ここ2日ばかり激しい風や断続的に降り続く雨にやられて、結構しんどい思いをし、今日は疲れた体を休めた状態ですが、それは北海道大学で行われている長期のイベント、『サステナビリティ・ウィーク』に参加の際、その帰りに諸に雨、風にやられたせいでもありました。
しかし、人文社会学に関心がある私にとって「生きづらさを超えて」をテーマに行われた講演とシンポジウムは有意義でした。
初日は「優しさのゆくえ」などを書かれた栗原彬先生の講演。昨日の土曜日は午前の仕事ののち、「学校と仕事が出会うとき」というテーマで、堺市の高校での現代社会授業の取り組み、そしてデンマークの職業訓練と人格教育を兼ねたと思われる「生産学校」の紹介をされた名誉教授(大学は忘れました)の二人の話とその後のシンポジウムに参加。
個人的な関心に即して言えば、堺市の教育困難校で長く現代社会を教えられた教師、井沼先生の話が響きました。教育困難の理由としては、複雑な家庭環境や、厳しい経済状態が背景にあり、生徒の約8割はバイトをしています。そして残念ながら、退学率も高い高校です。
井沼先生によれば、「言葉が通じない」くらいの生徒さんとの出会いが年々増えてかなりカルチャーショックを受けるようですが、複雑な家庭事情を抱えている子女が多く、必要性があってアルバイトをしている生徒さんが多い。そのアルバイトでは最低賃金以下、あるいは労働基準法を守らない使用者に安価に使用される労働力として生徒さんが使われているとの話。
それで、井沼先生は抽象的な現代社会の勉強をするのではなく、彼らの実際の日々の生活に即したーすなわち、バイト込みの生活ーで使用者に利用されないよう、まずは「雇用契約書」をもらおう、そしてその体験を元にレポートを書き、事例を元にグループワークを行う取り組みをします。
この取り組みの話は非常に面白く、雇用契約書をもらって、労働基準法を超えて働かされている事例、そもそも”雇用契約書?WHAT?”な使用者もあり。そこで気づきを得た生徒たちは「ムカついたり」「イライラさせられたり」しながらも、学校で自分たちが置かれた労働環境をフィードバックしながら、職場に再度新しいアプローチをします。
なかには「使用者は毎日残業残業で、あるいは家庭にいざこざがあって」諸々の事情で社長や店長も大変なんだ、と呑み込んだり、あるいはパートのおばさんと話しながら上手く売り場主任会議から、店長会議に持ち込んで、ついに最低賃金を確保するという、職場民主化の手がかりの導き手になる子がいたり。
この実践はある種感動的で、中には労働法にある程度精通していく生徒の中には「店長インタビュー」を行って、どこに会社の経費が使われているのか理解を深める生徒もいるのです。そのレポートなども感動的です。
最初はバイトをやっても、待遇が悪いとどこかで感じても表現の方法が分からなかった高校生たちが、労働基準法や労働契約法を学ぶことを通して働く者の権利が守られていることを知る。そして、知った以上、何らかのアプローチをせざるを得ない。個々のレポートを見ると、その若者たちの瑞々しい現実との向き合い方にグッとくるものがあります。中にはこの取り組みに会社の人が感心し、法を守ることが会社のイメージアップにもつながるんだなあと気づくケースもあるようです。
授業最後の自分のバイト先の店長などへのインタビューで過労、労働法違反の長時間労働、忙しくてまともな食生活も取れない実態を知り、ムカつく自分たちの扱いをする大人も大変だなあと気づいてもいくわけです。そうすると、改善意欲が高い生徒さんだと、そっから先の問題意識はポジティヴでしょうね。
もうひとつ深く感銘したのは、この現代社会の授業カリキュラムです。バイト先から知る労働法のみならず、「契約って何?悪質商法」「キャッチセールス、ロールプレイ」、「一人暮らしの自立度チェック」「高校生のためのライフプラン入門」「賃金、女性と労働、解雇予告」、「社会保険」「派遣労働」「カード社会の落とし穴」「ローン計算」「最後のセーフティネットとしての生活保護」etc・・・。
まさに、高校を出たあとに社会に直面せざるを得ない生徒さんのためのカリキュラムがぎっしりです。ここまで実際的な社会の勉強であれば、下手な大学生さんなどよりもより実践的な知、生きるための知識が身につくのではないでしょうか。
280人入学すれば、80人が途中退学するような困難校ゆえにおそらく全ての授業が真剣に学ばれるということはないかと思いますが、不詳、自分なども高校ぐらいでやって欲しい生きていくための落とし穴にはまらない教育があればいいのに、という実践がちゃんとここにはあった、ということがとても嬉しい驚きでした。
ただ、授業を受け持っていた井沼先生も現在は進学校に移り、移るとそのような学校においては、このようなカリキュラムは立てられないとのこと。
おそらく大学を意識するとこれらの実践学問は等閑視されるのでしょうが、現代社会の厳しさを考えると学校が本来伝えるべき知識の転倒を感じざるを得ないですね。
※この文章は自分の社会保険労務士事務所ホームページのブログから転載しました。
しかし、人文社会学に関心がある私にとって「生きづらさを超えて」をテーマに行われた講演とシンポジウムは有意義でした。
初日は「優しさのゆくえ」などを書かれた栗原彬先生の講演。昨日の土曜日は午前の仕事ののち、「学校と仕事が出会うとき」というテーマで、堺市の高校での現代社会授業の取り組み、そしてデンマークの職業訓練と人格教育を兼ねたと思われる「生産学校」の紹介をされた名誉教授(大学は忘れました)の二人の話とその後のシンポジウムに参加。
個人的な関心に即して言えば、堺市の教育困難校で長く現代社会を教えられた教師、井沼先生の話が響きました。教育困難の理由としては、複雑な家庭環境や、厳しい経済状態が背景にあり、生徒の約8割はバイトをしています。そして残念ながら、退学率も高い高校です。
井沼先生によれば、「言葉が通じない」くらいの生徒さんとの出会いが年々増えてかなりカルチャーショックを受けるようですが、複雑な家庭事情を抱えている子女が多く、必要性があってアルバイトをしている生徒さんが多い。そのアルバイトでは最低賃金以下、あるいは労働基準法を守らない使用者に安価に使用される労働力として生徒さんが使われているとの話。
それで、井沼先生は抽象的な現代社会の勉強をするのではなく、彼らの実際の日々の生活に即したーすなわち、バイト込みの生活ーで使用者に利用されないよう、まずは「雇用契約書」をもらおう、そしてその体験を元にレポートを書き、事例を元にグループワークを行う取り組みをします。
この取り組みの話は非常に面白く、雇用契約書をもらって、労働基準法を超えて働かされている事例、そもそも”雇用契約書?WHAT?”な使用者もあり。そこで気づきを得た生徒たちは「ムカついたり」「イライラさせられたり」しながらも、学校で自分たちが置かれた労働環境をフィードバックしながら、職場に再度新しいアプローチをします。
なかには「使用者は毎日残業残業で、あるいは家庭にいざこざがあって」諸々の事情で社長や店長も大変なんだ、と呑み込んだり、あるいはパートのおばさんと話しながら上手く売り場主任会議から、店長会議に持ち込んで、ついに最低賃金を確保するという、職場民主化の手がかりの導き手になる子がいたり。
この実践はある種感動的で、中には労働法にある程度精通していく生徒の中には「店長インタビュー」を行って、どこに会社の経費が使われているのか理解を深める生徒もいるのです。そのレポートなども感動的です。
最初はバイトをやっても、待遇が悪いとどこかで感じても表現の方法が分からなかった高校生たちが、労働基準法や労働契約法を学ぶことを通して働く者の権利が守られていることを知る。そして、知った以上、何らかのアプローチをせざるを得ない。個々のレポートを見ると、その若者たちの瑞々しい現実との向き合い方にグッとくるものがあります。中にはこの取り組みに会社の人が感心し、法を守ることが会社のイメージアップにもつながるんだなあと気づくケースもあるようです。
授業最後の自分のバイト先の店長などへのインタビューで過労、労働法違反の長時間労働、忙しくてまともな食生活も取れない実態を知り、ムカつく自分たちの扱いをする大人も大変だなあと気づいてもいくわけです。そうすると、改善意欲が高い生徒さんだと、そっから先の問題意識はポジティヴでしょうね。
もうひとつ深く感銘したのは、この現代社会の授業カリキュラムです。バイト先から知る労働法のみならず、「契約って何?悪質商法」「キャッチセールス、ロールプレイ」、「一人暮らしの自立度チェック」「高校生のためのライフプラン入門」「賃金、女性と労働、解雇予告」、「社会保険」「派遣労働」「カード社会の落とし穴」「ローン計算」「最後のセーフティネットとしての生活保護」etc・・・。
まさに、高校を出たあとに社会に直面せざるを得ない生徒さんのためのカリキュラムがぎっしりです。ここまで実際的な社会の勉強であれば、下手な大学生さんなどよりもより実践的な知、生きるための知識が身につくのではないでしょうか。
280人入学すれば、80人が途中退学するような困難校ゆえにおそらく全ての授業が真剣に学ばれるということはないかと思いますが、不詳、自分なども高校ぐらいでやって欲しい生きていくための落とし穴にはまらない教育があればいいのに、という実践がちゃんとここにはあった、ということがとても嬉しい驚きでした。
ただ、授業を受け持っていた井沼先生も現在は進学校に移り、移るとそのような学校においては、このようなカリキュラムは立てられないとのこと。
おそらく大学を意識するとこれらの実践学問は等閑視されるのでしょうが、現代社会の厳しさを考えると学校が本来伝えるべき知識の転倒を感じざるを得ないですね。
※この文章は自分の社会保険労務士事務所ホームページのブログから転載しました。