2018年12月22日土曜日

黒沢美津子女史の見たクラッシュ、ジョーストラマー。


英国パンクの二大雄のフロントマンだったジョーストラマーが亡くなってもう16年にもなるのかと。英国パンクが政治性が高いと言われたのはセックス・ピストルズが「アナーキー・イン・ザ・UK」や「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」でおきて破りな歌詞で登場したり、クラッシュが「白い暴動」などを歌ったためと思われるが、実際にはピストルズには「I」と「you」の歌詞曲が意外と多く、むしろ政治性にこだわっていたのはクラッシュのほうだと思われる。彼らの影響からメインストリートには出てこなかったが、ハードコアパンクなども生まれる(アナルコ・パンクを標榜したザ・クラスなど)「ロンドン・コーリング」からその反体制政治傾向が現れ、次作の、アルバムサイズ三枚組の「サンデニスタ!」でその政治性は第三世界の政治状況にも触れ始め、1977年に出たファーストアルバムで与えたイギリスワーキングクラス若者のダイレクトな共感性からは徐々に離れていきつつあったのは否定し難く、ワールドワイドな問題意識と本国での恵まれない若者と乖離が生じはじめただろうことも確か。サウンド面でもパンクから、ミクスチャーロックの草分けと言えるぐらいまで広がりを見せた。今はぼくは歌詞も含めて「サンデニスタ!」が一番名作だと思っている。幾分不必要な音響遊びが最終局面にあるとしても。

それにしてもクラッシュは同時代にUKパンクを聴き始めた人間には好きになってしまうと深くこだわりを抱いてしまう、思い入れが過剰になれるバンドだった。
(2004年に彼らのファーストアルバムについてブログに書いていました。痛いレビューです。こちらで、良かったら……。)

ぼくが初めてロックのライヴ、そして洋楽のロックのライヴを見たのはクラッシュの初めてにして最後の東京中野サンプラザでの2月の最終日ライブで、その日はFMとテレビ映像も入っていた。青函連絡船行き帰りの自分は完全なお上りさんで、もう82年頃だったのでパンクもニューウェーブへと呼ばれる流行変化がある頃だけど、もう来場するお客さんの結構がパンクスタイル、もうクラッシュ命、という趣きで熱気たるやムンムン。これはすごい!と田舎者は嬉しい驚き。ライブでもついに会えた!うおー、どの曲もみんな合唱だー、という。あれほど会場全体が熱気で燃えたライブは自分はその後知らない。強いて言えば、初来日を果たしたザ・フーのときがちょっと近かったろうか。でもそれもクラッシュに比較するとどうだろうか。


で、実はその後FMでその日のライブを聞いたら、「あれ?」と思うショボさもあって。ジョーストラマーの声が出てない。ギターのミックジョーンズは絶好調だったが、結局リードボーカルのジョーの声の調子が日本ではイマイチだったわけで。実際当時のツアー・スケジュールはかなりハードだった。初日のジョーはステージ脇にバケツを置いて、もどしながら演奏してたとか……。当時の映像もNHKで放映されたが、けっこう政治色も強調され、曲によっては訳詞も入る、という。番組の作り手も熱かった人たちなのだろう。いまからは想像もつかない。

さて、そんなファンも熱くさせるバンド、クラッシュだが、実はクラッシュの場合特殊な面というか、すごいのは業界関係者にクラッシュやフロントマンのジョーストラマーに惚れ込んでしまった話が多いことだ。身近に彼らを見た、ジョーストラマーと接した人たちが圧倒された話がとっても多い。音楽評論家、バンドの所属レコード会社、クラッシュに影響を受けたバンドたち。エトセトラ、ジョーストラマーに惚れ込んだという人は多い。日本ではカメラマンのハービー山口さんがプロになるきっかけとなった偶然ジョーストラマーに地下鉄乗り口で出会ったエピソードが有名だし、音楽誌、「ミュージックライフ〜ジャム」の編集長、水上はるこさん。日本の所属レコード会社、エピックソニーのクラッシュ担当だった野中さん、そして音楽雑誌、「音楽専科」でUK情報を発信していた黒沢美津子さん。

僕も当時は黒沢さんの英国レポートを読んでいて、硬派クラッシュだけじゃなく、もっと幅広いバンドのレポートやインタビューもあったけど、なぜ黒沢さんが英国に長期滞在して、パンク~ニュー・ウェイヴ時代を過ごしたか。実はクラッシュの影響だというのが、ロックジェットという雑誌の2004年の黒沢さんへのインタビューで判明。

ジョー・ストラマーの命日を忘れていて、昨日たまたまこの雑誌を読んだら、黒沢さんのインタビューを読み返してもう、その熱さ、真剣な受信の熱に燃えました!
クラッシュがいつまでも飽かずに好きだ、とついいつでも思ってしまうのはロックを紹介する側、クラッシュとかかわった人たちの語りが熱い、というのも圧倒的にある。彼らの語りがクラッシュというバンド、ジョー・ストラマーという存在への憧憬をいつまでも保たせる。熱が感染する。改めてそう思うのです。以下に黒沢さんのクラッシュにかかわる長文ロングインタビューを貼りますのでぜひ読んでみてください。クラッシュに出会う前段に、ゲイの誇りを高々と歌うトム・ロビンソン・バンドと言うバンドのトム・ロビンソンへのインタビューの内容に触れているところから始まります。
相互に若さ、という共通点があったにせよ、人が人にこれだけの感染させ、行動に移させる。そういうパワーのある存在がいたロックな幸福な時代を思わざるを得ません。







2018年12月20日木曜日

いろはmixi

mixiをぼくもやってましたが、もうIDもパスワードも忘れてしまいアカウントが雲の中を浮遊してますよ。mixiは初期のSNSという感じでしょうか。もう魅力がTwitter、Facebookに比べて相対的にどこかどう落ちたのかも忘れてしまいましたが。

それでもmixiの日記?でいちど「あ」から「ん」まで頭文字で50音トピックを立てるということに挑戦したことがありまして。なんとかやれたというのは、如何に暇があったかということですね。

一度どんなことを書いていたのか見直してみたい気がしますが、上記のごとく、mixiにアクセスできなくなっているので。
反応もまあ、対してあったわけでもなし(笑)

今度はいまのブロガーブログはiPadからすぐログインできる状態にしているので気軽に考えてやっていきたいと思います。まあ、気軽な話ばかりも書けないかもしれません。おそらくそればかりにはならないと思う。

ただ、過剰に高くなったブログの敷居は下げたいなと。インタビューサイトのブログは基本的にはインタビュー後記になるでしょう。
実はその前にも社会系のブログと洋楽中心ブログもあって、それらが取り残されてますね。
逆にいうと現実生活に反比例する表現要求だったのでしょう。書くことはインタビューに連動されてるいまではありますが、こちらのブログに趣味的な話も一括で集約していこうかなと思っています。

bloggerブログは広告がないのがいいですね。
過去に作り盛んに書いてたかつての二つのブログ。こちらに移行、インポートするのは無理かな…。



2018年12月19日水曜日

ブログ回帰も考えています。

最近はツイッターを気軽に使ってきました。
今後もそうしていくだろうと思いますが、ブログの利用頻度が著しく減ってしまった。
ブログは昔からそうなのですが、そこそこ考え考え、書き直しなどもしながら仕上げの文章が多かった。ツイッターの気軽さにブログ代用の感覚が強くなって、ブログの敷居は格段に高くなりました。

Facebookも使用してますが、そちらがどちらかといえば長文仕様。ただ、重い話題はあまりFacebook向きじゃない。
尊敬する人に日記や自伝的な要素を書いたらいいんじゃないかと言われて。でも格別話題があるわけでもなし。

とりあえず、同居している認知症の母のことなどの記載などの記録もし、より日常的なブログにしていこうと思います。

ツイッターの今後なのですが。
実はぼくの安倍政権嫌いや左派的傾向は認めるところなのですが、あまりに日々の政権批判的リツイートが多い。そのことは別に良いのですが、新聞も読んでるし、その日その日の政権の問題はあまり強調されても困るというか…。
いままではフォローには基本的に返してきましたが、ぼくは基本的にその人の考えている言葉が欲しい。

ですので、申し訳ないですが、広報的な政治的リツイート頻繁な人のフォローは外させていただきます、申し訳ないですが、いまは多数のフォロワーさんのどちらからというのも見分けできなくなっているので、今後確認の上、少しずつフォロワーさんでご遠慮いただきたい方は外させていただきます。
どうか悪しからずお許しください。
そろそろツイッターも10年近くなります。一度自分の中のリニューアルを考えてみたいと思っています。

ブログ、今後は気軽に使っていきたいと思ってます。

2018年8月14日火曜日

サブカルチャーを巡るプレイリストと仮想インタビュー。



名前は?: 杉本賢治

肩書きは:アルバイト

出身は?:北海道 札幌市。

あなたのスタイルを三語で:独身者、独学者、インタビューアー

これまでに見た最高のライブは?:素晴らしいライブ体験はいくつかあります。ロックに紐づけられた意味では、初めて観たバンドで、待望されてたゆえに観客の熱狂もすごく、全員合唱の一体化が実現したザ・クラッシュ。一回限りの日本でのライブ。中野サンプラザで82年の2月に見ました。自己記念碑です。

もし歴史上の誰とでも一緒に過ごすとしたら?:聖徳太子かな。実在してたかどうか知りたいし、渡来系の人なのかどうか。太子信仰がありますが、渡来系、土着系の争いの中で存在のベールやオーラがあって気になる。どんな立ち位置にいたのか知りたい。

一般的に脚光を浴びてないヒーロー、ヒロインは?:音楽と関係なく、ヒーローという括りでもないですが、熊本で近世史研究などをされている渡辺京二さん。もっと知られていい本物の思想家だと思います。電子本でしか読めない「維新の夢」という作品を読んでいます。このかたの研究でも大きな柱である北一輝と西郷南洲(隆盛)を中心に取り上げている本です。

今回のプレイリストのコンセプトは?:初めて洋楽に触れたビートルズから思春期に衝撃的な出会いになったパンク。そしてレゲエという流れだと思います。ボーカルはシャウター系が好きなので、ちょっとマッチョな感じかも。基本的にはビートルズの初期から始まり、ビートルズで終わる円環になった気がします。

繰り返し聞いた最初の曲は?:井上陽水の「夢の中へ」。

あなたの十代を定義する曲は?:沢山あるんですが。あえて象徴的に言えばセックス・ピストルズのアルバム。冒頭一曲目の「さらばベルリンの陽」かな?実はそのシングルB面曲である「サテライト」もショッキングな音作りで何度も繰り返し聞いてました。兄貴に「気が狂っている」と言われましたね(苦笑)

永遠に持ち続けたいレコードは?:レコードというマテリアルは希少性がなくなってきてて寂しいところです。ボブ・マーリーのベスト盤か、ジョン・レノンのファーストは持ち続けたい。ジョンのファースト・ソロはロック界の「人間宣言」ですね。ここまで赤裸々なものはない。文学ロックとしてずっと持ち続けたい。

インスピレーションを受けた歌詞は?:ジョン・レノンの「GOD」。幻想打破の曲ながらこれほど切なく美しい曲はない。歌詞と曲のシンクロを成し得た稀有な例のひとつ。あとはピストルズの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」。ザ・スミスのモリッシーの歌詞の一群。

大声で歌ってしまうベストソングは?:エレカシの「俺たちの明日」。ただし、車の中で、ひとりで(笑)。

意外と好き、という曲は?:エルヴィス・プレスリーの「冷たくしないで」。何年か前によくベスト盤を車で聞いてて、エルヴィスの歌の巧さを再認識しまして。「ハートブレイク・ホテル」や「監獄ロック」のようなロックンロールだけじゃなくて、カンツォーネみたいなものさえうまいなー、と感心しました。

今聴いている新しいバンドは?:苦しい質問。本当に最近のバンドには疎くて。新しいバンドかどうかは知らないけど、groovers という日本のバンドをラジオで聞いてそれは良かった。リズムギターのグルーヴがそれこそいい。ちょっとイギリスの偉大なギタリスト、ウィルコ・ジョンソンを思わせます。




エルビス・プレスリー「冷たくしないで」
いわゆるロカビリーとか、ロックンロールのハードなイメージが強かったデビュー年にこんなお洒落なポップ・ロックンロールを歌えてしまっていたエルビスはやはりただ者ではないです。
ビートルズ 「シー・ラブズ・ユー」
イントロのプリミティブなドラムと、コーラス部からイントロが始まる斬新さ。とんでもないです。この後の「抱きしめたい」もそうですが、60年代初期からめちゃくちゃハイセンスです。メジャーコードとマイナーコードが入り混じる幻惑性と3人絡みのコーラスもすごい。特にこの曲は一緒に歌いたくなります。
ロス・ブラボーズ「ブラック・イズ・ブラック」
ワンヒットワンダーの60年代グループ。ですが、熱い名曲だと思います。昔、FM放送で60年代のポップ特集で聞いてぶっ飛びました。ゾンビーズの「二人のシーズン」とかもそうで。実に60年代の曲は素晴らしいと思った瞬間のパンク・マニア時代。この“黒い”ボーカリストの才能がのちにフェイドアウトしてしまっているのが惜しい。珍しくもイタリアのバンド。
ザ・フー「ババ・オライリー」
シンセが効いたドラマチックな名曲。中間部でギターのピートが歌う「10代は不毛の荒野」という一節が切ない。ザ・フーはギターを叩き壊し、ドラムはセットを投げ飛ばす荒くれ者のイメージが強いのですが、実は60年代というカルチャー大変化の時代。自分たちが巻き起こした若者文化の落とし前をきちんとつけようとするギタリスト、ピート・タウンゼントを擁するバンドで、世代断絶の苦悩を表現するコンセプトアルバムを何枚か作品化している誠実なバンドでもあります。
セックス・ピストルズ「さらば、ベルリンの陽」
曲がまだ東西ドイツが別れたベルリンの壁のある時代に「ベルリンの壁に行く理由がある」と歌い、イントロがナチスを思わせる軍靴の音ですから。物騒極まりない。曲はラストに向かって歌い手は演説のように言いたいことが山ほどあるのだ、というテンションの高さ。ショックでした。
ダムド「ニート、ニート、ニート」
これもアルバム冒頭の一曲目。パンクは激しさや怒りのイメージ以外にもどこか妖しげな闇、デガダンな雰囲気もありました。ダムドの最初のアルバムはそんな雰囲気がある。あとは乱痴気騒ぎ。
ザ・クラッシュ「トミー・ガン」
テロリストを歌った曲。理由が自分にはわからなかったけど、この時代のテロは宗教テロだけじゃなく、むしろ極左思想によるテロリズムが一般的でした。ビートルズの「レボリューション」よりもテロリズムに親和性がある歌詞に思える。クラッシュが政治的に危ないバンドなんじゃないか?と思われた時代の曲です。しかし、ヨーロッパは本当にテロリズムの被害が絶えない。
ボブ・マーリー「ワン・ドロップ」
この曲が入っているアルバム、「サバイバル」は今までのレゲエを超えて、アフリカン・ポップと融合する可能性があったと僕は思う。残念なことに若くして亡くなったボブ・マーリー。生きていたらレゲエの新しい展開がありえた気がしてならない。黒人にレスペクトされている人ですから、ベスト盤が世界でイチバン売れている人です。僕らや白人がマーリーを買っても、黒人がビートルズのベスト盤を買うだろうか?ということですね。
U・ロイ「ナッティ・レベル」
70年代までのレゲエの驚きは「イントロの驚き」にもあります。このガツンとくるイントロ。ボブ・マーリーの曲の上に乗せていわゆるDJが語るスタイル。Uロイのいいところは曲と対話するように、歌うように、DJするところ。
PIL「ライズ」
ジョン・ライドンがピストルズ解散直後に作ったバンドがPIL。この曲が一番ポップなPIL。メチャクチャ馴染み良い。80年代半ば、獄中にいたネルソン・マンデーラについて歌ったメッセージソングだと知ったのはのちのこと。「怒りはエネジー」という一節はそのテーマにおいて。でも当時は歌詞の背景を知らなくて、プロモビデオでヒステリックに顔を引きつらせているジョン・ライドンのアップを見る限り何に苛立っていたのか分からなかった。彼の出自、アイルランド民のオマージュだと思われるプロモビデオでもあります。
ザ・パラゴンズ「オン・ザ・ビーチ」
パンクとレゲエの親和性は非常に高い。特に初期のロンドンパンクを牽引した連中はルーツレゲエと呼ばれる同時代のレゲエをレスペクトしていました。最近ジョン・ライドンが来日、PILのライブに行ったけど、開演前のBGMはパラゴンズのリードシンガー、ジョン・ホルトのベスト盤でした。これはとろけるように美しい曲です。
キング・タビー「Kingston Town DUB」
レゲエにおけるインストゥルメンタル、ダブ(DUB)。それは音を抜き差しして、エコーやデレィをかける前衛的なもの。ダブにはダンスに寄りにリズムを強化するパターンと、曲自体を解体するスリリングさの両面があって、これは後者。ポップでメロウなボーカル曲を解体する大胆さがたまらない。
スティールライ・スパン「A Calling On song
イギリスで、自分たちの伝統的古謡をロック的に再現する動きが60年代後半からありました。そのバンドのオリジナルメンバーによるファーストから。実に美しいコーラス。英国にはとてもとても美しい、女性トラデッショナリストの歌い手たちが沢山おります。
ジョン・レノン「労働者階級の英雄」
労働者階級がいかに、あらゆる手段で搾取されているか。レノンが素朴に、赤裸々に歌います。
エレファントカシマシ「恋人よ」
今宵の月のようにがラスト曲となる「明日に向かって走れ〜月夜の歌」。アルバムの一つ前の楽曲。僕はアルバムのハイライトはこれだと思っているのですが。宮本本人は当時のインタビューで「まだ文学的な気取りがあるなぁ」と、この曲を例に挙げて言ってたと記憶してます。素晴らしい、これこそエレカシの「らしさ」なのに。その後この曲がライブで演奏されることもほとんどないのでは?隠れた名曲で、素晴らしい歌詞で、宮本の曲の中でも最もエッジが立った歌唱曲のひとつです。
ビートルズ「ゴールデン・スランパー〜キャリー・ザ・ウェイト~ザ・エンド
実質的なラストアルバム、「アビー・ロード」のハイライト。「ゴールデン・スランパー」はポール・マッカートニーのベスト曲の一つだと思うのだけど。組曲形式だから、あまり語られてこなかった気がする。でも最近はライブでこの曲をレパートリーにしているようで、大変評価もいいようで良かったです。










2018年6月19日火曜日


久しぶりのブログ更新です。
2018年6月18日。映画館のメンズディということで、カンヌ映画祭パルムドールを受賞した是枝監督の「万引き家族」と、その是枝監督と気脈を通じていそうな川瀬直美監督の「Vision 」を一緒に見てきました。

「万引き家族」は受賞にふさわしい大変素晴らしい作品でした。ただ、今やイギリスの社会派、ケン・ローチが取り上げそうな文脈の作品を日本人監督が映画化し、カンヌ映画祭で大賞を受賞するという点に時代の変化、日本社会の変化を感じました。
作品のタイトルが「万引き家族」ということで、一部でタイトルに不快を感じている人もいるようですけれども、彼らが盗んだものは「嘘」(機能不全家族)ではなく、「本当」(愛情を築き上げていくこと)のことであるということが見ているうちにわかってきて、タイトルの意味にハッとしました。映画の後半に犯罪者とされたこの疑似家族の妻は「捨てられたものを拾っただけなんです」と印象的なことを言います。また、夫(父)を演じるリリー・フランキーは万引きする行為も、「店が潰れない程度ならいいんじゃないか」と家族員の男の子に言います。この考えの中に無意識に子を捨てる家族がそのまま店舗の外見のように、機能しているように見える状況への皮肉があると思えました。
とはいえ、(実の祖母ではない)祖母役の年金だけが主な収入源で、夫婦と子供ふたり、そして虐待を受けた女の子を受け入れるこの5人家族はみんな社会的にはとても弱い人たちです。弱いがゆえに脆弱な方法を取らざるを得ない。つまり万引きとか、風俗産業でお金を稼ぐとか、さまざまな一般社会では許されない方法で生きるしかない。子どもに対しても万引きでしか生きる方法を伝えることができない。しかし、彼らは社会的に弱いだけ。むしろ人間的な愛情が(社会的に弱いがゆえに)むき出しに近くほとばしり、弱いがゆえに大人も子どもも同じように生きる。その方法はいかなるものであれ、大人も女性たちも老婆も恐れも軽蔑もない関係で相互に支え合っているのです。
ここには一家の大黒柱になる役割の立ち位置のリリー・フランキーの頼りなさがいい関係性を築いています。その分女性たちがいい感じで、矛盾や脆弱さを持つ特殊な家族に生活感を与え、女系の持つ力の支えというものを感じる部分が、ある種アジア映画の特性があるような気がします。

作品は進むにつれ、実は家族成員すべて血縁関係にないことがわかります。
血縁家族というものが人間の愛情の根本的な源泉なのか。それとも、やんごとない理由であれ、肩を寄せ合ううちに「家族」の機能が醸成されることが本当の家族というものなのか。そんな現代的な問いを想起せざるを得ない説得力。これがこの映画の素晴らしさの所以だと思いました。

多くの人たち、特に児童や少年福祉に深い関心を持つ専門職の方々には特におすすめをしたい作品です。



2018年1月7日日曜日

架空対談・私の2017年の10冊(3)村に火をつけ、白痴になれー伊藤野枝伝


S「さて、三冊目は栗原康さんの伊藤野枝伝、『村に火をつけ、白痴になれ』です。

K「アナキスト、大杉栄のパートナーにして、大正アナキズムの女性活動家、伊藤野枝の評伝です。アナキズムとは何かとか、この本については栗原さんへのインタビューをぜひ参照にしてもらいたいですが。昨年思ったのは、若手の研究者を含めてアナキズムへの関心が再び盛り上がっているのかな、ということですね。その関心から栗原さんの本を読んでアナキズムをきちんと考え始めたんですが」

S「11月に福岡に住む森元斎さんに話を聞きに行ったのも、その流れね?」

K「そう。森さんの『アナキズム入門』はこのあと紹介しますが、こちらは世界的に知られるアナキズムのご本尊の人たちについてですね。でも森さんの本を通していろんな広がりがぼくのなかにあって本当に感謝してるんですよ。で、日本のアナキズムに関して考えるきっかけとしては、栗原さんのおかげの部分が本当に大きい」

S「デヴィッド・グレーバーなどもそうだろうけど、アナキズム再考という流れはやはり今のグローバリズム経済の暗部が噴出してることとか、グローバリズム経済で人々の移動が激しくなると、ナショナリズムが刺激される。そのナショナリズム=近代国家とは何か、その自明性っていったい何よ?という根本的な疑問に即して考えるツールとしてアナキズムという思想があった、ということかな」

K「まさにそんな感じなんです。で、本書に即して言えば、伊藤野枝さんというのは大杉栄や前夫の辻潤などを通して十全にアナキズムの思想とか、個人主義とか、徹底した自由主義の思想を身につけたんだと思うんだけど、思想から学んだからと言うよりも、元々の気質としてそういうタイプの人として描かれている気がする」

S「栗原さん曰く、『わがままな人である』と」

K「とはいえ、野枝の「わがまま」って、客観的な認識を経た上での自由の希求だったんだと思う。それは伊藤野枝自身の文章を読めばすごく感じるところ。なぜ自分はこのように考え、このような行動に至ったのかということは彼女自身の透徹しつつ平易な文章に触れればよく分かる部分じゃないかな」

S「本書で参照されている地元の担任の若い女教師の自殺を取り扱った小説、『遺書の一部から』を前半でけっこうスペースをとって取り上げてるね」

K「『青空文庫』にも格納されているからぜひ全文を読んでもらいたいんだけど。素晴らしい追悼作品。これは直接行動としての自殺であると。自分のことは自分で決めるということを示す行為で、ただ可哀想な死に方をしたんじゃない。自分の生命を縛っている縄を自分で断ち切るのだ、と。これは日本の村社会の無自覚な息苦しさを断じて、同時に自殺した先生に投影して、先生共々野枝も自己のアナーキズムの精神を告知する、緊張感ある作品じゃないかなと」

S「アナキズム思想というと、権力に弾圧された歴史があるし、実際に大杉、伊藤野枝は関東大震災のどさくさで甘粕大尉らの官憲になぶり殺されたわけだけど、そういう重い歴史事実を取り上げながら重苦しくない評伝になっているのは、これは栗原さんの筆致の軽やかさに負うところが大きいのではないでしょうか」

K「まさに読まれることを考えられた本としての完成度ですね。栗原さんはその後どんどんアジテーションとひらがな多用が目立っていくけれど、この頃は初期の『大杉栄伝』と現在との間にあって、もっともバランスがとれた逸品だと思う。栗原さんが持つ「文体」が確立した作品でもあるんじゃないかなぁ」

S「この現在の社会。さっきもいったけど、すごく息が詰まる傾向が増していると思うんだよね。それは僕らの中に他者との比較癖、という要素もたぶんあると思う。競争経済の暴走のみならず、他者との同調意識にとらわれやすい日本人意識も絡んでいる。だから、スポーツ選手などでも記録や順位より、常に自分自身との闘い、自分自身との向き合いかたのほうを大事にしている選手に自分はすごく好感が持てるんだけど。例えば栗原さんは大杉栄のいわゆる「生の拡充」とは何か?ということについてこう言っている。「ひとの生きかたに、これという尺度はない。つくりたいものがあればつくり、かきたいことがあればかき、うたいたいことがあればうたう。失敗なんてありはしない。自分の力のたかまりを自分でかみしめるだけなのだから」って。これは勇気をもらえる言葉だなあ」

K「そうそう。ある意味でこれぞ自己啓発じゃないか(笑)。そもそも自己啓発という形式に狙われること自体が他人に自分を持って行かれちゃってるわけで。始まりは自分の中なんだよね、核心はあくまでも。そのためにも自分なりに自分の望む方向にむかいたい。もちろんそこには自分と現実とのあいだの計算も必要になるわけだけど」

S「あとがきで、わがまま、友情、夢、お金。きっとこの優先順位がしっかりとわかっていたひとなんだと思う、って書いている部分がまさにそこに呼応しそうだね」

K「ああ。だからすごいこの人もセルフコントロールの意識が根づいているひとなんだろうなあ。僕はね。野枝のすごさは生活実感からアナキズムの思想を辿り、紡ぐことができた点にあるんだろうと思った。
 田舎で学んだ若い女先生の自殺、パートナーとの関係、ハマったミシンというものの各部品の動きから認識したこと、田舎の生活の相互扶助。そういった実感の中で考察したことがアナキズムを考える思想と結びつけることができたんじゃないかと。けして上から与えられたものを吸収したものじゃない。だから強い」

S「イデオロギッシュじゃなかったんじゃないか、ということだね」

架空対談・私の2017年の10冊(2)いまモリッシーを聴くということ


S「で、二冊目はブレイディみかこさんによる元ザ・スミスの詩人ボーカリスト、モリッシーのザ・スミスとソロアルバムの全解説です」

K「ブレイディさんがこういう本を手がけてくれたことが素直にうれしいのと、先のジョン・ライドンの話で言えば、セックス・ピストルズ~PILってちょうどリアルタイムで自分、聴いたのは78年から83年頃までなんですよね。で、79年頃から81年くらいまでってぼく自身がかなり精神的にやばかったんだけど、同時期にイギリスのインディの新人たち、いわゆるポストパンクといわれる連中がどっと出てきて、その時期がもの凄く刺激的だった。パンクバンドでも初期から凄く音楽的に飛躍したバンドも出たし、ポップス側の新人も面白かった。ポストパンク勢は演奏技術はともかくとして、非常に前衛的だったり、実験的だったりして。その流れがかなり行き尽したあたりで、いま、いわゆる"ネオアコ"と呼ばれる、死語だろうけど。その流れからザ・スミスが出てきたと。日本ではそんな紹介のされ方だったと思う。僕は「デス・チャーミング・マン」の12インチシングルが初めての出会いなんですよ。凄い爽快な曲。やみつきになっちゃう。で、ファーストアルバムはラジオで紹介されて聴いたんだけど、何か独特な湿り気を感じて「ああ、これはイギリスのドメステックなものなんだろうなあ」と感じた。詞が当時のロックとしては独自でやばくて、ラジオのデスクジョッキーもその切り口で紹介してたね。とにかくイギリス期待の大新人だけど、どう解釈したらいいか、ってDJも戸惑っている様子だった。アルバム購入して歌詞カード読んでひっくり返りました。これはやられた!と」

S「ザ・スミスがデビューしたのが83年。解散が88年だから実質活動期間は5年。それに対してモリッシーは昨年新作を出したから、ソロになってからも今年で30年になるね。こんなに長くソロで一線でやるとは」

K「僕もね。だからやっぱりザ・スミスというのが格別過ぎたから。最初に話したとおりPILなどを筆頭にするポストパンク勢がやり尽くして極北化した英国にスミスが80年代英国インディロックをひとり背負い立った、というイメージだね。まあ、サウンド的にはジョイ・ディヴィジョンを改名したニュー・オーダーがいたけど」

S「ブレイディさんは「はじめに」でこう書いてる。「モリッシーのアーティストとしてのキャリアを振り返ることは、80年代からの英国の文化や政治を振り返ることでもあり、この国(英国)でいま起きていることを理解するという難しい命題に着手する上でも役に立ちそうである」と。いまのブレイディさんの仕事であり、考えている要素にミュージシャンで作詞家としてモリッシーがそういう位置を占めているというのは、ファンとしてはすごいうれしいというか」

K「シンプルにそう思います。ファーストアルバムでマンチェスターを象徴する、あるいはモリッシーにとってスミスのデビューを象徴する内容として「ムーアズ殺人事件」の記述を占めていたり、「スティル・イル」が実は労働党政権が初めて政権を握った「1945年」の精神。その夢にはもう戻れないんだ、という意味合いの歌だという見立てとか。ハッとしました。そしてセカンドアルバムからモリッシーの視線が自分自身から社会に向って、「鬱日記」から「イングランド日記」に変わる、とか。そこ同感、同感。また同感という感じ」

S「「プリーズ、プリーズ、プリーズ」を大学生が学費値上げ反対の闘争の中で歌うのを目撃してハッとするような美しい場面だったとか。モリッシーお得意の負け組の歌が、敗北主義でも次の何かに繋がるかもしれない、って。それくらいモリッシーの「負け唄」の歌詞の力は強い」

K「本当にそう思う。歌詞の見事さは音楽を作る人の転調の見事さにうならされるのと似て、このロック界詩人の「そうきたか」という唸るような言葉のテクニカルなスキル。直感でやってるんだろうけど、その才能は本当にすごい。テクニックもあるだろうけど、強烈に感情が含まれていることがわかるんだよね。英語が分からなくても、邦訳で読むだけでも」

S「モリッシーの作る唄の世界について非常に的確な指摘をブレイディさんはされています。「モリッシーの場合(中略)奇妙な二面性がある。ひたすらポエテイックで人を泣かせる叙情的な書き手と、乾いた目線で社会を切り取るドライな書き手、というふたりの人間がモリッシーの中に難なく同居しているようだ」と。で、セカンドアルバムの『ミート・イズ・マーダー』は後者の彼が幅を利かせているアルバムだ」と。

K「80年代はモリッシー出自の英国労働者階級にとって、保守党のサッチャー首相が国内を牛耳るという暗黒時代ですよね。徹底的に労働者階級がいじめられた時代に中性的に見えるモリッシーの「そこまでいうか」という唄の力でそれこそフーリガンや、ハード・パンクスみたいな人たちの心もガッシとつかんだという。日本に住む僕は本当に最悪なギークの時代にハマってたわけだけど、イギリスの聴かれ方はもっと大きな幅があるわけで」

S「そういう意味では「英国ドメステックなものだ」という直感は当たらずとも遠からずかもね。だけどサードアルバムに至って、ザ・スミスというバンドのワールドワイドな実力が示されたね」

K「そうそう。だから、モリッシーがガンガン勢いを増すに従って、ジョニー・マーの才能もグングン上昇するばかりという。もう、このあたりからはアルバムに入ってないシングル曲も含めて追随許すものなし、ですね」

S「最後のアルバムもメンバー間に不穏な空気はなくて、メンバー全員スミスのベストアルバムはラストアルバムだという話だけど。この辺、なんでモリッシーとジョニー・マーの関係が急に悪化してマーがバンドを抜ける経緯になったのか。ジョニー・マーの自伝を読んでも、とにかくマネージャーがいなくて音楽に集中したいのに自分がマネージャー兼業しなければならなくて、疲弊して。でもラストアルバムの頃にマネージャーがついてその問題は解決したはずなのに。新しいマネージャーを巡って自分だけが孤立したと。そして先にメディアが自分がバンドを脱退と書き立ててそのまんまメンバーとの折り合いがつかなくて抜けた、と記述されてるけど・・・」

K「人間関係を巡る不思議。やはりそこのケアマネージメントが出来る体制がなかったのかな?いかにもインディレーベルのバンドらしい最後というか。で、モリッシーはずっとスミスを真剣に再結成したく思っていたわけで。モリッシーのほうがずっと傷が深かったはずだけど、意外にもソロのモリッシーはきちんとアルバムをルーティンで出していたというか、精力的だったというか」

S「そう。まあ立場の違いもあるだろうけど、ジョニー・マーもさまざまな素晴らしいミュージシャンと活動を重ねていたけど、88年以後のソロの活動はモリッシーのほうが結果として遙かに精力的だったと言える」

K「90年代にはおおむね2年ごとにアルバムを出してるしね。(ソロのコンビレーションもやたらに多い人だけど(笑))。僕はソロは最初の二枚はリアルタイムで購入しました。で、ちょっと離れてソロ中期の「ヴォックスオール・アンド・アイ」も買った。これは今でも名盤だと思う。なので、ソロは語りにくいんだけど。今回コンビものとかで何曲か埋めて聴いてないアルバムの全体像を想像しながら、ブレイディさんのソロのアルバム解説をひとつひとつ読みました」

S「ソロの期間のほうが30年と、圧倒的に長いわけでね。当然ソロのモリッシーについてなぜ世界でレスペクトされているのか分かってないといけない。ソロの彼を支えたプロデューサーや楽曲を手伝った人たちのエピソードも非常に興味深いですしね。ただ、意外にもいわゆる「モリッシーバンド」メンバーの楽曲提供をしている人たちのコメントがないですけどね」

K「『ヴォックスオール・アンド・アイ』とか、後に90年代終わりに出した日本編集のミニアルバム『ロスト』という粒ぞろいの曲を集めたコンビを中古で最近購入して聴いたんですけど。やはり、この人は何だろう?とてもヨーロッパ的なシアトリカルな要素が強い人なんじゃないかなと思ったんです。いわゆるロックンロールな人というよりは。やっぱデヴィッド・ボウイ的な要素とかね。モリッシーの初期のアイドル、パティ・スミスとか、クラウス・ノミとか。そういう演出的な、演劇的な要素に惹かれているところがあるんじゃないのかな。」

S「同時に、マチズモ的なサッカー・フーリガンとかに対する愛着とか。愛国主義者的なとらえ方をされたりとかがあって。モリッシーへの誤解の要素になっている。
優秀な才能は大概矛盾した要素を包括して表現できる人たちなんだけど、まさにブレイディさんが書いているように、ふつうは両方を股にかけることはできない両極端にモリッシーは脚を置いて立つ、と。そこが文学畑の人から、英語圏では労働者階級の人たちまで無視できない人としての強さなんでしょうね」

K「毀誉褒貶にさらされながら、世間の逆風も恐れずに言葉を発する力を持つ人。確かにこんな人は今のポピュラーミュージック界の中では稀少中の稀少ですよね」

架空対談・私の2017年の10冊(1)ジョン・ライドン新自伝


S「というわけで、架空だけど、2017年のこの10冊の本ということで話し合いたいんだけど。まず昨年の本の印象、全体ではどう?」

K「実は全体を見渡すとインタビューさせていただいた著者とその過程やその後に話の流れで影響を受けて読んだ本が印象に残った10冊になりましたね。大枠では「アナキズム」ということが基本ラインになったと思う。で、著者の方と接点があるブレイディみかこさんの本、特に『子どもたちの階級闘争』が図抜けていた。何度も涙腺が緩みました」

S「ブレイディさん昨年は本当に生産的で。ミュージシャンの本も一冊17年の10冊に含めてるけれど。岩波の「図書」でもアナキストの女性たちについて書いてるよね」

K「それがまた素晴らしい。本当に本格的な作家としての力量をお持ちになってるなと思う」



S「で、まず一冊目ですが。『ジョン・ライドン新自伝―怒りはエネジー』ですけど」


K「あとで調べたら一昨年の本でした(笑)。ということは、この年末年始に読み返したので、もうすでに三回くらい読んでるかもしれない。いろいろあったので、てっきり2017年に出た本だと思ってた」

S「ええ?この本、学術書並みのページ数でしょう?590ページくらいはあるよ。しかも2段組だから、すさまじい活字量だ」

K「凄いよね(苦笑)。でもファンだからだとも言えるけど、すごい読みやすい。ライドンの語り口の持って行き方って、もったいぶったところが無くて、スピード感がある。それこそ彼のパブリックイメージ通りの翻訳をした翻訳者の力量が大きかったと思う。この本の前に最初の自伝があるけど、乱暴なことを言えばそちらはいらない。生い立ちからの語りだしからいえば、この本で詳細だし、これ一冊あれば十分」

S「ジョン・ライドンと言えばセックス・ピストルズのボーカリスト。レコードデビューから一年あまりでバンドは解散してるんだけど、その1978年以後から2013年くらいまでの記述が詳細に描かれている。近年ではロンドンオリンピックでセックス・ピストルズの曲が使われたこととか、ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」の出演の打診と、その企画がボツった話題あたりまで。けっこう直近のことまで書いてあるよね」

S「個人的にはやはり、セックス・ピストルズの解散後、パンクス仲間と結成したPILというバンドの内実が興味深くてね。そこは最初の伝記でも記述されていない部分だったから。セックス・ピストルズはやはり「アナーキー・イン・ザ・UK」「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」という2曲で英国社会のみならず、世界中で大きなちゃぶ台返しをやった怒号の革命的ボーカリストとして。そしてPILはその外側に向っていた攻撃性をまっすぐに自分と聞き手自身に反転したというか。内向した攻撃性に向うロックの前衛と革新を示したアルバムを70年代の終わりから80年代の初めに三枚出した。そのメンバー(ギタリスト、ベーシスト)の異能も含めてすごく関心があったんだけど。やはり内側にむかう緊張感あるサウンドの要の人物たちのキャラはあまりに個性的すぎてジョンにも手に余ってしまった、というか(苦笑)」

K「ねえ?ジョン・ライドンが一番やっかいな人なのかと思ったら、ギタリストがとてもムズカシイ人だったらしくて。彼の言葉を借りれば「生のままの酢みてえな野郎なんだよ」という(苦笑)。この表現でわかるね」

S「ボーカリストとしての初期PILではソーシャルなメッセージ以上に、「怒哀の感情」を自在多彩に表現できる才能の人のイメージがあって。僕にはそこにカリスマというか、もっといえば「シャーマン」のような存在感覚を抱いていたんですよ。だから70年代の終わりから80年代の初めまではものすごくミステリアスな雰囲気があった。情報も無い時代だったから。端正な顔立ちで痩せこけたルックスも含めてすごくシャーマニックで神秘的だった。でも、すっかり中年太りして90年代真ん中にセックス・ピストルズを再結成したり、セレブが無人島に取り残されるリアリティ番組に出たり、バターのCMに出たり。ミステリーどころかすっかりコメディアンの風情で再登場して。今じゃすっかり自然体で、やたらに饒舌で大笑いをする人なんだと(笑)ぜんぜんスキも見えるぞ、と」

K「そのあたりのイメージを覆す世間お騒がせの経過の記述もあるんだけど。ファンが持つイメージを裏切ることも理解した上で、ときには気乗りしなくても自分自身と問い合いながら、「行っちまえ!」となるとやっちゃうという。その描写も説得力があるよね。」

S「記述の中で、確か一番自分に厳しい批評家は自分自身だ、みたいなことが書いてありますよね?それはひとつには少年時初期の髄膜炎で6,7ヶ月の昏睡状態があったことが体験として大きいんだと思う。すごく聡明な子どもだったんだけど、8歳のときに病気のせいで両親も自分の家の記憶も全部失ったと。で、記憶をひとつひとつ辿り直すために自分にそれを呼び戻すものすごい自己鍛錬を強いたと。また、とにかく本を読むことを救いにしたと。病気の影響で幻覚も見たし、その後は脳と心の対決みたいなことを自分に強いた。それが強烈に現実世界の理解と分析にこだわる彼の資質を作ったのではないか。ジャーナリズム相手の強烈な切り返しとかは自分自身との対決を経てるから、他者との対峙のほうはそんなに難しくはなかったんだろうね」

S「あと思ったのは、彼の育った環境。ロンドンのアイルランド人コミュニティに住んで相当貧困地域みたいだけど、コミュニティが残っていた。兄弟も多くて長男の彼は今に至るまで兄弟、友人との関係はずっと続いていて、今でもその関係が残っている。そのあたりは体当たりで生きてきた彼を守る防波堤になってるんじゃないかな。妻のノーラさんの助けも大きい」

K「そうそう。そうね。で、自分の両親をすごく大事にしてるんだけど、同時に凄い田舎者扱いにしてるんだよね(苦笑)。訛りがひどい、とか。そして単なるコミュニティ礼賛でもなくて、不作法なコミュニティの人間には不快感も隠さない。そういうコミュニティの二重性にもけっこう正直で。義理の娘になったパンク仲間のアリ・アップの子どもを巡って相当な対立をしてたりとか。そのあたりは理性に対する信頼を非常に持つ人なんだなと」

S「パンクはニュー・ウェイヴで、オールドなロックミュージシャンは嫌っているというイメージがあったんだけど、実はそうでもないことも赤裸々に。やはり年齢を重ねてサバイバルしてきた人だけあって、すごく判断基準がオープンなんだと分かった。全然狭量な人じゃなかったんだな、という。むしろ自分のエピゴーネンみたいな存在たちにあきれてた」

K「本当にひとりのきわめて個性的な人間の叙述として読んでいて面白い。テンポが快適だからメチャクチャ長い本で確かに読み通すのは時間がかかるけれども、飽きるところはなかったな。もちろん動向に関心がある人にとって、ということにはなるけれど(笑)」

S「パンクのオリジネーターの成長の記録としては必読ですね。3300円×税はけして高くないと思います。」

K「で、彼がアナキストかどうかというのは最後のほうに載っています(笑)。簡単に、ですけどね。僕は“明るいニヒリスト”という感じを抱きましたけどね」

S「そうとうタフな地域に育ったハードコアな人ではありますけどね、やっぱり」

K「そうそう、そういう地域性のこととか、サッカーフーリガン的なフットボールと土地柄。みたいな英国労働者階級の固有性に関することも知ることが出来る本です」