NPOや社会的事業について学ぶ支援金付き訓練が本日より始まりました。
昨年の懐かしい顔ぶれも、自分も含め4人ほど。
今回は実習期間が半分を占めるので、インターン先も2箇所くらいになりそうな予感。
ここのところ、どうも地震や原発のショックが自分にも大きく、それだけでもないでしょうが、出不精ゆえにひきこもり気味でした。
久しぶりに人中に入ったという感じで、行く前は結構緊張したのであります。
だけど、今回NPOについて学ぶ人が初めてという人も多そうな中、アイスブレーキングの話し合いでかなりの方が地震や原発について考えさせられたようで、良かった、自分だけが孤立気味に考えてたわけではなかったんだね、と少々ほっとしたりもしました。
あと、「仕事が無い」という話も普通に出たようです。
これって、けしてハッピーな共通了解ではないけれど、問題意識が共有されている面があるようで、それはいいことかな、と。
アイスブレーキング担当された方も仰ってましたが、「社会の事とか真面目に話そうとするとみんな退いちゃうと思うじゃないですか。でも、結構そういう問題意識はみんな言わないけどもっているんじゃないかな、って。そういうことを話す場があるといいんじゃないかなって思うんですよ」と言った趣旨の総括もあって、そういう風に言ってくれることが嬉しいことでしたね。
2011年4月18日月曜日
2011年4月16日土曜日
安かろう悪かろう
余りに髪がうるさくなってきたんで、来週からまた訓練が始まることもあり、理髪に行くことにしました。
よく利用している地下鉄の出口から少し北に面する1500円カットの店に入ったところ、「カットのみ1000円」になっていました。おお、とうとうこの店も激安競争に参加か、と。カット&顔そり1500円で格安オープンして、これは金のない身には有り難い、と思って利用するようになってからもう10年くらいたつのかな?デフレ不況がとうとう理髪業まできたか、と思いつつも利用するようになりました。その後、JR札幌駅にカットのみで1000円の店が登場しました。そちらの方も私、何回か利用しましたが。
それからここ1年半ほど前からでしょうか、この自分の住む地下鉄駅に近い1500円カットの2丁ほど北側にとうとう1000円カットの店が出現しました。まさに文字通りカットのみなので、ごくあっさりで、整髪もあっさり。なんら情緒的な満足も無い、いたってファストフード的なドライな感覚です。
さて、上記の行きつけのカットの店で1000円カットを頼みましたが、入った時からどうも店の雰囲気が違う。ここは1500円カットの時から完全分業制で、いわば流れ作業でお客さんの頭を扱ってきました。面倒なコミュニケーションが好きではない自分には向いているのですが、それでもまだ前は多少人間臭い空気はあったのだけど、今日行ったところ、本当にコンビニ的なドライさ。
僕が自分の髪全体のイメージが出来ないというのもあり、いつでも向こうの最低限の質問にそれで結構です、かあるいはもう少し短めでお願いしますしか注文しないというのもあるけど、その最低限の質問をされた後は髪を切った人間は終わったらすっと店舗の奥に入ってしまうし、後を託された細かな所に刃を入れる役割と最後のドライヤーをかける若者のほとんど人間を相手にしているとは思えない感じ。
「安かろう悪かろう」とはこういうものか、としみじみ思いましたね。顔そりすると1500円のようですが、顔そりはしてもらわなくて良かった。あんな若者には顔そりは任せたくない。
ちょっとこの店はヤバイな、と思いました。
昔の床屋さんと言うのは何かとコミュニケーションを求められて、それこそひきこもっている頃はそれが苦痛で仕様がない。その関係性が無い今の格安カットはわずらわしさがなくて良いのですが、その分、流れ作業になっている。ファストフード・カットか、なるほどな。デフレだよな、と妙な納得をしているのですが、その中で時折ベテランぽい人が余り自分の仕事を楽しめてないような姿を見ると、勝手にこの人は昔は理髪店に勤めてたのではないだろうか、あるいは自分で経営していたかも?とか。すると、全体を見ることが出来ない今の仕事をどう思っているかな?とか(あくまで想像ですが)。
あるいは、人間を相手にしているとは思えない若い人を見ていると、物凄い安い給料で働いていて、理髪屋のプライドとか矜持を知らないまま行くのかもしれないな、とか(これも想像ですが)。
確かに昔はいま考えると平気で3500円とか取る理髪代は高すぎた。そんな理髪屋さんに行く人はある程度経済力のある中年以上の人に限られているかもしれません。
理髪業界がどうなっていて、どんな問題意識があるのか別に想像する気もないですが、理髪は昔に比べ、極めて変化が大きい世界のような気がしますので、ついこの生活のアウトソージングの世界で全てが平準化されて味気ないものになっているな、供給できるサービスが思った以上に「計算された」限界点にあるな、と思う事なのでした。
カネのないやつがいうこっちゃない、つーの。って話かもしれませんが(苦笑)。
よく利用している地下鉄の出口から少し北に面する1500円カットの店に入ったところ、「カットのみ1000円」になっていました。おお、とうとうこの店も激安競争に参加か、と。カット&顔そり1500円で格安オープンして、これは金のない身には有り難い、と思って利用するようになってからもう10年くらいたつのかな?デフレ不況がとうとう理髪業まできたか、と思いつつも利用するようになりました。その後、JR札幌駅にカットのみで1000円の店が登場しました。そちらの方も私、何回か利用しましたが。
それからここ1年半ほど前からでしょうか、この自分の住む地下鉄駅に近い1500円カットの2丁ほど北側にとうとう1000円カットの店が出現しました。まさに文字通りカットのみなので、ごくあっさりで、整髪もあっさり。なんら情緒的な満足も無い、いたってファストフード的なドライな感覚です。
さて、上記の行きつけのカットの店で1000円カットを頼みましたが、入った時からどうも店の雰囲気が違う。ここは1500円カットの時から完全分業制で、いわば流れ作業でお客さんの頭を扱ってきました。面倒なコミュニケーションが好きではない自分には向いているのですが、それでもまだ前は多少人間臭い空気はあったのだけど、今日行ったところ、本当にコンビニ的なドライさ。
僕が自分の髪全体のイメージが出来ないというのもあり、いつでも向こうの最低限の質問にそれで結構です、かあるいはもう少し短めでお願いしますしか注文しないというのもあるけど、その最低限の質問をされた後は髪を切った人間は終わったらすっと店舗の奥に入ってしまうし、後を託された細かな所に刃を入れる役割と最後のドライヤーをかける若者のほとんど人間を相手にしているとは思えない感じ。
「安かろう悪かろう」とはこういうものか、としみじみ思いましたね。顔そりすると1500円のようですが、顔そりはしてもらわなくて良かった。あんな若者には顔そりは任せたくない。
ちょっとこの店はヤバイな、と思いました。
昔の床屋さんと言うのは何かとコミュニケーションを求められて、それこそひきこもっている頃はそれが苦痛で仕様がない。その関係性が無い今の格安カットはわずらわしさがなくて良いのですが、その分、流れ作業になっている。ファストフード・カットか、なるほどな。デフレだよな、と妙な納得をしているのですが、その中で時折ベテランぽい人が余り自分の仕事を楽しめてないような姿を見ると、勝手にこの人は昔は理髪店に勤めてたのではないだろうか、あるいは自分で経営していたかも?とか。すると、全体を見ることが出来ない今の仕事をどう思っているかな?とか(あくまで想像ですが)。
あるいは、人間を相手にしているとは思えない若い人を見ていると、物凄い安い給料で働いていて、理髪屋のプライドとか矜持を知らないまま行くのかもしれないな、とか(これも想像ですが)。
確かに昔はいま考えると平気で3500円とか取る理髪代は高すぎた。そんな理髪屋さんに行く人はある程度経済力のある中年以上の人に限られているかもしれません。
理髪業界がどうなっていて、どんな問題意識があるのか別に想像する気もないですが、理髪は昔に比べ、極めて変化が大きい世界のような気がしますので、ついこの生活のアウトソージングの世界で全てが平準化されて味気ないものになっているな、供給できるサービスが思った以上に「計算された」限界点にあるな、と思う事なのでした。
カネのないやつがいうこっちゃない、つーの。って話かもしれませんが(苦笑)。
2011年4月14日木曜日
最近の状況において。
福島原発の状況。過去チェルノブイリにしかなかったレベル7の最悪基準になり、にわかに福島原発1号機から4号機までの現在進行形の状態が気になる日々です。
いま、ニュース画面でもちらっ、と福島10KM圏内にも警察の人たちが入って捜索活動を始めた映像が見えましたが、何度被災地の映像を見ても呆然とするしかない。まるで廃棄物処分場のような状態です。自然の力は圧倒的に人間が作った物理的構造を壊すんだな。まるで嘲笑うかの如くに。
私は、実利を考え、昔取得した社会保険労務士の復習を、時間がある今、DVD付きの教材で学び直しているところです。来週からNPOの勉強でまた訓練を6週間受講しますが、既成現実からちょっとずれたところにニーズがある仕事が出来得るなら、と考えつつ、迷いながらも法律が持つ保守性と意味性の両方考えながら記憶の想起作業をしています。
それはともかくとして、労働基準法とそこから派生した労働安全衛生法をとりあえずおおむね終える段階ですが、この安全衛生法は機械や化学物質の取り扱いについて、あるいは元請けや下請けが登場する建設業関係の法令的な取り扱いについてなど、もともと興味関心の外で、前から最も苦手な社会保険労務士の勉強なのですが、いま現在、原発事故の発生地で働いている東電の協力社員(本当は下請けというべきでしょう)や日立、東芝など関連社員たちがどのような作業環境で働いているのかと考えると、もはやそれも法令的にもほとんど想定外と言うか、想像外な気がします。法令にも原子力発電所の有害業務について具体的に書かれていないので。。。この安全衛生法は労働災害の防止が一義的な目的なので、たまさか今回の原発事故の関連でも関心を持たざるを得ない科目となりました。(頭が痛くなるのは、やっぱりありますが)。あそこでの作業環境がどうか、など私も正直そうですが、みな普通の人は想像もしたくないでしょう。
それにしても、今回の原発事故はまだ自分にはあの津波の映像のようにどこかで受け入れられないような非現実的な感触が残っており、それは政治家も含め、この、人間たちが本来制御不能な怪物的な技術物を前に、どこかで一瞬ブラインドを降ろすような心理になったのだと思いますが、残念ながら案の定、初動の判断に生じた少しの迷いや躊躇があっという間の水素爆発まで発展するところまでいった。そのことは最悪から想定する癖が持てなかった人災であり、世の中の印象として、どこか「戦争の敗北」に比する何かがあるとすれば、やはりそれはきっと敗北であり、それは敵の無い、自分たちが作った技術の自然に対する明確な敗北でした。
今後の社会生活、経済生活をまず今、先立って考えようという立場に立とうと、立ち止まって考えよう、という立場に立とうと、「技術の自然に対する敗北」は明白に認めざるを得ません。
私はそこにまず、市民の共通認識に立つところから始めるべき、と考えます。
今月の岩波の月刊誌『世界』は大震災特集です。
この雑誌。日常的に云えば、極めて教養主義的、観念的、現実応用性が低い社会人文系の学問人や教師たちのための社会系専門誌と思う人も多いでしょう。私とて、日常的にはそう思っている一人です。時に難しく、時に教養臭が鼻につく。
ですが、今号も最初はその気分はあったのですが、一つ一つと最初から読み進めると私の今の気持ちに言葉がすっと入ってくるのです。
内橋克人、坂本義和、宮田光雄、池内了、松谷みよ子、岩田靖夫、中野佳裕、木田元。いまの時代の言論人からいえば、保守系雑誌『文芸春秋』並みに革新系の「昔の名前で出ています」風情の書き手たちで、震災前に発行したと思われる復刊版『朝日ジャーナル』のほうが遥かにアクチュアリティの書き手たちが揃っています。
ですが、この雑誌の書き手の文章の一つ一つが沁み入るような気がするのは何故なのか。それはまだ上手い言葉は見つかりません。ただそこに率直な「畏れ」の感覚がある、その意味で自分の気持ちと繋がり、自分の感性としていま、とても分かるところがある。そんな気がします。
中でも東北大学名誉教授の岩田靖夫氏の体験から始まる文章はとても考えさせられる文章でした。被災地、あるいは被災地の周縁にいるということはインテリとして学問の世界で生きていたとしても、津波や、津波で制御が利かなくなった原発のように、剥き出しの、裸の人間をそこではさらされてしまう。
すると、これは僕が勝手に感じた感想で書かれた本人には申し訳ないですが、高齢者で身近に他者の大きな救援の手が無いとほとんど日常の自分が持つ安定的基盤を失う、極めて心細い厳しい状況に置かれる。
幸い、岩田氏は仙台から娘さんが助けに来てくれたようですが。
自分に照らして、はたしてこのような巨大地震が起こりえる国で、いったいどのような自分自身のセーフティネットがあるのか?いまではなく、未来と近未来の中間あたり、つまり70代、80代になった自分が生きている時の前提を想像するとちょっと空恐ろしいものがあります。
阪神大震災の時も、というか日本はこの戦後世代中心の世の中において、2度の巨大地震に遭遇している訳ですが、ここ最近の猛暑や寒波も加えるならば、自然の力が大きくせり出している時代にどのような自分の生を全うできるのか、ということはやはり考えてしまいます。
テレビやその他、日常性の延長を続けたいという社会経済の思惑はあり、それは続くでしょう。しかし、私たちはどこかでその限界をしかと見てしまったと思いますし、私はもうここが限界だと思っています。
それでも、私はこの日常に喰らいついているのです。いつかは終わる、それが想像できるものは沢山ある。しかしそれらを断ち切ってはいないし、断ち切れないものもある。その関係性も両者ともに変化しながら移行していくだろう。
そんなことを改めて考えさせられます。
一言でいえば、自然の刃は危うい地盤の上に立つ僕らの現代社会に覚醒を迫りにやってきた。911とリーマンショックでアメリカが敗北したように、いま、日本は長い連れ合いである自然猛威によって、また敗北を迫られたのですね。
いま、ニュース画面でもちらっ、と福島10KM圏内にも警察の人たちが入って捜索活動を始めた映像が見えましたが、何度被災地の映像を見ても呆然とするしかない。まるで廃棄物処分場のような状態です。自然の力は圧倒的に人間が作った物理的構造を壊すんだな。まるで嘲笑うかの如くに。
私は、実利を考え、昔取得した社会保険労務士の復習を、時間がある今、DVD付きの教材で学び直しているところです。来週からNPOの勉強でまた訓練を6週間受講しますが、既成現実からちょっとずれたところにニーズがある仕事が出来得るなら、と考えつつ、迷いながらも法律が持つ保守性と意味性の両方考えながら記憶の想起作業をしています。
それはともかくとして、労働基準法とそこから派生した労働安全衛生法をとりあえずおおむね終える段階ですが、この安全衛生法は機械や化学物質の取り扱いについて、あるいは元請けや下請けが登場する建設業関係の法令的な取り扱いについてなど、もともと興味関心の外で、前から最も苦手な社会保険労務士の勉強なのですが、いま現在、原発事故の発生地で働いている東電の協力社員(本当は下請けというべきでしょう)や日立、東芝など関連社員たちがどのような作業環境で働いているのかと考えると、もはやそれも法令的にもほとんど想定外と言うか、想像外な気がします。法令にも原子力発電所の有害業務について具体的に書かれていないので。。。この安全衛生法は労働災害の防止が一義的な目的なので、たまさか今回の原発事故の関連でも関心を持たざるを得ない科目となりました。(頭が痛くなるのは、やっぱりありますが)。あそこでの作業環境がどうか、など私も正直そうですが、みな普通の人は想像もしたくないでしょう。
それにしても、今回の原発事故はまだ自分にはあの津波の映像のようにどこかで受け入れられないような非現実的な感触が残っており、それは政治家も含め、この、人間たちが本来制御不能な怪物的な技術物を前に、どこかで一瞬ブラインドを降ろすような心理になったのだと思いますが、残念ながら案の定、初動の判断に生じた少しの迷いや躊躇があっという間の水素爆発まで発展するところまでいった。そのことは最悪から想定する癖が持てなかった人災であり、世の中の印象として、どこか「戦争の敗北」に比する何かがあるとすれば、やはりそれはきっと敗北であり、それは敵の無い、自分たちが作った技術の自然に対する明確な敗北でした。
今後の社会生活、経済生活をまず今、先立って考えようという立場に立とうと、立ち止まって考えよう、という立場に立とうと、「技術の自然に対する敗北」は明白に認めざるを得ません。
私はそこにまず、市民の共通認識に立つところから始めるべき、と考えます。
今月の岩波の月刊誌『世界』は大震災特集です。
この雑誌。日常的に云えば、極めて教養主義的、観念的、現実応用性が低い社会人文系の学問人や教師たちのための社会系専門誌と思う人も多いでしょう。私とて、日常的にはそう思っている一人です。時に難しく、時に教養臭が鼻につく。
ですが、今号も最初はその気分はあったのですが、一つ一つと最初から読み進めると私の今の気持ちに言葉がすっと入ってくるのです。
内橋克人、坂本義和、宮田光雄、池内了、松谷みよ子、岩田靖夫、中野佳裕、木田元。いまの時代の言論人からいえば、保守系雑誌『文芸春秋』並みに革新系の「昔の名前で出ています」風情の書き手たちで、震災前に発行したと思われる復刊版『朝日ジャーナル』のほうが遥かにアクチュアリティの書き手たちが揃っています。
ですが、この雑誌の書き手の文章の一つ一つが沁み入るような気がするのは何故なのか。それはまだ上手い言葉は見つかりません。ただそこに率直な「畏れ」の感覚がある、その意味で自分の気持ちと繋がり、自分の感性としていま、とても分かるところがある。そんな気がします。
中でも東北大学名誉教授の岩田靖夫氏の体験から始まる文章はとても考えさせられる文章でした。被災地、あるいは被災地の周縁にいるということはインテリとして学問の世界で生きていたとしても、津波や、津波で制御が利かなくなった原発のように、剥き出しの、裸の人間をそこではさらされてしまう。
すると、これは僕が勝手に感じた感想で書かれた本人には申し訳ないですが、高齢者で身近に他者の大きな救援の手が無いとほとんど日常の自分が持つ安定的基盤を失う、極めて心細い厳しい状況に置かれる。
幸い、岩田氏は仙台から娘さんが助けに来てくれたようですが。
自分に照らして、はたしてこのような巨大地震が起こりえる国で、いったいどのような自分自身のセーフティネットがあるのか?いまではなく、未来と近未来の中間あたり、つまり70代、80代になった自分が生きている時の前提を想像するとちょっと空恐ろしいものがあります。
阪神大震災の時も、というか日本はこの戦後世代中心の世の中において、2度の巨大地震に遭遇している訳ですが、ここ最近の猛暑や寒波も加えるならば、自然の力が大きくせり出している時代にどのような自分の生を全うできるのか、ということはやはり考えてしまいます。
テレビやその他、日常性の延長を続けたいという社会経済の思惑はあり、それは続くでしょう。しかし、私たちはどこかでその限界をしかと見てしまったと思いますし、私はもうここが限界だと思っています。
それでも、私はこの日常に喰らいついているのです。いつかは終わる、それが想像できるものは沢山ある。しかしそれらを断ち切ってはいないし、断ち切れないものもある。その関係性も両者ともに変化しながら移行していくだろう。
そんなことを改めて考えさせられます。
一言でいえば、自然の刃は危うい地盤の上に立つ僕らの現代社会に覚醒を迫りにやってきた。911とリーマンショックでアメリカが敗北したように、いま、日本は長い連れ合いである自然猛威によって、また敗北を迫られたのですね。
2011年4月7日木曜日
どこが自粛選挙?
自粛選挙などと言いつつ、選挙カーによる遊説選挙が例年通りヒートアップしてきています。
特に今回の選挙は市会議員、道議会議員選挙があるために、かなり地廻り、ドメステックな運動となってしまい、ウチの廻りでもいろんな候補がかなり大音量で叫んでいます。この選挙カーでの連呼選挙は本当にどうにかならないのでしょうか?いわゆる「空気が読めない」さいたるものです。
陶酔するように「ワタクシ、○○は必ず、必ず○○を実行します!」と自己宣伝をやれるそのキャラクターは私にはまったく理解不能なものです。政治に関心を持つにしても、政治をする側と、私が生を受けて同じ地球のこの国に同居するものとしての性格がこれほど違うものなのか、と改めて実感させられます。自己陶酔出来てしまうキャラクターでないと、おそらく選挙運動なるものは出来ない。
しかし、コミュニティ単位の議員を選ぶ方法はもっと何とかならないものか。茫然たる被災の風景を見てエンターティンメントや文化活動が自粛、自粛の流れの中で、上記のように彼ら議員候補は生き残りに必死、あるいは自己陶酔しているわけで、最も自粛から縁遠い人種です。
「被災した人々のために」というならば、少なくとも僕が知る、尊敬に値するこの国の文化の中でのリーダーというものは死者を心より黙とうし、黙して、実践的な行動の中で表現する。そのような人を自治のリーダーとして尊敬するのです。ですからリーダーはその際、政治家に限りません。教養豊かな医者のような存在も、危機の時にはその地域のリーダーに十分なりえます。
結局、食べていくための政治家になるから良くない訳です。少なくとも区レベルを代表する政治のリーダーは兼業でもやっていけるようにすべきです。まずはこのネット時代、ネットによる選挙運動が出来るようにするのが第一に必要。僕ら自身によって、政治家にアクセスして、選びたい候補を選択できること。その意味ではユーストリームやユー・チューブのような映像が存在しているのは大きい。
かつ、議会を夕方以後に持ってこれる政治文化とすること。そこで兼業議員がボランティア的に議会に参加する。それを僕ら地域の人間たちがネットなどで見る。そこでもフリー映像メディアの存在感は大きいのです。
いずれ、この不毛な拡声器による連呼選挙は終わるでしょう。そも一日も早く終わらねばなりません。いったい、どこが自粛選挙でしょうか。被災地の人たちのことなど過剰テンションの中に在る彼らには眼中に無いはずです。こんな事をやっているといずれ全てしっぺ返しを食らうときが来ますよ。こうやって一つひとつ、政治リーダーに対する不信が増幅する。まぁ、リーダー不信が覆っているのは政治界だけではありませんけれども。
率直に云って、これは「危機」ですね。何か、最も本来的で根本的なことに気付いていないという意味で危機だと私は思います。(偉そうだな)。
特に今回の選挙は市会議員、道議会議員選挙があるために、かなり地廻り、ドメステックな運動となってしまい、ウチの廻りでもいろんな候補がかなり大音量で叫んでいます。この選挙カーでの連呼選挙は本当にどうにかならないのでしょうか?いわゆる「空気が読めない」さいたるものです。
陶酔するように「ワタクシ、○○は必ず、必ず○○を実行します!」と自己宣伝をやれるそのキャラクターは私にはまったく理解不能なものです。政治に関心を持つにしても、政治をする側と、私が生を受けて同じ地球のこの国に同居するものとしての性格がこれほど違うものなのか、と改めて実感させられます。自己陶酔出来てしまうキャラクターでないと、おそらく選挙運動なるものは出来ない。
しかし、コミュニティ単位の議員を選ぶ方法はもっと何とかならないものか。茫然たる被災の風景を見てエンターティンメントや文化活動が自粛、自粛の流れの中で、上記のように彼ら議員候補は生き残りに必死、あるいは自己陶酔しているわけで、最も自粛から縁遠い人種です。
「被災した人々のために」というならば、少なくとも僕が知る、尊敬に値するこの国の文化の中でのリーダーというものは死者を心より黙とうし、黙して、実践的な行動の中で表現する。そのような人を自治のリーダーとして尊敬するのです。ですからリーダーはその際、政治家に限りません。教養豊かな医者のような存在も、危機の時にはその地域のリーダーに十分なりえます。
結局、食べていくための政治家になるから良くない訳です。少なくとも区レベルを代表する政治のリーダーは兼業でもやっていけるようにすべきです。まずはこのネット時代、ネットによる選挙運動が出来るようにするのが第一に必要。僕ら自身によって、政治家にアクセスして、選びたい候補を選択できること。その意味ではユーストリームやユー・チューブのような映像が存在しているのは大きい。
かつ、議会を夕方以後に持ってこれる政治文化とすること。そこで兼業議員がボランティア的に議会に参加する。それを僕ら地域の人間たちがネットなどで見る。そこでもフリー映像メディアの存在感は大きいのです。
いずれ、この不毛な拡声器による連呼選挙は終わるでしょう。そも一日も早く終わらねばなりません。いったい、どこが自粛選挙でしょうか。被災地の人たちのことなど過剰テンションの中に在る彼らには眼中に無いはずです。こんな事をやっているといずれ全てしっぺ返しを食らうときが来ますよ。こうやって一つひとつ、政治リーダーに対する不信が増幅する。まぁ、リーダー不信が覆っているのは政治界だけではありませんけれども。
率直に云って、これは「危機」ですね。何か、最も本来的で根本的なことに気付いていないという意味で危機だと私は思います。(偉そうだな)。
2011年4月5日火曜日
忘れられた日本人
今日は午前中に紹介のあった求人を手にハローワークで紹介状をもらってきて、応募書類を書いて投函した後、午後雪割り作業をやりながら、合間合間にユーストリームで『環境エネルギー政策研究所所長』の飯田哲也氏の日本記者クラブにおける講演と、夕方に同じクラブ会場にて福島の市長・町長の会見を見ていました。
私は後者の会見を聴いていて、コメント欄に次々揚がるコメントに残念な思いを強めていました。そこには「原発で食べてきた」首長だとか、「高齢の首長などには全体を読める目が無い」とか、随分な書かれようです。元来から「反原発運動家」のような人たちが書くことなら分かりますが、どうもそうは思われず。一見の見学者が通りすがりに云いたいことだけを書いている様子にしか思えません。
思わず「そのコメントを書いている自分がどこのだれのおかげで電力のお世話になっているんだ!」とこちらもつられて何か書き残したくなるほどです。
確かに原発誘致で潤った町もあるかもしれません。どこかの一つの市や町の首長さんは確かに「絶対安心」の神話に乗ってしまった面もあるかもしれません。それでも、長たるものとして、人間が作ったものに絶対など無いことなどは頭の片隅にあるはずですし、原発が事故を起こした際の危険性は必ずどこかにあるはずです。無意識、無関心で済ましていたとは思えません。まして福島全域はどう考えても自治体よりも中央政府や東京電力の不手際の方が圧倒的に大きい。住民やその町のリーダーに責任はないはずです。それを過去の誘致の事実のみを持ってきて、彼らのいまの悲鳴を責めるというのはあまりにヒューマニティがなさすぎます。
切実な思いに対するこの匿名のコメントたち。自分は、ツイッターがまだそれほど一般化していない、普及直前の頃から始めており、その頃のリベラルでお互いに対してセンシティヴな感覚で対応、コミュニケーションが流れる時期の意識が強いので、ユーストリームのコメントがこれほど無責任になっていることに少々ショックを受けました。2ちゃんねるのユーザーがツイッターやユーストリームの普及に従って、こちらに流れてきているのでしょうか。今後、本当の意味で不謹慎コメントが増え、それを削除する業者によって削除されるような風にはなってもらいたくないですね。
とはいえ、現段階のそれはせいぜい無責任だと思うコメントの段階ですが、このシチュエーションにおける匿名人による表現は、宮本常一という民俗学者の名著『忘れられた日本人』の中の一編、「子どもをさがす」を思い出させるものでした。
「共同体の制度的なまた機能的な分析が実際どのように生きているか」という書き出しで始まる1950年代後期の周防大島の子どもの不明事件を取り上げたものです。家庭内の親子喧嘩で家を出て行った子どもたちを村全体をあげて探す。近代化が進み、選挙の時も親子で票が割れるようなところであったが、「目に見えない村の意志」のようなものが働いていて、子隠れに関してもある種の村総体での手分けした子探しが行われたという話。
ところが、ここで一つ気になる話を宮本常一氏は書き添えます。
「ところがそうして村人が真剣にさがしまっている最中、道にたむろして、子のいなくなったことを中心にうわさ話に熱中している人たちがいた。子どもの家の批評をしたり、海へでもはまって、もう死んでしまっただろうなどと言っている。村人ではあるが、近頃よそから来て、この土地に住み着いた人々である。日ごろの交際は、古くからの村人たちと何のこだわりもなしにおこなわれており、通婚もなされている。しかし、こういうときには決して捜索に参加しようともしなければ、まったくの他人事で、しようのないことをしでかしたものだとうわさだけをしている。ある意味で村の意志以外の人々であった」
私は上から目線の「日本人だろう」という言われ方は大嫌いです。ですが、いま頭を垂れるような思い、鼻がツンとして目頭が熱くなるようなのは、自分が被災していながら、被災地で全体を見ている自生的なリーダーたちや自主的にボランティアをしているこれも自分の家が被災したであろう、子どもたちの姿です。誰でもそこに感動を感じると思うのですが、そのようなひとたちこそ、日本人で、時とともに「忘れられる」日本人であり、ですが、彼らの力を借りた人たちにとっては「忘れられない」人たちになるでしょう。記憶の中で長く生きる人たちになるでしょう。
宮本常一氏の『忘れられた日本人』に登場する所謂土地とともに生きる人たちや、世間師と呼ばれるいわば非定着の民のような人たちがおそらく近代化とともに忘れられる意識と感情を持つ人たちとなるだろうとして、何とか文章の上で記録させようという思いがほとばしっているような気がします。この作品に記録される名もなき日本の人たちは、いま被災地で歯を食いしばって助け合いをしている人たちと見事にだぶります。
愛知県の「名倉村」(当時)のその三に登場する社協の松沢喜一翁の話などは何度読んでも感動が新たになります。
私は現代に生きて、一歩間違えると「共同体の意志の外」の存在になりかねません。時によると、ネット時代に「通りすがり」コメントを残すような存在になりかねない。その事は常に厳しく意識していなければなりません。同時に、上からの思い切り「善意の意志」が必ず前置きされねばならないような空気もいま現在あるといえるでしょう。これもなかなかに厄介です。
この震災の複合災害性に比べれば何ということはないような話ですが、「マス」の文脈ではいろいろと、完全なる内々関係にはない、社会関係上では厄介な気兼ねの必要な事の多い社会的状況になってきました。
もしかしたら、そのような複雑な感情が時折屈折したネット上のコメントとして登場するのかもしれませんね。。。
私は後者の会見を聴いていて、コメント欄に次々揚がるコメントに残念な思いを強めていました。そこには「原発で食べてきた」首長だとか、「高齢の首長などには全体を読める目が無い」とか、随分な書かれようです。元来から「反原発運動家」のような人たちが書くことなら分かりますが、どうもそうは思われず。一見の見学者が通りすがりに云いたいことだけを書いている様子にしか思えません。
思わず「そのコメントを書いている自分がどこのだれのおかげで電力のお世話になっているんだ!」とこちらもつられて何か書き残したくなるほどです。
確かに原発誘致で潤った町もあるかもしれません。どこかの一つの市や町の首長さんは確かに「絶対安心」の神話に乗ってしまった面もあるかもしれません。それでも、長たるものとして、人間が作ったものに絶対など無いことなどは頭の片隅にあるはずですし、原発が事故を起こした際の危険性は必ずどこかにあるはずです。無意識、無関心で済ましていたとは思えません。まして福島全域はどう考えても自治体よりも中央政府や東京電力の不手際の方が圧倒的に大きい。住民やその町のリーダーに責任はないはずです。それを過去の誘致の事実のみを持ってきて、彼らのいまの悲鳴を責めるというのはあまりにヒューマニティがなさすぎます。
切実な思いに対するこの匿名のコメントたち。自分は、ツイッターがまだそれほど一般化していない、普及直前の頃から始めており、その頃のリベラルでお互いに対してセンシティヴな感覚で対応、コミュニケーションが流れる時期の意識が強いので、ユーストリームのコメントがこれほど無責任になっていることに少々ショックを受けました。2ちゃんねるのユーザーがツイッターやユーストリームの普及に従って、こちらに流れてきているのでしょうか。今後、本当の意味で不謹慎コメントが増え、それを削除する業者によって削除されるような風にはなってもらいたくないですね。
とはいえ、現段階のそれはせいぜい無責任だと思うコメントの段階ですが、このシチュエーションにおける匿名人による表現は、宮本常一という民俗学者の名著『忘れられた日本人』の中の一編、「子どもをさがす」を思い出させるものでした。
「共同体の制度的なまた機能的な分析が実際どのように生きているか」という書き出しで始まる1950年代後期の周防大島の子どもの不明事件を取り上げたものです。家庭内の親子喧嘩で家を出て行った子どもたちを村全体をあげて探す。近代化が進み、選挙の時も親子で票が割れるようなところであったが、「目に見えない村の意志」のようなものが働いていて、子隠れに関してもある種の村総体での手分けした子探しが行われたという話。
ところが、ここで一つ気になる話を宮本常一氏は書き添えます。
「ところがそうして村人が真剣にさがしまっている最中、道にたむろして、子のいなくなったことを中心にうわさ話に熱中している人たちがいた。子どもの家の批評をしたり、海へでもはまって、もう死んでしまっただろうなどと言っている。村人ではあるが、近頃よそから来て、この土地に住み着いた人々である。日ごろの交際は、古くからの村人たちと何のこだわりもなしにおこなわれており、通婚もなされている。しかし、こういうときには決して捜索に参加しようともしなければ、まったくの他人事で、しようのないことをしでかしたものだとうわさだけをしている。ある意味で村の意志以外の人々であった」
私は上から目線の「日本人だろう」という言われ方は大嫌いです。ですが、いま頭を垂れるような思い、鼻がツンとして目頭が熱くなるようなのは、自分が被災していながら、被災地で全体を見ている自生的なリーダーたちや自主的にボランティアをしているこれも自分の家が被災したであろう、子どもたちの姿です。誰でもそこに感動を感じると思うのですが、そのようなひとたちこそ、日本人で、時とともに「忘れられる」日本人であり、ですが、彼らの力を借りた人たちにとっては「忘れられない」人たちになるでしょう。記憶の中で長く生きる人たちになるでしょう。
宮本常一氏の『忘れられた日本人』に登場する所謂土地とともに生きる人たちや、世間師と呼ばれるいわば非定着の民のような人たちがおそらく近代化とともに忘れられる意識と感情を持つ人たちとなるだろうとして、何とか文章の上で記録させようという思いがほとばしっているような気がします。この作品に記録される名もなき日本の人たちは、いま被災地で歯を食いしばって助け合いをしている人たちと見事にだぶります。
愛知県の「名倉村」(当時)のその三に登場する社協の松沢喜一翁の話などは何度読んでも感動が新たになります。
私は現代に生きて、一歩間違えると「共同体の意志の外」の存在になりかねません。時によると、ネット時代に「通りすがり」コメントを残すような存在になりかねない。その事は常に厳しく意識していなければなりません。同時に、上からの思い切り「善意の意志」が必ず前置きされねばならないような空気もいま現在あるといえるでしょう。これもなかなかに厄介です。
この震災の複合災害性に比べれば何ということはないような話ですが、「マス」の文脈ではいろいろと、完全なる内々関係にはない、社会関係上では厄介な気兼ねの必要な事の多い社会的状況になってきました。
もしかしたら、そのような複雑な感情が時折屈折したネット上のコメントとして登場するのかもしれませんね。。。
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