2016年11月23日水曜日

映画「この世界の片隅に」


(註:この映画の感想は、ネタバレがあります。まっさらな姿勢でこの映画を見たい人は、この感想は映画を観るまでは、見ないで下さい。)

映画、「この世界の片隅に」をもう一度観た。
一回目を観たときもアニメーションとして非常に素晴らしいと思ったし、どこまでも原作に忠実なのが嬉しかったけれども、作品後半に向かう主人公すずさんに降りかかる悲劇のあと、心に刺さってくる、原作のモノローグによる「痛み」。小まい(こんまい)すずさんが夫が不在の後で「家」を守りきれなかった負い目の負債ゆえに広島に帰りたいと言い出す20年7月の「いっこも聞こえん!広島に帰る!帰る!」と叫びだすまでの重み。そのあたりのすずさんの(心理状態を含めた)描写は映画で表現し切るのはやはり難しいのか、「安気で」「ぼんやりとした」空気を声優として表現し得たのんさんでも、そこは難しかったか、と考えたから、その後ネットで目にし続ける終らない高評価は、ぼくの鑑定眼のなさゆえか?と思って再び観にいったわけである。

再見してどうだったか。やはり改めて素晴らしいと思った。観た時間の映写がたまたま「日本語字幕つき」であったので、「これは厄介なことになったな」と思ったが、実は意外にも広島弁や、戦時下当時の言葉を字幕を見ることによって理解がリアルタイムで深まったこともあった。
そしてアニメも原作に忠実だなと改めて思い、好感が持てた。そしてぼくが一度目に見て限界を感じてしまった姪の「晴美さん」を失った後の世界。それが二度目に見たときには、「ああ、これが監督の解釈なんだな」ととても良い感じで納得した。
全三巻の原作では、最初の二巻はおおむね、大東亜戦争の戦時下の日常を丹念に、丁寧に描く「生活マンガ」の様相があるわけだが、三巻で早い段階で起きるハイライト。原作ではあの名作、「夕凪の街」のように、絶望を知ってしまった主人公がしばらく沈むこむ「右手を失った世界」は、意外とあっさりと過ぎ、原爆投下の広島まで日常の中に含みこまれている。そして原爆投下後の世界も、むしろ日常のほうが淡々とでもいうべき形進んでいく。僕は実はそれが監督の狙いだったのでは、と思ったのである。

この作品に「反戦」の要素が仮にあるとすれば、「国家」という大きな世界(戦争のために使われる飛行機、軍艦、兵器などを製造するための労働世界を含む)がどんな風になろうとも、「日常」は変わらずに続く、もっと言えば、「変えては行かない」という意志表明であるかのように、淡々と日常の描写は戦争が終っても続くのだ。
主人公が嗚咽慟哭し、娘を失った義姉が玉音放送後も平然としているかのように見せて、人影無いところで娘の名前を叫びながら号泣していたとしても、その「時間」が過ぎたら、また平然とした日常へみんな返っていく。(但し原作では日常に帰るためのクッションとして「遅れてきた神風」=「台風」の話が挿入されている)。
その日常とはあくまでも食事を作ること、着物を縫いかえること、小さな畑を看ること、防空壕を作ったり、配給の列に並んだりすること。そんな循環する衣食住の「生活のための営み」で、それはけして変えたりしない、変わらないという、主人公やその家族、隣組の人たちの強く、しなやかで、また、あえてそういうことを言葉にはしない人たちの営みだ。その意味でそのパワーは、(どうしても言葉が軽くなるけれど)やはり女性たち、婦人たちを描くことで一番の表現力となるだろう。

映画を改めて見返してみて、監督のひとつの狙いとして、上記のような、「日常を生きる人びとの強さ、しぶとさ」そしてそこから生まれる「やさしさ」が、国家という大きなものの病んだ威信や事業=「戦争」に対するアンチなのだ、と伝えているように思う。

もうひとつはいのちの循環への意識が強い、ということ。それを感じる。舞台は空襲に晒され続ける呉。そして原爆が投じられる広島がサブの舞台なので、当然、人の死(事件死)が大きな比重を占めるけれども、これも現代人の自分が言葉にするのは憚れるけれども、その死すらこの作品にとっての大きな比重なのか?と思えるときがある。戦後初めて主人公すずが祖母が住んでいた草津に帰ってくる。そこでは妹の「すみ」が体調を崩して寝ている(彼女の手首にはケロイドの後がある)。その妹の口から「新型爆弾」で父親が病死したこと、8月6日以降広島市中で母親が行方不明であること。そんな現代人の僕らが聞いたら衝撃的な語りが、(悲しみとしてありながらも)日常のひとコマのことばのように受けとめていくすずを通して映画は進んでいく。

そのように表層には見えてこない悲しみを救う要素は、ラストの被災者孤児を連れて帰り、おそらく養子に迎えるかたちでエンディングを迎える。その子どもはむろん、「晴美さん」の生まれ変わりであるし、同時におそらく遊郭に住む「リンさん」の身代わりでもあるだろう。だからこそ連れて帰られた子どもは晴美さんの実母の径子さんではなく、すずさんが育てることになるのだろう。(すずさんがおそらく子どもを生めないからだである可能性もあるだろうが)。こうして失われた人々は記憶の中で新たに、生者の行動の中で生き返るのだ。(映画では描けなかったすずさんとリンさんの関係の深さは、エンディングのクラウドファウンディング協力者名紹介の部分で描かれている)。

それにしても、原作者のこうの史代はこのような「日常」を描かせたら、そのセンスの卓抜さたるや、他に右に出るものはいまい。こうの氏のうまさは、ふとその日常の丹念な描き方の中に、非日常が忽然と湧きあがったり、ひょっと驚かせると思ったら、日常性の中に回収したり。なかなか一筋縄でいかない、不条理な部分を垣間見せる作家なのだ。「長い道」というコメディマンガの中での「道さん」が時折見せる正体のつかめなさ(この作品も、親が勝手に甲斐性がない息子に「道」という女性を妻に送り込む、という現代にはまずないストーリー)などもそうだ。

「夕凪の街 桜の国」も先ほどの「いのちの循環」の観点から言えば、「夕凪の街」で不条理な死を描いたとしても、「桜の国」二編で、再生されたいのち、桜の春の舞台という明るさに舞台は展開する。そして死者は生者の記憶の中で、物語る親や親族たちの中で再生する。
「記憶の中で生きる」というモチーフは一貫してこうの作品のいろいろな作品の中でどこか通低しているように思われるのだが。だからこそ、ほのぼのとして「安気」に思えるこうの作品の中に自然と現われるドキリとするような暗い影も、それは「循環」や「記憶の中で生きるもの」を想起させるためのもので、同時にそれらのものを含めての生である、という信条がこうの氏にあるように思えるのだが、如何だろうか。そして「決意」。決意を内側に秘めて生きるのだ、という感覚はこうの作品の日常ユーモア作品にもあり、それを晒していくともっとも強力な力を発揮するのがこうの氏の戦争を描く作品かもしれない。

多くの、良質な映画鑑賞者はこの作品にすごく感動したと同時になんとも言えない言葉のしがたさを感じることが多いのではないかと思う。この作品は日常を切り裂く戦争の中をしぶとく、やさしく、人間性を失わず、人びとの、そして夫婦の愛での負けない生活者を描ききった感動だと思うけど、同時にこの時代の丁寧で丹念な日常は、ほとんどが今の僕らの日常から失われてしまったものだ。繕い物や足りない食材を少しでも美味しくする工夫。これらはみな、正直、貧しさと表裏の関係でもあった。だからこの時代のすずや、呉の田舎街の人びとは強くてやさしく、すずは自分のおばあさんのようになる未来が予言されているようだけれども、問題はいまのぼくたちがこの映画の中で観るおじいさん、おばあさん世代、あるいはもしかしたら曾祖父母の世代たちからどこまで遠く離れてしまい、そしてどこにおいて繋がっているのかを考えてしまう、そういう描写が多い気がする。

そんなことを思えば感動の中にもさまざまな思いがあり、そのひとつに「生活の丁寧さ」への溜息もあるということでもある。少なくとも僕にはそれを感じたが、それはもうほとんど自分で取り戻せないもののように思う。いや、取り戻せないことはないだろうが、現代ではそれは自分でつかみとる主体的生活の方法となる。今ではそれは、ひとつの「選択」の時代として生きている。そういうことも思い起させてくれる映画でもあるだろうと思ったのであった。
 

 

2016年7月21日木曜日

別の時間を過ごす

老人保健施設にこの火曜日から三ヶ月の短期入所した父親に母親と会いに行った。
けっこうしょっぱい話を父はしながら、母はうつむいてこっくり、こっくりしている。
しょっぱいながらも、大事な話なんだけど。父はそんな母を顎で指して、「こういう状態だから...」というメッセージ。

実は今日、個人的に「物忘れ外来」に母について電話で事情を話した。結局三十分くらい話したけれど、これをインテイクとしてくれるそうで、あとは何とか遠からず本人が受診してくれる日を祈るばかり。
当面、いつになるか分からないけれど。看護師だったり、保健師の戦後二期生だったりするので、プライドが高いのが難点だ。

帰りに周辺でも際立って敷地の広いイオンで買出し。食材の買出しが終った後、近くのベンチに母に座ってもらい、自分は父から頼まれたNHKの週間番組雑誌を探しに。ワンフロアの横幅がメチャクチャ広いため、書店がどこまでいっても見つからない。食品売り場と正反対のところの二階にやっと見つけたけれど、今度は週刊誌置き場が見つからず。店員さんに聞いてやっとたどり着いたらほとんど雑誌がない。目当てが見つからず立てかけてあった雑誌の中から思わず手にとった「週刊金曜日」。
つい、目次をめくってひきこもり名人、勝山実さんのエッセイを見つけて読みふけってしまう。
何てしみじみとしてあったかいユーモアあるエッセイだろう。違う時間の中を、生きる同じ同志のような気持ちを持ちつつも、そこはかとないおかしみを自分は表現できない。

かくして、おくれて母親の元に辿りつく。「暖中」そばのベンチに座った母は小さくて、まるで迷子にならないように我慢している子どものようだ。ああ、これは「ペコロスの母」の世界ではないですか。
その危なげな風情を見る僕は、その母の身体に、昔の優しさと威厳を持った記憶の姿をみるばかりです。
記憶は強く、いとも簡単に壊れそうな肉体のなかに生きて、子どもを育てた歴史が時間をぐるぐる循環させる。

いま父母と過ごす時間は、ほとんど現実とはかけ離れた別の時間だ。その時間の中で眠ることはできないけれど、「あの力強いおとなたちはみんな、このようにほどけていく。そしてそのときは遠からず自分にもやってくる」
と思う。

すでに引退しているような時間をときおり過ごしながら、僕はこれを「おかしみ」にできないものかと思ったりもする。帰りの車中も母とシュールな会話を交わしながら。

壊れ物注意。働き続けた貴重なる骨董品に幸いあれ。

2016年5月31日火曜日

オバマの広島演説ー解き放たれた大きな力の世界の中で。

 現職アメリカ大統領として初めて広島訪問をしたオバマ大統領。その事実については世間では大きな話題になったが、広島平和公園のオバマの演説に言及した報道がほとんどない気がする。ほとんどが「謝罪がなかった」とか、「被災者、被災地の人たちが(謝罪がなくとも)大統領の訪問を歓迎している」とか、「原爆資料館の訪問時間が10分程度しかない」とかが話題にのぼるのみだった。もちろん、最後の資料館訪問の時間は短すぎると自分も思うけれど、おそらくオバマは大統領職を辞したあとは、広島にじっくり時間をかけて訪問する気がするので、あまりそれらのことのみ、世間で話題に上りがちになることのみに着目したくはない。

 極めてデリケートな話題であるのはわかった上で、アメリカ大統領のスピーチの内容、特に前半部分に人間の行為の本質をよく掴み、人間社会学の要を短い文章の中で見事にまとめあげたものだ、と感心したのである。おそらくスピーチライターがいて書いたものだと思うけれども、そうであったとしても、そのライターを選択し、ライターの文章を取り上げるのは大統領のオバマ自身だから、これはオバマの心情の吐露と受けとめるべきだろう。

 人間が生まれ、文化を手に入れてからどのような「光と影」の中でこの現代まで走り続けてきたかをすくいとる。これをけして加害者の被害者への謝罪逃れのために教科書的な語りに塗り替えたのだ、とぼくは受け止めたくはない。以下、主に演説の前半部分を中心に長文だが、所感を引用する。語りだしはこうだ。

 71年前、雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった

 この語りだしの文学的な表現が謝罪の言葉の隠蔽だと思うか、普遍的な現代の闇についての警鐘の一節だと思うかで、全体の受けとめ方も違うのだろう。
 そして、被災者への想像を込めて、被災者の魂に添いながら、人間の現代までの辿りゆきをオバマは語る。

 彼らの魂はわれわれに語りかける。(中略)心の内に目を向けるように訴えかける

 心のうちに目を向けるよう、と。つまり、これから語ることをわれわれは反省しながら、どういう経過を人びとは現代に向かってきたのか考えて欲しいと訴える。以下、長文になるがまとめて引用。

 (歴史的)遺物は、暴力による争いは最初の人類とともに現れたということをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、石片から刃物を作り、木からやりを作る方法を取得し、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使うようになった。

 狩りだけでなく、「同じ人類に対しても」使うようになったという部分が重要。

 いずれの大陸も文明の歴史は戦争であふれている。穀物不足や黄金への渇望に駆り立てられたこともあれば、民族主義者の熱意や宗教上の熱情にせきたてられたこともあった。帝国は盛衰し、民族は支配下に置かれたり解放されたりしてきたが、節目節目で苦しんできたのは罪のない人々だった。

 人間歴史の見事で簡潔な描写。「文明の歴史は戦争であふれている」「民族は支配下に置かれたり解放されたりしてきたが、節目節目で苦しんできたのは罪のない人々だった」。これ以上も以下もない尽くされた言葉。
 そして思想家たちによっても、人びとの本能や欲望のドライブは抑えられないできた現実。

 思想家は正義と調和、真実という理念を前進させていた。しかし、戦争は、初期の部族間で争いを引き起こしてきたのと同じ支配・征服の基本的本能によって生まれてきた。新たな抑制を伴わない新たな能力が昔からの(支配・征服の)パターンを増幅させた。
 数年のあいだで約6千万人が死んでしまった。われわれと変わることのない男性、女性、子どもが撃たれたり、打ちのめされたり、行進させられたり、爆弾を落とされたり、投獄されたり、飢えたり、毒ガスを使われたりし、死んだ。

 人類初期の部族の闘争の本能と支配の本能で、先の大戦まで死の暴力を国家の名の下、正当化してきたのだ。そして、人びとが生きるために必要とした発明の母はどういう運命を辿ってきたか。

 われわれを人類たらしめる能力、思想、想像、言語、道具づくりや、自然界と人類を区別する能力、自然を意志に屈させる能力、これらのものが比類ない破壊の能力をわれわれにもたらした。

 オバマはこの言葉の中で、まるでわれわれ自身の生きることそのものの根本矛盾を前に立ちすくんでしまっているように聞こえる。だが、残念ながらわれわれはその矛盾を塗りつぶすために・・・。

 物質的な進歩や、社会の革新がこの真実からわれわれの目をくらませることがどれほど多いことか。気高い名目のため暴力を正当化することはどれだけ容易か。

 まるで「神」のごとき高みからの警句のようだが、真実の言葉だし、オバマは「われわれ」のひとりとして、「こころの内に目を向けて」被災者の魂の語りを聞いて語っている、と読むべきだ。

 偉大な全ての宗教は愛や平和、公正な道を約束している。一方でどの宗教もその名の下に殺人が許されると主張するような信者を抱えることは避けられない。

 そうだ。この部分も勇気を持って公平なことを語っている。ある種の宗教原理主義から利益を得る者に対する勇気ある言辞である。どの宗教もその名の下で、殺人が許されるのだと主張する信者を抱えているのだ。

 以下の発言は既に一国の国家指導者を超えた、相当ラディカルな発言だ。これは国のリーダーとして勇気ある発言だし、オバマが「政治家」より「学者」向きの存在である事が良く示されている。

 国家は、犠牲と協力の下に人びとを結びつけるストーリーを語りながら発展してきた。(中略)このストーリーが相違を持つ人びとを抑圧し、人間性を奪うことにも使われてきた。(略)
 現代の戦争はこの真実をわれわれに教える。広島はこの真実を教える。技術の進歩は人間社会が同様に進歩しなければ、われわれを破壊に追い込む可能性がある。原子の分裂につながる科学の革命は、道徳的な革命も求めている。
 だからこそ、われわれはこの場所に来た

 オバマはアメリカに生まれ育ったわけではない。インドネシアで少年期を過ごし、思春期をハワイで、そして青年になってからアメリカ大陸に渡ってきた人だ。自由を謳歌し、自由を学んで、その自由を知的な自由として、人間と社会を考える自由を培いながら育ってきた人だろう。それゆえに、おそらく本質的には国家や共同体の「縛り」に頭を押さえつけられている人ではない。

 もちろん、退任が決まっているからいえる事もあるだろうが、彼の自由な精神から言えば、正直なところ、オバマが生きて育つ時代はもう第二次世界大戦も、太平洋戦争も終った時代だ。
 彼の立ち位置の強さは「かつての戦争」の加害・被害の立場からは少なくとも「物理的には」自由なところにある。では、あと大事なことは、オバマに(限らずだが)どのような人間観、社会観、世界観があるかということだ。その意味では彼は相当ラディカルで、ある意味アメリカという国家のリーダーとしては良い意味で相当過激なことを語っているのだ。そのことに着目すべきだろう。人間社会がどのように生き残り、どのような人たちを犠牲にし、そしていまどのような集団の縛りの中で生きているのか、ということを。

 悲惨な、広島のかつての現実を前に、わたしたちの考えるべきことは人間集団が何をしてきたのか、ということだと思うのだ。
 後段に彼はこのように語っている。人間の限界を考えれば、この後段の言葉を自分の身に沁みこませるよう、努力するしかない。それはオバマ自身に、ぼくら自身に、常に問いかけられる。それが死者たちの魂の語りかけ、訴えに耳を澄ませ続けるということではないだろうか。

 
われわれは過去の過ちを繰り返すよう、遺伝子によって縛られているわけではない。われわれは学ぶことができる。われわれは選択することができる(傍線、ブログ筆者)

 理想を実現することは、自分たちの国境の内においてさえ、自国の市民の間においてさえ、決して簡単ではない。しかし(理想に)忠実であることは、努力する価値がある。追求すべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想だ。

 あの演説の日、「政治家は結果がすべてだ」と言い切った解説者がいた。その彼の言い方はつるつると軽やかで、ことばによどみがなく、自分のことばが消費の中ですぐに消えても構わない。否、ことばはそのときに人びとに「そうか」と思わせる程度の洗脳道具にすぎず、自分の顔など忘れて構わない、名前など忘れてくれた方がいい、とでもいいたげに見えた。
 オバマがリーダーを行う国の背負うマイナスの歴史、いまもかわらぬ暴力的な背景を考えれば、オバマの「自国の市民の間でさえ理想の共有は簡単ではない」という言葉の重みについて想像もつかない人は寂しい。

 オバマの大統領職の苦悩というものも、同時に感じた演説であったが、これは冒頭に書いたように人間社会の歴史を実にシンプルに描ききった伝説になるべき演説だと個人的には思ったのだ。
 それは結局、ぼくひとりかもしれない。少数にしかそう思われない引用部分であったかもしれない。
 だが、僕にはこの演説がのちのち何かのテキストに取り上げられるように思えて仕方がない。

 意味ある言葉を発する政治家は本当にいま世界を見渡してもまずいない。それを考えればオバマの言葉はやはり特別で、際立っている。日本の首相などは言葉の重みの意味では全く比較すらできない。日本人としては実に残念で、悲嘆にくれてもいいくらいなものだと思う。


https://youtu.be/BECPsmNbnWc?t=2m54s

2016年5月29日日曜日

新ひきこもりについて考える会・五月読書会レポート

昨日は横浜で行われている『新ひきこもりについて考える会』5月読書会にこちらのインタビューサイトである「ユーフォニアム」を取り上げてくれるということで、会の世話人のかたがたにワガママをお願いして今回はスカイプで参加させていただきました。
 前回のブログ案内の通り、4人のインタビューの内容をとりあげ語り合いました。
 スカイプの音声はとても良好で、みなさんのほうにちゃんと声が届いたようだし、こちらもみなさん(参加者10名)の全員の声はよく聞き取れました。

 まず、改めて確認しておきたいのは、1月の読書会で横浜に参加した際の『ひきこもる心のケア』の話し合いに出て、少なくともひきこもりに関する集まりについては自分としては「この場はすごい」「こういう場所を自分は求めていた」ところで。その上で、いま自分が具体的に行っている活動はこのインタビューサイトなわけで、そこに着目してくれたのも「考える会」が初めてだったし、それを読書会に取り上げるという、おそらく読書にHPを使うのも滅多にないことだと思うので、本当、光栄でした。そして何より、初めて公に自分のいまやっている活動が認められたなと率直な喜びがあったのです。

 内容に関しては特に釧路で困窮者自立支援制度の活動を行っている昨年3月末にアップした櫛部武敏さんが大変好評で、それからひきこもり名人、勝山実さんのインタビューが好評でした。
 実は予習的に今回取り上げてくれた4人のインタビューは読み返したのですが、やはり櫛部さんのインタビューはいま読み返しても「すげえな」と我ながら改めて思った次第。櫛部さんの語る内容の深さ。行動とその振り返りと、教養とそれら全体が自らの中に統合された大人の知恵。そして生きざまのありようのかたち。かといって立派なだけじゃなくて、「恥じらい」や「照れ」や「反省」も大事にされるかたなので、人間的な魅力はどうしても「ありあり」です。困窮者支援の概略も含めて櫛部さんのインタビューの感想はこちらの過去ログをご覧下さい。

 勝山さんのインタビューは前編後編に分けての長文で文字通り「長いですね」という感想があり、「でも時間が有ったので全部読みました。面白い」とありがたいやら、苦笑いするやらで。結構インタビューの枠組みを離れて雑談モードの中身でも面白く読んでくれたんだなあと感謝するばかりです。これはもう、勝山名人の語りの才能にこちらがおぶさったとしか言えず。本当にこれもありがたいこと。

 今回はスカイプで音声参加したので、自然な自分の会話が反映できました。個人的な振り返りのためにレコーダーで夕食以後ずっと聞き返したのですが、自分の話しかたに関して言えば、語られている話題に対する自分の考えやそれに付随する想像と、みなさんの話の全体とを両方かぶせて話をしようとする傾向があるんだなあと思いました。そうするとまとめようとする意思はないつもりだけど、何となくまとめ的な話しに持っていく方向がある気がします。それできれいにまとまればいいんだけど、途中で「あれ?この点の感想忘れてる?」とか、「元々話そうと思っていたことがずれてきてるぞ」とか考え始めて、何となく「もぞもぞ」「ぐにゃぐにゃ」な感じになることも多々ある。

 要は、思ったことは思ったときに口にすればいいんですが、元々そういう風に話すことに慣れてないせいなのか、性格なのか、環境的にそういう振る舞いを選択するようになったのか。それはわかりません。でも、もっともっと、思ったことは思ったときに口にする癖を少し増やしたいな。苦手な部分なので。

 あと、ときおり滑舌が悪くなるときがある。これは明らかに聞き手が聴き取りに困るので直したい。ま、簡単にはいきませんけど。こういうことは自分の年になると人から指摘されなくなるので、自分で気づいていかないと。

 SSTとかは外部から訓練的にされるのは嫌ですが、この読書会の場は素敵な、話したいことも聞いてもらえる場所なので、その現実をもっとじぶんとみなにうまく循環できればいいと思うので、多少こころがけたいと思いました。7月の読書会もスカイプ参加どうぞ、と言ってくれたので、ありがたくまた参加したいと思います。嬉しいな。

 さて基本的には自分はやはり話すより「聴く」のが好きだし(あえていえばだけど)、得意はそっちかな、と。「パッシブを生かしながらそれをアクティヴに変えていく」作業に今後も軸足を置いていきたいと思います。そうするとそれはやっぱりインタビューになるだろうと思います。
 インタビューに関して言えば、提供に関して「編集をあまりしない(出来ないというのが正確?)ライブ感覚のインタビューでいいのか?」ということに関しては、当面この方向でいい、という風にして行こうと思っています。
 聞き手が素人だなあというのがありますけど、聞く対象のチョイスは悪くないと思う。この自分の直観でまだまだ当地でも話を聞きたい人は頭の中にはたくさん浮かぶので、「人文社会」の枠で何でもアリは続けて行きたいものです。アンテナも張っていかないとね。

 今後は横浜のひきこもりに関する活動家の人たち三人を順次、ペースは少しゆったり目かもしれませんけど、いい話が満載ですので、どうかひとつ、インタビューサイト・ユーフォニアム、よろしくお願いします。時おり更新されますからね!(^^♪

※この内容は「インタビューサイト・ユーフォニアム ブログ」を転載したものです。

2016年5月19日木曜日

さっぽろ子ども・若者白書

 
 
「さっぽろ子ども・若者白書2016」という書籍が刊行された。
自分は不登校あるいはひきこもりに関しての短文コラム(600字)の依頼をいただいていたので、掲載者ということで本の寄贈をいただいた。
 
刊行前にもらっていた目次案を見て、網羅性の広さ、それだけでも楽しみにしていたが、実際百人を優に超えると思われる寄稿者の名前を目次で拾うと存知あげるお名前のかたも多く、思った以上に身近な感じがした。
 
乳児の育ちの支援から青年期の課題とそのサポートまで、一冊の書籍の中でそれぞれの論者が自分の立つ現場からのレポートがあり、論がある。このような包括的な本はそう多くはないのではないか。その意味で「刺激的」な形での面白味こそないかもしれないが、乳児から青年期までの成長の足取りまでの見守りとサポートのありようの現在進行形を知るにはけして「さっぽろ」に留まることはなく、全国的な汎用性のある本となっていると思う。ぜひ多くの人に触れられて欲しい。
 
乳児から青年期のそれぞれのライフステージの節目についてまず研究者が論文を寄稿し、それぞれの現場の実践者が現場における支援の日常をレポートする。おおむねそのようなつくりで、研究者、あるいは教育関係者と、民間支援団体(主にNPOなど)が協同で作り上げた本で、チョイスの仕方もなかなかほかには見当たらないように思う。
 
まして自分のような、ほぼ200万都市にならんとする札幌市の群衆の中で埋没している者にも声がかかるくらいだから、よくぞ本当にこんなに多くの団体に声をかけ、協力をとりつけたものだと思う。締め切りや編集校正もあり(私もかなりの字数オーバーの修正を依頼された。すみません)、本当に編集部の人たちは大変だったろうと思う。
 
僕はほかに作業やほかに読む本などもあり、現在はまだ思春期の学びのシステム(通信制高校、学校統廃合問題、フリースクールについてなど)のところまでしか読めてないけど、自分が思春期の頃にはこんな情報を網羅した本はなかったので、本当に良い時代になったと思う。同時に、上昇を目指す時代から社会の持続性を探る時代に大きく変化して、新たな問題(貧困など)が浮上してるのだなあと。いつも変わらず子ども若者をめぐる育ちの課題はあるんだなあと思った。
 
これ以上はない情報の宝庫だと思うのだが、やはりその内容は支援側の仕事の本質が凝縮されていて、それゆえの活動のレポートが中心なので基本的にはサポートする側、支援する側の人向けの本になっている感じはする。
福祉従事者にはぜひ手元において欲しい本。

上記で「刺激的」な形での面白味こそないかもしれない、と書いてしまったが、読み進めると意外とふつうの意味で面白い内容もチラチラ含まれている。視点の面白さだ。
自分のコラムも普通ありえないというか、「お前がいうか」みたいな意味で異色感がある。
そういう発見もあるので(?)札幌市以外の人もどうか参考に。
本の問い合わせは以下のリンクからがよろしいかと。定価1500円(税抜)です。
「さっぽろ子ども若者白書を作る会」


2016年5月17日火曜日

最近の活動について。

ブログ記載は久しぶりです。
マイペースながら活動の幅を少しずつ広げています。
それらの内容について少し振り返って行きたいと思います。以下、長文になりますけれども。

まずは今後の予定から。
1月にお邪魔し、「ひきこもる心のケア」を取り上げてくださった横浜で行われている『新ひきこもりについて考える会』の読書会。(新ひきこもりについて考える会については『不登校新聞社』のこの記事に簡潔に紹介されています)
今月5月28日(土曜日)に本インタビューサイトの過去インタビューを素材に横浜で読書会を開いてくれます。取り上げてくださる人たちは櫛部武敏さん平野直己さん野村俊幸さん勝山実さん。

遠方(札幌)住まいの私は今回は我がままをお願いして、スカイプで参加させていただくことにさせてもらいました。1月にお邪魔させていただいた際の読書会のインパクトが強烈で、今回二度目の自分の活動に関してなので、いてもたってもいられなかったのです。

何より、このインタビューサイトの記事を読書会に取り上げられることがこころから嬉しいことでした。手前味噌過ぎて気恥ずかしいのですが、インタビューイーの人たちがみな素晴らしい話をしてくれて記事の内容には自信がありました。ただ、おそらく編集にあまり手を加えない「ライブ感覚」を最重要視しているため、読むのに時間がかかる。あるいは記事の流通の方法論に弱みがあって残念ながらあまり知られていない部分がまだまだあるサイトだと思うのです。

その中で「ひきこもる心のケア」のみならず、本サイトにも着目してくれたのはシンプルに嬉しく、ひきこもりに関する本、その近縁の本を100冊以上読み、100回以上読書会を開いている横浜のガチでハードコア(?)な話し合いをしている場所にこのサイト記事を加えてくれたのは本当に光栄だし、このインタビューサイトが何かようやく報われたな、と正直思いました。けして報われることを求めているわけではないですが、「届いているよ」という応答が老舗の「考える会」の読書会であるというのが喜びです。その応答がUXフェス参加前であった、ということもまた嬉しさに輪をかけることでした。

その『ひきこもりUXフェス』というイベントに私も到着が午後でしたが、参加してきました。主催と運営はもともと不登校・ひきこもりなどの経験者です。あるいは発達障がいの傾向などがある人です。私はもともと、このフェスに参加することと同時に、1月の「考える会」参加と同時に行った勝山実さんと、ひきこもり相談所「ヒューマン・スタジオ」を運営する丸山康彦さんのインタビューが目的でもあり、今回の訪問は丸山さんと、UXフェス運営者でもある林恭子さん、フェスでも行われたひきこもり自助会STEP世話人の近藤健さんのインタビューも目的だったので、両方の目的も無事(というか、最高度な形で)終らせることができました。UXフェスの全体運営のひとり林さん、フェスで自助会を回していた近藤さん、そしてブースを出していた丸山さん。このお三人のひと頃本当に大変な時期があったことを事後に知った自分としては、精神的に本当に大変な青年期を過ごすことがあっても、立派に社会活動をされる立場になれるんだ、という勇気を改めてもらえたなと記憶が呼び返されます。丁度いま、フェス雑感を依頼された自分の記事が載っています。
なんとも稚拙な内容ですが、宜しければ読んでみてください。ひきこもりUX会議のホームページブログに三回に分けて掲載されています。(前編・「働く」、中編「生き辛さをどうする」、後編「まとめ編」)

また、神奈川のひきこもり支援サイト『ひき☆スタ』にUXフェスに主催・運営者のお一人、不登校新聞社編集長・石井志昂さんへの今回のフェスに関するインタビューが掲載されています。これが痺れるほど「そうだろうなぁ」と本質的な話になっていて実に素晴らしいのです。ぜひ読んでいただきたい。
ひき☆スタ【取材レポート】「ひきこもりUXフェス」に行ってみた。

不登校新聞には同社の取材の一環で自分も帰省日に同社を訪れることができました。私自身、不登校新聞は発刊時、一年間だけ新聞を取っていたこともあり、訪れたい場所であったのです。NHKのテレビ取材が入っていて、対談などの時間もずっとカメラとマイクを向けられるというのは生涯初めての体験で、不思議なボーナスでしたね。

石井さんがおそらく言わんとしている、ひきこもりの課題はすごく成熟してきていて、もう「支援」でもなく、「プレゼンテーション」(or「啓蒙活動」?)でもなく・・・・・・という感じではないのか、という考え方にすごく共感できます。私も自分が行っているインタビュー活動をひきこもり問題に限らず、その近接領域、あるいはもっと離れた立ち位置の仕事をしている人にまで広げているのは、ひきこもりから離れたいからそうしているわけではなくて、ひきこもりの世界へ還元したいからなのです。これは真面目にそう思っています。
ひきこもりを通して、「どのように考えてもいいんだ、どこからも学ぶ糸口はあるんだ」と気づいたからこそです。それはひきこもりというイシューがあったからなのです。ひきこもりを通して「面白い学びや気づきがあった」のは間違いないのです。

ただ、「支援でもプレゼンでもない」と言えるのは、「支援」も「啓蒙」も必要だから言えるわけです。要は、元気になり、自分のことばを持てるようになった人たちの発信の方法に光を当てる必要がおそらく、いまでは出てきているわけですね。ある種の機が熟するときが経ったのかもしれません(もっとも私はひきこもり問題が世間を賑わした2000年代は知らないのです。自分が界隈に参加するようになったのは2009年からなので)。

その機の熟し方に支援や研究が追いつけていない。だから当事者が発信するしかなくなる。いや、それは消極的な表現ですね。当事者が積極発信をはじめたということでしょうか。支援の形がある種の枠組みを越えた人たち(年齢や、社会的環境や、ひきこもる契機になった事情が研究の想定外だった人たち)に対応できなくなりつつある面が生まれ、それで経験とパワーがある人たちが自らイベントを立ち上げた。今回のイベントも400人集めたわけですから、これはある種の前提の転換ですよね(おおげさかな?)。

話を戻しますが、イベントが終った後、近藤さん、丸山さん、林さんの貴重なお話を沁みるように聞くことができました。今後サイトに挙げていきます。お楽しみに。
また、既に不登校の親の会のかたに関東行き前にお話を伺っています。インタビューのつもりが、さまざまに話が盛り上がり、時間は5時間を超え。帰りが深夜1時過ぎになってしまったという。
こちらも少し遅れてしまいますが、サイトに掲載していきます。
ほかにも発達心理学の先生にぜひお話を伺いたいと思っています。
さまざまな事情がうまく回転すれば、本年度、特に上半期はサイトの充実は確かなものになるのは間違いないことだろうと思います。

(註:この文章は『インタビューサイト・ユーフォニアム』のブログに書いた内容の転載です)

2016年3月27日日曜日

社会のコミュニケーションにおけるダブル・バインド

 最近知った情報によると、「たけしのTVタックル」でまた「ひきだし屋」を取り上げてひきこもっている人を無理やり外にひきだす放映をしたとか。僕はひきこもり問題が加熱した頃の「長田塾」問題なども知らないし、「まだそんなことをやっているのか」とただ唖然とするだけだけど、自分のことが手一杯だし、「結局、他者の意向に想像力が働かないものは、カルト信者と変わらない」と思っているので、やれやれ狂人が、と思うばかり。
 そこに(元は大ファンだった)たけしのけれん味、浅草芸人的なマチズモと根底にある虚無主義がその種の見世物を煽ることに拍車をかけて躊躇もない、ということかもしれない。たけしの内面というのもいろいろな点で矛盾があるし、鋭利な感性と、同時に他者への鈍感が混在しているところがあるから。まあ、古風な任侠人、やくざくずれというところがあるし、そこがプライドのようになっているしね。

 それ、今回の本題と関係ないのです。いまの社会って「コミュニケーション能力」を高く評価しようとしたがるじゃないですか?このまま言ったら大概のひとがコミュニケーション障害にしてしまいかねないような。でも、誰がそういうことを言い立てたがるのでしょうね?という話。(それこそひきこもって何が問題?になりそう、という話です)。

 最近、近くのショッピングセンターの買い物の清算を何と客(買い物にきた側)がしなければならなくなった。もちろん商品購入のレジ打ち(バーコードでの読み取り)まではしてくれるんだけど、合計額が出たあとは、こちらでお金を清算機械に入れて自分でつり銭を受け取る仕組み。
 ここのスーパーはほかのお店に比べてレジの担当のかたはとてもスピードが速く、気が利いた。土、日の朝市とか、安売りのときにお客が並んでもさばくのが早かった。
 本来、レジ担当の人はお客さんのお財布に手をかけてはいけないのだろうけど、お金の受け渡しが不自由になった母親は目当てのベテラン担当の方のところに行って「いいですから」と言って財布から小銭を出してもらっていた。すると担当の人は該当する小銭だけを指先で受けとめて、レジ代の上において、「これだけいただいてよいですか」と。母は、前面信頼して「はいはい」とうなづくだけ。そういうコミュニケーションが成立していた。ほんの小さな、人と人との。
 ところが、今では合計金額が出たあとは「現金ですか」「はい」「では、左の清算機でお願いします」。その間、レジ員さんは両手を前にして立っている。

理由はきっと二つあるんだと思う。ひとつは(滅多にないだろうけど)お客さんと店員さんの清算のときのトラブル防止。そしてもうひとつ、こっちが大きいと思うのだけど、その日の損金防止。つまり「売り上げと金額が合わない」ことによるバタバタの防止なのだと。
だけど、年寄りには全く親切じゃない。現に戸惑い、怖がる母は、もうスーパーで買い物するのが困難になってしまっている。

 コミュニケーションが社会人に大事だといいながら、スーパーという、もっともドメステック、日常的な場で「買う人」「売る人」の間の会話が急速になくなっている。細かい会話が苦手な僕でも明らかに「これは変じゃないか?」と思うほどなくなっている。こんな一番日常に近い世界で子どもに「コミュニケーション能力」と言ったところで、宙に浮いた会話だけを磨け、といっているようなものではないか。日常から、買い物から、どんどん物理的に会話を奪っているんだもの。全部自己責任でやってください、になっているんだもの。

 僕も最近、イオンモールで「セルフレジ」を利用するようになった。ということはいずれ機械で買い物の清算は自分でやるようになり、スーパーからレジ打ちのプロが消滅するんじゃないかと思う。みんな軽く考えるかもしれないけれど、あの仕事をやっている人のプライドがいま打ち砕かれているんじゃないか、と自分は思えて仕方ない。

 いずれいろんなところがセルフになるだろう。駅員さんが乗車切符を切らなくなり、いつのまにか自動改札が当たり前になった。この様相でセルフガソリンスタンドのように、スーパーで買い物をしても自分で清算までやり遂げるようにさせられるかもしれない。飛行機だっていまバーコードのスキップサービスだしね。どんどんコンピューターが進化すれば生活の隅々まで「自分でできます、便利でいい」となる可能性が高い。そしてちょっとした「目立たないが責任感持つ仕事人」がいなくなる。キオスクの店員さんのように。「自分がさばいている」というプライドを持つ人がいなくなる。

 「これでいいのか?」という疑問がもちろん最初にある。そしてこの流れに逆行できないなら、人はどこで何をする?という問題がいずれ浮上する。介護だっておそらく機械化の流れは止まらない。特殊な能力の人がいればいい、となる可能性は高い。
 本当に時代に逆行できないなら、特別でない、普通の人たちは何を仕事として、何をその仕事のプライドにできるのだろうか。

「カーネーション」というドラマは、伝統的和裁業の父に、新しい「洋服」という「ミシン」という機械で作られる服装に魅入られた主人公が。愛する父との葛藤の間を揺れながら洋服に日本社会が移り変わる中で自分の仕事の世界を作り上げる物語りだった。しかし、その主人公の時代はまだ「ミシンの操作」と「丈の、メジャーで計りきれない感覚理解」「新しい時代のモードを、どう工夫してお金をかけすぎずに創造するか」という「打ち込む仕事」の具体感があった。そこには生き生きとした創造的な仕事に打ち込む躍動感が展開した。だけど、親のあとをついだ娘の時代は「デザイン」と「流通方法」「先駆的なコマーシャリズム」へ変化していく。着てもらう対象も「岸和田にすむおばちゃん」ではなく、「世界のセンスエリート」対象に、職人の「質のありか」が変わっていく。

でも、これからの時代は「質のありか」さえ、どうなるかわからない。そんな時代がやってくる気がする。

2016年3月18日金曜日

学校へ行く意味・休む意味



これはすごい本を見つけてしまいました。

時どきいろいろ本を読んでるとすごい本に偶然当たる。これぞそのたぐいです。

私自身の習慣として組み込まれているものに(基本的に)週一回、英語で「仏教」の概論本を読むというNPOの勉強会通い、というのがあるのですが、そこでは最近ヘーゲルも読むぞ、空海もよむんだぞ、という大変な状態になっています。
で、そこのファシリテーターの先生は法学部で近代西洋政治を教えていた教授だった方なのですが、その方との雑談の中で、「近代社会(現代も含みます)とは何だったか」を教えてくれたりします。

また、『ひきこもる心のケア』をめぐってさまざま、読書会なりなんなりで世界が広がったり、本の監修者である村澤先生は『ポストモラトリアム時代の若者たち』という本も出されているので、ひきこもりをどちらかといえばモラトリアム消失の現象としてもとらえている側面があり、「では、モラトリアムとは何だったの?」という議論というか、お知恵拝借というか、雑談というか。本つくりで会っているときによくしてきたんですけど。
『ポストモラトリアム時代の若者たち』もトライしている領域はかぶるんだけど、「ポスモラ」の学術的なノリがきつい人にはステップとしてこの本がいいはず。。。まあ、これは少々無理ある連想の被せかたではありますが。

この本は上記の、自分の体験もろもろそれらの、私自身の問題意識を極めて平易に優しく、隣に座って教えてくれるような文章で「近代の学校ってなに?」というところから。まず現象の本質には何が置かれていたのか?そこからはじめましょう、教えましょう、考えましょうという本です。

これはすごいです。普通に思っている、あるいは忘れてるけど、意識する局面でぼんやりと思っていることをきちんと明瞭な言葉にしてくださっている。例えば「近代の教育は労働と密接につながっている」「その教育の標準化が現実の労働との乖離を生んでる」「生活と、労働に向き合うための教育が噛み合ってない」そんな考えはけっこう周辺でも勉強していくと聞くわけですが、その全体像を俯瞰してとらえ、かつ全然難しく書かない。←これ大事なこと。

この本は「不登校」を論じる本だけど、究極は教育、ひいては近代教育を生み出す近代を論じてる。つまり「社会」を論じている。ひきこもりも究極は社会を論じることになると僕は最近確信していますが(もちろん、全てがそうだというわけではない)、不登校も社会を論じることなのだなあとしみじみ実感します。

これは教育、社会、人間の歴史を考える際に「一家に一冊」的な本だと思います。
何より、着眼の仕方がひとつひとつが新鮮!

現在図書館で借りて読んでますが、余裕ができたら購入します。
まだ読んでる途中だけど、途中までいいものは最後でがっかりするというのは経験的にまず無いので、途中段階でお勧め紹介してしまうという報告です。
まだ推理小説のような紐解き方が続きそうで、読んでてわくわくしますよ。

2016年3月12日土曜日

ひきこもる心のケア読書会第二回inかめの会

 昨日、石狩・不登校と教育を考える会「かめの会」さまが主催してくれた『ひきこもる心のケア』の第二回目の読書会を開いていただいた。今回は監修者の村澤和多里さんが出席してくれ、村澤さんの視点から多くを語っていただいたので、その角度から私としての感想を考えてみたい。

 二回目の話題は第三部、「発達障害とひきこもり」から話題をはじめた。今回の収穫は村澤さんより発達障がいの中で分類名が種々変遷してきた「自閉症スペクトラム」圏の歴史的推移を説明していただいたこと。現状において、「高機能自閉症」や「アスペルガー症候群」など、知的水準が平均あるいは高い自閉症圏の人たちを専門家がどう見て、「自閉症スペクトラム」にいま用語が統一されていったかを教えていただいた。

 私の個人的な感想を言えば、専門家が種々の言葉を使い意味する対象の人びとを語る用語の混乱がひとまず統一されたことは良かったと思うけれど、いわゆるアメリカの精神疾患診断「DSM」を輸入して統一見解とするのは文化環境が違う中で果たして丸まる受容するのはどうなのだろうか?という素人としての疑問もある。それは私自身、その場で伝えたつもりだけど、上手く説明できたかは怪しい。疑問を疑問として問うならば、疑問の説明もしっかりすべきであったが、場を意識する癖が出てしまい、上手く行かなかった(以下、そういう悪癖の反省も含めて、あの場で語れなかったこともこのブログで縷々のべると思う)。

 もうひとつの大きな話題は「ひきこもり」が現代社会の中でことばが持つネガティブな要因も含めて、「現在」の中でどう位置づけられるか、あるいは位置づけられてしまったその要因は何だったのか、という話。

 この件に関しては、社会経済状況の変化との連関を中心軸に考える村澤さんの話題提起が新しい。「ひきこもる心のケア」第四部「社会的排除とひきこもり」と連関する部分なのだが、「ひきこもり」がネガティヴに捉えられ、同時にひきこもりが数として社会問題化され、あるいは問題としてあぶりだされたのは2000年代(正確には1998年の山一證券、北海道拓殖銀行破綻あたり)から進行し始めた新自由主義経済の加速度的なドライブとの関連が大きい推論が語られた。当初は斉藤環氏の「家族関係論」「家族療法論」がひきこもりを考える際に主位置を占めていたが、実は社会構造の大きな変化の中で起きている現象だ、という捉え方に導いていく話になっている。これは第九章の阿部幸弘先生(心のリカバリーセンター長)のインタビューの話題とつながり、バブル後の経済成長に貢献する労働者の枠組み自体が痩せ細っている中で起きている現象と言い換えても良いような状況として捉えられる。

 読書会の場での話しあいでは、私自身が強引にそこに持っていったきらいもあるけれど、そこから「労働者になれない若者の居場所を持てない状況」「若者サポートがない中で外に出て行く場所が見つからない状況」を私自身は心の中の意識の比重に重心を置いて話したつもり。これもうまく話題にできたか、説明ベタのせいもあっていささか心苦しいところがあるけれども。

 実はこの問題を仔細に検討するにはもっと良い本がある。検討や検証をするに値する本がある。本書の巻末にお勧め本として紹介されている『ポストモラトリアム時代の若者たち』という本だ。(村澤さんいわくの、「青い本」』



 

(前略)若者たちがひきこもりやニートと呼ばれる状態に陥っているのは、彼らが社会に適応できなった結果ではなく、それどころか反対に彼らが社会に適応しすぎた結果であり、いわば過剰適応の一形態を示していることが多いということである。つまり、彼らがひきこもりになった原因とみなされている彼らの内面の問題は、やはり社会全体の問題に深く由来している。したがって、それは心理的領域と社会的領域が重なり合っている複合的な領域で生じている問題であって、たんなる個人心理学の議論に回収することもできなければ、社会・経済の問題へと還元することもできないものである。むしろ、それは心と社会のつなぎめで起こっている問題なのである。(序・失われたモラトリアムを求めて)

  昨日の話の中で村澤さんが強調されていたのは、むしろ社会・経済の問題が大きかったように思われる。国の財政状態の危機から、近未来に来ると思われる地球規模の食料危機まで。だから日本が今後「農業をどう考えるか」ということもある、とラストの方で村澤さんは仰られた。

 先に横浜で開いてくださった「新ひきこもりについて考える会」においてもほぼ似たような話が話題にのぼった。若いメンバーのかたは「欲望のダウンサイジング」を考え、ほかのメンバーのかたは「1980年代初頭の生産水準に戻せばよい。別に江戸時代に戻れ、という話ではない」という意見があった。

 村澤さんもその話題には首肯しつつ、「国はその方針を採りたくないでしょうねえ」 と仰る。それはまさにそうだろう。これは政治的に先鋭的に対立するであろう綱引きだし、社会意識の大きな変革はありえるか、の大問題なので。

 なかなか昨日の読書会のような場面ではこのような話を煮詰めていくのは大変なことであるし、いま此れ、この事が必至の課題とはなりにくい。

 しかし私自身は、「言行不一致」な人間の癖に、ひとりでいるときはこんな考えが浮かんでは「どうしたものだろう?」と考えてしまうことが多い。社会的な問題、マクロな問題は頭がクラクラするし、自分自身が「ならば農業をやる」とはならない。これに加えて老親を抱え、いまの年金制度が維持されるとするなら10年後の自分の未来について、財政赤字の国で、アベノミクス(本当?)の国で、日銀がモラルハザードの国で、合理化していくミクロな企業、労働の国で。自分の居場所はどこにあるのだろう??どう生きるだろうか??と日々思う。そしておうおうにして、自分自身煮詰まってくると「これは究極的に僕らのモラルの問題なのだろうか?」と自問自答してしまう。

 でも、憂鬱になっても仕方がないと思っている。こういう話は村澤さんに出会う前から自分のカウンセラーとよく話し合っていたことだし、そして結局「俺はいまだにその答えを自分に出せていない」という、究極的にはそのことだ、という認識があるから。

 でも多くの人にとってどうなのか?といえば憂鬱で深刻な話題、ということになるかもしれない。

 だから時間の物差しは私たちひきこもり当事者は二つ持った方がいいと思っている。

 ひとつは社会のものさし。社会がいまどこに在り、どこに向かっているのかという観察。もうひとつは自分のものさし。他人の思惑と関係なく、自分(たち)は誰と関係を持ち、誰と関係を持たないか。信頼する人、信頼するものは当面何なのか。自分の力量でネガティヴ要因をポジティヴ要因に反転できるものがあるのか?ということを意識していく試み。つまりは自分の時間。

 「社会の時間」と「自分のための時間」(後者は比ゆ的表現で、つまりは「ふつう」と思わされている大多数の人たちの考えは良し悪しは自分で判断するために、いったん脇に置くということ)

 この二つの時間を常に意識しながら生活をするということ・・・。

 孤独かもしれない。だれかと普通に話し合えない話題かもしれない。でも、どこかで誰かとこういう話題が出来るはず(現に僕はできる人を見つけたー少数であっても。でもこれもなかなか大変。判断を誤ると別の政治や宗教に絡めとられる危険もあり)。

 いずれにせよ、そこに希望を見る。

 読書会の村澤さんの視点の角度から感想を、と冒頭書きながら、やはり大きく逸脱している気がするが、結局村澤さんなり、ほかのこういう文脈の話ができる人であれど、私の頭の中はどんどんこの文章のような浮遊の仕方をするので、自分の意識の流れに逆らわずに前日の様子の主観的なこれをもってのレポートとさせていただいた。

 ご存知のとおり、昨日は5年目の「311」であった。あの日のことは遠隔地であったこともあり、自分の軽薄さを考え直す一分間の午後2時46分の黙祷時間であった。僕は本当にあの津波の怖ろしさ、われわれがどれだけ頑張っても太刀打ちできない自然の圧倒的なものをしみじみ実感したのは実は3ヵ月後のNHK番組での振り返りであった。スマートフォンなどでとられた普通の人たちの提供映像の圧倒的なリアル、ということもいま考えると全く新しいことだと思う。ここにもメディア独占の最終局面の立会いにあるような現代なのだ、という気がする。新しい「公共メディア」とは何か、ということも今後みんなが考えていかねばならないのだろうな。そんなことも思う。

主催のかめの会世話人、井口さんが客観的な内容を書いてくれました。これがいちばん。
http://d.hatena.ne.jp/isikarikamenokai/20160312

また、訪問と居場所の漂流教室、相馬さんも参加してくれました。ブログで触れてくれています。311と、その後の思い、共感します。
http://d.hatena.ne.jp/hyouryu/20160311

2016年3月1日火曜日

若原先生献本:『ヒトはなぜ争うのか』

 
 
 昨年インタビューにお応えいただいた若原正己さんの待望の新刊が出て、寄贈いただきました。先月の上旬に送っていただいたにもかかわらず諸般の都合で紹介が遅れて申し訳なかったです。ありがとうございました。
 
 当初は生物学からみて「人はどこから来て、どこへ向かうのか」というようなタイトルの本になると思っていたので、一瞬、本のタイトルに意外な感じを持ちましたが、若原先生の現代社会に対する危機意識が反映したため、このようなタイトルになったのだと思い返し、少し厳粛な面持ちになりました。
 
 
 「遺伝子」や「生物学」というテーマ。私自身、ほんの以前は実に縁遠い世界でした。一般の人たちより全然知らないことばっかりだったと思います。これもインタビューで個人教授していただいたおかげでして、この本もほとんど苦しまずに読み通すことができました。前半は生物の成り立ちの話から入りますから、インタビューで教授していただいた事柄がそのまま本の理解に役立ちました。そのような次第で、ほんのちょっと前の自分には想像もつかないことだったな、ありがたいことだな、というのが正直な感慨です。
 やはり直接に著者とお会いして、直接図示などもしてもらいつつ説明をいただいたり、僕の稚拙な問いにも応えていただいたりした、そういうやりとりの中の中における先生の語り口、表情、言葉の印象その他が記憶の中で再現されるおかげだろうなとと思っており、いかに直接的な出会いの中で教わることが、聞き手にダイレクトに伝わるものかと。再認識される思いです。その意味でも人からいただくギフトが多い昨今だなあとしみじみ実感しています。
 
 もちろん、大変読みやすい構成になっていますし、人文学社会学にもつながっていますから、人文諸科学を専門に学びたい高校生への生物学(自然科学)の参考書としても最良かと思います。

 
 分かりやすい記述の流れの中、白眉はやはり「人はなぜ争うのか」を取り上げた第七章。若原先生の文章には疑問、仮説、反証、自己弁証の跡が見えます。これはインタビューの限られたやりとりの中では再現不能な部分でしょう。言葉にしにくい思案の跡が見え、特に大事な章になっています。
 
 前書き、最終章,あとがきにもありますが、人間の「争う」遺伝子の側面と、「平和」を希求する理念の双方を持つ相反した性格。
 それをヒトは(映画)「ランボー」と、「マザー・テレサ」を兼ね揃えていると表現されています。誠に見事な表現だと思います。「暴力」と「倫理」の両面をヒトは持っている。それをアンドロジェンとオキシトシンというふたつのホルモンから仮説を立てる。これが第七章の最も面白い部分です。
 
 あと、個人的には第一章の「全宇宙の物質の階層性」という整理から始まる部分が面白かった。物質世界から見た宇宙、生物、ヒトの社会という整理の仕方はともするといろいろ混沌とする頭にはひとつの基準としてそこに立ち戻りながら考えると分かりやすかったです。
 
 生物学の立場から見る人文社会の世界。ぜひ多くの人に垣間見ていただきたいと思います。
 
 若原先生のインタビュー(個人授業)はこちらから読めます。ぜひインタビューを参照にしつつ、この本も手にとって戴ければ幸いです。

2016年2月21日日曜日

生活困窮者自立支援法から1年フォーラム

 NPO法人北海道社会的事業所支援機構と連合北海道共催による「生活困窮者自立支援法を考える市民の集い」に行ってきました。
自立支援法の施行からそろそろ一年、去年のこの時期モデル事業を行っていた釧路の櫛部武俊さんにインタビューした経緯もあり、地元札幌市の取り組みはどうなっているのか気になっていたため参加した次第です。実際は行政は北海道、札幌市の担当者のみならず、石狩市当別、新篠津への取り組み(ワーカーズコープ)、空知圏の取り組み(コミュニティワーク研究実践センター)もあり、内容は多岐にわたるので、最後の質疑応答のレポートだけ今後ホームページにあげたいと考えています。...
 端的に感想を言えば、隔靴掻痒の感あり。
 生活困窮者の幅がきわめて広いのです。
 それこそ明日の生活へのお金がない、という経済緊急事態の人から、「人とのつながり」の再構築の応援に関することまで。また、都市部と地方の文化の違いも明確に出てきました。
例えば「ひきこもり」について考えてみましょう。空知の報告では、旧産炭地居住で危険労働についていた親御さんのもと、それなりに高額年金を受給しながら、四十代、五十代の子どもがひきこもっている例があるという。また、農家の子どもでも似た例があるという。
 その場合、経済上の緊急問題とはいえない。では何が問題か。それは親亡き後の社会的孤立を課題になる、と支援者としては当然考えることでしょう。それは経済困窮問題とは違ってくる。また、地方では地元住民の目線の厳しさの問題もあるという。それは地域文化のありようの問題であり、社会的排除の問題につながる。
 生活困窮者自立支援は、経済困窮、ホームレス支援、学習支援、就労支援(中間労働含む)、そして社会的孤立からの防衛(社会的排除の問題)まで実に実に幅が広い。そしてぼくが考えていたのはそのすべてが支援者サイドが問題とし、支援者サイドが抱えるべきことなのだろうか、という思いでした。それが隔靴掻痒の思いでもある、と。

 例えば地域包括センターや民生委員、社会福祉協議会などが介護支援で80代の親の元に50代のひきこもる子どもが発見されたとする。存在が未確認という意味では問題であるかもしれないが、それ、そのこと自体が問題なのだろうか。例えば無職孤立、かつ職場のない地域で親に依存して生活してるとして、その人は生活弱者ではあるだろうが、そのことを持って五十代の子どもは困窮者で、困難事例であるだろうか。むしろ地域の目と、職場のなさ、都会に出るにしても履歴の空白などであれば、むしろ当事者主体のニーズとは何か、と考えたほうがよくはないだろうか。それには当事者が声を上げにくい環境を作り直すほうがいい。しかしそれが難しいから、全体を総合して困難事例になるのだろう。
それには個人もさることながら、就労をめぐる社会環境の問題であり、もっといえば就労が困窮者支援のゴールなのか、となる。親の年金が高額であれば、当面経済困窮ではないので、むしろ同じようなスティグマを感じる仲間づくりの中で人間関係の再構築ができるような仕組みづくりの事柄であるし、当事者にもっと内在的なパワーがあれば、この社会での新しい生活の方法を考える尖兵にもなりえる。いっそ、ひきこもっている人のニーズに即したサービス、地域課題の発見につなげる、逆転の発想もあっていいのではないだろうか。

もともとこの法案の源流は民主党時代の遡ればパーソナル・サポーターなのではないか、と僕は睨んでいる。そこに大震災がやってきて、困窮者支援が法制へと向けられた。だから釧路の櫛部さん曰く、最初は社会的包摂の議論だったのが、途中で行政からわかりにくいという話になったこと、かつ自民党政権に変わったことで、経済困窮支援に一層シフトしたことで、やや現実思考に傾斜しすぎたのだと思う。でも、理念として包摂や孤立支援は残っているので、上記のごとくかなり生活問題の幅が広がってしまったし、行政は新しい政策がまたひとつ加えられてしまった、ということになってしまったのだと思う。

 僕はひとが生きる以上、生活に困難を生じる局面は誰にも起こると思っているし、あえて困窮者という言葉を法律につけたのにも違和感がある。法律は「生活者支援法」という総合基本法にして、その元に障害者総合支援法や介護保険法などを位置づけ、ライフスタイルには生活危機が生まれることを前提として、社会的セーフティネットと、社会包摂活動支援(居場所支援、自助グループ支援など)をパッケージにすべきだと夢想する。

 いまの流れだと困窮者支援は整理がとても難しい。一年たったいま、この法制度の整理と分析が何らか研究として書籍化されないものかと思う。
ひきこもりも、枠組みの中に膾炙される以上、この法制度には高い関心を持たざるを得ない。誰かこの制度をリアルで研究してる人はいないでしょうか。そのような先生がいればぜひインタビューしたいです。