2021年1月11日月曜日

阿久悠 『生きっぱなしの記』




歌謡界の大作詞家、阿久悠の自叙伝を読む。自叙伝のようなものは、この一冊だけというわけではないのかもしれない。阿久悠は小説も書いて直木賞候補にもなっているし、作詞家として膨大な作品以外も著述は多いと思う。でも、おそらく誰でもわかりやすい形での阿久悠のエッセンスはこの本の中に凝縮されているのではないか(憶測です)。


僕は70年代の後半近くまでは歌謡曲も聴いていたと思うけど、70年代の終わりに英国の新人を中心としたロックばかりを聴くようになって、80年代は歌謡曲への関心が極端に減った。たまたま阿久悠は歌謡曲の黄金期である70年代が始まり、大晦日のレコード大賞なども権威ある時代の流行歌作詞家なので、世代的にたくさん知っている流行歌の作詞家だ。でもかつて「職業作詞家」に関心を持つなど自分の中で思いもよらないことだった。その意味でも唐突な阿久悠の作詞集ベストアルバムを聴き込み、合わせての本書だ。全くの「学び直し」なのだ。


全ては、昨年11月にエレファントカシマシの宮本浩次のソロ、女性歌手の歌謡曲カバーアルバム、「ロマンス」の影響から始まっている。(歌謡曲と言いづらいのは、本編ラストの宇多田ヒカルくらい)。自分でも驚く洋楽主義からの(特に最近は60年代などのブラックミュージック全般)大転換である。


宮本のカバー集は自分が通して聞いても「王道ど真ん中」の歌謡曲カバーなので、最初はアルバム自体が「70年代阿久悠」の印象だったのだが、実際のところ、むしろ職業作詞家的な立ち位置では松本隆の存在が大きい。彼の小中学時代は松本隆が作詞家として阿久悠になり代わる王道となり、アイドル歌謡の黄金時代だろうから、必然そうなるだろう。(アルバムでは同じ比重で松任谷由実の存在もある)


なので、今度は改めて一度、松本隆と阿久悠のメンタリティの違いも考えてみたい。(阿久悠、生まれ昭和12年(1937年)、松本隆、生まれ昭和24年(1949年))。


この自伝は2001年、910日に阿久悠自身の腎臓ガンの手術のために入院をした時から始まる。

阿久悠の美学で興味深いところとして、癌であることを家族以外には一人にしか伝えていない。その理由は「弱みを見せないことと、借りを作らないこと」を芯にして複雑な社会を生き抜いてきたゆえ、心配も同情も耐え難いという思いからだ。だが、病院で目を疑うような911、ニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込む映像を見てしまう。

その時、自分のガンと、歴史を分かたれる瞬間を重ねる。そして書かれた「私の履歴書」がこの自叙伝とのことだ。「未来を志向する精神と過去を検証する心」が自分の中にあることを自らに認めた瞬間だったという。

自叙伝は日本経済新聞の51日から531日の間に一気に書かれた。


阿久悠は前述したように昭和12年に淡路島に生まれた。父親は平凡な警察官で、淡路島内の警察署や派出所で転勤を重ねた。だから転校を重ねた結果、故郷意識が薄く、詞も「明日にはよそに行く人ばかり」だった、という記述は興味深い。

もう一つは、阿久悠は典型的な戦中の子どもだ、ということも強調されて良いだろう。子供の頃は国は戦争をするのが仕事と思っていた。そして、甘さや美味というものが物心初めからなかった。その前の世代にある甘さや美味というものの徐々の喪失感がない。

「戦後は明るかった」のは、封印されていたものがいっせいに飛び出してきて、それらと初対面の歓びを感じたからだった、という。だから、戦争の頃が「暗い時代」と気がついたのは、戦後になって比べるものを手に入れてからだ。


子供心に国は戦争をするのが仕事、甘さも美味も、禁欲だとは思わなかったということ。この子供の頃の経験と、後述する思春期の経験の二つが阿久悠を形作る大きな点だろう。

その中で「ラジオ」を省略しては、のちのちの職業人としての自分を、理解できなくなると阿久悠はいう。戦後社会をビビットに伝える第一人者はラジオであった。

のど自慢が21年から始まり、日本人が突然歌うようになった。

日常の小さな神々は「野球、映画、流行歌」。これが民主主義の三色旗だった。


そして、阿久悠を阿久悠たらしめるもう一つの原体験は、中2の時に発覚した結核である。終日天井を向いたまま寝ている生活は、思春期後期の少年を絶望的気分にさせるものであった。また、医者は中三の二学期から学校へ行く条件として、「激しない」ことを命じた。つまり、「はしゃがない、興奮しない、怒らない」ことを守るべしと。14歳の春の結核と、医者が課した条件は、その後の人生を大きく変えた。激情を抱かずにいきることが、どれほどつらいことか。結核になったことにより、知性と体力のバランスをとって生きることが困難になった。すると、文章を書くか、絵を描くしかない。

それでも胸を破らず激情と共棲する方法は見つかる。たとえば、スポーツは出来ないが、スポーツを一瞬の予測不能な芸術と見ることで、激情も感動も増幅させ得るのだと気づく


優秀な成績で県立の洲本高校に入学するが、目標が見えず、映画館に入り浸る。だが在学中に母校が高校野球で優勝した。淡路島からステップを置かずに「日本一」などあり得ないことだと思っていたから、頭を叩かれるような気がして、その時から心がひらけた。母校優勝以来、映画を見るのも東京を知るための学習のようになる。


明治大学を卒業して広告会社に彼は入社して、一つの大きな転機となる出会いが生まれる。「上村一夫」という才能に入社して3年目に出会い衝撃を受ける。彼との出会いから、阿久悠が詞を書き、上村が自分のギターで歌うようになった。その何ヶ月かの無意味な遊びが、阿久悠の唯一の歌謡曲修行になる。


広告会社は居心地が良かった。だが、何らかの屈託は昭和39年の結婚で本気に世に打つ志を強める。退社の際に書いていた200本の企画書は、上村一夫の劇画の原作になり、何らかの形で阿久悠の作詞の中に生きた。


同時に、放送作家、阿久悠というペンネームの仕事と広告会社で本名を使うハードな二重生活を2年間行う。大抵でない事ができたのはやっと世間と繋がった思いと、この程度では終わらないと言う野心だったと述懐。


そしてビートルズを契機として、続出したグループ・サウンズのコンテスト番組をやりたいと言う話で企画者として呼ばれる。


ビートルズの誕生後、1970年代にフリーの作詞、作曲の作家時代が訪れる。

阿久悠の作詞家デビューは、昭和43年(1968年)。GSグループであるモップスの「朝まで待てない」。だが、本当はシナリオライターか、小説を書きたかった。

そして北原ミレイのために書いた、「懺悔の値打ちもない」で、タブーだらけの歌詞を書き、批評家受けもよく、作詞家になる決意を固めた。結婚に伴う真剣に将来も考え始めていた時でもあった。


職業作詞家として生きる気持ちが固まり、今まで誰も書かなかった匂いの歌を、偶然による「隙間探し」ではなく、作詞家阿久悠の思想、個性で固めると決意する。窮屈でも、それに則って書くと。それが阿久悠作詞家憲法十五条だった。この憲法の本則は、「美空ひばりで完成した日本の流行歌の本道」とは違う道を行けないか、という時代を見つめた中での思索だった。美空ひばりと同い年の阿久悠は、何とか美空ひばりが歌いそうにない歌を、と考えた。


その15条には、

日本人の情念や精神性は「怨」と「自虐」だけでいいのか。そろそろ都市型生活の人間関係に目を向けてもいいのではないか。個人と個人のささやかな出来事を描きながら、それが社会的なメッセージにすることは不可能か。「女」として描かれる流行歌を「女性」に書き換えられないか。「どうせ」や「しょせん」を排しても、歌は成立するのではないか。七五調の他にも、音楽的快感を感じさせる言葉があるのではないか。歌に一編の小説、映画、演説、一周の遊園地、これと同じボリュームを4分間に盛ることは可能ではないか。時代の中の「飢餓」に命中するのがヒットではないか。


ーーー云々というもので。これらの思索は今の歌の世界ではほとんど克服されてしまった「かつて」のものばかりと言えるだろうけれども、阿久悠が花開く時代には全く新しかったのであろうと思う。(その前の時代がどうであったのか、そこまで詰めて考えると美空ひばりも考えなくてはならなくなり、詰めの作業が大変w)つまり、阿久悠が作った流行歌の時代は現代感覚のオリジナルを切り開いた先人と言えるだろう。


もともと企画屋でもあった阿久悠が企画から関わった伝説的な番組、「スター誕生!」は1971年から始まる。そこから審査員の役割を通して偉大な作曲相手を見つける。中村泰士、都倉俊一、三木たかし、森田公一などなど、である。そして70年代、阿久悠は歌謡曲の世界で作詞家として、ほぼ十年近く名曲の数々の詞を書いて1970年という時代を駆け抜ける。


自叙伝の後半は両親の平凡な人生の終わりと、自分の記念パーティでの学校の先生の自分の文章への褒め言葉や、寡黙な父が言った「お前の歌は品がいいね」という言葉を心の支えにしてやってきたとスピーチの叙述になり内容は概ね終わる。


短期に実に起承転結のストーリーを分かりやすく伝えてくれるさすがな表現者の自叙伝だと思うが、内容は存外、阿久悠自身の子ども時代(淡路島時代)と、晩年の両親の話に多くのページが割かれ、意外と自分の仕事のさまざまなことが多く語られているわけでもない。確かに北原ミレイの詞がレコ大の作詞賞を受賞できなかったことに腐った程度のことは書かれている。だが何となくの読後感としては、70年代の大作家を形作った少年時代、そして自分を生み育てた両親たちの生き様のひそやかな影響というものの意味の方が大きい感じがする。


あえて松本隆と比較して思うのだが、阿久悠には、戦後日本の高度成長とともに人々にそれと伴う心の飢餓への意味を与える「使命感」のようなものを感じていたのではないか、という感じがする。そんな密度の印象がある。


それはけして声高ではない。本人自身が書くように、

「考え深くて、意志的。仕事のあり方は人並み以上に大胆さを示してきたが、人間的無茶を通したかというと、そうではない。」という通りの、そしてそれが美学であった、という印象と意志を感じた。


最後に収録された詩が凄い、素晴らしいのだ。ぜひ本書を手に取る機会があれば、一読を。


「ぼくは 歌を書く

歌がいちばん呑み込みやすいから

歌を書く

歌は言葉 言葉は知性」






さて、ここで自伝に合わせて阿久悠のベスト盤、「人間万葉歌」に転じてみたい。(オークションで安く手に入れたBOXセット)。

何しろ名曲、名詞揃いである。沢田研二、西城秀樹、ピンクレディ、都はるみ、岩崎宏美、尾崎紀世彦「また会う日まで」ペドロ&カプリシャス「ジョニィへの伝言」「五番街のマリー」、そして和田アキ子、「あの鐘を鳴らすのはあなた」・・・・

北原ミレイの「懺悔の値打ちもない」から、河島英五の「時代おくれ」。立て続けに二曲が並んでいる。そこに職業作詞家として出発点である美意識の始まりと、成熟の違いが自分には明確にあると感じた。

 北原ミレイへの詞には、時代を睨み、新しいことを始める挑戦者の反抗の美意識があるし、後者には人生への円熟の美意識がある。で、円熟の美意識には、子どもの頃にきっと美しいと思った倫理観への、長い旅を経た円環、戻っていった感じがある。このボックスセットには阿久悠自身への長文のインタビューも付属されている。そこでの発言。


「ぼくの」痛みなんだけど、「万人の痛み」としてそれをいかに表現するかに全力を注ぐわけです。


終戦直後は、女の歌手は全部ブルースだった。

男は「憧れのハワイ航路」なんてのを歌いまくっていた。逃避する時は必ず高音になるんですよ。


北原ミレイ 「懺悔の値打ちもない」https://youtu.be/zY1zw0vuGeo


沢田研二 「時の過ぎゆくままに」https://youtu.be/1Qi7c-pcq-A


尾崎紀世彦 「また会う日まで」 https://youtu.be/o-bMKTK3Dss


ぺドロ&カプリシャス「ジョニィへの伝言」https://youtu.be/JcSbTMLcryA


おまけ ズー・ニー・ヴー 「一人の悲しみ」 https://youtu.be/rfY0nJu1rvo

(大衆歌謡曲が、どういう歌詞で初めて受け入れられるかという典型。もちろん、尾崎紀世彦という不世出なボーカリストがいて、「また会う日まで」というミリオンセラーが生まれたのだが)


そして。今の時代にこそ、この曲の持つ意味の大きさを感じざるを得ない。阿久悠作詞の楽曲で、メッセージ性が普遍性を持つ日本の歴史に残るだろう名詞名曲。


和田アキ子 「あの鐘を鳴らすのはあなた」






2019年1月14日月曜日

昨年の10冊ー国権と民権

続けて今回は少し生臭い世界、保守政治の平仄に関する本でございます。

『国権と民権』(集英社新書)佐高信×早野透

朝日新聞政治部記者だった早野透と評論家の佐高信による自民党政治家の味わいある人たちを論じた本。今回の「#昨年の10冊」の中では一番読みやすいが、いわゆる「放談」とは違い自民党一党支配の中でも、まだ政治家の思想や体質の中に幅や深みがあった時代があったんだなということが分かる、日本の戦後民主主義の建前と本音のコントラストの中で自民党の代表的だった政治家たちの資質がわかる本。柔らかい対話の中でも質が高い。
 いわゆるYKK(加藤紘一、山崎拓、小泉純一郎)時代の中でも特に加藤紘一、そして山崎拓。加えて、今もテレビにコメンターとして出てる田中秀征。剛腕といわれた小沢一郎に各章を割きながら、その背景に土井たか子や辻元清美、保坂展人などの市民派政治家、野中広務などネゴシエーターでありつつ人間臭い政治家のエピソードを絡ませ、上記政権政治家たちの理念と人間性を浮き出す。いまや語るべき政治家がいない安倍一強時代を批判的に検証するためか、歴史的に少し前の政治家たち、本の論者に近い世代。つまり団塊世代の政治家たちを中心に見ているので、彼らの動向や人柄などを見つつ、彼らが政治思想的にどう位置付けられるのか分析されていて、それを振り返ることで平成政治史としても読めると思う。

 国権と民権というタイトルを解説すれば、自民党の左派政治家宇都宮徳馬曰く、もともと自民党には自由民権運動の流れをくむリベラルな系譜と、民権運動を反国家的なものとみなし、戦争中は軍人政治を推進した系譜の二つがあったということらしく、前者が民権派、後者が国権派である。

 民権を支持する対話者二人は故人となった加藤紘一についての語りに多くを費やす。思い起こせば2000年の森喜朗政権の内閣不信任案に賛成票を投ずる表明をした「加藤の乱』失敗で加藤紘一の政治生命は絶たれた。政界のプリンスと呼ばれた加藤がもし順調に総理大臣になっていたら……。いまの国権主義安倍時代を無念に考える時、対話者は(そして読者のぼくも)加藤紘一の不在とその短慮が惜しまれ、アメリカ従属の政治が不変であったとしても、権力への意識が違うことで何とか国民に加えられたダメージが軽減されたかも?という想像もし得る。
 ただ、この自民党ハト派のプリンスはどこかでオーソドキシーから外れていこうとする無意識があった。そのハイライトが加藤の乱という表現であり、権力闘争なのに闘争の戦略的イニシアチブや、狡猾には振る舞えないインテリの弱さがあった。戦後民主主義の思想を深く学んでいたが、知的な理解であって、それを体現する身体性が弱かった。だが、同時にその現実面での頼りなさに反して、思想面での首尾一貫さは確固としていた(首相になった小泉純一郎の8月靖国神社参拝を批判して右翼に自宅を放火される)。

 また、民権派のもう一人の代表としては政界きっての理論家、田中秀征がいた。田中秀征の出自は政治家の血統でなく、自分の論理を政治で実践しようとする人なので、何度も落選を経つつ国会に入るが、結果、その卓越した理論が嘱望されて彗星のように細川政権のブレーンとして登場する。その後も自社さ政権で活躍する。
 加藤紘一、田中秀征。両者ともに知性派肌でそばに剛腕を振るえる世俗性現実性優位の政治家を持たなかったゆえに権力のトップ側に立てなかったが、それゆえにか、普通の人たちの情感がわからない人たちではなかった。知性だけではなく、心の中に人間の生きることへの必死さ、深い悲しみに共感する感性を持っていたと伺える加藤紘一。まごうことなき庶民の母親を持ち「政治家になるなら戦争にならないようにしてくれ」という母親の言葉をずっと覚えている田中秀征。
 田中秀征の中にはそういう庶民の「狭いけれども深い人生」を大事にする感性ゆえに国のかたちとして「質実国家」「小日本国主義」を標榜する。いわばぼくなどが青年時代頃まで聞いた「日本をアジアのスイスにしたい」という理想であろうか。加藤紘一には小日本国主義的な国家の枠組みまで同意できたかはわからないが。

 反対に国際社会の中の日本を考えた時、日本が国際社会に背を向けてはいけないと考えて国際協力を訴えていたのは政界で権勢をふるっていた頃の小沢一郎で、その頃の小沢は国権主義である。その小沢一郎の国権から民権への揺れは小沢一郎なりの論理の一貫性とは到底相容れない安倍政治への批判精神と、もともと田中角栄の弟子として、田中角栄にあった国民生活の安定が第一への遺伝子の回帰かもしれない。それは21世紀の小泉政治以後に起きた格差社会、地方切り捨てという現実への危機感から生まれた思索の転回かもしれない。今では野党党首として共産党の志位委員長と最も話しが合うという。

 民権について語る対論のラストは市民派政治家への高い期待である。社会党土井たか子という市民派リーダーのもとに集った市民派政治家たち。特に女性議員。もともと政治から排除されていた胆力のある女性政治家の中に今後の民権政治の未来を見て、現在の国権主義の対抗勢力の想像力を読者に感じさせてくれる。
 政治を忌むものたちとして、権力者の上から目線の近寄りがたさはやはり否めないし、マスコミの政治番組がそれを煽った時代が長いゆえに自民党系の政治家の話なんてと思うかもしれないけど、政治はボトムアップかトップダウンかと考える際にわかりやすく有効な本だと思うし、例えば「市民活動促進法」は国権主義者、中曽根康弘の代理人によって「特定非営利活動組織法」に変えられたが、市民活動促進という名称での法律であればそう簡単にいまの時代に閉じ込められたか、という想像力を働かせることもできると思う。そんなことにも考えに及ぶことができる対論本です。


昨年の10冊ー資本の専制、奴隷の隷属


資本の専制、奴隷の隷属』(航思社) 廣瀬純・編

 昨年は(今も)トランプ米大統領に振り回された1年と言えるだろうが、ヨーロッパ共同体、EUも危機にあったと言える。EUはナショナル(単一国家)をトランス・ナショナル(脱国家、超国家)なヨーロッパのものにしていこうという地政的な実験だと思うが、経済条件の「国家的な」違いとその行動により、EUとはヨーロッパのどこの、誰のものであったのか?という疑念が噴き出しつつあるのではないかと。そのように考えさせられる。

 その兆候はリーマンショック後の欧州の経済危機に現れた。もともとヨーロッパは東西問題、東のヨーロッパはヨーロッパの枠組みに入るかという問いがあったが、ここにきてヨーロッパ「南北問題」の形で噴出した。その問題の現出はまずギリシャの経済危機(グレグジット問題)だった。ギリシャでEUの反緊縮政策反対の左派政党シリザが勝利し、首相になったツィプラスがEUと債務問題で交渉を始めたとき、ギリシャへの一番の債権国であるドイツが支援に対してはそれに対してギリシャに大幅な緊縮策を提起。その緊縮策は実行するとそのプログラムでギリシャは経済がさらに悪化、回復困難の様相を極める大変厳しいものだった。そこでツィプラス首相はEUドイツの緊縮策の諾否を問う国民投票を行う。その結果ギリシャ国民はドイツ提案の緊縮策に「NO」だった。このかん、ドイツの対応にはトマ・ピケティなどがメルケル首相に書簡を出して強制緊縮策を批判、旧西ドイツが1950年代に第二次大戦の戦後賠償免除を受けた経緯があったことも持ちだし、EU危機に晒すギリシャへの仕打ちを是正するよう求めるほどだった。
 また元々EUは欧州中央銀行にEU全体の財政政策を打ち出す権能はなく、同時に金融政策は中央銀行によって決められ、各国に独自の金融政策打ち出すことができないルールになっている。その経済政策のため、EU経済強国が相対的に弱い経済国の交渉に個別の存在感を示し、EUはギリシャの提案に対しては端的に「ヨーロッパ不在」でしかなかった。

 前段が長くなってしまったが、この本は8人の南欧(イタリア、ギリシャ、スペイン)の有識者による2015年、ギリシャ危機に関するインタビューと、それに加えて数人の論者による論文からなる。インタビューは同年夏に集中的に行われている。そのひとつひとつが大変な高密度のものだ。
 例えばEUグループの動向から、ギリシャの左派政権誕生に勢いづいて誕生したスペインの市民左派政党「ポデモス」誕生の経緯などが詳細に語られている。南欧左派知識人のEU観、ポピュリズム型左派政党の人気と退潮、南欧から見たドイツフランスなどEU中核への批判など。いわば周縁から見たドイツ等のEU中心部への批判の本であり、論点は非常に多岐にわたり勉強になることが(良い意味でげっぷが出そうなほど)多い。中心でないがゆえの現今ヨーロッパ政治の危険な予兆も含む本質的な議論ばかりである。

 読んで思うのは、21世紀前半現在、国家というものを越えることは可能か、ということ。新自由主義のグローバリズムが及ぼす行く末のかたちの現在の攪乱、イギリスの離脱などヨーロッパ統合に対する遠心力がある。ギリシャへのいわば懲罰行為として、あるいは収奪として、ドイツがギリシャの国営企業を多数買収するなど、国家主権に関わるような事態もあっただけに、EUの南北問題はカトリシズムとプロテスタンティズムの意識の違いにさえ識者は想起している。フランコ・ベラルディ(ビフォ)に言わせれば、南欧中心のカトリシズムは共同体的でその構造が人々を罪悪感から解放するのに対して、ドイツ中心のプロテスタンティズムは「個人の責任」を倫理として立てると。また負債はドイツ語で「罪悪感」の意味。そこには同じキリスト教圏でさえ倫理観の違いで時に「ヨーロッパ」というキリスト圏資本主義連合の枠内でさえ文化的な行動の違いが露見するといえそうだ。

 元々はリーマンショック後のEU危機への対応で、多くは不動産投資の失敗である。そしてギリシャはその国民の多くが公務員で労働時間が短く怠惰だったためだ、というのは端的に間違いなのであった。
 OECD諸国で公的セクターで働くのはノルエーがトップで29.3%、公的セクターの上位の多くは北欧諸国が占める。OECD全体では15%でギリシャは7.9%に過ぎない(日本は6.7%)。またギリシャの1週間の平均労働時間は40.1時間で、イタリアの34.6時間よりはるかに長い。つまりこのデータからしても、それらがプロパガンダだったろうということがわかる。ギリシャが重債務国になったのは端的に大企業がなく、観光、海運業、農業が主産業で輸出産業が少なく、そこにフランス、ドイツらからの大量なマネーが入り込んで重債務国になった。それが実態のようだ。

 さて、この本における南欧左派のEU不信や危機感においてよりいっそう大事なことには、右翼勢力台頭への懸念である。ヨーロッパ各国の人々にEUの政策が一部の国に有利に働くこと、またヨーロッパにおいては長く移民労働力に依存しているため、高失業率が続いていること、アフリカ圏、イスラム圏から難民が相次いでいることなどで再びナショナリズムが台頭する危機の見通しも語られる。
そして現実にイタリアは右派政権が奪取して、難民受け入れ拒否を掲げた。反応してフランス、ドイツ、スペイン、ハンガリーなどにもナショナリスト・ポピュリズム政党が伸張しつつある。それが2018年段階のヨーロッパの様相だ。
 南欧ヨーロッパ左派の人々にとってはEUの実態に嫌悪はあるにしてもEUの経済財政システムやその他さまざまなEU内政策の方策是正の方向で考えるだろうが、右派ナショナリズムの台頭は移民の力で担われた社会を移民排除という内なる敵(だが労働力として必要とする以上、排斥はしない)を仮想しながら一国国家勢力伸長を考えるであろうと思える。

 大変長い感想になってしまったが、ヨーロッパEU圏は遠いし、その中でも「弱者側」に措定された南欧側論者の2015年報告なので、その前段階の流れも紹介せざるを得ず、ロングなものになってしまった。もうひとつの見逃さざる観点としてスペインのポデモスというポピュリズム左翼政党もその前段階に15M運動というものがあり、市民同士の扶助運動という足場があったから成立し得たというもの。そこには可能性がある。
 イギリス、アメリカから始まったと言える新自由主義経済の行きつくところ、EUというトランス・ナショナルな動きも金融自由経済のかたちでそこに飲み込まれた。この本ではその金融経済の限界というものがEUという枠組みの中から露呈したとも読み込める。改めて国家の機能とは何だろうか?国家を超えるグローバリズムとは?そしてグローバリズムに対抗するのは再びの国家主義ナショナリズムなのか。あるいはヨーロッパ共同体としてのグローバリズム経済の乗り越えなのか。当面一番最後のチョイスは本書では多くの論者にとって悲観的な観測であった。
 世界はいま、「移動」ということである種の習慣やルーティンが撹乱されつつあるのかもしれない。その対応における人々の動きや意識のありようも撹乱されつつあるかもしれない。しかし実際にカネの動きほどにはEU枠内での労働移動は多くはないという。やはりそこには言語の壁が大きいようだ。
 繰り返しだが、資本、国家、文化などはどこにルールの基盤がおけるのか?ということ。これは今後日本にも大きな難題として浮かんでくるのは遠くないと思う。