2010年3月29日月曜日

4月から

職業訓練校に通うことが決定しました。
市の臨時職員は本日落ちたことが判明しましたので(苦笑)。

エクセル、ワード、パワー・ポインター&ビジネスマナーを学ぶわけですが、この処もしも仕事が決まったらと考えてワードとエクセルの復習をしてまして、ワードはまぁ「ビジネス文書」くらいまで、エクセルはIF関数くらいまでは記憶が戻り作成できるようになりました。後はデータベースの入り口くらいまで少し記憶を呼び起こしておきたいですね。

そんな状況なので、この四月以降は少しスクエアな時間の過ごし方で生活リズムを取り戻さねばなりませんけれど、これを機会に出来ればもっとワードやエクセルももっと上を目指したいですね。特にエクセルは関数やデーターベースを深めたいです。とっつきが当たり前になるくらいまで。

それから、出来ればまた改めて社会保険労務士の勉強を余りデテールにこだわり過ぎずに復習したいと思います。理想はこの3ヶ月間に”おおむね”な感じで全体を再度学びなおしたいです。後は行政書士の復習で憲法と行政法の復習が出来たらな、と願望しています。(公務員試験の「行政法」講義のライヴを本にした良いブツを発見しました)。出来れば民法も。総則辺りまで。。。と贅沢な夢を描いて見ますが、それはまず難しいでしょう。やはり優先順位は労働社会法制と憲法、かな?

それから、この3月はNPOの事例研究会がとても刺激になりましたけれど、その流れは常に意識したいですね。極端な話し、エクセル、ワード、パワー・ポインターはそれで稼ぎにするというのは現実的ではない。むしろ、それを扱えることが理想的には自分の仕事の副次的なツールと出来ること。あるいはそのようにしかなりえないよな、と思っています。
如何にそれらを自分の今後に生かし得るのか?という観点で復習したいです。

ですからNPOのことも忘れたくないし、「自由学校・遊」で行う「21世紀のセーフティネットを展望する」という講座にも出たいと考えていますし、我が母校の恩師が講師をする市民大学での「深層心理学」の講座も出ようと思っています。で、それらを受身なままにしない、ちょっとした亀の動きとして生かしたい。現実にどう生かせるか考えたいです。それから、「講師がモノをどのように伝えるか/教えるか」という観点も学びたいです。

今年は春が遅く、まだ寒々しい日々ですが、もう少しすれば自転車にも乗れるし、車にも乗れます。あせらずに、しかし少しずつ、ほんのちょっと行動的な自分で行きたいものです。

もうテレビは新年度に突入してますが、新年度。どの程度やれるか。逆に不可避なことがあってバタバタするか。想像がつかないけど気分は春に、という感じです。

2010年3月23日火曜日

今日は「埋葬を考える会」

タイトルが「ん?」って感じかもしれませんが。本日のNPO事例研究会は「埋葬を考える市民の会」。
おじさん自身にとっての喫緊の問題ではありませんが、やはり最期のセレモニー、あるいは「死」を遠くないものと考えるはじめたキッカケは同居している両親の老いを目の当たりにしているからです。その絡みで明日は「ホスピスケア」のNPOの話も伺う予定ですが。

簡単に、乱暴にいうならば「充実した生」を送りきった人にとっては最期のセレモニー、お葬式というのは「立派にせねば」とか「多くの人に看取られて」などという意識は実際そんなにないんじゃないかな、ということを今日の話を聞きながら思い深めていました。

大げさに云えば生と死は表裏一体で、おじさんが子どもの頃に想像していた「偉大な人は多くの人に悲しまれて盛大なお葬式をあげるもの」という通念は「偉大な人」にとっては実はそれほど関係ないことではないかと。偉大な人というか、生が充実している人というのは自分が死んだ直後にどのようなセレモニーで送られるか、そんなことはたいした関心事ではないのではないか?と。
さまざまな簡素なセレモニーの形式のスライドを見たり、埋葬のさまざまな形式(散骨、合同墓地、樹木葬、あるいは残された家族の手元に置かれるなど)を教えてもらう内にそう思い始めていました。おじさんの若いときは、といっても最近までですけども。なんとも幼稚な想像力を駆使していたもんだと思い始めています。全ての人が往く道でその意味では全く万人平等の世界なのにね。命の終わりにまで現実の価値観を当てはめていたわけです。

厳密に死後の扱いについて法律に明記されているのは「死亡届を提出すること」と「火葬は24時間以内に行ってはならない」の二点のみ。
それ以外に関してはセレモニーのあり方、埋葬のあり方、墳墓のあり方は自由なんですよね、原則的に。で、現代ではそのような自由な形式を選ぶ人も徐々に増えているということ。

まだ現代の普通の人は長い仏教的な慣習(あるいは先祖崇拝的な慣習)にしたがって、ちゃんとしたお葬式をせねば、お墓も大事だ。人様の葬祭に出るように自分自身も、って思っているかもしれないけれど、死後のセレモニーとか自分のお骨のゆくえにこだわって食べるのも我慢してお金を残す、っていうのは確かに自分には違うかも?って思う。これはまさに個々人の「哲学的な問題」になってしまいますけど、おじさんは自分の死後は自分の存在が終わっているのでそれきり、とおもっているひとなので葬式にこだわりはないのです。というか、基本セレモニー嫌いなので、なくて構わない。骨は散骨を、と思っていましたが、維持が難しいといわれる樹木葬はかなり「これ、いいな!」と思いましたね。

話はそれてしまいましたが、まさに自分の生きてきた生のラストをかざる「死」はその生きている人間の「生の哲学」の問題なんだな、と思いをまた新たにしましたね。極端な話、生が輝いている人であれば、死が不慮の事故で襲ってきたとしても、それはその人自身にとっては格別無念ということではないのかもしれない。その人を慕う人々にとっての無念ではあっても。それが喩え金も名誉も地位もなく、平岸の合同墓地で1900円で埋葬されても、それが何だというのか、ということでしょうね。そんなことを思いはじめている自分に少し驚いていました(笑)。

もともとは4年半前に父がガンになり石狩管内の墓地探しをしたり、同じく父が一昨年の秋に心筋梗塞で一事「危ない」ところに行った時、急遽母と近隣地域に出来た家族葬を目的をした小さなセレモニーホールを見にいったりして、一番身近な家族がもしかしたら?となったときに初めて「死」とそれに伴う「もろもろのこと」を意識したのが始まり。それで今回のNPOの話を聞いてみようか、と思ったのです。

本来、おじさんは非常な怖がりで、特に「死」が怖い人なのです。怖さゆえに意識してしまう。だから高所とかアドベンチャー的なゲームとか冒険とか苦手なんですよね。恥ずかしいのですが、それがコンプレックスだった時代もあります。それゆえに逆に若きヒーローの死に心酔したりとか。それは全部「死が分からないから怖い」というところに尽きるところがあります。

生きづらいがゆえにジタバタし、例えば若者の悩み、NPOでいえば漂流教室さんのようなフリースクールや引きこもり支援や自助グループ、生きやすい仕事の仕方はないだろうかということを主眼に考えつつも、また「いのちの危うさ」にひきずる経済的な仕組みに異議を唱える心象もあるわけですが。
親の高齢化を通して「自然と死を意識せざるを得ない支援」についても最近意識しはじめています。

しかし、それはどうも自分にとっては二つの別のことではなく、同じことの裏返しの気もします。「気持ちよく生きたい」ことと「ゴールでじたばたしたくない」という、自分にとって二つのことは同じ思いで繋がることなんじゃないか、と思い始めています。

2010年3月22日月曜日

キングソフトOffice2010を買う。

おじさんのコンピュータ(emachines)には実はワードとエクセルが入っていないんです。
であるがゆえに新品でも(とはいっても一昨年のもの)、安く買えたワケですが。
しかし、この4月からOA学校で職業訓練するにせよ、仮に市の緊急雇用で採用になってもワード&エクセル操作できること、という約束を面接でしていますから、いずれにしても自宅でも急遽ワード&エクセルのソフトをインストールして両者の復習が必要になるな、と。それでマイクロソフト社のマイクロソフトオフィスの価格を見たら、これが目が出るほど高い!

そこでワード、エクセルとほとんど遜色ないと呼ばれる「キングソフト・オフィス2010」を購入する決意。こちらはヨドバシで3980円と、ナンジャコリャ価格。購入者のカスタマー・レポを読んでも、自宅学習用には全く問題ないのではないかと。即、今日買いに行くことに。

交通費を浮かそうと地下鉄方面から逆方向に歩み始めたら突如の吹雪。駅前まで歩いてもおさまる様子がありません。エライ目にあってしまいました。やっと地下歩道にたどり着き、ヨドバシにて当該製品を購入しました。で、感想ですが。こりゃ、確かにスグレモノだ!特に表計算ソフト(キングソフト社では『スプレットシート』)は「エクセルまんまやんけ」の世界。しかもこれがホンマ、軽い。楽々。これはお買い得ですわ。というか、マイクロソフトから訴えられないのか(笑)。大丈夫?って世界です。


このソフトはプレゼンソフトも入って4780円。ヨドバシ価格では3980円。おそらくマイクロソフトだとゆうに2万円台後半には行くはず。でも、ユーザー側の気分としてはこちらが適正な値段の気はするけど。パワーポインター機能は一応置くとしても。

2010年3月19日金曜日

というわけで第2弾

本日自分としては参加2日目で2講座。シニアお元気NPO「シーズネット」さんと札幌に長く住んでいるとどこかで名前は聞いたことがあるであろう「自由学校・遊」。前者は名前はよく聞いていたけれど、実際はどんな活動をしているのか知らなかったのでした。参加してみて、高齢者を中心にした高齢者のための生き生きとしたリタイア後の人生サポートしたり、自分たちでサークル活動したり、高齢者賃貸住宅の紹介(仲介はしない)などをしたりする団体。後者は元々は社会運動系の流れを汲む社会学習・社会活動等の自由な「社会について学ぶ学校」。

両者ともに大変幅広な活動と実績を持っており、NPOといっても別格の風格すら。もちろんそれなりの歴史もあります。ホームページのリンクを貼りましょう。そちらを見ても理解いただけるはず。「シーズネット」 「さっぽろ自由学校 遊」

ウチのオヤジも70過ぎになってから「カルチャースクール」とか「老人クラブ」とかに入って病気になる前までは少し活動してましたが、やはり地域的なしばりの強そうな「町内会」とか「集会所」などに集まることに抵抗のある人が多いのかな?町内会などにありがちな男性的なタテ秩序に馴染めないとかがあって、シーズネットさんのようなところはおそらく会員が女性が非常に多いということがあるのでしょうか。で、やはりサークルを作る、運営する、活動するのは女性が積極的なのかもしれないです。(断定してはいけませんが)。

「遊」に関しては社会活動、社会問題について学ぶなどなどの学校。前から結構関心はありましたが、その関心の強さゆえに逆に敷居高く感じてしまい、なかなか彼の学校で講座を受けようという気にはなりきれなかったのでした。私、基本、引きこもりおじさんですし(苦笑)。ですから、こういういろいろな(雑多な)NPOの活動事例報告の場の一環で話を聞けたのは幸いで、良かったです。今後オカネに少しゆとりが出たら、講義に出るのも前ほど躊躇はなくなると思います。(ただ、最近は大学も社会に開いていますし、そこは遊の方も仰っていましたが、市民に開いている大学と競合する側面も出ているかもしれません)。

話を戻しますと、やはり会議室の一室で行う講義ですし、やはり代表の方らも参加者と質疑応答形式でやるほうが気楽で自分たちの活動を伝えるのに却って饒舌になっていくみたいです。やはり延々と講義式になりますと、雰囲気がどうしても重くなりがちですからね。

市民活動の話ですから、その意味では市民の私たちが自分の関心をNPOさんの直接的な活動とは繋がらなくても、素朴に質問したりすることでそこから話も広がり、いろいろ学べたり現実の中の仕組みを知ることが出来たりするのはとても益のあることです。

私も振り返ってみれば結構質問したりしてました。特に「遊」さんの活動は前から関心があったせいもあるかな。
シーズネットさんの話については「指定管理者」制度について知り、学べたのがよかった。
遊さんの話についてはNPO化する際にその必要性があるのかどうか議論があったこと、また市の公的機関に講座PRのためにチラシを置かして貰ったり、講座の後援をお願いするに際して、その講座内容によっては市が後援を断る場合があるなど、「へえ~」と思うようなことを知ることが出来たのは良かったです。

今日で全部4つのNPO団体の話を伺いましたが、それぞれ「ふむふむ、なるほど」と発見があり益になります。そういえば、今のところ講座が団体さん側の一方的な話になったものは無いですね。どこも最終的には聞き手と質疑応答形式です。

今日の二組のNPOは特に活動がアクティヴなところですが、いずれも動機は始める人間が「求めていること」と「やりたいこと」があって、同時に思いを同じくするメンバーを他にも持つ。つまり、たった一人で始めていないことが共通していますね。

初日のフリースクール「漂流教室」さんも思いを同じくする代表二人が2年くらいデスカッションを重ね、思いを共有することを煮詰めて、次に横の連携を作ったり、組織化する方法を先達に教わったりする準備期間を持っているわけで。「遊」さんも語っていましたが、あえて自分たちの求める人材がいるとすれば、志を持ちつつも、協調できる人、と云っておりまして。
 どうやら現在NPOを立ち上げ活動する際の要諦は「ハッキリした志や目標」と「その思いを共有できるほかの幾人かのメンバー」の存在、ということにありそうです。

そこらへんの立ち上げまでのニュアンスはいま記憶を呼び起こすと「漂流教室」さんが一番説得力を持って語っていた気がします。

余談ですが、私、「名も無きおじさん」もああいう場では結構自分でも積極的に質問するのですが、会合が終わったあとにNPOの代表の人と今後の場つなぎのための会話をするところまではいけないのだなぁ。そこがまだ自分には足りないところだと思います。堅苦しいというか、子どもっぽいといいますか。。。まだこの業界にトライしてみようとまではいけていない、といいますか。

このアイデアは有効な気がします。

ニート、という言葉の語感を聞くと一般的なイメージとして余り良いようにはとられない、というのが「人の日々の生活状態」の呼称につきまとうありがちな問題ですが、ニートという言葉自体にはちゃんとした定義があるわけで、その呼称自体は価値中立的なんですけどね。

それはともかくとして、このアイデアと行動はポジティヴでいいな。
いろんな状況にある人たちにも応用が利きそうな気がします。
何となく頭に浮かぶアイデアではあったけれど、実践が行われているんですね。

窓ふき・ゴミ出し500円~ニートが地域のご用聞き 住宅・不動産ニュース ホームガイド YOMIURI ONLINE(読売新聞)

参考:レターポストフレンド相談ネットワーク(オピニオン)

では、今日もNPOの事例研究会に参加してきます。

2010年3月15日月曜日

いろいろと考えた日。

肌寒い一日でした。今日はNPO事例研究会に参加。午前と午後合わせて3つの団体の話を聞く予定でしたが、午後の2講目、これは昨年NPO人材養成講座でお世話になったホームレス支援団体、「ベトサダ」さんですが、こちらは残念ながらお休みさせていただいて、市の緊急雇用臨時職員募集の面接に赴いていました。

1講目のフリースクール、「漂流教室」さんはブログも愛読させていただいてますが、やはりなるほどユニークで知的な人たちでした。二人の友人が話を詰めて詰めて出来た組織であることからくる組織運営の現実的側面に関する話など、なかなか聴き所が沢山。「自分が」ではなく「当事者」視線に立てるかどうか、という支援に関するデリケートな話など、なかなか大きな問いを投げかけられておられたような。代表二人には「強い自由人」のイメージが浮かびましたね。こういっては怒られてしまうかもしれませんけれども。

午後の就職面接は割と淡白に終わりました。(またも、という感じですが)。ただ思ったよりも応募者が少なかったようなのが意外。

取って返して午後は3講目。YMCAの女性版、「YWCA」。ヤング・ウィメンズ・クリスチャン・アソシエーションの略でしたかね。こちらは非常に幅広い活動をされている様子。国際関係から食の教育まで。フェア・トレードのコーヒーとクッキーをいただきながら話を伺いました。最近はクリスチャン・センター内(北大生協の向かい)にカフェを運営。具体的にはそのカフェ運営担当者という形で、YWCAの活動家の女性がお話されました。自分が思うにはやはりクリスチャン組織がバックということで、組織的に大きな活動が出来るのかもしれません。

午前の知恵を絞って頑張るフリースクールの団体設立者よりも、こちらは幅広い分野で活動できているような。どちらがどちらということではないのです。それぞれの条件の中で「出来る/やりたい」モチベーションで出来ること、出来ないことで考えているわけでしょうから。個人的には日々思考と実践を工夫しているような「漂流教室」さんの中に「凄いね」という印象を持ったのでした。

しかし、YWCAさんのほうもカフェはひきこもり、ニート、フリーターの居場所と出番の場所として使われているようで、NPO総体としてこのひきこもり問題は全然特殊じゃなくなりつつあるんだなぁと改めて実感させられたのでした。つまり、これからも幾つか(その中には同居している老親の看取りを意識した上で受講する予定の団体もあります)のNPOを見ていく中で、いろいろなNPOの独自性と接点を考えてみたいと思っていまして、その思いがより強まってきた印象です。

まぁ気まぐれなところも自分にはあるので、この意識が自分の中核に根をおろすかどうか。自分自身に対して今後も問いかけつつ、ということにもなるのでしょう。

2010年3月14日日曜日

ラッキーだったと思います。

先日書きましたように、生活支援給付付き基金訓練校の試験、ペーパーで大失敗し面接も最初しどろもどろになってしまったので、本日宅配便で送られてきた結果通知、嫌~な気分で封を切りました。

結果は、ラッキーなことに合格、受け入れOKでした。イヤホント、定員絡みのラッキーだったとしか思えません。正直ホッとしました。これで四月から給付金付きでとりあえず勉強できる形が一つ見えました。
明日、市の緊急雇用対策の臨時職員の面接がありますが、少しリラックスして挑めそうです。こちらも結果が二週間後ということで訓練校が受かったら給付のための必要手続きとの絡みでどちらか捨てなければならないかも?というところですが、学校は入学の日まで必要なハロワの受給証を用意すれば良いようなので、ギリギリまで待てそうです。
とりあえず、火曜日あたりにハロワに相談に行こう。

明日はNPOの事例研究会というのを北海道NPOサポートセンターというところで行うのですが、午前と午後3時からの3講目は出られそうです。1講目はなかなかユニークそうなフリースクール。楽しみです。昨年実習でお世話になったホームレス支援入居施設代表の方の話は時間的に面接とバッテングするので聴講はちょっと厳しい。残念です。

なにしろ、正直良かった。。。(ホッ)。

2010年3月12日金曜日

ご近所先生プレゼン終了

ちえりあにて「ご近所先生」の申し込み企画書を提出して教えたい内容のプレゼン終了しました。
やはり面接というか、面談というものはですね。言葉は悪いけれども相手のフォーマットに則って想定問答に答えるよりも、自分が立てた企画で伝えたい内容を話すほうが自分のフィールドに持っていけるので、余程気持ちが良いものです(苦笑)。

まぁ、対応してくださった職員さんが若い方で、「労働社会保険」について講師したいといっても、最初はいま一つピンと来なかった様子。やはり関心が向きにくいのかな。ただ、非正規社員が全労働者の38%、全体の約3分の1、そして20代に至っては男女ともに半数近くが非正規労働者です、そのような人は登録派遣やWワークで社会保険未加入の可能性も高い、という情報をお伝えすると真剣にうなづいて聴いてくれました。対応してくれる人はベテランのほうが良かったかなと最初思いましたが、正社員になるのが難しい世の中である、という角度からデーターを伝えるとむしろ若い人のほうが実感として響くものがあるかも、と思い返しました。

ところでこの「ご近所先生」企画も秋の講師60名のところ、120名くらいの応募があるそうで、こちらも2倍。やはりリタイア層で社会参加したい人が増えているのもあるだろうし、かつご近所先生は基本、文化分野で趣味の深堀りの要素が強くて座学よりも何かを作るのを教えたり、パソコンを教えたりというのが多いようだけど、昨今の社会事情を考えるとおじさんが考えているのと同じような時事・社会問題について教えたい人が増え始めているかもしれません。(元々「時事・社会問題」分野は講座自体が少ない。つまりその方面の講師希望者が今までは少なかったようです)。

以下、企画書に書いた内容を転記します。(活字は字の汚さを隠せていいものですなw)

 ・働く人たちに関する法律を学ぼう!(仮題)
 「労働者の働きかたのかたちが大きく変化している時代です。08年の統計では全労働者の34%が非正規社員であり、今や三人に一人が不安定雇用の時代です。日本社会を安定させていた新卒一括採用・終身雇用制度が立ち行かなくなりつつあるいま、派遣労働やパート、契約社員など「新しい労働のかたち」で働く人の側に添いながら、労働法(労働基準法、派遣法、雇用保険法、労災法など)や社会保険法(健康保険法、国民健康保険法、国民年金法、厚生年金保険法など)について関心度の高いポイントにフォーカスをあててお伝えしたいと思います。働く人たちを守る法律に興味を持っていただける内容にしたいと思います。
 例えば派遣やパートでの働き方のコツや問題点。育児休業や介護休業について。労働契約をする際の法律について、など。また、長期不況に伴い長期の失業状態にある人やいわゆるニート、引きこもりと呼ばれる人の「居場所」についても問題提起できればと思います。」

 結局、想いは今後の社会環境の変化をどうとらえ、それに併せてどのような新しい社会的仕組みが考えられえるか。聞き手の方々と思い巡らす機会となれば望外な幸せかな、と思うのです。
 秋にはまた法令は変わっているかもしれません。また、そもそも2倍ですから自分が選択されるかもわからないわけですが。アピールしてみる中で、また一つ自分の中で問題として抱えてみる良い機会になったかな、と。本当はもう少しあの場で話したかったくらいで(苦笑)。それでもなんだかんだで30分くらい話しあいました。

 結果は4月10日に分かりますが、6月にまた講師募集が出ますので、近郊にて関心のある方はその時にぜひ説明会に参加されては如何?

2010年3月11日木曜日

アーッ!大失敗!

基金訓練の筆記試験で大失敗してしまいました。
今回は定員以下の参加で合格ラインもかなり低いのに!
オモテ面が真っ白な答案用紙、見開きで問題があって、いつもと勝手が違い直近の簡単な時事問題などが出てて自分としては関心があるはずの9-5労働で保護水準以下の生活をしている人をどういう層と呼ぶか?ああ、どう呼ぶのだったか?そして四文字熟語でどうしても思い浮かばない漢字の書き取り。そこで考え込んでハマッテしまっていました。
--結局、要は見開きの問題のことしか頭に浮かんでなかったんですね。そこには数学問題はない。最初に「国語と数学」と確かに聞いたのに。すっかりぼんやり。終わり数分前になって、何となく空気でページをひっくり返すような様子が感じられ「アレ?もしかしたら?」と思ったら案の定、裏面に数学の問題がずらっとあり。気づいたのは試験が終わる2-3分前。あわててもそれなりに出来る簡単な算数。だが、もう時間がない!「嗚呼何やってんだ?オレ!」すっかり大失敗です。

がっつり自分の不注意に落ち込んだ後、すぐに面接。面接冒頭に「今回受講される科目名をお伝えください。」浮かばない、浮かばない!OA,アレ?OAの何だった?アチコチ似たようなの受けているからなぁ。OAの簿記、はないんだよな。OAのワードとエクセルとパワーポインターなんだよ。OAパソコン科だったか?アー、前にも別の学校で同じ設問があったのに。しばらくこんな質問無かったのでまた忘れてる。次に「受講する科目の内容はどのようなことですか?」もちろん、ワード、エクセル、パワー・ポインターをやる授業です、ではないのです。どのような意図か。パンフに書いてあった。事務の効率性?あとなんだった?浮かばない、浮かばない。最初のショックもあり、面接もグダグダです。

今回は定員以下の集まりだったし、冷静に全部の問題に目を通せたらそれなりなんとかなった気がする。自分の注意力の無さにガックリ。

その後、市役所で市の緊急雇用の面接のために履歴書を提出に。その場で履歴の直近の空白を少しでも埋めるために派遣で働いた時期も書いてくださいと。そこで履歴に書き加え。やはり1年位も空白があると厳しい、のだろうなぁ。といっても登録派遣も一月だけだがね。煙たがられてその後連絡もないし(来られてもそこじゃやりたくないしな)。

何か不首尾な気分をひきずったまま、明日提出する企画書に頭を切り替えようとするのですが、やはり失敗が頭をなかなか離れず。非正規社員にとって知っておいて得する労働法・社会保険法(逆に言うと知っておかないと損するかもしれない労働社会保険法)についてお伝えするというか、ともに問題意識を共有できるような話に持っていければ、と思っているんですが、それをどのように企画に書くかな、と。タイトルも重要な気がします。やはり人の注意を惹くものでないと。。。
そして普通の人が知っている派遣法、労働基準法、雇用保険、年金法のレベルが分からないというのもあります。浅いと「知っていること」では意味ないですし、逆に深すぎては理解を共有していただく意味では駄目だろうし。

グダグダのままジュンク堂へ。『北方ジャーナル』に連載されている「引きこもりシリーズ」、はじめて立ち読みしました。なかなか良く書けていると思います。SANGOの会の様子も紹介されていて、一男性発言として自分の言葉も紹介されていました。確かにこのようなこと、言ったなあ。自分でも忘れていました。

専門家の先生のインタビューがなかなか深くてこの部分勉強になりました。


そんなこんなで帰ってきてしばらく経つ今です。
さて、気持ちを切り替えて企画書を考えねば。

2010年3月8日月曜日

今週はそれなり

朝にはまた雪が積もっていましたが、今は初春を思わせる日差しです。

昨日は生涯学習センターが募集する秋の「ご近所先生」講師募集説明会に行ってきまして。
結構人が集まっていました。
こちらは今週中に企画書を出さないといけません。
出来るだけ耳目を惹くようなタイトルと講座のアウトラインを表現しないと選漏れしてしまうでしょうから。
考えどころです。自分が考えていることは如何にも座学的なので、一般の市民先生からすると上手くやらないと社会的マニアックになってしまいます。
でも、過去の講座歴を見ると「ロック&ポップス熱中夜話」なんていう異色の講座があります。こういうのに急転向しようかしら?冗談ですけど(笑)。企画書とそれをもとにした話し合いは土日は混むようなので、出来るだけ金曜日まで提出しようかと。アタマの中をかきまぜないと。

もひとつ、今週のメインは木曜日に基金訓練校の選別試験、筆記&面接。これはこれで今までの勉強と面接の受け答えがポイントですね。

あとひとつは来週面接予定の市の緊急雇用の履歴書提出。応募した職種の応募理由、こちらもどれだけ説得力あるものにするか。関連資料を見ながら検討中です。

ここら辺が今週中に処理案件です。

あとは月一回カウンセリングを受けている恩師の大学先生より来年度大学教授の研究資料作り作業や、大学で開催している市民カレッジの手伝いのお誘い話が有り。現状まだまだ先方も思いつきの段階なので、全くの白紙でありまして。こちらとしては、どうかお願いしたいという期待。

何しろご縁を大切にしたいものです。
明日は自助グループ「SANGOの会」に出席予定です。

2010年3月5日金曜日

夢のもつれ

 今朝起きたら重たそうな雪が積もっていました。
 最近自然に目覚めが早くなりました。朝早くから仕事の準備されている人には眉をひそめられるかもしれませんが、大体6時半くらいに自然に目が覚めるようになりちょっと驚きですw。実は先月の頭くらいは実に良く眠れて。朝起きるのが7時半過ぎ、二度寝して8時過ぎということもざらだったので。
 不思議ですね、人間にも体内リズムがあって、寒い冬は深く眠ることによってカロリーを備蓄し、春の季節とともに体内リズムが活動的になるように促すのでしょうかーなんて、自分勝手な理屈作りです(苦笑)。

 年度末になると今まで習慣的に読んだり見たりしていたものが終了したりします、今やっている朝ドラもこの3月末まで。
 新聞夕刊に定期的に連載されていた鷲田清一さんという哲学者の人の連載も終わりです。「夢のもつれ」というタイトルのものですが。まぁ、関西、確か大阪出身で京都の大学で教えている方で、哲学者といっても一種の普通の人のための人生哲学、生き方実践的な部分が多々ありまして、文章は読みやすいのです。読みやすいのですが、どこかひっかかり、余韻が残るタイプの文章。時には関西の人特有の(失礼!)世の矛盾も飲み込むような二枚腰的な思考法が自分には馴染まないな、と思うときもあったのですが、基本的にはわりと一生懸命読んでいました。
 大阪や京都の人たちはおそらく絶対「原理主義」には走らない土壌でしょうね(苦笑)。それはともかく。

 ラスト回は読み応え十分でしたので、一部その内容をお伝えしたく。私もこの回のこのセンセの考えに深く同意です。
 いわば「今どきの子ども」論から始まり、思考の自由を述べる立論です。
 ランダムに引用させていただきます。

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 いまどきの子どもは、まわりから期待されすぎているのかもしれない。対話やコミュニケーションを求められすぎているのかもしれない。ことが何であれ、なにがしかの反応を、対応を、そしてその成果を、すぐに求められる。云ってみればじぶんをニュートラルにしておくことが許されない。友達同士のあいだでも、気を配ること、神経を使うことが要求されるらしい。
 他人をほっておいてやるという思いやりがもっとあってもいいのではないかと思う。

 今の社会には、だれもがあたりまえのように感じているが、ちょっと考えてみれば理がないすぐにわかることが多い。・・・問いをだらだら並べていると、理屈ばかり言って、と咎められる。
 わたしばかりが病気するのはなぜ?働くことの意味がわからないのに働かなければならないのはなぜ?なぜ成功しなければならないの?こんな問いには、あたりまえのことを訊くな、答えは出ないから考えても無駄だ、などと言われる。

 しかし、生きてゆくうえで大事なことにはたいてい答えがない。生きることの意味、わたしが存在することの意味、社会に漂う閉塞感の理由・・・。答えが出るまでああでもない、こうでもないと思い惑うしかない問題群である。なのに考えるなと言われる。答えをすぐに出せと言われる。そして滑りの良い思考ばかりが求められる。ここで否定されているのは、あれこれとぐずぐず思い迷う権利である。

 生き方を軌道修正するためには、身につけている思考の初期設定を変え、フォーマットを変える必要がある。そのためには、新しいフォーマットを作れるまで、ああでもないこうでもないと不確かな状態でいつづけられる思考のタフさがいる。無呼吸でどこまで深く潜水することができるのか。それが験される。その験しの機会が、わたしたちにはなかなか許されない。
 ニュートラルでいられる場所。あるいはぐずぐずしている権利。それを私たちはもっと主張してよいのではないか。

 マニュアル本やハウツー本、指南書が溢れているが、ぐずぐずするためのマニュアル本はない。どうしていいかわからない人のために書かれるのがマニュアルだから、あたりまえと言えば、当たり前か。

2010年3月2日火曜日

いよいよ年度末です。

先月末日に受けた基金訓練校は案の定アウト。筆記もエントリーシートも問題ないとすればおそらく面接にて。う~ん、最初からはじかれていたかな?しかしダメだろうな、とわかっていたから。すぐに気を取り直して。

またもあさってまで締切りの基金訓練校、明日行って応募して来ますよ!ええ、懲りません(苦笑)。

それから札幌市で緊急雇用が出ています。新聞でちらっと見たのですが、求人募集をハローワークのパソコンで調べたらまとめて求人あり。ハローワークで募集要項と履歴書が手に入るということで、早速入手。申し込みは9日から12日まで。面接は15日から19日の間で職種によってそれぞれ。応募出来る職場は一つ。熟慮の末に決めました。明日またハロワに行って基金訓練の応募用紙を書いて、そして求職紹介状をもらってきます。

年度末ですからね。人が動く時期です。何しろ今年の3月はやはり「失業」がメインテーマ。前職員さんに聴いたとおり、すでに新卒学生向けの半年間基金訓練が出ている。職業訓練がハローワークの中で大きな位置を占めていますね。職業訓練も、訓練を経てスキルアップをして再就職というポジティヴ感より、段々と生活保障的な色合いが強まっている気がします。

いま、おそらく政府・行政もこの国が向かうべき次の方向性が見えなくて大変なんだろうと思うんですね。
先日の湯浅誠さんのドキュメンタリーを見た人は如何に組織の壁が厚く、具体的な配慮が呆れるほど持てないか、縦割り行政が変わらないか。唖然とさせられた人も多いのではないでしょうか。
ただ、「個々人への生活の保障」だけは現状何とか、というのは政府としての共通認識になり始めているのは確かでしょう。これだけは確かだと思います。皮膚感覚としてそれは分かる。

これからでしょうね。今日は「希望に添えない通知」と一緒に北海道NPOサポートセンターから3月にまとまったNPOの代表者たちの講座が分科会的に全30講座としてあることの通知が来ました。
「新しい公共」の話はまさにこれからなのでしょうね。その前にいまの混迷期はとにかく「絆創膏貼り」せざるを得ない時期なのかもしれません。湯浅さんの100日ドキュメントを見ても、困窮生活者は一昨年と変わりがないことがわかります。

札幌市による「緊急雇用創出に関する採用の目的」です。(一部抜粋)
 
「札幌市では国の緊急雇用対策を活用した事業を実施し、失業を余儀なくされている皆様に短期の雇用機会を提供することにいたしました。これは日々の求職活動にも関わらず、残念ながら就業の機会を得ることができなかった方に雇用機会を提供するため、各種事業を市が直接または民間企業に委託して実施し、こうした事業に従事していただく方を市や受託企業が雇用させていただくものです。
 今回の募集は、市として直接実施する事業に従事していただく方を臨時的任用職員として採用させていただくためのものとなっております。」

PS.
湯浅誠さんの内閣参与の仕事ドキュメントは明日3日(水)の深夜1時から、同じくNHK総合で放映されます。大変貴重なドキュメントなので、見逃した方はぜひご覧ください!