2012年5月26日土曜日

ビックイシューのバックナンバーを。



 最近懇意にしてくださっているビックイシューの販売員さんから、すでにソールドアウトになっているビックイシューのバックナンバーがまだあるということで、少しずつ選択して今後バックナンバーを揃えていこうと思っています。

 最近いろいろとビックイシューを通して学ぶこと、考えること、意識化されていることが増えているので今から考えると相当古いもの(購入したものでは5年ほど前のもの)も、今読むと実に問題の先取りをしているなぁと感心させられることしきりなものですから。

 バックナンバーを読み返そう、と思っているのですが、ただ読み返したまま自己満足しているのも勿体無いし、自分の中で簡単なアウトプットをしたい。そこでブログに簡単な読後感想を書こうと思いたちました。
 しかし、こちらのブログはどちらかと言えば、自分の生活の実態を反映したい。

 実は僕は現在ブログを3つ所有しています。贅沢な話ですが。一つはこのブログ。もう一つは趣味の音楽(時に音楽に絡む映画など)中心のブログ。もう一つ、社会的なことの思いを書き続けていた「夢のでこぼこブログ」というのがあるのですが、自分自身、日々の物思いはツイッターを多用することでそれらが解消されてしまい、すっかりそのブログは更新を止めていました。

 よしならば、この止まった状態のブログを利用して、ビックイシューのBN(バックナンバー)を出来るだけ負担に感じない程度で読後感想をアップしようと思い立ちました。ですので、随時そちらにビックイシューBNの感想を書いていく予定ですので、もし宜しければそちらも時折覗いて戴ければ幸いです。まあ、自分も一応は別のことで忙しくもあるので、そんなに頻繁に更新もないと思いますが。。。どうなりますやら、ですね。
「夢のでこぼこブログ」 です。

 ついでに宣伝。音楽、端的に洋楽ロックを中心にした洋楽ポップス専門のブログも開設してますので、宜しければそちらも。
「Bridge」

2012年5月23日水曜日

ことばの定義

本日、自分もボランティア的に?活動しているNPO法人から新しい会報が送られてきました。
毎回、表紙に団体の経緯と活動の概要が出ているんだけど、どうも自分としてはすっきりとしない言葉があります。それは「ひきこもり者」ということば。ひきこもりしゃ。と読むんだろうけど、こういう名詞は成立するのだろうか?なんとなく、気持ちがいいことばではない。これが「ひきこもりもの」と呼ぶとしたら、一層不快だろうなぁ。昔の芸能人が「河原者(もの)」と呼ばれた頃と同じ差別的な印象を抱くと思う。

「若年の範疇に入らない、青年期・壮年期の「ひきこもり者」に軸足を置きながら、ひきこもり者が社会に出ていった時、自信や希望を持ちながら歩めるような」

普通に読んでも、どこかおかしくないだろうか。ひきこもりしゃ、ひきこもりしゃ。
自分の中でつぶやいてみる。「ひきこもりしゃ、かぁ。。。ひきこもりしゃ、ねえ。。。」

当団体の代表自らの熱意で呼んだ昨年の芹沢俊介氏の講演シンポの時も、講演者の芹沢氏は「ひきこもり」という名詞形は使いたくない、と仰っていました。ひきこもり、という名詞形はある状態像のみを捉えた言葉にすぎないから、といった趣旨で。そして自分では「ひきこもる」「ひきこもっている」という、ヨリ動的アプローチのような側面で使いたいと仰っていた。

確かにその通りで、僕はこの種の話が出来るメンバーともよく話すんだけど、「ひきこもり」と顔に書いた人間が存在して、歩いたり食べたりしているわけじゃない。
あたりまえの人間がひきこもる、という行為を選択しているわけです。あるいは、現状はひきこもらざるを得ない人たちが増えてきているということかもしれない。

このような名詞が生まれる背景には、こう書くと身も蓋もないけど、10年来の長い歴史がある会報が当時のひきこもりに対する社会認識上の問題もあって通信タイトルもダイレクトに「ひきこもり」になっている以上、何というのかな。そのことばの流れで自然と「ひきこもり者」という表現になるのかもしれない。
そうなのかもしれないけど。でも、それがいまだに生きている、というのはなんだか違和感があるんだよねぇ。

表現の固定化であり、表現の固定化は悪くすると、あるいは慣れが進むと「評価の固定化」になっていかないだろうか?という一抹の懸念を感じます。一層恐ろしいとすれば、それを当事者というか、当事者として意識している人たちがそれをそうと受け入れてしまうこと。
それが「自分はひきこもり者だから」とネガティブな内面化のみをしてしまうとすれば、それは生産性のない思考パターンに陥ってしまう気がするんですよね。

現代社会がいろんな社会的な課題が出てきたり、あるいは多面的な切り口が必要になってきたがために、ある種の属性や分類化が必要になってきたのだろうし、課題の可視化にも役立ってきたのだろうと。その意味では理解するのだけど、いまは、いま一度、ことばの使用方法から再考すべき時にきているのかもしれない。

ひきこもり、という言葉もひと頃の偏見から逃れたとはいえ、顔を持つ当事者たちの本質を捉えにくくなっているのが事実だし、当事者自身がどこかで包括的な用語から抜け出ていく局面がある。
それを考えた場合、不思議な一般化されたことばはそろそろの改めて考えてみる時期に来ているような。そんな気がしてなりません。

2012年5月10日木曜日

ボブ・マーリー/ロックパラスト1980

ひと月余りぶりの書き込みになります。この間、基本的に落ち着いた生活をしています。(まぁ、低空飛行の安定、というべきでしょうかw)。個人的には6月末まで一応目処を立てたい勉強を続けています。今月中旬過ぎには実務的なものを手がけていく予定。

今はその過去取得した資格の復習を主に時間を割いていますが、その中でも自分の時間の中で趣味の音楽を楽しんだり。
最近は自分の中でボブ・マーリーを再度真剣に評価するモードに入っていまして。自分が持っていないベスト盤のレンタルし、今年出たマーリー特集のムック本を読み込んだり。

彼が亡くなって昨年で30年で、ボブ・マーリーのドキュメント映画が出来たようです。日本でもぜひ公開してもらいたいものです。

最近、YouTubeで発見して衝撃を受けたのが癌で亡くなる前年の6月、ドイツでのライヴを同国の貴重なテレビ番組「ロックパラスト」で収録されたボブ・マーリー&ウェイラーズのおそらくライヴ全編の映像。これが上がっていて、二日かけて観て、そのテンションの高さ、エネルギー、本気の演奏に食入いるように見入りました。

おそらくここ何十年かでも映像記録としてはベストのライヴ・パフォーマンスに属すると思います。ボブ・マーリーのライヴ・パフォーマンスはその音楽とともに、あるいはそれ以上に得難い体験との話は聞いていましたが、過去のボブ・マーリーの映像記録でもここまでの迫力のものは僕も知りませんでした。

偉大なパートナーたち、ウェイラーズのメンバーも最高です。ベース&ドラムスのカールトン&アストン・バレット兄弟、キーボードのタイロン・ダウニ、ギターのジュニア・マーヴィンに加えて、おそらくこの時期、初期のインターナショナル契約をしてからの初期のメンバー、ギターのアル・アンダーソンとキーボードのアール・リンドがバンドに戻ってこのライヴにも参加しているはずです。彼らは皆、当時の素晴らしいジャマイカのレゲエ・レコードの多くでバック・バンドを務めた偉大なセッションミュージシャンたち。
そして、すべて本国ではソロアルバムを出しているこれまた偉大な女性歌手たち、ボブ・マーリーの妻であるリタ・マーリー、そしてマーシャ・グリフィス、ジュディ・モワットの3人のスターを揃えたバックコーラスグループ、「アイ・スリー」。

この頃、すでにボブ・マーリーは皮膚がんが告知されていて、患部を切除せずその後がんが全身を転移して次の年に亡くなりますが、それを予感していたか、あるいは一度聞いたという癌の完治を信じていたか。それは分かりませんが、とにかくパワフル、エモーショナルで憑かれたような演奏ぶりと、バックの演奏のタイトで縦横無尽に流れていく自在さには本当に恐れ入ります。

1時間33分とボブ・マーリーの好きな人でも忙しくて全編を一度にじっくり見れる人は少ないかもしれません。かつ、このブログの流れにはちょっと合わないかもしれませんが、これほど感動したライヴ映像はほどんど見たことがないものですから紹介せずにはいられませんでした。このブログの久しぶりの更新挨拶として。
それにしても、動画サイトでライヴの全部が見れるのですから凄い時代です。

映像を貼りますが、出来れば直接リンク先に飛んで、ディスプレイが大きい家庭の人はぜひ大画面で見て欲しい。「ジャミング」という曲におけるカールトン・バレットのドラムスの音の重たい迫力といったら!そしておそらくライヴ映像では滅多に見ることが出来ない今や後世へ繋ぐ名曲のひとつである「リデンプション・ソング」など、聴きどころが満載です。

ドキュメント映画もぜひ日本で公開してもらいたいが、このライヴもDVDで発売してもらえないだろうか。




http://www.youtube.com/watch?v=G_0jsIpfL18&feature=related

2012年3月31日土曜日

通信ひきこもりNO.71&芹沢俊介氏講演記録


 私自身が会員として関わっているNPO法人レター・ポスト・フレンド相談ネットワークに対する助成金補助事業により、紙面刷新した通信誌年度最終の3月号です。
 表紙イラストを見てもらえば了解していただけると思いますが、実に良い雰囲気です。イラストの持つ力だけで内容に期待を持てるのは昔風に言えば、レコードジャケットのセンスがよければ、中身にも期待が持てそうだ、という話に似るかと思います。そして実際の話、私自身が関わっているのは専門家へのインタビュー採録部分ですが、他の種々の内容にかかわっている人の顔ぶれはこの助成金事業の3回分(昨年11月号、1月号、そして今回の3月号)の中でも最も多様な参加者のものとなりました。

 この表紙イラストの爽やかさにふさわしく、今回の誌面企画充実助成金事業の一応の最後は、文字通り内容として充実したものとなったのではないかと一会員としても自負していますし、振り返れば自分なりにずっと模索した「ひきこもり」という言葉に付された重たすぎる意味なり、その言葉に付随した種々の問題点なりを俯瞰し、相対化し、ある意味では脱臼させる?試みに成功できたのではないでしょうか。自分がここ3回で係わったのは専門家へのインタビュー(うちひとつは芹沢俊介氏の講演の採録)ですが、個人としてそこで学んで思ったことは、実際に編集し紙面化される前に伺った言葉や内容の全体一つひとつをリコーダーに起こしながら、自分が新たに強く意識し始めていた今まで重い形で固定化されていた「ひきこもり」ということばに付着しつづけた意味の再検討であり、その点を促すことにある程度の成功を見たのではないか、ということでした。それに加えて編集以前に伺った話の中に幾つもあった貴重なアドバイスや気づきある発言という個人的な宝も同時にありました。
 そんな納得と、学びを得るものでした。今月号の札幌学院大学准教授である村澤和多里先生のインタビューが現在のところ、僕自身の問題意識と共通する最も最新のものであり、ひきこもり問題全般に渡っても先駆的な内容になった、と自負しています。
 いつになく、思い切り自分自身を自画自賛しているわけですが、でもある程度それは客観的なものでもあろうと思っています。

 そして、表紙のイラストを手がけていらっしゃる高津さんーまだ拝見したことはありませんがーを称揚したいと改めて思います。そして高津さんを発見協力してもらい、一貫して専門家インタビューや講演録をまとめるに際しての多大な手腕を発揮した当NPO法人の副代表の実務的な力量にも改めてレスペクトするものです。

 うん、実にイカンですね。こうも堅苦しく自分たちのささやかな活動を自画自賛しては。実は、ごく卑近なところでは通信のタイトルが何とかならないかとか、活字が小さすぎて読みにくい等々の率直な声も聞いてはいます。それは私もそうだろうなと思うところです。しかし、ビックイシューだとて活字は小さいのです。このブログだとて活字は小さい(笑)。確かに読みやすさを考慮すれば、活字の多さがレイアウト的に目立つのは理解できる。しかし、そこは商業雑誌とも違うところ。今のところは関心を持つ人に「内容で判断してもらう」ことしか出来ません。そこは限界です。

 タイトルに関しては、僕自身は専門家インタビューにあるように、いずれひきこもりという言葉も解体されていくだろうと思っています。むしろ今の世の中ーつまり経済が衰退し、「斜陽化する日本」という国に現在から近未来に起きてくるであろう現象ーを考えれば特定の名称を与えられた人たちの居場所である以上に、今後よりいっそう社会の中に「生きづらさ」を基盤とする、社会の中で生きていく不安や辛さを共有する居場所というものが今後大きなニーズを占めていくだろうと想像するのです。それがいわゆるアジール(駆け込み寺のようなもの)としての機能を持つ、諸々の社会的排除を受けた人たちの結構大きな、あえていうならば雑多な人たちの居場所が必要とされる時が来るのではなかろうか、などと。。。
 
 実は、昨年の『ひきこもり支援ハンドブック』取材の初期から僕には別の下心、あえていうなら別の動機が生まれていました。それは取材の早期に中年世代の就労支援をしている都道府県の委託機関のことでしたが、そこを取材した時点で、この社会の(古風に言うならば)「下部構造」で何か起きている、それは結果として結構な数の人たちが「ひきこもらざるを得ない」現象を生んでいる。その状況を知ることが出来るかもしれない、というものでした。

 その問題意識でひきこもりの人たちの社会的居場所を取材するのを目的としつつも、一方で僕の内面では経済状況と人びとの相関的なありようについて考えてもいたのでした。そしてその昇華された試みのひとつが、「釧路市生活福祉事務所」の取材で得たものでした。経済困難に伴う社会的排除のありようを官民一体で克服する試み。そしてそれは今までの理念を持ち替える勇気を含めた試みだと思えるもので、「これはひきこもりの問題にもパラレルに捉えられる」と思ったのでした。そこで聞いた循環型福祉の思想、してあげる・してもらうという関係性からの脱却のみならず、その関係性の相互的な入れ替え。「上から目線からの脱却」ー少なくともその問いを常にワーカー自身の側から自己へ続けていくことなどの哲学に徹することなど。
 これらの話は巷に氾濫する「ひきこもり支援者問題」にも密かに切り込むポジティヴな試行ではないかと僕は思ったのでした。

 あれから1年半余り。あの時の釧路で聞いたときの心のときめき、ここに具体的に見えた希望のある話から、いま、進歩をしながら、かなり先へと来た印象を感じています。例えばひきこもり名人・勝山実さんの「安心ひきこもりライフ」や昨年のノンフイクションベストセラー・大野更紗さんの「困ってるひと」、いきづらさ研究を試みる大阪のフリースペース、コムニタス・フォロの主催者、山下耕平さんの「迷子の時代を生き抜くために」、そして芹沢俊介さんの名著「引きこもるという情熱」や「存在論的ひきこもり」等々。大枠で、乱暴に言ってしまえば『社会的ひきこもり』を中心にした論調は遠景へと引いた感じがします。少なくとも僕の中での思いはそこまできてしまったと思っています。
 今風にいえば、当事者主体とか、当事者主権という言葉になるのでしょうか。

 「ただ」、というか、「もちろん」というべきか、ひきこもりの人の固有の個性はあって、その問題のフォローは断然、大切なものです。そこには今までの通信誌取材でも聞いてきたとおり、苦しい時は医療的なカウンセリングがやはり必要だと思いますし、ひきこもりの人たちに一般的・固有な問題として共通してある悩みの体験を語り合えるゆるやかで落ち着きのある、そして安全な居場所は断然必要です。

 いわば、僕のこの長々しい文章の焦点であり、この点がすでに状況が変わっているのではないですか、と伝えたいのはもはや支援者の目線の変化が求められる「とば口」まで来ているよ、ということかもしれません。
 その意味で、「ひきこもり」という言葉は解体されるときが遠からず来ますよという認識を頭の片隅に持っておきませんか、という思いがあるわけです。それは対抗的な物言いではなく、この通信の表紙のように爽やかに、あえていうなら、出来るだけポップに行けませんか、そういう認識に立てませんか、ということですね。
 僕は自分自身「ひきこもり」という問題に特化して考えてきたのはこの3年程度ですので、分かったふうなことは言えませんが、おそらく今まであまりにも重いブルースが強調され過ぎてきたのではないでしょうか?

 でも今やある意味、多くの人たちが平場に立っている状況にあるともいえるわけで、その意味ではひきこもり気質の僕たちは世の中がこれ以上のサバイバル合戦の様相が止まらず加速するなら一層大変なわけですし、別の意味での生きていく上での難しさに立っているのかもしれない。
 ですから「大変だ、そこに入れない僕らはバスに乗り遅れてる」などという発想はさすがに古くなったと見極めたうえで、でも「さてどうしようか。まずはお互い苦労しますね、ご同輩」というところから行きたいものですね。

 等等、長文失礼いたしました。

 本文が過剰に長くなったため、昨年11月に行われた芹沢俊介さんの講演と元当事者たちを招いたシンポジウムの集録の紹介が書く面がなくなりました。一言だけ。芹沢氏の話はとてもラディカルです。ラディカルでかつ極めて論理的でもあります。
 ここまでラディカルであることを支援者たちを中心にどう受け止めるのかということもあえて乱暴な想像をすれば気になるところでもあります。

頒布物受領の方法については、下記リンク先にて。
「ひきこもり理解啓発セミナー集録」

2012年3月23日金曜日

熊野旅行記

久しぶりの書き込みです。

この3月19日から3泊4日にて和歌山県熊野地方の熊野古道を歩いてきました。
中世より由緒ある中辺路歩きです。
今回はツイッターを通して知り合った地元にお住まいのarahikiさんによる全面的な古道歩きお付き合い、3泊4日の宿泊提供とお食事、そして各種のお付き合い、車での白浜温泉や新宮、地元の歴史的な場所へ連れてくれたりなど、本当に何かと良くしてくれました。ネットで興味や関心、人柄などはおおむね相互に理解があったと思いますが、ここまでしていただいたのは本当にありがたく、ネットをやっていて、こういう素敵なことがあるんだな、としみじみ思った次第。

14年ほど前にも歩いているのですが、その後世界遺産となったこともあり、少々、世界遺産化に伴う変化が気になったりしたのですが、思った以上に変化がなく、もちろん中世・近代の「蟻の熊の詣」みたいなことまではないとは思いつつも、少しは人の歩く姿も目立っているかも、と心中、気をもんだりもしたのですが。幸い?歩いている人もほとんどなく、静かな自然のそれなりに険しい道は変わらないままでほっとしました。
むしろ二日目の近露というところから熊野本宮大社にかけて、あるいは中辺路古道の入口である滝尻あたりの、昨年9月の台風の爪痕がかなり痕跡を残していました。
初日の古道の入口からは、台風の爪あとは見えなかったのですが。。。

ひとり旅でなかったこともあるか、今回の古道歩きで膝が笑うようなことがあるかとの不安は特になく。ただ、むしろ古道の山歩きは下りのほうが辛い。普通の山歩きもそうでしょうが、帰宅して落ち着いたあとは、足のつま先が痛くなりましたね。靴擦れもできていた。
旅はarahikiさんと各所にある王子の解説などを読みながら、彼から地元の歴史や言い伝え等を聞きながら種々、二人の関心事項やその他を語り合いながらの気のおけない旅。
これもまた自然で良かった。

北海道民の開拓者の末裔の現代っ子(?)として生まれた自分には熊野のような歴史が重層的にあり、複層的な場所は本当に興味が尽きないのです。
日本の歴史の表舞台とは別の、非常に大事な裏舞台としてのヒントに満ちた場所のような気がしますし。(これは歴史を持たない旅人の勝手な思い込みかもしれません)。

近代においては大逆事件で事件の概要を知らずに連座を強いられた、いわゆる「新宮グループ」もあり、古代においては「隠国(こもりく)」と呼ばれた神話におけるイザナミノミコトがおこもりになった地でもあります。
そして現代において物語文学や、近代を超える文学を目指したこれまた重層的/複合的な生い立ちを自覚的に自ら背負った作家、中上健次を新宮市に生んだ土地です。
霊域と聖域。聖と俗が複雑に織り成す地を旅して来れたんじゃないかと勝手なロマンに浸ってきました。

最終日は作家、中上健次の生原稿のコピーを新宮市立図書館の資料室で見せてもらったり、もろもろ中上に関する貴重な話を資料室の人に伺うことが出来ました。事前に連絡していてくれ、適切に話を引き出してくれたarahikiさんには改めて感謝。
海のそばの露天に連れてくれた白浜温泉・崎の湯、説経節で有名な小栗判官が蘇生した峰の湯温泉、そんな事前の想像を越える場に連れてくれたり、旅の醍醐味を存分に味わせてくださった。
しかも経済的に。

旅で感じたこと、感じて思ったこと、それを文章化するのは今の時点で難しいです。
今後、この旅で感じたことは別の形で文章表現化されるかもしれません。
考えてみれば、今までもそういうものだったのかもしれない、と思っています。
一度に書ききる才能と体力がないんだなw。

最後に夜、あんなに綺麗な星空を見たことはまず記憶にもそうないと思う。
陳腐な表現ですが、結果的に癒しも含めた旅だったな、と思います。

以下、写真ですが、とりあえずまとめてアップします。写真の説明はおいおい書き加えていきたいと思っています。素人写真で申し訳ない。また、写真の拡張子の関係で携帯写真をUPしていますが、携帯のバッテリーがなくなってしまい、3日目以降の写真があげられません。ご容赦を。


























2012年2月15日水曜日

エジプシャン・レゲエ

いやあ、久しぶりです。
 久しぶりなので、書こうとすればいろいろありそうですが、どれも今のところ特別な意味はないし、面白くもないでしょうし。骨休めでこんな曲と映像を。ジョナサン・リッチマン&ざ・モダンラヴァーズの「エジプシャン・レゲエ」という曲です。とってもファニーね。

2012年1月23日月曜日

検定試験の一つが終わり。

昨日ファイナンシャルプランナー3級試験が終わりました。
 試験に向けた準備不足は否めませんでした。
 仮にまぐれで合格しても、納得はいかないでしょう。
 前にも書きましたが、試験範囲が広すぎました。不動産から金融資産、社会保険や民間保険、相続や所得税。
 基本的に個人資産の保全に関する制度上のメリットを学ぶ試験ですから、あえて共通項をいうならば、6つの分野に及ぶ試験の共通点として税の控除に関するシステムが多くに絡んでいたとはいえるでしょうか。
 個人的に金融と民間保険以外は気になる範囲ではあったのですが、仮に税の控除システムならば、なぜそのようなシステムが構築されたのかが分からぬまま、ただ税額控除の計算だけを暗記するとか、利ざやの計算ですとか、丸暗記の方法はやはり自分にはなじまぬものでした。

 これから2月26日の日商簿記試験2級に向けて勉強の続きをしますが、残っている工業簿記はまだ半分。残り半分の板書資料をプリントしましたが、自分が知っている範囲の工業簿記を遥かに超えているイメージが浮かびます。簿記、特に工業簿記はかなり構造的な作りで先生の説明も原理的で私はその方がフイットしますが(歳のせいでしょうね)、それでも、資料を見ていると難解に見える。超順調に考えると今月いっぱいで一通り終えられる計算ですが、それはまず無理。2月のどの辺までひっぱってしまうかですかね。

 今日は久しぶりに完全に勉強から離れ、DVDで映画を見ていました。スペインの監督、ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』。この監督の作品は先にNHKBSプレミアムで再上映された『エル・スール』や、スペインのリアリズム絵画の大家、アントニオ・ロペスのマルメロの木を描く日々を淡々とドキュメンタリー的に描く『マルメロの陽光』。寡作を強いられている監督で、この3作しか基本に長編はありませんが、どれもえも言われない絵画的・詩的な名作で、説明の世界を超える映画と現実のあわいを見事に捉える本当に素晴らしい作家です。

 『ミツバチのささやき』も幼女とも言える少女の大きな目の美しいまなざしに魅了されるだけで価値を感じますが、良く考えてみればある種奇妙な作品であるとも言えます。だがぼくはこの作品を見ると何だか自分のこころが浄化される気がするのです。その意味では、少々変わっている人間なのかもしれませんが。

 ビクトル・エリセというこのスペインの監督の作品は映像美の向こうに実はスペイン内戦の時代やフランコ将軍の独裁時代など、スペインの抑圧された歴史が背景にあるのですが、そのような背景を知らないでも、映像の中にある深い部分やおそらく映画が持っている映像美のマジック、それはかなり古典的な方法を突き詰めた美しさだと思うのですが、そのようなマジックを見せることが出来る現代では稀有な作家なのではないでしょうか。

 彼の映画を見ると描く世界は日常の淡々とした描写が多いのですが、そこに一つ一つの物に対する人の扱いの丁寧さが素晴らしい。例えば『マルメロの陽光』では画家、アントニオ・ロペスがたわわに実ったマルメロがもうその重さで地に落ちようとする寸前のものを一つ。柔らかにもぎとり、その匂いを嗅ぐシーンとか、長編一作目の『ミツバチのささやき』にも一貫して物(対象物)とそれを扱う人の丁寧な手つきにとりあえず見ているぼくなどはほとほと感心してしまいます。
 いかにも、自分が日々、ものをかき集めては乱暴に扱っているか自覚しているので。。。食べ物を食べる行為も含めてですけれども。

 日々沢山の情報に接せられる時代。僕もその方法論を思い切り享受していますが、ビクトル・エリセ監督の作品と向き合う時間は心から集中して堪能できる本当に濃密な時間です。それ自体、自分にとって大げさに云えば奇跡的な感じです。

 いま、エリセ監督の作品は残念ながらレンタルで借りて見ることは出来ない。DVDのボックスセットでしか見ることはできません。そのうえ、『マルメロの陽光』に至っては、DVD化さえもされていません。ボックスセットで監督がインタビューに答えていますが、確かに映画を見る手法がどこか現代では変わっているのかもしれません。エリセ監督の意思を継ぐ監督の作品が生まれ、それを見る新しい映画ファンが生まれる状況があればいいなぁと思います。
 もちろん、それは沢山の違った手法の映画と等価で存在することが理想だということです。

2012年1月19日木曜日

白いソウルも黒いソウルも本物のソウル。

 タイトル、語弊がありますけれども。。。
 白人のいわばソウルマンといえば、ヴァン・モリソンが代表的なそのひとり。アイルランド出身で、アイリッシュの魂も織り込み、黒人音楽にも深い憧憬を持ついわばアイルランドの至宝の60年代ビート・ミュージック界から飛び出したソウルマンです。ビートルズのデビューのころと彼のデビューはそれほど変わりません。もともとは、ザ・ゼムというアイルランドのブルースの影響を受けた「黒い」ビートバンドのリーダーでした。

 ヴァン・モリソンはキャリアの長さの割に巷間伝わるように、なかなか頑固一徹な人柄で、YOU TUBEにも映像があがってきませんでした。あがってもすぐ消されるありさま。ですが、最近は割とゆるくなったようで、若いバリバリの頃の素晴らしいライヴ映像があります。
 ベテランになって演奏には時々ムラが見られますが、この演奏は「神がかり」です。この「レイター・オブ・ジュールズ」(日本では「ジュールズ倶楽部」のタイトルでCSでしばらく放送されてきました)での演奏は、まさに神憑り。ファッションはマフィアのドンみたいですけれどもw。

 僕はこの演奏に映像で出会ったとき、どれだけ震えたことか。全体の演奏のテンションが緩やかながら非常に高いのですが、特に間奏のギターを奏でるミック・グリーン(伝説のギタリストです)にも震えがきます。

 この映像は長いこと消えていたのですが、白みがかった映像で再び登場。すでに10万回以上のアクセスあり。やっぱりね。
 丁度この映像に出会ったころ、親父がちょっと危なかったもので、もとに戻って退院した頃に見て感動した記憶があるので、より一層思いれがあるのかもしれません。僕にとって癒しの音楽はこれですよ。



 もうひとつ、こちらは本物のソウル。グラディス・ナイト&ザ・ピップス。「ミッドナイト・トレイン・イン・ジョージア」で有名ですが、何しろ、このグラディス・ナイトという歌姫の歌、間合いこそ。本物のソウルというもの。確かにアリシア・キーズやエイミー・ワインハウスもいいのだが。。。より元祖を聴くべし。映像も宜しく、しばらくぶりに彼女たちの音楽を聞いて酔いしれました。「ミッドナイト~」を含む、2曲をどうぞ堪能あれ。



 何か唐突に洋楽ブログなんですが。。。要は、勉強からの逃避なんですよ(苦笑)。たはは。今週の日曜日にファイナンシャル・プランナー3級の検定試験なんですが、あまりにも学ぶ(暗記?)範囲が広くて難渋中なので。ちょいとばかり息抜き。それを本質的に人は逃げとも言う、と(*^_^*)
 

2012年1月1日日曜日

2011年を振り返る(Ust)

 実際は2012年になってしまいましたが収録は2011年の午後9時40分頃からです。
それなりに思いを率直に語ったつもりです。訥弁、変なイントネーション、長広舌。大変失礼なのですが、宜しければご覧くださいませ。約1時間半のモノローグです。今までで一番真剣に話したつもりです。



2011年12月26日月曜日

年内の簿記勉強

 年内の簿記の勉強はリアルタイム講座の日程におおむね合わせて本日にて終了にします。だいたい工業簿記の半分くらいまで。
 考え方はややこしいようだけれども、個人的には商業簿記よりも面白いかな。実際にモノを製造する過程に向かっての費用計算をしていくという意味では、中小規模株式会社会計での取引仕訳を中心とする商業簿記よりも、リアリティを持ちやすい想像が働いて、腑に落ちる感じがあります。

 結局工業簿記は出荷される製品となる過程のおおむねの完成品(仕掛品という)の「売価」ではなくて、製造原価はいくらになるか、という「原価計算」が中心でして、材料・賃金・経費をベースにして仕掛品にするためにいくらの原価費用がかかったかの過程を学ぶボトムアップ型の計算が中心になります。よって、商業簿記と違って仕訳の占める位置は小さい。多くは材料・労務費・経費を、製品にする際の原価を細分化して計算していきます。
 そして実際に掛かった費用と、製品を作るのにいくらかかるかの予想金額との差額(価格差異という)を求めるという作業が加わります。

 来年からは各部門の計算が終わって総合原価計算に入るところから。

 ただ、難しいところもあって、これを過去に学んだ記憶があるかどうか完全に飛んでいるのですが、「製造間接費配賦差異」(各種経費を各仕掛品に配賦するに当たって実際に配賦した金額と、予定金額の差異を求めること)の”分析”というのがあって、シュラッター図という数学のような図式が登場してびっくりしました。
 2級にしては高度な気がする部分です。数学的な要素が出てくると自分はもう駄目ですからね。

 明日からは極く少数の方々宛てですけど、年賀状を書いたり、流石に酷くなってきた今年の部屋の中の清掃・整理や買いだしなどの年末作業に入ろうと思います。
 今年は上手く出来ていて、土曜日が31日で元旦が日曜日ですね。そのため、バイトは30日まで。来年は3日から。

 寒さが今年は厳しい。今年は年明けまではここまで厳しくはなかったと思います。被災で来られている方たち、今の寒さはこたえていないだろうか。そんなこともちょっと気になる此の頃です。