2023年1月18日水曜日

マザー、96歳。ハッピーバースデー(?)

 母親が今日で96歳の誕生日を迎えました。なんとか自宅で迎えられたのは良かったです。でも例年に増して体調不安あり。安易に因果を辿れば、昨年11月9日のインフルエンザ予防接種の全身副反応。誰も責められませんが、これが大きかったです。あのあと、次の週に初めて在宅で点滴、しばらく食事も進まなかったのだけど、11月下旬に一週間ショートスティ入所でなんとか持ち直しましたが、やはり下半身の力がぐん減りました。たとえば明け方にトイレに行って戻る時に力尽きてソファーやベッドに行き着けず、床にパンツ姿のままで寝てたりとか。起こすときも全身の力が抜けたようで、流石に今までと様子は違うなと。頭というか、意志も体に対して反射的にも働かすことが難しくなっているような。 
  
 年末年始は割と良くて。正月三が日は私が作った文字通り雑な雑煮を1日二回、完食してくれた。でも、4日からまたあまり良くなくて、床で寝てたり、食が進まなかったり。 
 そんなこんなその後の2週間。デイサービスに行った日は少しいいなと思ったら、週末の誰も来ない日はまるまるぐったりしているような様子とか。そして腰が痛いという主訴が増え、最初は気分なのか外傷かわからなかったのですが、先週金曜日のデイに行く日にまた床に寝転んでいたようで、腰痛の痛みの訴えが大きいですと。事ここに至って本当に外傷だとわかって、その日のうちに整形外科に連れて行ったら、腰の骨が一本、圧迫骨折とのこと。写真を見ても明確で、そのとき医者に「コルセットつけますか」と言われ、もう直ぐその気になったのですが、もうひとつ医者が言った「本人、コルセット扱えますかね?」という言葉が反芻されて。  
 帰宅して考えました。確かにリハビリパンツ以外の着衣が相当怪しいいまの母親。その上にコルセットで腰を固めたら、本人はトイレで用を足せるだろうか。そう考えてコルセットは保留にすることにし、痛み止めの薬を飲んでもらいながら、デイサービスやリハビリ、訪問看護の人に様子を見てもらい、アドバイスをいただきつつ考えたいと思いました。ちなみに昨日行ったデイサービス、今日も行ける日でしたが、本人がどうしても行けないと。見ていると足元のふらつきが気になるところ、ということでした。  

 月に一回電話で雑談している恩師の先生も話していたのだけど、今年が勝負じゃないかなと。なので、いろいろ本人のための方略を頭のなかで思い描き、転がしています。場合によったらグループホームへの転居もいよいよ考えた方が良いかも。厳しいこの冬のあいだはなんとか同居を続けたいですが。グループホームも検討事項に入ってきたかなと。もっかのところ、心配なのは転倒です。訪問看護師さんからトイレのそばにベッドを移動する提案もあります。ただそれも判断が難しくて。居間にベッドを持ってくると、ベッドに寝たままの姿勢が楽になって、寝たきりとなる心配を考えてしまう。 

  ぼくは現在、自分のことで何も懸念は無いのだけれど、同居の母親については幾つかの仮定とそれに対応する方法、どこをどう動かすのがベターなのかという判断の要素は抱えてはいます。状況の度ごとのアドバイスも必要なところ。
  あと、動きが少ないため、食事もあまり取れていないのが心配。父親が晩年の2年半近くどんどん食事が取れなくなっていたので、食事が取れないで虚弱化することにはすごく条件反射的に過敏になってしまう。  

 印象的にはそう、父親が亡くなった2年前くらいの印象に母も近くなりました。最近はダイレクトに傷つくような言葉とか、しつこい問いかけとかは減りましたが、むしろ身体の介護の側面が増えてきた感じです。今まで介護は自分が5、介護職の人たちが5、という感じでしたが、自分の負担が1、5くらい増えてきた感じです。  
 
 状況的には自然な流れでもあるし、かなり本人の寝ている時間が増えた(2階に上がってくる力がなくなった)。  言葉が悪いですが、しつこく付き纏われる感じがほぼほぼ無くなった代わりに、なんというのだろう?ぼくは変わらず自分の時間をふんだんに確保しながらも、常に状況が変化する可能性を考えている必要がある、という感じです。 

  結局、また自分の愚痴めいたことを書いてしまっている。母も頑張って日々生きてます。父のときも思ったけれど、本当に人間の仕事は、まずは「生ききること」これに尽きると思います。その意味で、本当に母は96年、いっしょうけんめいに生きています。すごいことです。頑張っていてえらいです。