2010年4月27日火曜日

訓練校らしくなってきました。

職業訓練もだんだん「らしく」なってきました。
この4月の訓練は明日までで、以後は5月5日の子どもの日までGW休暇に入りますが、それなりに徐々に課題が増え、家でやるべきこともだんだん出てくるなぁという印象です。

昨日と本日は『卒業までに就職を決めるスケジュール作り』をグループごとに作成して発表するグループワークを行いました。メンバーとの話し合いや他のグループの発表などを聞きつつ、”それなりにやるべきことはあるなぁ”。”自分のように就職に至るまで厳しい人間の方向はどうあるべきか。何を武器にすべきか”。改めて考えさせられることでした。

今日も月例の求人倍率が発表されたようですが、相変わらず厳しいですからね。

今までの流れをおさらいすると、学んできた柱は3つといえます。すなわち「ワードの操作技術」「コンピュータ概論」「就職支援講座」。そこにプラスアルファで毎日一般常識の10分テストと、10分での「入力テスト」があります。

ワードはだいたい技術的には検定3級レベルまでいったのではないでしょうか。コンピュータ概論は復習テストが先日ありまして、おじさんは37問中28問の正答。8割はいかない。75%くらいでしょうか。それでもおじさんが一番出来たということで、やはり今のところハードウェア、ソフトウェア、OSの名称と働きに関する知識はなかなか馴染めない、という感じでしょうか。おじさんも、「まだまだ」です。より深く理解しようとするならば。

10分入力は調子が良いときで800字、悪いときで660字くらいでしょうか。一般的には手書き文字で10分350字くらいだそうです。これが文字打ち3級合格レベル。なので、ワードで言えば、出来れば2級を目指したい。日商の場合知識問題が、それこそ問題。2級は基本独学なので、そこがネックかな。エクセルに関しても、出来れば2級レベルを目指したいのだけれど。。。

それよりも、一般常識の数学が全く手が出ません。計算式を解くレベルはまだいいのだけど、文章題になるとまるで駄目です。

前書きが長くなってしまいましたが、一番の問題は「就職支援」。このセンセイの如何にもの「就活」的指導がなぁ。。。履歴のアキがあると駄目だってさ。ぶっちゃけた話。新卒でないと。大いに異議を唱えたいところではありますが、事実厳しい就職戦線。抜け目なく、抜かりなく、云々云々。
 ですから、この授業が一番きつい。今後履歴書と職務経歴書を書いて添削してもらわなければならない。かつ、その上で模擬面接に挑まねばならない。

ともかく、仕事ってものを手に入れるのが難しい時代です。
でもね、余り染まりたくはないんだ。視点は近くにあると同時に、遠くにもありたい。

もう一つだけ述べると、割と平均年齢が高い今の訓練同期生たち。同時に仕事をかけもちしている人も多いのです。かつ、女性であれば家族の世話、男性であれば、病気療養をしながら、という人もいるのです。

如何にも恵まれている自分です。ワガママばかり云っていたらバチが当たるよね、という思いも同時にあるのです。

2010年4月20日火曜日

三週目です。

職業訓練三週目です。ワードは罫線挿入入りの文書作成まで入り、おおむね基本は押さえた感じでしょうか。3級レベルのあたりまできたかな、と。
いま受けている訓練は日本商工会議所3級合格が一つの目安ですから、試験問題に含まれる『コンピュータ概論』という机上の勉強もしています。とはいっても、結構インターネット用パソコンに絡む話も多いんですよね。そこでつい欲を出してもう少しITについて知りたくなってきました。

いっそ、深掘りして初級アドミニスター試験を目標にしてみようかしら?などと大それたことを(爆)。いまその試験は「ITパスポート試験」という名称に変更したようですが。
http://www.jitec.jp/1_04hanni_sukiru/mondai_kaitou_2009h21_1/2009h21h_ip_qs.pdf
方向性がしっかりしてない男の悪いクセです。「あれも、これも何でもかんでも」の浮気クセ~^_^;
ネットに使うアプリケーションとかの基本が分かればそれでいいはずなのに、そこに権威を求めてしまおうとするいわば病気ですね。

昨日の新聞、夕刊「魚眼図」次のような戒めの言葉がありました。
「人が文字を学ぶと記憶力の訓練がなおざりになって忘れっぽくなる。彼らはものを思い出すのに自分以外のものに彫り付けられたしるし(文字)によって外から思い出すようになる。あなたが発明したのは記憶の秘訣ではなく想起の秘訣だ。また、文字を学ぶ人たちに与えられる知恵は、知恵の外見であって真実の知恵ではない」(要旨=プラトン・「パイドロス」)。(大矢二郎・東海大教授)。

また、本日の夕刊「世界文学・文化アラカルト」にはカナダの作家ヤン・マーテルの以下のような箴言。
「ビズィーネス(忙しさ)の欺瞞に人は陥りがちだ。人生が忙しければ仕事はますます必要だと思えてくる。しかし疾走しているのは人生ではなく我々のほう。人生は静かなものだ」。

むむむ、まさに!というか、おじさんは何も忙しくないんだけど、何か忙しければありがたいなァ、と思っている処があるかもしれない。だからいろんな余計なことを考えるのでしょう。人に認められたくて仕方がないからですね、きっと。そう考えると、むしろ自分のこころのありように問題があるんだな。「人に認められたい」というこころのありかに何かがある。

でも、この欲望ってやつはなかなか拭いがたし。いわゆる「好奇心」ともつながっており。
やっかいなもんですな。欲望と好奇心は違いがあるのか、同じなのか。どう考えてよいのやら?

2010年4月16日金曜日

1週間のご無沙汰です。

どうもどうも、高橋敬三です。といっても、もはやこれがギャグだと分かる人もおりますまい。

職業訓練校、2週目終了です。おお、意外とワードの授業は進んでいるのです。現段階でほぼ罫線を除いた文書製作は出来るところまで来たのではないでしょうか。インデントや均等割り付け、字の大きさの変更やフォントの変更もやりましたし。
過去の発言、撤回というところであります。

本日は就職支援の第2回目の授業。「自分のたな卸し」と云ってもねぇ。。。たなから卸しても最早ほとんど出てくるものもなく、事、ここにいたれば埃をちりとりにかき集めて棚からおろすような状況ですわ(苦笑)。基本、ネガな職に関する記憶もポジに転化しなければいけないので、私のようなおじさんには本当を云えば「不自然」な感は否めないんです。それでも基本、真面目に(糞がつくほど)挑んでしまうんで、疲れてしまいます。いろんな自己分析的なシート書きやらキャリアシート(!)やら。

仕事探しでは一つ求人短冊で見つけたところで、街の中心部のハロワで昼休みに紹介状をもらい、明日履歴書を郵送します。この3月に事例研究会で知ったNPO団体が求人を出していたのでそちらに、です。仕事は高齢者賃貸住宅の登録や問い合わせの受付。ダメ元で。もし面接が受けさせてもらえるようなら、団体の活動についても聞いて見たいものですが。。。

昼休み等々でともに仲間と過ごすうち、自分という人間の内面性がだんだん浮かび上がってきました。まず、理屈っぽい。より正確には理屈というものに弱い。ですから理屈で説得されると、良い意味で屈してしまうんですね。自分という人間は理屈がどこかで好きなのでしょう。逆に理屈にならない状況がとても苦手。理屈にならない説得が苦手、というのではないのです。理屈にならない説得はどこかで聴いちゃいないし、すぐ反論が浮かぶか、それが通らないと心の中で舌打ちしてますから。(実は何ともいやな性格!)。
 そうではなく、「理屈と無関係な状況」がとても苦手、ということなんですね。つまり長い休憩時間などの型にはまらないくだけた状況です。例えばの状況の一つに過ぎないですけど。こういうものに馴れない癖は根深く自分には根付いているなぁということを思います。仕事に関して云えば、臨機応変な対応に係わることでそうそう軽くも考えにくいです。

四角四面なところが抜けないのでしょうね。ですので交際術は相変わらずどっかギクシャクしています。妙に慇懃だったり。卑屈風だったり。横に座っている人とは随分親密に話をさせていただいていますが。時々、僕が好きな自虐ギャグをつい披露して戸惑わせてしまったり。いつの間にか理屈の独り語りを始めたり。相手の方の対応を困らせてしまいます。このクセはイカン、イカンと昔から思いながら直りません。

直らないということは、直したくないのか。もしかしたら「好き」なので直したくないのかもしれません。困ったものだ!むしろ今後は「聴く」態度と技術を磨くよう努力するべきなのかもしれません。

2010年4月8日木曜日

人間存在とこころの精神分析

我が母校の市民公開大学の宣伝でもあります。
私の精神分析恩師のセンセがいま母校の大学院で臨床心理学を教えているんですが、別に自分が知っているからというのとは関係なく、現代的、かつ本質的に非常に興味深いと思われる講座を6月に行いますので、このブログでも紹介しておきます。(おそらくいろいろ考えている人にはピンとくる講座概要だと思うハズ)。

札幌学院大学 大学院臨床心理学研究科開設10周年記念講座
         ―こころの臨床心理講座―
        人間存在とこころの精神分析

定員/70名 受講回数/全5回 受講料/4,000円

(講座概要)
 人間存在とこころ(精神)のありようは、一見して矛盾した様相を呈しています。
 人は、愛するという心の働きをする一方で、憎むという正反対のこころの働きもします。それは矛盾であり、貨幣の表裏の関係でもあります。また、人は生が与えられているにもかかわらず、死が約束されています。これも矛盾です。そうした矛盾をかかえ、悩みながら、良かれ悪しかれ一生懸命に生きているのが人間の運命です。
 そうした人間存在とこころの働きの本質について、さまざまな実例をあげながら、わかりやすくお話し、皆様とともに理解を深めてまいりたいと思います。



テーマ/講座日 内 容 講 師: 札幌学院大学大学院臨床心理学研究科人文学部教授 安岡  譽
1 「愛すること」について

6月9日(水)
18:30~20:30
 「愛する」という心の働きが豊かにできるようになるには、まず、「愛される」という体験が十分に得られていなければなりません。それには、人が安心や安全感を得ることができる対人関係や環境条件が必要とされます。それによって、人は「信じること」ができるようになるのです。人のこころの愛の働きの本質について、お話をします。

2 「憎むこと」について

6月16日(水)
18:30~20:30
 「憎む」という人の心の働きは、人を最も苦悩させるものです。誰もが、自分の存在を脅やかされる時、心を傷つけられたと感じた時、怒りとともに起きてくる感情です。人生の中で、何度も起きるものです。そのとき、それをきちんと受けとめ、それにどう対応し、そして最終的にそれをどう処理するのか、そのコツについてお話します。


3 「生きること」について

6月23日(水)
18:30~20:30
 人は、自分の意志や願望によってこの世に生を受けたわけではありません。いわば、受身的に、生が「勝手に」与えられたわけです。そのため、人は偶々、不幸におちいると、生きること自体に疑問をもちがちになるものです。「生きること」とは何か、自然の中で生きることを忘れた都会人の「不自然さ」とは何か、それらのことの意味についてお話します。


4 「死ぬこと」について

6月30日(水)
18:30~20:30
 「生」と「死」は、一見「矛盾」してみえます。これも貨幣の表裏の関係です。最近、死生観について関心が高まっています。「死ぬことは、生きることだ」とか、「生きることは、死ぬことだ」とも論じられています。要は、生きることと死ぬこととは、密接な関係にあります。そのことのもつ意味についてお話します。


5 「悲しむこと」について

7月7日(水)
18:30~20:30
 私達の人生は、自分にとって重要で大切な対象を失い続ける過程です。つまり、対象喪失の連続なのです。そうした「悲劇性」を人は宿命的にもちながら生きています。それに対して、素直に「悲しむこと」ができる人が、心の健康な人と言われています。私達のこころを健康に保つコツについてお話します。

案内、ネットからの申込はこちらからどうぞ

この流れでは。。。

昨日書いたことと矛盾するみたいですが、今日までの流れといただいているテキストの一連を見てみると、少なくともワードに関してはかなりスローなペースで行くみたい。
最終的に3級合格を目指す、という感じかな?この流れでエクセルもだと相当なんというのかな。。。
新たな感じがありませんです。

もちろん、訓練内容が初歩から検定合格レベルまで、というのが基本ですからこれで正しいともいえるわけですが、学校に入る前に少し昔のテキストを復習して出来ているレベルまでで下手をしたら5月いっぱいまでじっくり時間をかけて講座を行うことになるかもしれません。それもちょっと困るな・・・。ですが感触的にはそんな感じです。

むかし通った訓練校ではみんな簿記が目的の女性ばかりで、キー打ち多少馴れている人には教師が先のレベルの教材を渡して、個別に簡単なアドバイスを与えて相対的に高いレベルの内容を同じ学習時間にやらせていましたが、そのようにしてもらうのは難しそうです。

おじさんとしては、出来ることを新たにやるよりも、先のレベルまで自分を持っていって、即会社でも通用するレベルまで行きたいのですが。

今の学校、休み時間が多すぎるのも気になるなぁ。変に間が空きすぎる感じがあります。
でも結局、それは自分がワードもエクセルも知らなかった頃を忘れているんですね。
自分中心で困ったもんだ!なんだけど。

・・・今後どうなるかはわかりませんけれども、ちょっと焦る気分も湧きますね。

2010年4月7日水曜日

始めは疲れます。

この月曜日から職業訓練校に通い始めています。
初日はガイダンスと自己紹介だけであっという間に終わってしまい、拍子抜けついでのあまり家に遅くまで帰らなかったため、昨日なんかもかなり眠かった。少々かったるかったですね。CPをまずは操作して見よう、みたいな感じで。

同じ訓練を受けるメンバーももちろん初めての出会いの人たちなわけで、素朴に緊張もしますしね。

そして昨日からワードをやっているんですが、やはりブラインドタッチの基本となるタッチポジション。いままでも独学で覚えてワードの検定も受かっているのですが、相変わらず、「F」と「J」に人差し指を置いて小指を広く使うスタイルはとても難しい。

ましてノートパソのようにキーの間が小さく狭いと尚更です。今もホームポジションは一応意識してキーを打っていますが、普段の倍はかかるような按配です(苦笑)。
結局は独学打ちが一番早いなあ。というか、正規のブラインドタッチを覚えたら楽器が弾けそうな、、、と、甘い考えは通らないかw。

エクセルはほとんど来月までなさそう。
というか、今月の29日から来月の5日まで連続7連休なので非常にソフトな滑り出しです。
ですが、今日のところまでは結構疲れてます。馴れるまでしばらくこんな感じかな。
今度スカパーの朝日ニュースターで放映されている武田鉄也司会の『鉄也の鉄学』に出演した田口ランディさんの話し、特に「べてるの家」の話が大変興味深かったのでそれについて書こうと思います。
もしかしたら、学校の昼休み辺りに可能ならそっから書き込むかもw、です。

2010年3月29日月曜日

4月から

職業訓練校に通うことが決定しました。
市の臨時職員は本日落ちたことが判明しましたので(苦笑)。

エクセル、ワード、パワー・ポインター&ビジネスマナーを学ぶわけですが、この処もしも仕事が決まったらと考えてワードとエクセルの復習をしてまして、ワードはまぁ「ビジネス文書」くらいまで、エクセルはIF関数くらいまでは記憶が戻り作成できるようになりました。後はデータベースの入り口くらいまで少し記憶を呼び起こしておきたいですね。

そんな状況なので、この四月以降は少しスクエアな時間の過ごし方で生活リズムを取り戻さねばなりませんけれど、これを機会に出来ればもっとワードやエクセルももっと上を目指したいですね。特にエクセルは関数やデーターベースを深めたいです。とっつきが当たり前になるくらいまで。

それから、出来ればまた改めて社会保険労務士の勉強を余りデテールにこだわり過ぎずに復習したいと思います。理想はこの3ヶ月間に”おおむね”な感じで全体を再度学びなおしたいです。後は行政書士の復習で憲法と行政法の復習が出来たらな、と願望しています。(公務員試験の「行政法」講義のライヴを本にした良いブツを発見しました)。出来れば民法も。総則辺りまで。。。と贅沢な夢を描いて見ますが、それはまず難しいでしょう。やはり優先順位は労働社会法制と憲法、かな?

それから、この3月はNPOの事例研究会がとても刺激になりましたけれど、その流れは常に意識したいですね。極端な話し、エクセル、ワード、パワー・ポインターはそれで稼ぎにするというのは現実的ではない。むしろ、それを扱えることが理想的には自分の仕事の副次的なツールと出来ること。あるいはそのようにしかなりえないよな、と思っています。
如何にそれらを自分の今後に生かし得るのか?という観点で復習したいです。

ですからNPOのことも忘れたくないし、「自由学校・遊」で行う「21世紀のセーフティネットを展望する」という講座にも出たいと考えていますし、我が母校の恩師が講師をする市民大学での「深層心理学」の講座も出ようと思っています。で、それらを受身なままにしない、ちょっとした亀の動きとして生かしたい。現実にどう生かせるか考えたいです。それから、「講師がモノをどのように伝えるか/教えるか」という観点も学びたいです。

今年は春が遅く、まだ寒々しい日々ですが、もう少しすれば自転車にも乗れるし、車にも乗れます。あせらずに、しかし少しずつ、ほんのちょっと行動的な自分で行きたいものです。

もうテレビは新年度に突入してますが、新年度。どの程度やれるか。逆に不可避なことがあってバタバタするか。想像がつかないけど気分は春に、という感じです。

2010年3月23日火曜日

今日は「埋葬を考える会」

タイトルが「ん?」って感じかもしれませんが。本日のNPO事例研究会は「埋葬を考える市民の会」。
おじさん自身にとっての喫緊の問題ではありませんが、やはり最期のセレモニー、あるいは「死」を遠くないものと考えるはじめたキッカケは同居している両親の老いを目の当たりにしているからです。その絡みで明日は「ホスピスケア」のNPOの話も伺う予定ですが。

簡単に、乱暴にいうならば「充実した生」を送りきった人にとっては最期のセレモニー、お葬式というのは「立派にせねば」とか「多くの人に看取られて」などという意識は実際そんなにないんじゃないかな、ということを今日の話を聞きながら思い深めていました。

大げさに云えば生と死は表裏一体で、おじさんが子どもの頃に想像していた「偉大な人は多くの人に悲しまれて盛大なお葬式をあげるもの」という通念は「偉大な人」にとっては実はそれほど関係ないことではないかと。偉大な人というか、生が充実している人というのは自分が死んだ直後にどのようなセレモニーで送られるか、そんなことはたいした関心事ではないのではないか?と。
さまざまな簡素なセレモニーの形式のスライドを見たり、埋葬のさまざまな形式(散骨、合同墓地、樹木葬、あるいは残された家族の手元に置かれるなど)を教えてもらう内にそう思い始めていました。おじさんの若いときは、といっても最近までですけども。なんとも幼稚な想像力を駆使していたもんだと思い始めています。全ての人が往く道でその意味では全く万人平等の世界なのにね。命の終わりにまで現実の価値観を当てはめていたわけです。

厳密に死後の扱いについて法律に明記されているのは「死亡届を提出すること」と「火葬は24時間以内に行ってはならない」の二点のみ。
それ以外に関してはセレモニーのあり方、埋葬のあり方、墳墓のあり方は自由なんですよね、原則的に。で、現代ではそのような自由な形式を選ぶ人も徐々に増えているということ。

まだ現代の普通の人は長い仏教的な慣習(あるいは先祖崇拝的な慣習)にしたがって、ちゃんとしたお葬式をせねば、お墓も大事だ。人様の葬祭に出るように自分自身も、って思っているかもしれないけれど、死後のセレモニーとか自分のお骨のゆくえにこだわって食べるのも我慢してお金を残す、っていうのは確かに自分には違うかも?って思う。これはまさに個々人の「哲学的な問題」になってしまいますけど、おじさんは自分の死後は自分の存在が終わっているのでそれきり、とおもっているひとなので葬式にこだわりはないのです。というか、基本セレモニー嫌いなので、なくて構わない。骨は散骨を、と思っていましたが、維持が難しいといわれる樹木葬はかなり「これ、いいな!」と思いましたね。

話はそれてしまいましたが、まさに自分の生きてきた生のラストをかざる「死」はその生きている人間の「生の哲学」の問題なんだな、と思いをまた新たにしましたね。極端な話、生が輝いている人であれば、死が不慮の事故で襲ってきたとしても、それはその人自身にとっては格別無念ということではないのかもしれない。その人を慕う人々にとっての無念ではあっても。それが喩え金も名誉も地位もなく、平岸の合同墓地で1900円で埋葬されても、それが何だというのか、ということでしょうね。そんなことを思いはじめている自分に少し驚いていました(笑)。

もともとは4年半前に父がガンになり石狩管内の墓地探しをしたり、同じく父が一昨年の秋に心筋梗塞で一事「危ない」ところに行った時、急遽母と近隣地域に出来た家族葬を目的をした小さなセレモニーホールを見にいったりして、一番身近な家族がもしかしたら?となったときに初めて「死」とそれに伴う「もろもろのこと」を意識したのが始まり。それで今回のNPOの話を聞いてみようか、と思ったのです。

本来、おじさんは非常な怖がりで、特に「死」が怖い人なのです。怖さゆえに意識してしまう。だから高所とかアドベンチャー的なゲームとか冒険とか苦手なんですよね。恥ずかしいのですが、それがコンプレックスだった時代もあります。それゆえに逆に若きヒーローの死に心酔したりとか。それは全部「死が分からないから怖い」というところに尽きるところがあります。

生きづらいがゆえにジタバタし、例えば若者の悩み、NPOでいえば漂流教室さんのようなフリースクールや引きこもり支援や自助グループ、生きやすい仕事の仕方はないだろうかということを主眼に考えつつも、また「いのちの危うさ」にひきずる経済的な仕組みに異議を唱える心象もあるわけですが。
親の高齢化を通して「自然と死を意識せざるを得ない支援」についても最近意識しはじめています。

しかし、それはどうも自分にとっては二つの別のことではなく、同じことの裏返しの気もします。「気持ちよく生きたい」ことと「ゴールでじたばたしたくない」という、自分にとって二つのことは同じ思いで繋がることなんじゃないか、と思い始めています。

2010年3月22日月曜日

キングソフトOffice2010を買う。

おじさんのコンピュータ(emachines)には実はワードとエクセルが入っていないんです。
であるがゆえに新品でも(とはいっても一昨年のもの)、安く買えたワケですが。
しかし、この4月からOA学校で職業訓練するにせよ、仮に市の緊急雇用で採用になってもワード&エクセル操作できること、という約束を面接でしていますから、いずれにしても自宅でも急遽ワード&エクセルのソフトをインストールして両者の復習が必要になるな、と。それでマイクロソフト社のマイクロソフトオフィスの価格を見たら、これが目が出るほど高い!

そこでワード、エクセルとほとんど遜色ないと呼ばれる「キングソフト・オフィス2010」を購入する決意。こちらはヨドバシで3980円と、ナンジャコリャ価格。購入者のカスタマー・レポを読んでも、自宅学習用には全く問題ないのではないかと。即、今日買いに行くことに。

交通費を浮かそうと地下鉄方面から逆方向に歩み始めたら突如の吹雪。駅前まで歩いてもおさまる様子がありません。エライ目にあってしまいました。やっと地下歩道にたどり着き、ヨドバシにて当該製品を購入しました。で、感想ですが。こりゃ、確かにスグレモノだ!特に表計算ソフト(キングソフト社では『スプレットシート』)は「エクセルまんまやんけ」の世界。しかもこれがホンマ、軽い。楽々。これはお買い得ですわ。というか、マイクロソフトから訴えられないのか(笑)。大丈夫?って世界です。


このソフトはプレゼンソフトも入って4780円。ヨドバシ価格では3980円。おそらくマイクロソフトだとゆうに2万円台後半には行くはず。でも、ユーザー側の気分としてはこちらが適正な値段の気はするけど。パワーポインター機能は一応置くとしても。

2010年3月19日金曜日

というわけで第2弾

本日自分としては参加2日目で2講座。シニアお元気NPO「シーズネット」さんと札幌に長く住んでいるとどこかで名前は聞いたことがあるであろう「自由学校・遊」。前者は名前はよく聞いていたけれど、実際はどんな活動をしているのか知らなかったのでした。参加してみて、高齢者を中心にした高齢者のための生き生きとしたリタイア後の人生サポートしたり、自分たちでサークル活動したり、高齢者賃貸住宅の紹介(仲介はしない)などをしたりする団体。後者は元々は社会運動系の流れを汲む社会学習・社会活動等の自由な「社会について学ぶ学校」。

両者ともに大変幅広な活動と実績を持っており、NPOといっても別格の風格すら。もちろんそれなりの歴史もあります。ホームページのリンクを貼りましょう。そちらを見ても理解いただけるはず。「シーズネット」 「さっぽろ自由学校 遊」

ウチのオヤジも70過ぎになってから「カルチャースクール」とか「老人クラブ」とかに入って病気になる前までは少し活動してましたが、やはり地域的なしばりの強そうな「町内会」とか「集会所」などに集まることに抵抗のある人が多いのかな?町内会などにありがちな男性的なタテ秩序に馴染めないとかがあって、シーズネットさんのようなところはおそらく会員が女性が非常に多いということがあるのでしょうか。で、やはりサークルを作る、運営する、活動するのは女性が積極的なのかもしれないです。(断定してはいけませんが)。

「遊」に関しては社会活動、社会問題について学ぶなどなどの学校。前から結構関心はありましたが、その関心の強さゆえに逆に敷居高く感じてしまい、なかなか彼の学校で講座を受けようという気にはなりきれなかったのでした。私、基本、引きこもりおじさんですし(苦笑)。ですから、こういういろいろな(雑多な)NPOの活動事例報告の場の一環で話を聞けたのは幸いで、良かったです。今後オカネに少しゆとりが出たら、講義に出るのも前ほど躊躇はなくなると思います。(ただ、最近は大学も社会に開いていますし、そこは遊の方も仰っていましたが、市民に開いている大学と競合する側面も出ているかもしれません)。

話を戻しますと、やはり会議室の一室で行う講義ですし、やはり代表の方らも参加者と質疑応答形式でやるほうが気楽で自分たちの活動を伝えるのに却って饒舌になっていくみたいです。やはり延々と講義式になりますと、雰囲気がどうしても重くなりがちですからね。

市民活動の話ですから、その意味では市民の私たちが自分の関心をNPOさんの直接的な活動とは繋がらなくても、素朴に質問したりすることでそこから話も広がり、いろいろ学べたり現実の中の仕組みを知ることが出来たりするのはとても益のあることです。

私も振り返ってみれば結構質問したりしてました。特に「遊」さんの活動は前から関心があったせいもあるかな。
シーズネットさんの話については「指定管理者」制度について知り、学べたのがよかった。
遊さんの話についてはNPO化する際にその必要性があるのかどうか議論があったこと、また市の公的機関に講座PRのためにチラシを置かして貰ったり、講座の後援をお願いするに際して、その講座内容によっては市が後援を断る場合があるなど、「へえ~」と思うようなことを知ることが出来たのは良かったです。

今日で全部4つのNPO団体の話を伺いましたが、それぞれ「ふむふむ、なるほど」と発見があり益になります。そういえば、今のところ講座が団体さん側の一方的な話になったものは無いですね。どこも最終的には聞き手と質疑応答形式です。

今日の二組のNPOは特に活動がアクティヴなところですが、いずれも動機は始める人間が「求めていること」と「やりたいこと」があって、同時に思いを同じくするメンバーを他にも持つ。つまり、たった一人で始めていないことが共通していますね。

初日のフリースクール「漂流教室」さんも思いを同じくする代表二人が2年くらいデスカッションを重ね、思いを共有することを煮詰めて、次に横の連携を作ったり、組織化する方法を先達に教わったりする準備期間を持っているわけで。「遊」さんも語っていましたが、あえて自分たちの求める人材がいるとすれば、志を持ちつつも、協調できる人、と云っておりまして。
 どうやら現在NPOを立ち上げ活動する際の要諦は「ハッキリした志や目標」と「その思いを共有できるほかの幾人かのメンバー」の存在、ということにありそうです。

そこらへんの立ち上げまでのニュアンスはいま記憶を呼び起こすと「漂流教室」さんが一番説得力を持って語っていた気がします。

余談ですが、私、「名も無きおじさん」もああいう場では結構自分でも積極的に質問するのですが、会合が終わったあとにNPOの代表の人と今後の場つなぎのための会話をするところまではいけないのだなぁ。そこがまだ自分には足りないところだと思います。堅苦しいというか、子どもっぽいといいますか。。。まだこの業界にトライしてみようとまではいけていない、といいますか。