2019年1月5日土曜日

from punk to post punk



お正月に自分のために買った一冊、というのは「嘘」で、Amazonで購入したある昔のCDにいまゾッコン中なのですが。この本も昼寝抜かしてのゾッコン1日で全部読みこみ。


77年のピストルズのアルバムあたりを起点としたオリジナルパンクムーブメントの後に続くのは一般にはニュー・ウェーヴといわれたものでしたが、実はパンクのあとに注目すべきはもうちょっとインディペンデントの音楽とか、他の分野のカルチャーに影響を与えたポストパンクといっていい一群。(当時から既に一部で”オルタナティヴ・ロック”とも言われ)。
文字通り主に若い人自身が経営するインディレコードから英国中心にたくさんのバンドが出てきました。片方にパンク後にも音楽シーンに残ったメジャー系のパンク残党たちもいれば(こちらは元々音楽的な才能があった人たち)、インディシーンのほうは本物の玉石混交。音楽を深く了解してる才能も居れば、文学畑、政治畑、アート畑にもともとは関心があった連中、とさまざまな関心分野の参入があり。どこぞの文化祭なみにインパクト勝負だ、という連中もいましたが、そのインパクトゆえに今でもマニアな伝説のバンドたちもいる。



そのようなカルト伝説の人も含めた当時のシーン。そしてそういうことを始めた人たちを訊ねて彼らの音楽原体験などを含めたインタビュー。多くは当時から35年近くも経った2010年代前半の、おおむね50代がみえた人たち。もう落ち着いた年齢からの青年時代の振り返りなので、当時はミステリアスな存在に見えた人たちも実は「ごくふつうな音楽ファンでした」という現実ぶりがうかがえて。


ぼくもかつてとは違い、いまは当時のインディ英国シーンにハマった時期の憑き物はだいぶ落ちているので、落ち着いた歳になった彼らの音楽原体験や、音楽を始めた社会条件の振り返りはすごく自分的にもフラットに響くし、世代間断絶の話しでなくなったぶん、何が彼らは素朴に好きだったのかがわかり、いまそれを知れて率直に嬉しい。



本当に音楽好きだった人たちのポップスやロックとの出会いの感動や衝撃の話はたいがい子ども時代まで遡るし、その感動が伝わる。(特に文学的なモリッシーの表現は格別でした。ブログで表現したくなったのは彼の語りによる)

そして手が届かないと思えた音楽シーン、本当に自分もバンドをやってみよう、こういう世界の周辺に関わろうと思ったその触媒にセックス・ピストルズがあった、という共通項もほぼみなが認める事実で、「なるほどな」とあらためて思った。そんなピストルズそのものだったジョン・ライドンから80年代デビュー組のモリッシー、ソニック・ユースのサーストン・ムーアあたりまでの24人のインタビュー。



この歳になると、縛りがなくなりどんな音楽もたいがいは受け入れて聞けるというのが年を取っていいことだな思うことだというのが実感。ジョン・ライドンもいう通り、ぼくも民族音楽が好き、スティーライ・スパンのような英国フォークリバイバル・バンドも好き。

その意味ではAmazonミュージックのような聴き放題サービスは助けてもらっています。正直な話が。GAFA」問題があるのは了解できるにしても。悩ましくうれしくもありで…。



しかし、クラシックしか聞けず、器楽の練習をさせられた地獄の小学校音楽の授業に例えば中学入る前後頃にぼくがごく初期のチューリップやあるいは井上陽水に出会わなかったら、あるいはビートルズに、そしてパンクに出会わなかったら、音楽そのものが嫌いになったかもしれない。関心持てなかったかもしれない。

音楽業界に長くいる元パンク組だっていまはクラシックを聞いてるわけだし、ふつうに彼らの伝統なわけで。ぼくもいまは例えばカーラジオで誰が誰かはしらないけど、クラシックが流れたら消したくなるということも無くなった。



音楽は素敵。例え入口がめちゃくちゃな騒音に思える半分素人のインディミュージックからだとしても、衝撃と燃える想いを抱けたのであれば。そしてそこにこだわれば、最後はクラシックだって嫌いはしなくなる。そういうことなんだということを小学校から音楽の授業は受け入れてほしいよね。

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