2010年12月30日木曜日

今年も、はや年末です。

2010年もはや年末です。
早いような、遅いような。。。
学校に通っている日々は「遅い」と思い、振り返ってみれば「早いなぁ」と思い。
全く自分の都合に調子のよいことで、どうも(苦笑)。
先週の土曜日、一昨日と関わっているNPOの関係者とお酒の入らない忘年会をしていろいろ語らいました。カラオケもやったね。

今年はNPOの事業の手伝いもしたし、下期に事業が立て込んだこともあり、特に事務局長役を務めていた友人は本当に大変だったと思います。
同時に、そんな経緯でNPO1年目にしては思った以上にいろいろな事業を行ったことで、1年前のこの時期とはかなりの違いがあった年だったなという感慨がありますね。その友人は特にそう思っているのではないのかな。

自分についていえば、春先から何だか「学校」にばかり通ってた1年の気がします(笑)。4月から5月いっぱいまで基金訓練校で自己分析やスピーチ練習、ワードとエクセル。エクセルが初歩段階で終わったところでNPOやソーシャルビジネスへの就業を目指したこちらも内閣府管轄の社会事業基金訓練。こちらではNPO等の代表の方々のお話を中心に伺いながら、NPOのイメージを掴み、実際に2週間のNPO事業体で就業体験学習を含んだ、「大学」的な勉強。そして8~9月の取材を終えた後、10月からまた2度目の厚生労働省管轄の基金訓練を来月一杯まで受講というわけです。

いまの学校で学んでいる簿記、エクセル、ワード、パワーポイント、源泉徴収、労働社会保険等の勉強もそろそろこの1月末(簿記は2月末)に向けて”そうまとめ”の段階に入ってきました。
簿記は補助簿でまだやっていない商品有高帳と伝票記帳を除いて、残高試算表と清算表までやり、そろそろもうPL、BSという外部に見せる帳票を具体的に作る段階です。
エクセル、ワードは基本習得は終わり、試験対策モード。
ワードは前の学校で日商の資格を得たので、今の学校ではエクセル2級にのみ試験挑戦です。ところがこのエクセル試験。実技と知識試験がありますが、知識試験の難易度が半端ない。それこそ、エクセル2007のオプション詳細の機能まで問われます。

そういえば、ワード、パワポも含め、ウインドウズオフィスソフトの2007はいまだ自分として機能操作に「馴れていない」実感だけはしっかりあります。機能がタブに配置され、非常に使い勝手が良くなっているのは良く分かるのですが、前の学校で習ったソフトは実業ではまだこちらが中心ということで2003。右クリックのショートカットでダイアログボックスを出して操作することに馴れていたので、その癖が抜けないようです。
もちろん、2007でもショートカットキーで多くの操作はOKなのですが、意外とタブに出ている沢山の操作機能を知っていないと困る局面も多いのは確か。

ですから、この正月も含め、この1月はエクセル対策をしっかりやらねば。この12月までは正直余り先生が真剣味が足りないせいもあって、横にいる座っている人たちと脱線してばかりいたのでなぁ。(周りでだべっていても、教師に何も言われないような状態が今の学校の哀しみです。トホホ)。

急に真剣になれるのかどうかも不安ですが。
そういうこともあって、全体の「核心」というか、オフィスソフト全体の共通項というのがきっとある筈で、それがまだぼやけている。その「ぼやけた」状況が払しょくできて曇りが晴れて、「あっ!」という気づきがあったら試験もイケル気がします。

後は簿記。まぁ3級レベルは何とか。2月末に行われる試験で2級を視野に入れ独学でやるか。(源泉徴収の時間に少し2級レベルの会社会計簿記は触れているので)。2級に「工業簿記」が含まれることを考えれば、無理せず時間をかけてじっくり労働社会保険の法律を再度復習して頭に叩き込むか。
何しろ、金を貯めているのは基本、社会保険労務士会に入会して労務士を名乗れる状況を作る、というのが当初の入学前から温めていたプランでもあるので。
そこにプラスアルファで、基本的にオフィスソフトが苦にならない、簿記も分かる、賃金管理(納税)の基本も分かっている、というサブスキルを磨くというのが目標でした。

今後、NPOを見据えながら、自分が手伝わせてもらっているNPOも手伝える時間があれば積極的に手伝い、両面作戦で行く方針に変わりはありません。

そんな1年でした。とりとめないですが、この1年のこんな近況を含めた報告まで。

それでは、明日もブログ書くかは分かりませんので、一応先にごあいさつ。
皆様にとっても良いお年でありますように。来年も宜しくお願いいたします。

2010年12月28日火曜日

1枚の記入書面の背後から

 前記事の「行政書士事務所」の物語から連想したとも言えますが、特に公的な書面がそうでしょうが、1枚の書面の背後に意識していないと見落としてしまう人間ドラマに直面する記入箇所があるものだな、と思います。

 例えば「離職証明書」。
 会社を辞めた時に雇用保険の被保険者証とともに、離職前6ヶ月間の賃金額を記入し、いわゆる「失業手当」の算定基礎額として使います。現在においてはそれだけではありません。格段に離職者証明の意味は大きくなっています。その意味は離職理由が「解雇」なのか「自己都合」なのか。あるいは「特定理由」離職という、正当な理由があれば、特別に自己都合退職でも特例が認められる離職も絡んできます。
 普通、解雇や倒産だと7日の待機後にすぐ失業手当が出ますが、自己都合退職だとおおむね3か月間の受給の制限期間があることをご存じの方も多いはず。
 現在では、自己都合離職と、解雇・倒産・正当な事由ある特定離職は年齢や勤務期間によって両者お互いの支給期間に大きな開きがあります。

 そこで問題は「離職証明書」の解雇理由に「どのように書かれるのか」ということが労使間の微妙な神経戦になることもあるでしょう。そしてここから個別労使関係問題が生じる可能性があります。1枚の紙の書かれ方において、働いていた側がそれをどう承認しるかということも、けして小さくない問題です。

 あるいは女性が結婚退職するとします。夫がサラリーマンだとすると、普通夫の健康保険の被扶養者になり、国民年金の第3号被保険者になれば、健保の保険料は払わずに済み、国民年金の保険料も一切かかりません。いわゆる「専業主婦」メリットです。しかし、もし雇用保険で「失業給付」をもらうとすればどうするか?失業給付は収入か?実は失業手当は収入なのです。そしてその収入は前年度ではなく、即時でみられますから、場合によって給付を受けながら社会保険の被扶養者になると、それがバレないこともないとはいえません。
 そのため、今度は健康保険の被扶養者届で会社は妻が現在無収入であることの証明印を押してあげねばなりません。会社は責任が伴いますから、めくら判は押せないでしょう。

 あるいは社会保険は郵送で送付することが出来ます。しかし、基本的に資格の取得届は5日以内に、となっていますから送付時期がいつか、5日目の郵送印ならOKなのか、5日目に保険事務所に届いていなければいけないのか。
 資格取得届はある程度融通が利くようですが、会社を辞めても自分で健康保険に加入する「任意継続被保険者」の届け出はキッチリ20日以内まで、と決まってますから、1日遅れたら即アウトです。すると、20日目の郵送印があればいいのか、あるいは20日目に事務所に届いていなければいけないか、どちらか。答えは後者なのです。それだけ任意継続の健康保険の資格取得は厳格なのです。

 行政は厳しい、と言えるかと言えば確かにそうですがとはいえ、民間の契約でも内容証明郵便から始まり、公正証書、供託、印紙付き契約書、云々。1枚の法的な有効書類の効力は重たく、その背後に人間のもろもろな感情のひだ、葛藤、不安、思い入れ等々が含まれている、ということを考えざるを得ません。

 その辺りを上手く突いてくれるマンガが「カバチタレ!~特上カバチ」で、それは法律マンガであるだけでなく、法律上必要な手続き書面に関わってもいるところがより一層リアルです。しかし、上気したようにひとつの「書面」には法律の裏付けがあり、法律の背後にはルールに伴う人間のもろもろの(ドロドロともした、あるいはグッとくる深い思い溢れた)感情や思いが含まれているものだなぁということが分かります。

 事務の仕事を専業にされてきた来た方もいまの訓練校にいます。詳しく話したことはありませんが、10年くらいもその道で働いた人であれば、きっと見たくもない場面、聴きたくもない話を耳にする機会もきっとあったことでしょう。それが直の人と人との対峙する場面ではなく、「書面」の背後の中に見える、もろもろの諸事情を覗いた、想像出来て来た。ということがあるような気がしてなりません。

 やはりある程度一つところで長く働いてきた人はルーティーン・ワークの連続であれ、そこから、世界の小さな小窓から大きな世界の一端を覗いてきた、ということがあるのかも?と思います。
 だから一義的には生活するための仕事だけれど、もしも仕事がそこそこやりがいがあるのだとしたら、小さな小窓(あるいは人により、大きな窓)から社会観や世界観を無意識のうちに感じ取れることが出来るからじゃないかな、と思ったりします。

 いやいや。本日も大きく出てしまいましな。すみませぬ。

 話を現実的なところに戻して一つ。高校卒業までに学んでほしいことがあります。それは「労働契約書」(パート労働も含む)、「給与明細書」の読み方を教えてほしいということです。より贅沢言えば、「確定申告の仕方」も。
 憲法はおおまか学ぶと思いますが、逆に労働と賃金から憲法25条、権利と義務関係、そして憲法前文と遡る。そして日本国憲法の理念を学ぶ。そちらのほうが憲法がリアルに若者に理解できるのでは。理念型から入れば、暗記を強要されるようで面白くないはずです。

2010年12月25日土曜日

特上カバチ 22巻


 けっこう前なんだけど、とても久しぶりにマンガ喫茶に行って手に取ったのがこの第22巻。思い切り引きこまれ、恥ずかしながら涙が出てしまいました。
 子どものネグレストの話。理不尽に捨てられた母が、その捨てた夫に似ているということで、愛してたが故に憎さ倍増になって元の夫の面影が顔に見える息子を虐待。
 それを良い意味でのおせっかいにより子どもの救済に向かう行政書士事務所勤務の栄田。
 彼にも複雑な家庭事情が背景にある。暴力をふるう父に育てられたのだった。であるがゆえに、理屈を超え、世間体を超え、彼が身体で知っている「真実」とともに走る!
 同時に彼は虐待する母親を責めたりしない。母親が置かれた経済的苦境や独りで子を育てねばならない苦しさ、それを受け止められない周囲や社会があることがわかるから。彼は母も「何か」の犠牲者だと認識しています。
 密閉された部屋でヒステリカルになった母親に折檻される子ども。謝り続ける子ども。それでも、そんな母親でも唯一、自分を守ってくれる存在だと疑わず、全面的に自己の身を捧げている男の子。そんな場面には思わずグッときます。
 そのようないたいけさに触れるとき、流石に母も自責をし涙するんだけど、やはり日が経つと同じ間違いに戻ってしまう。これも、現実にありそうな本当に悲しい事態。

 最終的には折檻が高じて子どもが救急車で運ばれる事態にまで悪化してしてしまうのだけれど。。。

 その後の展開はこのマンガで確認してほしいですよね。

 このマンガは主人公は行政書士の田村くん。まだ書士になってからそんなにキャリアを積んでない(?)若者なんですが、極めて真面目な、だけど若いが故にまだ少し世間の深いところを知らないところがある。(人のことがいえるか!←自分にツッコミw)。
 しかし、彼の良さは失敗を糧として深く自省して次の段階に一段一段上っていくところ。おそらく一番サラリーマン層読むであろう、この「週刊モーニング」誌読者にとって、一番感情移入できるのは彼でしょう。

 しかし、この巻に限らず彼の先輩に当たる栄田氏は人情物に関して主人公になると、実に泣ける、泣ける。特にこの巻は自分の子ども時代の具体的な家庭生活が記憶として描写され、そのシーンも泣けるのだ。
 男気に溢れ、細かな事務作業は苦手でも、他者が関わりにくい人の心の機微に触れるときは大概腹を据えて彼は入って行くんだけど、その時の馬力は半端ない。

 彼らの直の上司であるシゲさんは基本的に他人の家庭のプライバシーに法律家は踏み込んではならない、がポリシーであるので、一線を超えると栄田氏がその点で価値観の対立が先鋭化し、何度か辞表を用意するところまで行くんだけれど、このシゲさんという存在のバランス感覚と包容力も、実は影の読みどころ。

 原作者の田島隆さんは前も書きましたが、中卒後下積みの仕事を続けながら行政書士の資格を取り、そしてこれだけクオリティの高い等身大の人々のドラマを書き続けてきたのだから、本当に凄い。「カバチタレ!」で20巻くらい?同時にアフタヌーン誌で「極悪がんぼ」も長い。カバチタレ!の継続で「特上カバチ」が現在23巻で、私はこれだけの長期連載でこれほどクオリティが下がらない作品は他に知らないです。

 いままでこれだけの仕事をしてきたのだから、「ロックンロールフェイム」ならぬ「マンガの殿堂」入りしてもおかしくないと思うんだけど(笑)。
 ただ、画を描いているのが「ナニワ金融道」を書いていた青木雄二氏の直系の弟子で東風孝弘という人で、ゆえに絵柄が生理的にどうしても苦手だ、という人が多いのかもしれない。しかし庶民リアルな物語にこの絵はある意味合っているし、もはやこの絵でないと無理、とも思う。

 この東風氏の従兄弟が誰あろう田島隆氏で、故にコンビネーションも良いのでしょう。

 実はいまは亡き青木雄二氏は田島氏から法的な知識を吸収していたようで、「ナニワ金融道」ラストストーリーの圧巻である裁判官を騙す「ゼロ号不渡り手形」作成、というストーリーは田島氏のアドバイスがあったという噂があります。
 

2010年12月21日火曜日

今日は模擬面接

 今日の基金訓練。午前3時間は模擬面接。
 事前の周知があったせいか、出席者は半分に減りました(苦笑)。
 形はおおむね18人のメンバーが6人ずつ3グループに分かれて、集団面接スペースと、左右に分かれて面接を受ける人たちを観察する形を作る。
 そのひとグループの6人がキャリアカウンセラーから1,2の質問を受ける。おおむね「自分の長所と短所を挙げてください」という質問ですが。 
 それを他の同席の人、例えば真ん中の3人目であれば右、左に座った3番目の人、つまり2人がその印象を、良いところと直したほうが良いところに分けて記入する。それを順繰りに廻して同様のことを行って全グループが受ける側と見る側を引き受けます。

 面接、という現在非常に過大に評価されているものに対する意味と疑義は後段に書くとして、自分の客観的評価は以下のもの。やはりそうか、というのもあれば、これは気づかないクセだった、というものの両方がありました。その意味で客観視されるのは悪くないことです。

<直したほうが良いところ>
○「え~と」「あの~」という言葉で話を繋ぐ癖は直したほうがいい。
○猫背のところがある。もっと背筋を伸ばしたほうがいいと思います。
○もう少しハキハキ喋るとなおよい。
○目線が上を向く癖がある。(これは気づかなかった。ありがとう!)
<良いと思うところ>
○要領を得て話している。
○話すスピードはいい。メリハリもある。
○落ち着きがある。
○物腰が柔らかい。

 上記で面接に関する過大な評価と書きましたが、それは履歴書の書き方(女性の場合、どんな映りの写真を貼るかに始まり)、職務経歴書の書き方も同様です。
 そのこと自体の意味に反論はないし、現下厳しい企業の採用枠の中では他者との差別化競争的な意味もなしとしません。そしてもちろん、面接もインタビューも他者との対話の一つですから、客観的にどう見えるかということの役割練習の意味の重大性はなお否定しません。
 それでも、例えば面接上において、腕の置き方がどうだとか、姿勢の細部にこだわる。あるいは書類の書き方の「細部における型」について時間を多く割いて云々するに至る点に関しては、心の中で率直にクエッションマークが起きます。
 本当は当然ながら語られる内容が大事なわけで、その「大事」は面接官と応募者の「大事」の押し引きの駆け引き要素があると思います。それが短い「面接」という枠の中で凝縮されるされちゃうわけですね。ある意味、不条理にも。

 それを僕は自分なりの押さえと考えたい。として、さて。

 例えば、素人として人を見ていて、訥弁でも素朴で率直に思えるわか者と、「上司には反対されたが、私の一存でやってみた仕事が成果を挙げた」と答えるキャリアのある人、二人の応答を見ていながら頭の中で連想するのは、人や面接官はどちらをどう評価するのだろうか?ということです。
 当然、それはどのような業種であるか、職場、職場の構成員、会社哲学はどうであるか。によって違うでしょう。同時に、面接官は確かにプロが多いかもしれません。プロ的であるということは、客観的にある程度人を見抜く、その一人ひとりが会社に入って他のメンバーとどう仕事をこなせるかという見通しもある、ということかもしれません。

 同時に、その見抜きや見通しもある一定の「型」を持っているかもしれません。
 しかし、あえて素人的に言わせていただければ、どちらとて、人として問題は何もない。どちらも貴重な人材だ、という言葉に尽きます。(あえて個人的な趣味を言えば、素な感じの若者に好感を持ったりする)。

 率直に言って、入職に至るための通過儀礼的な勉強はキャリアカウンセラーも、その方から学ぶ私たちも、ある種の「一般性」や「中庸」に陥らざるを得ないのと同様、会社の人事担当者もある種の一般性や中庸に陥ってはいないか。

 でなければ、これほど馬鹿みたいな就職活動本は出回らないはずです。本当にオリジナルな採用者はそのような本を真面目に勉強して挑む人を軽くは観ないが、尊重は出来ないでしょう。もちろん、奇をてらってはダメでしょう。でも凡庸で善しとすることも出来ない時代でしょう。(これも採用局面によるでしょうが)。同時にしかし、それもリスクを犯す行為です。オリジナリティある採用者がオリジナリティある人間を採用するというのは。(いつでも辞められてしまう可能性がありますし)。

 ですから「落ち着くところに落ち着く」ともいえるでしょうし、それゆえに「落ち着くところに落ち着いたまんま」”就職強迫観念”のときは過ぎていく、と考えるのは意地悪すぎるでしょうか。

 コミュニケーション能力とか、ストレス耐性とか、面接における技術とかをキャリアコンサルの人(とても雰囲気が良い人ですが)から学びながら、同じ先生から「いま新卒の学生さんを見る採用担当の人が一番信用できるのはペーパー試験らしいです。結局、思考力とか常識とか、その人の丁寧さが分かるのはペーパー試験だとのことです」という話を聞きました。すると「なんじゃらほい?」という感じです。

 勿論、馬齢を重ねた私のごときベテランロートルには遠い話ですが、キャリアコンサルの話は前の訓練校(最初の基金訓練、二度目の訓練)で聞いて感じてきたのと同様、どこか常に矛盾が孕んでいて、なんらか揺れています。厳しい言い方になってしまいますが。
 それは採用側からの情報を収集して伝授する以上、ある意味当然かもしれません。企業の採用基準が揺れている、ということの証明でしょうから。

 私が受けている訓練は職業に入職するための訓練で、ぶっちゃけ技術的な訓練です。特別、哲学的なことやら、込み入った議論やら、社会的なことやらを学ぶ場ではありません。だから大人の集まりである訓練生の私たちは口にせずとも何かを割り切っているか、割りきれなくてもあえて疑義を口にしないでしょう。

 ですから、幾つになっても幼児性が抜けない自分は後段(中段?)以後、言わずものがなのことを書いてみたのでした。

2010年12月14日火曜日

こんな番組があるー明日から3晩

3晩連続で「提言“安心社会・日本への道”」を宮本太郎先生をプレゼンターとして放送

BSフジにて、夜8時から10時くらいまで。
いまは経済財政諮問会議にいらっしゃるんでしたっけ?
宮本太郎氏。まだ私には気になる存在です。

BSですんで、誰でも見れるわけではないのですけど。
とりあえず、ワタシは見ます、ハイ。

「制度論は出尽くした。あとは実現に向けた社会保障の位置づけと道筋だ」
果たして?

2010年12月10日金曜日

心棒となるもの

 最近考えること。
 ひきこもり的、あるいはひきこもり感情、内向意識や自意識で悩ましき自分らを支えるものを見つけることの意味。
 何だろうか?「生きていることをつなぐ食の実感」?「性愛」?「演奏や声楽などの音楽表現力や、絵やアートなどの芸術表現」?「自然と溶け合うことの力」?それとも流行りのコミュニケーション力?-これは多分に俗な、いかがわしさがあるような気がするけど。他にもイロイロ。

心棒ーこれは上記、内省的な資質を持つ人、自意識の強さが悩ましい人、あるいはひきこもり系の人にとって、生きていくためにいずれの日にかどうにかして必要なもの。
 もっといえばおおむねの人間にとっても、ぜひとも必要なものだろうということ。

 何しろ、何かを見つけることがとても意味あることなんだろうね。
 いや、これは自分に語りかけているわけです。
 本日は独白でした。

2010年12月6日月曜日

この土日。

 この土日は自分自身の主体的な問題について語る場も含めて、青少年の成長を助けるグループのシンポジウムやミーティングに参加しました。

 土曜日は川崎で不登校のフリースペースを作り、その支援活動も長い「NPO法人 フリースペース たまりば」の西野博之さん、釧路のNPO「地域ネットワークサロン」を代表し、現在は北大で助手として研究活動をしながら札幌市のスクールカウンセラーも行っている日置真世さん、札幌の訪問型フリースクールを運営する山田大樹さんらが登壇し、西野さんの基調講演を第一部として、第二部はお三方によるシンポジウム。

 タイトルは「居場所のちから」。
 前にブログに書いたとおり、30年前に思春期前後からの子ども支援の活動があったか?といえばほぼ皆無だったわけですから、80年代から活動しているという西野さんのような方は特例な感じで、その意味では会場の大盛況ぶりからしても大人の側に「子ども支援」「青少年支援」の機運が高いということは、当時以降から考えれば隔世の感があると同時に、率直に良い時代になったな、と思います。

 同時にそれでもなお、あくまで一般論ですが、子どもにとって幸せな世の中に雰囲気として感じられないのは何故なのでしょう?自分だけがそう思うだけなのか?と自問自答してしまいます。
 その一つは西野さんが例示した子どもに対する過剰な注意(あくまで僕の世代から見ての話ですが)が蔓延していることかな?という気がしないではない。それは思うことです。
 時代の先端を行くネットや携帯などが悪い方向に使われていることも一つの要因かもしれません。携帯イジメがあるのは注意圧力に抗う、大人が見えない場所での子どもの本音の発露でしょう。それでもイジメをされたほうはたまったものではない。それは強調しなければいけませんが。

 しかし、突然自分の思春期に引き寄せると、当時は逆に「構っちゃくれない」のが普通の子ども世界ではあったわけで。ギャングエイジ終焉の末端に属する自分などは生きにくかったのは確か。70年代の中盤から後半というのは大人も子どももある意味おんなじ方向を向きながら、表向き対抗し、裏では無意識のうちに価値観を共有して背中で握手しているという。まるで自民党VS社会党のような(苦笑)大人と子どもの関係であったわけです。(乱暴なくくりかな)。
 あの時代に現代的な感性を持っちゃった当時の青少年のその後の育ち方ってのはどうなのかな?と思いますね。
 まぁ人間、適応出来れば出来る面もあるでしょうから、こだわらなければ適応できてるのかもしれませんけれども。

 居場所問題に関しては、そう簡単でもないよ、ということを含めて僕はマンガ、『家栽の人』13~15巻の連続モノでよく考えを巡らしていることでした。一つは子どもたちが自主的に自分たちだけで自分たちのことを拙くても語り合う場の存在、それが森林公園や沼地などのまちに隣接する自然の隠れ場、あるいは北海道には少ないですけれど、神社の境内の中とかね。そういう自生的な関係が生まれる場所などがあればいいのですが、それをまた大人が用意するというのも変な話でね。GPS付き携帯でも持たされた暁には夢幻の話。

 後は、いかに大人たちが「いい加減な大人」を許容できるか、ということでしょうか。それは何か具体的に見えやすい例えばアルコール、ギャンブル等の依存や、働かない人だけど全然平気でいる人とかだけでなく、「表向きでは立派なことをいいつつ、インフォーマルな場では平気で他人の悪口をいう」ような大人たち。それを見てしまった子どもたちに「いや、人間にはそういうところがあるんだぜ」と説明できるちからも含まれる気がします。大人でもその「フォーマル」と「インフォーマル」の二面性に関しては許せないとどこかで思っているからね。そこを「いや、本質的には本気の悪口ではないんだ」とか、「悪口含めて許容してるんだ」あるいは「ちょっとした悪口でも言わないと、立派な人間も身体が持たねえんだ」てところまで子どもに説明できるかとなると、相当難しいこと。

 ある意味では僕のような人間の問題でもあります。そういうラインに納得いかない自分がいるので。小さな声でいわせてもらえば、人生に絶望してしまう人の中にはそのような二面性の中にある、深い部分の「それでもねぇ~」という部分にどうしてもスッキリ出来なかったという人がいるかもしれない。もっといえば、そのような人はかなり多い気がする。

 ましてNPO的なるもの、福祉や教育的なるNPOの運営者はやはり社会的なミッションとか変革、理想というのがあるわけで、あえていやな言い方をすると、ヒューマニズムとしての理想を語らねばならない。でも、現実の実存在としての自分がいて、その自分が許容できる人間同士の関係性ということもあるから、「人間的な、あまりに人間的な」インフォーマルな話も、心許せる関係性の中ではあるだろう、と。
 つまり「弱さ」と「不完全さ」も子どもに見せられる、あるいは語り合える関係、ということですかね。

 私は一昨日の西野さんの話の中に故・河合隼雄さんの考え方に近いものを感じながら聞いていました。そして存在の全肯定の問題こそ、人間として理念として最も正しく、同時に知恵の実を食べた人間における最も難しい課題なのだ、と思いました。人間の永遠の課題であり、日本国憲法のような「総論賛成、各論反対」の世界。いや違うな。「総論賛成、各論難しいっす!」。

 ですから、これはおそらく「体感」に最も近く、例えば西野さんが自分の奥さんの自然分娩に立ち会った際、自分で子どものへその緒を切った、という話に象徴されるように、「ああ、母体の羊水に守られた子どもが、この外界でついに母子分離を果たして知恵の実を食べた人間として生きていくんだな」という実感が生まれたのではないかと。会場でその話を聞いていて一瞬思ったんですよね。
 ですから、西野さんのその前後の話を聞いていれば、存在の全面的肯定みたいなのは体感としてあるのだろうなと思うわけで、それは普通の人間以上に確固として強いものはあると思う。だから信頼は出来るなと思いました。

 前段が余りに長くなりました。昨日の帯広@SANGOの会はこちらも主にコーディネートしてくれた方は帯広の不登校の親の会の方々で、出張例会の流れをセッテングしてくれた状態で迎えてくれ、誠に感謝、という状況でした。若い方々も私たちよりも多いくらい参加してくれましたが、どの方もひきこもりの当事者というよりも「元」当事者の人たちで、今は過去、という感じで元気に働いている人たちであり、少なくとも自分としては私たちのほうが親の会の方々の発言を含め、「学ばせてもらった」。「若く、早い段階でここまでいろんなことに気づいてくれて、そしてそのことについて話をしてくれてありがとう」という感じです。

 高校の先生で教え子のことが気になってわざわざ新聞の告知を読んできてくれた方もいました。忙しい身分の中でも教え子を気にかけてわざわざ普通の人がひょっこり来ないような場に来る、そんな情がある先生がいる。それだけでも何かホッとさせられる。嬉しいことだと思います。気にかけてくれる人が居ることが悩む当人にとってどれだけ救いになることでしょう。たとえ今はそのことに気づけなくとも。そしてそれに対して一生懸命応えようとする帯広の人たち。本当に良い場の風景でした。

 こちらについては項を改めましょう。またも頭の整理がつかないままで書き始めたため、話の半分だけでここまで来てしまいましたので。