2012年6月20日水曜日

社労士実務講習、大詰めを迎えて

タイトルが大げさですが(苦笑)。
一応ラストの2単元、労働保険料の年度更新と、健康保険・厚生年金保険の定時決定(算定基礎届)という7月上旬まで行わないといけない労働保険と社会保険のハイライトを迎えて、今日はその半分を終え、一応のこと、明日終了の予定です。
この単元は実は全6時間では少ないと思う。年末調整を3単元演習を使い、レアケース等も含め演習中心にやった結果、結構「手が覚える」要素があっただけに、出来ればこの分野はもう2単元は欲しいところですが、致し方ないところです。
明日はハイライトの年末調整。本日は労働保険の新規適用手続き、つまり会社(なり、自営業、NPOでも構いませんが)の労基署などへの保険関係成立届けや概算保険料の申告書等を書く実務。これは、昨年NPO団体の雇用保険、社会保険新規適用事業所手続きを行なったことが結構役立ちました。

いよいよ明日はハイライトの概算保険料の年度更新と算定基礎届ですよ~とのアナウンスで今から心してますが。でも演習がもっと欲しいかな。あと3時間では足りない気がします。レアケースも学んでおいて、出来れば「手が覚える」ところまで行きたいところなのですが・・・。

でも、今の講義を担当している先生は本当に良心的な人だと思います。(web上ですが)。

講座は講師の人柄が面白いというか、社労士の先生もいまの人のように非常にヒューマニステックな側面を強調され、働く人の側に立ち、法令や通達を出来るだけ会社は遵守して働きやすい職場を構築するようにお願いしたいと丁寧に語られる人もおられれば、割りとありがち?な、企業側にたって、率直に「誰から報酬をいただいているか考えてくださいね」というスタンスの先生もおられます。もちろん、その先生も社労士の学ぶ労働社会保険法令にきちんともとづいた上でそのように仰っておられるわけですが、やはり個性の違いもそれなり見えてくるわけで、自分はどのスタンスに立ちたいか、ということが考えに入ってきます。その意味では、講師も一方だけの軸足の人のみでなかったのは良かったと思いますね。

特に年末調整の方はレアケースも含めてたくさん演習を行なったのは良かったですね。その意味でも労働保険の年度更新もたくさん演習問題を出して実務に自信を与えてくれれば嬉しいですが。
ただ、繰り返しですが、この単元を担当される先生からは、社労士の良心を見る思いで、勇気をもらいました。

少し前にいわゆる「消えた年金」の記録訂正を審査する総務省の「年金記録確認第三者委員会」が、加入者からの訂正申し立て件数を抑制するよう指示する内部文書を作成していたという記事を読んで、一体、お役人が、ではなくて、第三者委員会がそんな指示をするなんて、どんな第三者委員会なんだ!と憤って第三者委員会のメンバーを調べてみたところ、社労士のお偉い方々がたくさん名をつらねていて、ガックリきたことがあるものですから。。。

やはり、どんな仕事でも、自分の信念を持つことは大事なんですね。自分がこの資格を活かして生きていけるかはさておいても、やはり自分の軸は必要だとこの間講師の方々のキャラクターを見ていて再考したことでした。


また、入退社、結婚・死亡、従業員の事故、長期療養、障害、育児介護に関する実務について学び、きょうあすで事務所の新規適用手続きと、労働保険料の年度更新を学びますが、「働く人の生活」と「法令」が密接に絡んでいるのだなぁということ、そのことがだんだんと繋がりとして見えてきたことは収穫でしたね。これが実務家の実際の話を聞ける一番のメリットでした。

法令を「横断的に」と学ぶうちに改めて思うことでしたが、もっと想像の羽を伸ばせば、いろいろな局面ごとにどういう保険給付がつかえるのか、という意識を持ち続けることが大事だなと改めて考えています。

2012年6月14日木曜日

実務講習

 現在、私はバイトをしながら社会保険労務士の実務講習をWEB講座で実務家から学ぶ日々をベースにして過ごしていますが、当初、はじめた時点は5月20日くらいからでしたでしょうか。受講可能期間が6月30日までとお尻が決まっていて、それまでには終わらせねばならないとそれなり意識がそこに向き合う日々で過ごし、でもなお関心のあるNPO的な活動も関心を寄せながら、誘いがあればそれに乗りながら、毎日単元3時間、実務の勉強をする日々を過ごしてきました。ところがあれ?気がついてみたら、思ったよりも早く講習単元がもう残すところ4回分となりました。

 実務家として役立つかどうかという検証は、今後現実の実務の機会がぜひとも必要だと思っていますが、とりあえず学んだことは無駄ではなかったのではないかと思っています。
そしてしかし、これからまた改めて考えること、補足することが必要だと思います。(7月には一般の社労士試験に向けた全科目総まとめの講座を実務に還元するため記憶の想起作業のために行います)。

 とにかく、なにしろやはり、新年度からもバイトと社労士と、NPO関連の誘いの3本建て中心で、考えてみればいつも自分のことばかりだったな、とある程度反省するところもありまして。。。もちろん今後の生活のために、と思えばどうしてもそうならざるを得ない面もあるのですが。同時に介護保険を受給しはじめた父もいる、高齢者両親との同居でもあり、両親の面倒を見ていくんだということの想像をベースに考える必要はどうしてもあります。

 家のことのもろもろも、今月の下旬くらいから来月の頭にかけて、少し気にかかることを手がけなければいけないなと思っていますし、自分の部屋から始まり、作業のしやすい環境のための整理や、家周りの作業も少しちゃんとやらなきゃなあ。
なにしろわがまま放題で、2階は自分の私物でわやわやだ。家長の身体が自由にならなくなった以上、物置から庭から、そろそろこちらのほうできちんとやらなきゃいけない。いけないと思いつつ、ずっと手がけないままできたので、そこらへんも両親と相談しつつ整理を手がけていきたい。

 後は資格を生かすための準備もそろそろ必要だ、と考えています。

 まずはいまの講習が一段落したら、次の復習にかけて6月下旬から7月をどう活用するか、スケジュールをどう作るか。そんなことをそろそろ考える段階かなと思っています。再来週くらいから、そんな意識で過ごすことになれればと思います。まずは今月の月末までバタバタし余裕がないという風にはならずに済みそうで、その点に関しては悪くはないんじゃないかな。

2012年6月8日金曜日

本日は泣き言

本日、野田首相の大飯原発再稼働に関する記者会見を見ました。
実質的に、原発再稼働宣言といっていいでしょう。
この記者会見を聞きつつ、菅元首相が311以後の原発事故で感じた危機意識が全く共有されていないのだな、と本当に悲しくなりました。
何よりも、今の野田首相の「政治生命を賭けて云々」という発言を元にした次々の普通の人たちの議論を無視していく決定の数々のその一つ一つが、総選挙に値するイシューであるのにもかかわらず、打ち上げていくその断行のありようは、もちろん最大野党が自民党であるという、対抗軸なき政治の上に乗っかっているが故であるといえましょう。
首相に自覚があるのかないのかわかりませんが、「国論を二分する」議論も野党の一層の経済界中心の発想に親和性がある限り、国民が見えなくても構わない危険性の中にあるということを考えないわけに行きません。
その点、昔の自民党で言えば、例えば宮沢喜一さんのような人は健全「野党の存在」を国民意見のバランスの点で大事なものであるという理解がある人でした。

まあ、そんなこといいのでしょう。僕自身、多くの人たちがそんな政治だの権力だのに余り関心がないというか、厄介事だと思うだろうし、楽しくもない話題だということを十分承知しているつもりです。

ただ、僕自身はこのように考えてしまう性癖はもう中年期を迎えて直しようがないことは知っているし、例えば先の「消えた年金」に関する第三者委員会が年金の訂正申し立てを抑制するように指示を出していたという驚きの記事がありました。普通、厚生労働省がそういうことをしていたというならばまだわかりますが、第三者委員会という元来消えた年金の調査審議をする機関がそういうことをしていたのが驚きです。しかもその第三者委員会は有識者、しかもその中には自分の仕事としたい社会保険労務士の偉いさんの人々が多数入っているのです。そういう話がまた一つ自分の気持ちを塞ぐのです。

最近、埓のない思い、妄想は「身体一つを資本に出来れば、少なくともほとんど人に迷惑をかけず、自信のなさも緩和され、聞きたくもない迷惑な話にかかずらわらなくても良いのではないか」という考えです。

体を資本とした技術があれば、例えばビルメン会社で現場労働で生きていけないか。あるいは農業、それも売るための農業ではなく、理想をいえば自給自足的な農業で生きていければ、と。
しかし、軟弱な身体とつまらない欲望に自分は支配されている。

軟弱な身体の自分としては、身体資本の仕事に自信がなく、社労士の実務能力の最低限を何とかかんとか身につけて就職が難しい時代にとりあえず活路を見出そうとする。
しかし、その仕事は自分の強いアイデンティティで事業者中心とはならず、冷静に働く人を守る法理を伝えながら尚、仕事を事業主からもらえるのか。
そのようなことを日々考えているのですが、そのような物思いも自分の核をけして強くはさせてないような気がする。自分の芯が自分を良しとする、自分を喜ぶものとさせるだろうか。

「国民生活」とか「経済生活」を守る云々と内省なく首相が言えるのは、日本の普通の人々の似たような弱みを知っていて、そして脅しをかけているように見える。

でももう、そんなことは分かっているし、分かっているから憤ったり、その種の情報にかかずらわるのは気がつかれる。ノイローゼになりそうになる。
ならばいっそ、自分の身体を資本に、情報社会から身を隠してしまいたい妄想にも駆られます。
もちろん、それは出来ないだろうとどこかで思いながら。。。

何かを知ったうえで、どうにも解せない政治が行われていることを自覚する。それは不快だし、知ってて知らぬふりをして生きていかざるを得ないのか、という気にもなる。
それらは疲れるから、逃げたくもなる。
実は、声にも言葉にも文章にもしなくても、そう考えているひとは多いのではないか。

まあ、そういうことです。

それにしても、これは日本にとって、あるいは地球環境にとっても由々しき方向性ですよ。経済成長という目の前のために、福島の悲劇の可能性を座視、維持してもいいのでしょうか。
それが民主党という政権で、そういう意味での政権交代だったのでしょうか。
僕は民主党に政権交代したとき、民主党に投票してませんが、とんだ茶番だったなと思いますね。

人は誰にも迷惑をかけずに生きてはいけないでしょう。でも、迷惑の範囲は小さくできるかもしれない。どれだけ人への迷惑を緩和させるか。今のままの自分の生きる模索は迷惑緩和に向かう道なのか。

首相会見をききながら、かなり暗澹たる思いで自分の今後を考えてしまいます。あまっちょろいんだよなぁ。いい年をして。本当に。