2011年11月11日金曜日

芹沢俊介さんを迎えて。


 明日、11月12日の土曜日、教育評論家の芹沢俊介さんを迎えて講演と当事者から活動家となった人たちをパネラーとするシンポジウムが行われてます。
 主催は自分も会員となっているNPO法人・レター・ポスト・フレンド相談ネットワーク。
 場所は札幌市教育文化会館3階の305号室。
 時間は午後1時30分から午後5時30分までとけっこうな長丁場ですが、一部で基調講演をされる予定の芹沢俊介さんは、ひきこもり問題(どうも問題、という言葉には抵抗がありますが)に関し、社会側や家庭の親側からではなく、あくまで主体者である当事者の視点に腰を据えておられるようで、その点が好感が持てるところです。

 近著『存在論的ひきこもり』はタイトルからして難解で、立ち読みしたところやっぱり難解そうでした(笑)。インタビュー部分くらいかなぁ、分かりやすそうだったのは。

 むしろ個人的には2002年の著作『引きこもるという情熱』が分かりやすく、当事者目線としてもよく判っている方だと思いました。こちらの本に関しては、個人的にもお勧めです。多少、定義となる表現が一般的ではない、耳馴染みのない用語があることと、「社会的引きこもり」理論に基づく社会への引き出し圧力に対抗する論理構成をとっているために、やや逆弁護的な響きを持っていること。「正しく引きこもる」ことに関して言えば、全ての引きこもりにとってたったひとりで、あるいは主体的に選んでいくことは現実的に可能であろうか?という問いは残りますが、前者に関しては定義を厳密にしたい意図であろうこと。後者に関しては引きこもる人たちの主体性を無視しない議論の組み立ての構築が見事ですっきりしているといえます。あえていうなら、論理がすっきりとし過ぎである気がしないでもありませんが。(ただ、「正しく」ひきこもり、そこから回帰したと思われる人を自分は目撃したような気がしていることもあるので、結構説得力のある議論にも思えます)。


 ぼく自身、引きこもりについての社会圧力的な論理に苦し紛れ?に湯浅誠さんの五重の排除理論の最も根源となる、「自分からの排除」を援用したりしてきましたけれど、芹沢さんはこの本の中でまさに引きこもりにフォーカスして、現実の人たちから逃げても逃げても逃げ切れない、自分自身の中にある「社会的自己」という存在観念を表現をします。引きこもりの人たちの(あくまで一般論として)良い子となるべく、自分の中で築き上げた観念的な社会性の高さにおける逆説の重たさを言い当てていて、見事だなと率直に思いました。

 内容そのものは分かりやすいです。(私が文章化すると却って難しくしているわけでw)
 社会通念や家族目線で引きこもりを捉えることに違和感を感じる方にお勧めしたい一冊です。



 個人的には明日は駆け込み参加、あるいは少し遅れての入室になるかもしれませんが、芹沢氏の講演が楽しみです。
 後半はシンポ。こちらはどんな展開になりますやら。
 市内、近郊にお住まいの方で関心のある方は地下鉄東西線・西11丁目駅で降りて教育文化会館へGO!ですヨ。


2 件のコメント:

  1. ブログ拝見して「引きこもるという情熱」読んでみたくなりました。私自身自分の事を「情熱」と形容するのは非常に恥ずかしいものがあるのも事実ですが(笑い)。「社会的自己」・・・存在論的ひきこもり論で言う所の「自分の中の内なる引き出し魔」にリンクするワードなのかな。。何にしても生で講演が聴けてうらやましいです。

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  2. 「引きこもるという情熱」でも「社会的自己」のメカニズムは刺激的で、この本でも中核的な鋭い考察だと思いました。講演ではまだ未読の「存在論的ひきこもり論」でのひきこもるということのメカニズムを分かりやすく語ってくれたと思いまして。難解なんじゃないかという先入観は捨てて、後者の本も読んでみたいと思っています。芹沢さんご本人は非常に温厚な語り口の方でした。

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