2018年6月19日火曜日


久しぶりのブログ更新です。
2018年6月18日。映画館のメンズディということで、カンヌ映画祭パルムドールを受賞した是枝監督の「万引き家族」と、その是枝監督と気脈を通じていそうな川瀬直美監督の「Vision 」を一緒に見てきました。

「万引き家族」は受賞にふさわしい大変素晴らしい作品でした。ただ、今やイギリスの社会派、ケン・ローチが取り上げそうな文脈の作品を日本人監督が映画化し、カンヌ映画祭で大賞を受賞するという点に時代の変化、日本社会の変化を感じました。
作品のタイトルが「万引き家族」ということで、一部でタイトルに不快を感じている人もいるようですけれども、彼らが盗んだものは「嘘」(機能不全家族)ではなく、「本当」(愛情を築き上げていくこと)のことであるということが見ているうちにわかってきて、タイトルの意味にハッとしました。映画の後半に犯罪者とされたこの疑似家族の妻は「捨てられたものを拾っただけなんです」と印象的なことを言います。また、夫(父)を演じるリリー・フランキーは万引きする行為も、「店が潰れない程度ならいいんじゃないか」と家族員の男の子に言います。この考えの中に無意識に子を捨てる家族がそのまま店舗の外見のように、機能しているように見える状況への皮肉があると思えました。
とはいえ、(実の祖母ではない)祖母役の年金だけが主な収入源で、夫婦と子供ふたり、そして虐待を受けた女の子を受け入れるこの5人家族はみんな社会的にはとても弱い人たちです。弱いがゆえに脆弱な方法を取らざるを得ない。つまり万引きとか、風俗産業でお金を稼ぐとか、さまざまな一般社会では許されない方法で生きるしかない。子どもに対しても万引きでしか生きる方法を伝えることができない。しかし、彼らは社会的に弱いだけ。むしろ人間的な愛情が(社会的に弱いがゆえに)むき出しに近くほとばしり、弱いがゆえに大人も子どもも同じように生きる。その方法はいかなるものであれ、大人も女性たちも老婆も恐れも軽蔑もない関係で相互に支え合っているのです。
ここには一家の大黒柱になる役割の立ち位置のリリー・フランキーの頼りなさがいい関係性を築いています。その分女性たちがいい感じで、矛盾や脆弱さを持つ特殊な家族に生活感を与え、女系の持つ力の支えというものを感じる部分が、ある種アジア映画の特性があるような気がします。

作品は進むにつれ、実は家族成員すべて血縁関係にないことがわかります。
血縁家族というものが人間の愛情の根本的な源泉なのか。それとも、やんごとない理由であれ、肩を寄せ合ううちに「家族」の機能が醸成されることが本当の家族というものなのか。そんな現代的な問いを想起せざるを得ない説得力。これがこの映画の素晴らしさの所以だと思いました。

多くの人たち、特に児童や少年福祉に深い関心を持つ専門職の方々には特におすすめをしたい作品です。



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