい書き加えていきたいと思っています。素人写真で申し訳ない。また、写真の拡張子の関係で携帯写真をUPしていますが、携帯のバッテリーがなくなってしまい、3日目以降の写真があげられません。ご容赦を。